藤村でございます。
ヤンデル先生とシャープさんの回答は、いつもいつも読みごたえがあります。
読みながら「そうだそうだ」と頷きますし、「なるほどそうか」と気づくこともよくある。
もうね、このホームページの「顔」と言ってもいいぐらいのコンテンツになってますもんね。
こうなったら早いとこ本にまとめて出版して欲しい。
となれば、月イチの掲載と言わず、隔週ぐらいのペースで書いていただくと、出版化への道も早まるわけでね。
私もラクになるし、と。そのようなことを考えてしまいますよ。
さぁ今回も日曜の更新に間に合わずコレを書いている私でございますが、実はまたひっそりと「ヒゲのひとり旅」をしていたのでございます。
今回もまた「こんなにいい場所があったのか!」とひとり興奮しておりました。
なんせ歴史的に価値がある場所なのに観光客らしき人は、私以外に誰もいなかったんですから。
もう風景を独り占めです。
編集するのが楽しみでございますよ。
写真を2枚アップしておきます。これでわかる人、いるのかな?
(2023年1月24日 藤村忠寿)
どうで荘の放送室 第78回
住民の皆様、こんにちは。スタッフYです。
毎週金曜日にお届けしている「どうで荘の放送室」第78回です。
どうで荘の放送室ではほぼ毎週、日々の出来事からD陣がちょっと気になっていること、些細な雑談まで、放送室の設備を利用してD陣がどうで荘の住民の皆様に無理やりおみまいしております。
放送室では掲示板などに書き込んでいただいた内容などを見ながらまったりお話したりします。日常の些細なこと、考えたこと等、ぜひ掲示板に書き込んでみてください。
☆今週の放送室☆
・どうで荘内でも大好評の、第10回どうゼミ
・どうでしょうの中の「嬉野さん」という存在
・D陣の心に深く深く残る講師
まだどうゼミのアーカイブをご覧になっていない方はぜひご覧ください!
どうでしょうゼミナールのアーカイブはこちら
シャープさんとヤンデル先生の相談室
〜ただまぁ、打つ手はないです〜
第10回
「公式」の先駆・シャープさんと、つぶやく病理医・ヤンデル先生が!
悩みを聞くだけ聞いて解決しない相談室を架空のアパート「どうで荘」で開設。
入居者からの「相談」に、各自の持ち場から答えていただきます。
☆現在、入居者の皆様からのお悩みを大募集中!
☆今回のお悩み☆
仕事と子育てどう両立すればいいと思いますか?奥さんは子育てで大変そうだけど仕事をして稼がないと子育てが色々しんどくなるジレンマです。
(PN. たいさん)
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どうで荘にご入居のみなさま、新年おめでとうございます。どうかみなさまの一年が、楽しくて実りの多い年でありますように。とはいえ今年はどうでしょうの新作が控えていますから、藩士のご多幸は保証されているのかもしれません。とにかく「滑り台とはなにか」を見届けることが、卯年の使命になりそうです。
さて新しい年のお悩みです。なんとも今っぽいテーマが寄せられました。子育てと仕事の両立。人類は太古の昔から連綿と子育てと仕事を行なってきたはずなのに、いまだ頻繁に問いかけられる悩みです。こんなの、人類の叡智でとっくに解決していそうなものですが、どうやらそうではないらしい。たいして歴史を学んでこなかった私ですが、子育てと仕事の両立について語られた古典や神話、あるいは子育てと仕事を命題にした哲学書など、ついぞ見かけたことがありません。
率直に申し上げて私は、毎日のようにSNSやメディアで目にする「子育てと仕事の両立」に、やや食傷気味です。なぜなら議論されるそれらはことごとく、子育てvs仕事の二項対立として語られるからです。子育てと仕事の両立といいつつ、議論はいつも「どちらかを選べ」あるいは「どちらかを諦めろ」と、当事者たちに迫ります。どちらの言い分にも、背景に「私たちもそうしてきたのだから」という無言の説得が感じられ、私はだんだん怖くなってくるのです。
