嬉野です。宣伝です。
今月2月25日。久々に佐藤麻美さんと私とで、「佐藤麻美、伝説のディナーショー」の夕べを開催することになりました。
その日は藤村さんの大阪マラソンの日なのですが、うちのスタッフがうっかりダブルブッキングしたんですね。なので、私は大阪の御堂筋辺りで午前中、懸命にマラソンを走る藤村さんを見つけてやたらと声援を📣送ったら、直ちに昼メシを食い、急いで新幹線に乗って東京は荒川区へ向かい、そこで準備万端待ち構える佐藤麻美さんと合流する手筈となっております。
思えば新型コロナウイルスで世間がパンデミックになる前は、世間では誰もがYouTube的な活動よりは、みんなで集まるリアルイベントを主流としておりました。ですから私もまたリアルイベントをやっておりました。
そんな中、私のイベントにシークレットゲストで度々登場してもらっていたのがHTBが生んだ最強の女子アナこと佐藤麻美さんでありました。
この佐藤麻美さんとイベントの回を重ねますうち、ある時、「ディナーショーをやりましょう!」と、彼女が突如として提案したのです。
ディナーショーといえば、歌手の方がクリスマスの夜などに、お客に美味なるフルコース料理を食べさせながらご自慢の喉を聴かせ熱唱されるというゴージャスなイメージでしたから、「なるほど」と。
たしかに佐藤麻美さんはカラオケがお好きで、しこたま呑んだ後には必ず「タッチ」を熱唱されるならわしですから、「これは佐藤麻美、いよいよ本気でお客にフルコースを食わせながらステージで『タッチ』を熱唱する気か」と、「はたまた、このオレとduetするつもりか」と、思いましたところ、
「そうではない」と。
「そのどちらでもない」と。
そうではなくて、
「食べるのが、お客でなくて私です」と、
「佐藤麻美が、ディナーを食べるディナーショーです」と、言うわけです。
なるほどなるほど。これはこの女、ますますおかしなことを言い始めたぞと思いましたら、佐藤麻美さんは力説なさるわけです。
「私は食をおろそかにしたくないんです」と、「だって1日にたった3度しか味わえない食事ですよ」と、「食事は真剣に吟味しなければならないんです」と、「納得のいかない料理を食べるなんてことは1度たりともあってはならないんです」と、「食に対して私は常に真剣なんです」と、その結果、「今や私はネット検索しても本気の料理を出す店には気を感じて探し当てられるのです」と。
かくのごとく熱っぽく語られるわけです。
つまり佐藤麻美さんは、「ディナーショー」当日、ステージへ出るやいなや、「ここは。。。」と思うお店に舞台から直電するというのです。そのとき、もちろん客席にはお客さんが着席していて。「でも、そのお客さんにはいっさい食べさせず、出前されてきた料理は、私がひとりで食べる、ディナーショーです」と、佐藤麻美さんは言うわけです。
「その一部始終をすべて見せる、ディナーショーです」と。
それを聞いて、ほとんどの方は、そんなものの何処がショーなんだと、お思いになるかもしれませんが、そのとき佐藤麻美さんは、おそらく何か「興味深いものになりそうだ」と、おもしろごとの匂いを嗅ぎ取ったのでしょうね。
そして私もまたそんな彼女の提案に、「なるほど」と唸るところがあったわけです。
「たしかにそれは、オレは見てみたいかもしれない」と。
と言いますのも。
私はかねてより、佐藤麻美とメシを食いに行ったときに、あの女が、店の給仕を呼びつけて料理を注文する際の、意味もなく堂々とした振る舞いと、女子アナならではの滑舌の利いた発語で料理名を読み上げては、やたらと熱意をほとばしらせ、真剣な眼力で給仕を見据え、しきりに質問を繰り返しては注文をするあの女の姿に見応えを感じ、「なんだこの女は。今こいつは料理を注文しているだけじゃないか。それなのにどうしてこうまで見応えのあるものにしてしまえているのだ」と、訝しく思うところがありました。
その体験があっただけに、佐藤麻美が、お客の前で電話注文して、届けられた料理を1人で美味そうに食ってしまい、その一部始終を見せるだけというディナーショーなんて、珍しすぎて興味深すぎるではないかと思ったわけです。
こうして我々は、この、「お客は食えないが、佐藤麻美だけは食うディナーショー」なるものをコロナ前に2度やったところ、これが不思議なほどの盛り上がりを見せたのです。
そのとき、私は、つくづく思いました。「こんなことで、こんなに盛り上がってしまうなんて。人間の持つおもしろがってしまう心というのは、いったいどんなところから呼び寄せられてくるものなのか」と。
単純な話、人間というやつは、真剣になっている奴から目が離せないのです。この場合、佐藤麻美さんが真剣になってる奴です。そいつから発せられる本気の火に、なんでこいつはこうまで本気なのだと思った瞬間から、不思議なことに心は開かされているのです。