メディアでもSNSでも、時に家電や時短を話題の入り口にしつつ、子育ての敵は仕事、仕事の敵は子育てと、それぞれがそれぞれの敵を語ります。もちろん私たちの時間は有限ですから、何事も優先順位をつけ、取捨選択せざるをえない、のはよくわかります。ですが問題を考える前に、お互いを敵と睨みあう、二項対立の構図そのものが、悩める人へ否応なくしんどさをふりまいているようで、私はそこに食傷しているのです。
どうして二項対立にうんざりするか。だって子育てと仕事はそもそも、まったく違うものじゃないかと思うのです。子育てと仕事は、相手が子どもと大人。対峙する他者がちがうから、そこに適用される常識もちがうはずです。使う言語もちがうし、研ぎ澄ます五感もちがうから、おそらく働く脳の部位も異なるのではと思います。疲労の質もぜんぜんちがうでしょう。
つまり子育てと仕事は、すき焼きとしゃぶしゃぶの違いよりもっとちがう。風呂と電卓ほどちがう。子育てと仕事は、テニスとサッカーの違いよりずっとちがう。自転車と囲碁ほどちがうのです。なにもかもがちがう。なのに子育てと仕事はなぜか、みんなちがってみんないい、とはなりません。
どちらも満足に経験したわけでもない私が言うのも僭越ですが、そもそも子育てと仕事は比較が成立しないほどに、ぜんぜん違う人間の営みです。だから二項対立する子育てか仕事か論争を見ていると、だんだん私は、解剖台のミシンと傘が描かれた、シュルレアリスムの絵を眺めるような気持ちになってきます。ただしシュルレアリスムはまったくちがうモノが偶然出会う時の美しさを問う表現ですが、この場合はまったくちがうモノを対立させているわけです。対立が両立を阻むのは明らかでしょう。
そういえば昔の人類は「子育てと仕事なんてまったく別もん」として扱ってきたのかもしれません。だから子育てと仕事の両立をテーマにした古い書物も見当たらないのではないか。そんなことまで思えてきました。
だからといって「昔に戻れ」なんて、さすがの私も思いません。私たちは昔の人類ではないし、われわれはいつも圧倒的に時間が足らない。下手したら、生きるための金まで足らない社会に置かれそうになります。そこで「どうしてこうなった」を考えだすと、入り組んだ社会や政治の問題に立ちくらみしそうになりますが、ともかく幼子を抱えた大人はなんとかふんばり、やりくりしなければいけません。なかなかしんどい時代です。
ならばいっそ。ならばいっそですよ。心の上では「ぜんぶを仕事にしてしまう」のはどうでしょう、とも思うのです。子育てを仕事として同列に組み込む。つまりは相談者さんも奥さまも、どっちも仕事人です。あらゆる「やるべきこと」はシームレスに並べられ、ただただ効率とコストパフォーマンスを指標に、ふたりに(場合によっては夫婦以外のメンバーに)割り振られるのです。そしてとうぜん、ぜんぶが仕事なのですから、その対価も成果もチームで享受します。
わかっています。私だってわかっています。「子育ても仕事に」なんて、そういうドライさに徹することができれば、どんなに楽か。ここまで書いてきて私も、それができれば苦労はしないと、しみじみそう思います。打つ手はないのになんとかしなければならぬ。まさに子育てと仕事の両立は、その際たるものなのでしょう。結局私には、相談者さんと奥さまに「ごくろうさま」と声をかけるしかできないようです。
ただし、かろうじて光明があるとすれば、私たちの周囲にはたいていいつも「なんとかなった」人たちがいることかもしれません。子育てと仕事の両立は、打つ手がない問題です。ですが、打つ手はないけどなんとかなったと述懐できる問題でもあります。しんどい時でも、「私たちもそうしてきたのだから」と無言の圧をかけてくる顔も知らない先達のアドバイスをうまく避け、「なんとかなった」と朗らかな顔をしている身近な先輩を見ることはできます。
とはいえ、そういう人は具体的にどうしたか聞いても、「忙しすぎて覚えてない」と笑うんですけど。ただまぁ、打つ手はありません。
こんにちは、病理医ヤンデルです。いよぉーし、本日も粛々と悩みましょう。ええ、悩みます。きれいな回答は無理だなこりゃ。思いついたことからダーッと書きます。
最初に……あなたが一行目に用いていらっしゃる言葉、世の中でもかなり便利に使われている「両立」という言葉、これがよくないなーと思いますねえ。あーいやいや、文句言ってるわけじゃないです。なんでそんな言葉を使うんだ、っていう意味ではなくて、「言葉に呪われてるんじゃないかなあ、大変そうだなあ」って言いたい。
「両立」って言葉が私たちの生活をちょっと面倒にしてしまっているのではないかと感じる今日この頃です。
キャリアと家庭を両立、とか、仕事と子育てを両立、とか、みんな、日頃からあまり考えずに使ってしまっている言葉ですけれども、そんな、あのね、この話はね、両方いっぺんに立てられるほど簡単な案件じゃないんですよ。脊髄反射的に「両立」って言っちゃってるけれども。いやいや、そんな簡単じゃないんですって。ねえ。
「仕事」も「子育て」も、どちらも言ってみればお遍路をゆっくりゆっくりまわるみたいな行為でしょう。それだけに「かかりきり」になって一歩一歩進んでいったとしても、天候とか、ロープウェーの運行状況とか、クリームパンの奪い合いとか、いろいろままならないものに左右されて、予定通り次の札所に行けるかどうかは時の運みたいなところがあるわけです。「かかりきり」だったとしてもですよ。それがあなた、お遍路と番組の取れ高を両方なんとかしろ? どう考えても無理でしょう? なのに我々は人生で、「お遍路をまわって受験生の合格を祈願しつつ、おもしろいことも言え」みたいな無茶ブリをされるんですよね。
どだい、無茶なんですよ。
ところが、世の中に「両立」なんていう迷惑な言葉がありふれているせいで、なんとなく、「両方やってやれないことはないのかな?」みたいな気持ちになってしまうんですね。これはもう認知のゆがみを生み出す呪いの言葉です。
次に、「仕事」と「子育て」が、それぞれ1つの案件みたいな感覚でこの相談の文章を書かれてるような気がしますけれどもね、仕事って、じつは複数の案件を同時にやっていくことなんですよ。子育ても、なんと複数の案件を同時にやっていくことなんですよ。
わかります?
仕事をきちんとやろうと思ったら、例のいまいましい「両立」みたいなことを、毎日言われ続けることになります。そう思いませんか? あれをまとめとけ、こっちは会議しとけ、そっちは学んどけ、どこかでコミュニケーションしとけみたいなことばかりじゃないですか。基本マルチタスクでしょう。
子育ても同じで、「両立」「両立」の雨あられです。そう思いませんか? あそこを面倒みとけ、これを作っとけ、それは片付けとけ、どこかでコミュニケーションしとけみたいなのが延々と続くんですよ。めちゃくちゃマルチタスクです。
そして極めつけには、仕事も子育ても、基本的に「フルの休日」ってないんですよね。負荷の波はあるんだけど、それがゼロになるってことはない。
となるとね。仕事だけで両立、子育てだけで両立して、さらに仕事と子育てで両立って、あなたそりゃ、いくつ両があると思ってるんですか。よっ、千両役者。やかましいわ。
何が言いたいかっていうとですね、「仕事」と「子育て」と、二項を立てて両方なんとかしたい、みたいな前提に無理があるし、そもそも仕事だけやっていようが子育てだけやっていようが、「両立」みたいなものが求められる限り、人間はいつも、過剰なマルチタスク状況を強いられるんですよ。
どちらかだけであっても無理なのに。
そこで我々の「先輩方」はどうしてきたかっていうと……。
あそこで「両立」してるような方も、あっちで「専業」してるような方も。
まあ……小声で言いますが……みんな適度にサボってますよ。
仕事でやらなきゃいけないあれこれを、全部やってる人なんていません。なんでもこなしてすごい! みたいなバリキャリの先輩も、もちろん非常に高いレベルでいろいろこなしているのはその通りなのですが、どこかで必ず手を抜いています。仕事において絵は描かないとか。取引先との会話は減らすとか。そうじゃないと、千手観音でもない普通の人間は絶対に無理なんです。