その上、暗い劇場に閉じ込められて、いっさいの情報を絶たれたまま、特におもしろいことも見せてもらえないまま放置されると。いったい今から何が始まるんだと、あまりにも少な過ぎるその情報量下で、反対に人は自分の方から進んで集中力を高めようとしていくようなのです。
ですから油断するとほんの些細なことにも反応して可笑しみや愉しみを見出してしまい、笑いそうになってしまうのです。
だって想像してごらんなさい。
実際に劇場に足を運ぶと、佐藤麻美は本当にステージ上から近所のめし屋に電話をしはじめるわけです。
そしてその会話が逐一、劇場内のスピーカーから大音量で流れくるのです。
電話の内容は劇場内のお客に筒抜けです。
「うわぁ〜、本当にめし屋に電話してるわ」
そう思っているとスピーカーを通してデッカい音で電話の呼び出し音が聞こえ、少しすると当たり前の話ですが、お店の人が「はい、○○軒です」と、電話に出てふつうに答えだすのです。
その声が劇場のスピーカーからでっかく聴こえてくる。あぁ、このお店の店員さんは、まさか、自分の声がこうやって劇場内で大音量になってみんなに聞かれているとは思ってないだろうなぁと思うと、それだけで、店員さんの返答の油断した感じの一々が変に新鮮に聞こえてしまうのです。
当たり前の会話が劇場のスピーカーという当たり前じゃないところから漏れ聞こえてくるだけで、人間はもう、おもしろくなりかけているのです。
お店の人はいつもの電話ですからいたって事務的な声しか出しません。当たり前のです。でも、その事務的な声だって劇場内のお客にとっては数少ない情報なのです。それに会話の内容もただの注文ですから、おもしろい会話になるわけがない。それなのに知らないうちに劇場内の全員がその電話の声に聞き耳を立てて聴いているのです。
お店の人は、いつもの電話なのに、いつもよりしつこく料理について聞かれるもんだから、若干困惑し始めている。そうです。お分かりでしょうが、「ディナーショー」はもう始まっているのです。
お店の人はさすがに質問がいつもより高度すぎて途中で答えられなくなり「少々お待ちください」と言い残して律儀に厨房の料理人に聞きに行ってしまう。その際、お店の人は習慣で保留音に切り替えるんでしょう、次の瞬間、劇場にやけに陽気な保留音がスピーカーを通して響き渡ってしまう。
「やかましいわ!」
「早く止めてくれ」と、内心では思うんですけど、聞き耳を立てるくらいだから、もはやそれすらおもしろくなっている。
我々人類はおそらく、愉しまずにはおれない生き物なのでしょうね。
どのような状況下にあっても、なんとか、少しでもおもしろい方へ自分を引き寄せようと、可笑しみの閾値を普段より下げてまで楽しんでしまおうとするようです。
しかし、自分の中にある、その可笑しみの閾値を下げるスイッチは、自分では押すことができない。それをできるのは、たった1人の真剣すぎる他人。そいつが周りも見えないほど集中して、周囲の迷惑も顧みず、ただ「すこしでも美味いものを食いたい」というオノレの欲望に向かって振る舞い続けるうちに、そいつがどっかで知らないうちに押してくれてしまう。。。実はそういうことなのだと、私は思うのです。
2月25日。
東京は荒川にありますサンパール荒川で開催されます第3回「佐藤麻美ディナーショー」は、人体の本質に宿る(私が立会人です)、誰だって人生を、ひょんなことからでも心の底から自力で楽しんみに行ってしまえるのだ、という、人間が自力で幸福になれる力に、あなたの佐藤麻美が、美味そうな料理の匂いと、やたら滑舌の利いた声で料理名を告げては、根掘り葉掘り電話口で店員さんに迫っては、そこで見せる真剣味と度を越した本気度と、ディナーショーなのに食えないという客席の異常な環境とあいまって、あなたや私の中に眠る、チンケなことでも楽しんでしまえる閾値を下げてまで楽しんでしまえるという人間力を思わず作動させてしまう、そんな有意義な試みがなされる体験の夕べへ、19:00開演という、いちばん腹の減りそうな時刻に、佐藤麻美とわたくし、そしてスタッフ一同でお待ち申しておりますので、どうぞ、腹を空かせたままおいでください。
そして腹を空かせたままイベントが終了しましたら、ただちに帰り道にめし屋を見つけて飛び込みましたら、とにかく美味い晩めしを食うことになるであろうことだけは、ここで請け合っておきましょう。
追伸
先日夜、まさかの大売れで完売してしまいました、
『この珈琲なら飲みたい!!!』のフレーズでお馴染みのツンツン珈琲も、その日、劇場で買えることとなりました。
さっき販売が決まりました〜
でも、すごく残り少ないので、そこはご注意、ご容赦くださいませ〜
伝わりました?
来た方がいいですよ。
(2024年2月11日 嬉野雅道)