で、家事や子育てについてもそれは全く同じで、じつは全員がほどよくさぼってます。子どもに対して完璧であろうとしたところで子ども以外の家族に対しては手を抜くことになるし、そもそも、「完璧な親」なんていませんよ。子に教えられることばかりですし。
そんなこと、ネットでも現実でもみんなが言ってますよ。サボりかたを覚えよう、みたいなね。
でも同じネットの中に、「両立」っていう言葉があるばっかりに、なんとなく、「仕事」と「子育て」はどっちもやってかないとダメなのかなー、許されないのかなーみたいに、圧迫されちゃうんですよね。
だからね、両立なんて言葉から自由になりましょう。
我々はどっちにしろ、仕事だけをしようが、子育てだけをしようが、マルチタスクにあわあわしながら、適度にあっちを立てたりこっちを立てたりを微調整しつづけて、それでなんとかやりくりしていくものです。だったら、たとえば、「仕事というマルチタスク+子育てというマルチタスク=仕事と子育てというマルチタスク」みたいにね、1+1=2ですけど、「たくさん+たくさん=たくさん」みたいに考えてね、はい、数学からも自由になりましょうね、いいですか、そんなまじめに考えてないで、思考も多少はサボったほうがいいですよ、でね、たくさんのできごとを簡単に「仕事 VS 家庭」みたいに切り分けるんじゃなくてね、家族みんなで協力しながら、「全部はむり!」っていう気持ちを共有してですね(これ大事)、その場その場で、今はこっちを大事にしようかな、今日は13番札所までとりあえず一緒にいこうかなという感じで、随時相談しながらやりくりしていくということでどうですか。マルチタスクにはマルチメンバーでマルっといくしかないんじゃないか。
ねえ。
それでもなお両立したいって言われたら、まあその、打つ手はないです。
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☆現在、入居者の皆様からのお悩みを大募集中!
【回答者プロフィール】
山本隆博
@SHARP_JPの運営者。どうでしょうをサラリーマン目線で見直すのが好きです。
病理医ヤンデル/市原真(44)
好きなどうでしょうはユーコンです。
どうで荘の放送室 第77回
住民の皆様、こんにちは。スタッフYです。
毎週金曜日にお届けしている「どうで荘の放送室」第77回です。
どうで荘の放送室ではほぼ毎週、日々の出来事からD陣がちょっと気になっていること、些細な雑談まで、放送室の設備を利用してD陣がどうで荘の住民の皆様に無理やりおみまいしております。
放送室では掲示板などに書き込んでいただいた内容などを見ながらまったりお話したりします。日常の些細なこと、考えたこと等、ぜひ掲示板に書き込んでみてください。
☆今週の放送室☆
・年末年始に開室した「どうで荘の談話室」(LINEオープンチャット)
・談話室に感じた新たなコミュニティ
・ふたりが年末年始に観たもの
多くの皆様のご参加、ありがとうございました!
【1月10日更新】どうゼミアーカイブページ
現在公開中の動画:
第1回(遠藤乾さん)、第2回(さやわかさん)、第3回(柏原竜二さん)、第4回(小泉悠さん)、第5回(村上貴弘さん)、第6回(マキヒロチさん)、第7回(羽生善治さん)、第8回(辻田真佐憲さん)、第9回(小川さやかさん)、第10回(深澤真紀さん)
「生徒役のプロ」こと藤村・嬉野が、さまざまな専門分野に素朴にアプローチする学びの場、それが「どうで荘ゼミナール」略して「どうゼミ」です。
このページでは、当日参加できなかった皆様のために、これまでの「どうゼミ」のアーカイブ映像を公開していきます!
【遠藤乾さん(北海道大学公共政策大学院長※当時)】
【さやわかさん(批評家・漫画原作者) 】
【柏原竜二さん(元陸上競技選手)】
【小泉悠さん(東京大学先端科学技術研究センター専任講師)】
【村上貴弘さん(九州大学持続可能な社会のための決断科学センター准教授)】
【マキヒロチさん(漫画家)】
辻田真佐憲さん(近現代史家、評論家)
小川さやかさん(文化人類学者、立命館大学先端総合学術研究科教授)
深澤真紀さん(獨協大学特任教授)
次回どうゼミ講師:決定次第お知らせいたします!
【注意事項】
外部へのURL及び動画の無断転載等は固くお断りいたします。 そのような行為が確認された場合、厳正なる対処を取らせていただくことがございます。 (どうで荘を強制退去いただく場合もございます、絶対におやめください!)
どうで荘ゼミナール視聴ページ
どうで荘ゼミナールへは以下よりご参加ください。
【注意事項】
どうで荘の住民の皆様向けに配信しております。URLのどうで荘の外への転載等は固くお断りいたします。
そういった行為が発覚した場合は、どうで荘を強制退去いただく場合がございます。絶対におやめください!
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第10回となる今回は、深澤真紀さん(獨協大学特任教授)をお迎えして開催いたします!
深澤真紀
獨協大学特任教授。タクトラボ代表、タクト・プランニング会長、日本文藝家協会会員。1967年東京生まれ、早稲田大学第二文学部社会専修卒業。 在学中に女子学生のためのミニコミ「私たちの就職手帖」副編集長をつとめる。
社会科学系、サブカル系、IT系、生活系など複数の出版社で編集者をつとめ、1998年企画会社タクト・プランニングを設立、代表取締役社長に就任。2014年、淑徳大学人文学部客員教授および中央大学文学部兼任講師に就任。2017年、獨協大学経済学部特任教授に就任、現職。
2009年「草食男子」で流行語大賞トップテンを受賞。「大竹まことゴールデンラジオ」「ポリタスTV」などのコメンテーターもつとめる。主な著書に『ダメをみがく』(集英社文庫)、『女オンチ』(祥伝社文庫)など。
【どうで荘の大忘年会&大新年会 案内ページ】
どうで荘の大新年会 配信は以下よりご視聴ください
☆藤村・嬉野と年忘れ!「どうで荘」大忘年会 in 大阪
終了しました!
どうで荘のお悩み相談室でもおなじみ、シャープさん(SHARP公式Twitter中の人)がゲストに登場!D陣とトークを繰り広げます!
日付:12月27日(火)
時間:19:00開演
会場:梅田Lateral(大阪府大阪市北区堂山町10-11 H&Iビル 2F)
料金:入居者受付 1,500円(+1D)
☆どうで荘の大新年会 in 東京
以前、イベントでD陣に「丸山交通公園」として芸を披露したこともある講談師、玉田玉山氏の「水曜どうでしょう講談」を同日開催!
※講談イベントは12:00開演、無料カンパ制
日付:2023年1月8日(日)
時間:第1部 13:00開演
第2部 14:30開演
※玉田玉山氏による講談は12:00開演(入場無料、投げ銭制)
会場:古石場文化センター(東京都江東区古石場2-13-2)
料金:入居者受付 各部800円、通し券1,500円
嬉野です。
昨年の年の瀬に、講談師 玉田玉山(たまだぎょくざん)氏の講談を間近に聴く機会があり、その節、私は氏の講談の迫力にスコブル心惹かれたのでありました。玉山氏はまだ30歳になったばかり。驚くほどの色白で、その立ち姿は皆さんもご存知でありましょうところの彼の英国の絵本作家、故レイモンド・ブリッグズさん描くところのスノーマンをさらに撫で肩にして立たせたような感じでありますから、見上げるような大柄でありながら隠しようもない愛嬌があり、その顔立ちはスノーマンよりはよほど口元が小さく目が細く、お人よしと見えなくもないながら、いやまてよ、どうも目の奥が笑っていない気もして油断のならないご面相とも見えますので玉山氏のご性質の真相は、今もって判然とはいたしませんが、とにかく人より雪だるまに近い印象を有するこの幾分人離れした風貌が初見の客にも彼をして人外(にんがい)と見せるのか妙な安心感を与えるところは芸を見せる者としては得であろうと感じいるのでありました。
この玉田玉山氏は、うちの玉木青くんの年来の友人であり、その縁あって、5年ほど前には京都で開催した「よろしく御笑覧ください」という京都のパフォーマーたちを廃校になった京都の小学校の講堂に集めた大イベントでもトップバッターで出演を飾った過去がございます。
あのときはまだ、玉山氏は丸山交通公園という名でステージにスーツを着て立って独りで漫談的なことをやっておりましたが、そのときも彼は、ただ語るだけでは飽き足らず、手に持ったウヰスキーのボトルを満座の中で一本飲み干してしまいながら漫談を語ったという身体を張った荒芸をも披露しまして満天下の度肝を引き抜いたのでありました。
その丸山くんが一念思い立ち、さる高名なる講談師に弟子入りすること4年。この度、ようやく師匠の許しが出て年季が明け、これからはイベントごとも自分の判断で起こせる立場を得まして、ここに晴れて一人前の講談師となり門出を飾ったわけでございますが、この玉山氏、「水曜どうでしょう」の大ファンでもありますことから、去年の年の瀬に大阪で盛大に行いました「第1回どうで荘忘年会」の席で、飛び入りよろしく「うつ病の自分と水曜どうでしょうとの出会い」という即席講談を一席、急遽呼び込まれました舞台で演じてくれましたが、これがすこぶる面白く、問答無用に私の胸ぐらを鷲掴みにしたのであります。
講談という、あの悠長で、なにかと言えば大声を張り上げがちな大袈裟な語りの芸でもって「水曜どうでしょう」を深夜に初めてテレビで見たときの「なんじゃこの番組は?」という玉山氏の驚きを、うつ病にやられていた当時の自分の心境と共に大真面目に語って、なおかつ笑かすという、奇天烈なる可笑しみの世界をお客の前に現出させたのであります。
どうでしょうの味わいを深く知るものにとって玉山氏のこの講談は絶品の味わいで、「水曜どうでしょう」をそらんじるほど繰り返し見てきた猛者ファンほど、玉山氏の「どうでしょう講談」は胸に迫ると思いますので、是非とも間近で体感してほしいのであります。
さて、そのような玉山氏の「水曜どうでしょう講談」が、大阪の忘年会に続き、新春1月8日の「どうで荘新年会」でも聞けるかもしれないということですので、当日ご来場の皆さんは、どうぞ今から「お楽しみに!」と私は言いたいのでございます。
そして、玉田玉山氏の「どうでしょう講談」、良いじゃないか!と、わたくし同様に心を鷲掴みにされた皆さんは、是非とも陰に陽にこれからの氏の活動を支えてあげていただきたいのでございます。
いつか「水曜どうでしょう」をニッポンの伝統芸能である歌舞伎で観たい聴きたいと思っておりましたら、これまたニッポンの伝統芸能である講談で語って笑かすという男が出現しよりました!という、以上、2023年新春のホットな話題でございました。
不思議にニッポンの伝統芸能と小気味よく通底する「水曜どうでしょう」を見つつ今年も朗らかに年を重ねて参りましょう。
どうで荘の放送室 第76回
住民の皆様、こんにちは。スタッフYです。
毎週金曜日にお届けしている「どうで荘の放送室」第76回です。
どうで荘の放送室ではほぼ毎週、日々の出来事からD陣がちょっと気になっていること、些細な雑談まで、放送室の設備を利用してD陣がどうで荘の住民の皆様に無理やりおみまいしております。
放送室では掲示板などに書き込んでいただいた内容などを見ながらまったりお話したりします。日常の些細なこと、考えたこと等、ぜひ掲示板に書き込んでみてください。
☆今週の放送室☆
・新年1発目の「どうで荘の放送室」です
・発表された『四国R-14』のDVD化について
・ そのほか「どうでしょう」まわりは今年も活発に動いています!
2023年のどうで荘もどうぞよろしくお願いいたします!
【どうで荘限定受付】ラパルフェ×水どうD陣コラボイベント申し込みページ
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藤村Dからのメッセージ
「もちろん大泉さんのモノマネがメインだけど、実はミスターさんがかなり似ている、という衝撃の事実を現場で確認せよ!」
YouTubeコラボから生まれた企画がついに実現!
コラボ第2弾の際にラパルフェさんが披露した「水曜どうでしょう藩士にしか伝わらないモノマネ」。
それを見た藤村Dが発案した、藩士の前で実際にモノマネを披露するイベントが実現!
目の肥えた藩士の皆様の前でも、気鋭の若手コンビは好評を得ることができるのか!?
そして!今回はイベントにもっと積極的に参加できるお得な「S席チケット」をご用意!
かぶりつきでイベントをご覧いただける上、「投げ銭がわりのサイコロ」を投げてラパルフェさんを応援できます。
※サイコロの数はラパルフェさんへのボーナスに直結します。
☆どうで荘入居者の方は、本ページからのチケットお申し込みで
・一般チケットなどが20%OFF!
・アーカイブは無料で見放題!
でお楽しみいただけます!
S席チケットには割引は適用されません。予めご了承ください。
あけましておめでとうございます!
大家の藤村でございます。
年末年始は、LINEグループへのみなさんの投稿が不思議な連帯感を醸し出しておりまして、眺めているだけで「あーいいじゃない」と思った次第でございます。
今年も郵便局でバイトする次女は帰ってきませんでしたが、長女と長男は帰ってきましてね、恒例の元旦食いまくりビュッフェを堪能してまいりました。
もう往年の食いっぷりは影を潜め、ゆっくりとワインを飲みながら、少しずつ美味い料理を取り分けて楽しんで、それでも大満足でございました。
さて年が明けて2023年。
今年は2月末に大阪マラソン、その翌週には大分竹田で名水マラソン、さらに続けて福岡で初のHTBグッズショップ出店、そして水曜どうでしょうの新作の放送、5月から8月までは「ここキャン北海道」でテント生活、9月からは「キャラバン」、さらにその後は藤村源五郎一座の大阪での公演も画策しておりまして、また楽しい一年になりそうです。
コロナのおかげと言っては語弊がありますが、しかし、こうやってみなさんとお会いしてイベントを開くことがどれだけ楽しいことだったか、改めて実感した一年でしたので、今年もまた常に初陣のつもりで全力で事にあたっていこうと思っておる次第でございます。
ではみなさん!
今年一年もまた楽しく過ごしてまいりましょう!
(2023年1月1日 藤村忠寿)
どうで荘の放送室 第75回
住民の皆様、こんにちは。スタッフYです。
毎週金曜日にお届けしている「どうで荘の放送室」第75回です。
どうで荘の放送室ではほぼ毎週、日々の出来事からD陣がちょっと気になっていること、些細な雑談まで、放送室の設備を利用してD陣がどうで荘の住民の皆様に無理やりおみまいしております。
放送室では掲示板などに書き込んでいただいた内容などを見ながらまったりお話したりします。日常の些細なこと、考えたこと等、ぜひ掲示板に書き込んでみてください。
☆今週の放送室☆
・年季明けをされて、どうで荘の大忘年会でも講談をしていただいた玉田玉山さんをゲストにお迎えしております。
・「どうでしょう」は古典芸能と相性がいい?
・今後の展開が楽しみな「どうでしょう講談」
1月8日の「どうで荘の大新年会」でも玉田玉山さんにご出演いただきますので、どうぞお楽しみに!
玉田玉山さんの情報はこちら
そして、2022年の放送室は今回が最後になります。
お聴きいただきありがとうございました!来年もどうぞよろしくお願いいたします。
どうで荘の年越し談話室(オンラインのみ)のお知らせ
紅白歌合戦、元日、初夢…年末年始の様子をお互い報告しながら住民の皆さんで気楽にチャット雑談しましょう。大家さんも出現して直接チャットができる期間限定の談話室。
昨年大好評&皆様からの多数のご要望をいただきまして、この年末年始も開催することが決定いたしました!
日時:12月31日(金)~1月3日(月)
※事前にグループに参加いただいても問題ございませんが、投稿は上記期間中内のみでお願いいたします。
形式:オンライン
参加方法:以下よりご参加ください!
オープンチャット「藤村嬉野どうで荘の年末年始2022〜23」
「オープンチャット機能」は現在LINEにご登録いただいているお名前やプロフィールを知られずに利用できる機能です。詳細につきましては以下をご確認ください。
どうで荘の大忘年会 住民限定視聴用ページ
こちらは12月27日(火)19時開演の「どうで荘の大忘年会」のアーカイブページです。
※上記のページはどうで荘住民限定の公開ページになります。どうで荘の外への共有・公開は絶対におやめください!そういった行為が発覚した場合、強制退去(退会)いただく場合がございます。
嬉野です。本日千秋楽を迎える藤村源五郎一座「神面記」を、今週の月曜日に見物してきましたが、これが、良かったんですねぇ。上演時間は70分と意外とあっさりした尺だったのですが、見終わって満足感がありました。
物語は織田信長が京都の本能寺で家臣の明智光秀に謀叛の襲撃を受けてその生涯を終えるという本能寺事件に想を得たお芝居ですが、今回は「藤村源五郎一座」お馴染みの笑いがいっさいなかった。しかし、笑いを省いたことは大事なことと思えました。
去年も見に行きましたが、そのときはまだ過去にやった笑いのネタが随所に残っておりました。私、ネタを知っておりますだけに「これをやるならオレの講談で前振りしてからの方がもっと素直に笑えるはず」と見物しながら思ったものでした。だから「この笑いネタはもうやらない方がいいだろうなぁ」と思い見ていましたら、今年の舞台ではそういう笑いが省かれいっさい無かった。さすが藤村さん。
笑いも、ある程度、観客に状況を分からせてでないと笑いはおきないものと私は思いますから「やるなら」笑いの分だけ情報も入れることになり、笑いが増えれば単純に芝居が長くなり、とても70分では終われない。加えてお芝居も物語で見せようとするなら、これもまたいろんな状況をその都度観客に分からせてでないと物語は面白く見せられないから、これもまた70分では終えられない。
でも、今年の「藤村源五郎一座」は70分で客を満足させたのです。
そうなると、そこには客に体感させる効果がふんだんにあったと思わせられるのです。
例えば、去年から取り入れた客席と舞台とを仕切る紗幕の存在。単純な御簾のようであれの効果は大きいのかもしれない。あの紗幕がフィルターとなり役者たちから生々しさを隠し、舞台からも客席からも時間や場所すら超越させる効果があるのかもしれない。だからこそ目の前の舞台が今のことだと思えなくなってゆき、やがて、ここが何処だかも分からなく時間を曖昧なものにさせてしまうだけに時代劇芝居に向いているのかもしれない。
そして、その紗幕に立体的に投影される文字、影、映像。そして紗幕の奥で展開する激しい殺陣、力強く優雅で迫力あるダンス。そして役者たちの立ち姿、声音、セリフ芝居の言葉の中身、情感。それらが見る者の語感を刺激して良い感じに活性化させていたのだと思います。
しかしながら、いかんせん私という人間の理解力が今ひとつゆっくりなので、観劇しながら細かいところはほとんどこぼれ落ちて何を見てきたのかを忘れているわけで。しかし、その時間は心地よい70分間だったとだけ印象は記憶しているということです。
芝居展開に破綻がなく、おそらく藤村さんは随所にいろんな効果を盛り込んで話を展開させていたはずと思いますが、私ばかりがそれに気づかず長閑に観劇していたということかもしれませんが、ならば、それとてこぼさず掬ってしまう体感的な効果もまた同時に与えていたと思われるのです。このことこそ、私は芝居としてデカいと思いました。だっていろんな人が見にくるんですから、ひとつの入り口だけでは足りないのです。
何にしても私は「藤村源五郎一座」はまさに途上にいるのだと感じました。
「なんだよ!まだ途中なのかよ!」と藤村さんは瞬時に私の発言にリアクションしましたが「いや、そうじゃない。そういう途上じゃない。何か、進むべき道を見つけちゃったんじゃないの? という意味での、途上です。だから次がまた楽しみだと思ったのです。この道を進んでいければ何処かで開けた土地に出る、1つの完成形となる」そう、予感した舞台だったということです。
劇のクライマックスで、白い寝巻き姿で、他の誰よりも迫力を出しちゃっているオッカナイ織田信長が、すぐそこに凄んでいたんですが、「あ、でも、あの人って、サラリーマンなんだよなぁと不意に我に帰ったときの一瞬の可笑しみもまた、あの一座の芝居を見る時の醍醐味であることは相変わらずで、それもまた良かったのでございます。
あ、そうそう。藤村さんの次女のふーちゃんの抑制の効いた芝居が今回ヤケに良かったのには我ながら驚きました。ふーちゃん。そんな目もあるんだね。お見それしました。やっぱり人というものの評価は軽々に答えを出せるものではないんですね。