嬉野です。日誌です。
実は1968年の11月に。
開局当時のHTBで放送された番組に、「水曜いかがでしょう」というケッタイなタイトルの番組があったのです。
信じられます?
1968年といえば私がまだ9歳のころ。世の中は明治100年で盛り上がっていたはずです。そんな56年も前に、HTBに「水曜いかがでしょう」という、あまりに符合しすぎるタイトルの番組があったのです。
私がその事実を知ったのは実はほんの数日前のことで。
日曜日でしたが会社へ足を運ぶと誰もいないフロアの編集室に藤村くんがひとりいたのです。
「どうしたの?こんな日曜に」
「あなたこそどうしたの?」
「いや、なんとなくきただけだけど」
そう言って私は編集室に入り、彼の横の椅子に座ったのですが、藤村くんは私を振り返るでもなく編集機に向かったままなのです。でも、彼の前にある編集機のモニターは何も映さず真っ黒なのです。明らかに彼は編集なんかしていない。なのに私を振り返ろうとしないのです。なんでしょう、私は招かれざる客なのだということでしょうか。しかし、何かが不自然なのです。
私はなおも彼に語りかけました。
「どうなの?忙しいの?」
「忙しいですよ」
どうやら軽口もきかない。会話はしたくないといった重いトーンでボソリと彼は答えるだけです。
「でも、もうDVDの編集も終わったんでしょう?」
「終わっても忙しいんですよ」
そう言って彼はなおも私を振り返ろうとしない。明らかに私に出ていってほしい雰囲気としか思えない。
そのときです。
テープや素材の並んだ棚の中に、ひときわ異彩を放つ物体を私は見つけたのです。
「なんだあれ?」
私は心の中で思いました。
あの神戸のお菓子ゴーフレットの大親分みたいなドデカいサイズのヒラぺったくて丸い円柱のカンカンが、なんとも不自然に素材の並んだ棚にUFOの円盤のように突き刺さっているのです。
私は思わず藤村くんに声をかけました。
「ねぇ。。。」
「なに?」
「あれ、なに?」
「なんでもないよ」
「いや。なんでもないって。あなた今、振り返って見もしないで言ってるけど。絶対なんでもあるでしょ!」
「なんでもないよ」
「いや、なんでもなくないよ!さっきからあなたもおかしいんだけど棚に突き刺さってるあのケッタイなアレはもっとおかしいよ!」
私は思わず立ち上がって棚から不自然過ぎるドデカ缶を抜き去りました。
するとそれは、古色蒼然たる35mmのフイルム缶でした。映画のフィルムのひと巻きを入れて保管する缶です。
「なにこれ。フイルムじゃない。フイルムなんて場違いなものが、なんでこの編集室にあるの?」
私の不審感は募るばかりです。
缶の表には紙になぐり書きしてセロテープで貼っただけのタイトル表が貼ってあり、なんと、「水曜いかがでしょう」1968.11とあったのです。
「いかがでしょう。。。???」
どうでしょうをもっと丁寧な言い回しにしているだけで、あきらかに「水曜どうでしょう」をパクリまくったタイトルじゃないですか。でも、パクッたにしては、放送年次が水曜どうでしょうより古いのはどうしたことでしょう。だって今から55年も前なのですから。
「ねぇ、なんなのよこれ? 『水曜いかがでしょう1968年11月』って、書いてるけど、なんなのこれ?
ここにあるんだから、あんたはコレのこと知ってるってんだよねぇ?」
私の執拗な追求にとうとう藤村くんは観念したのか、静かに私を振り返るとこう言ったのです。
「見ますか?」
「え? 見れるのこれ? 」
彼は静かに頷きます。
「見たいよ」
藤村くんは、渋々、プレビューの準備をすると、動画を再生し始めました。
とまぁ、いったようなですねぇ、「水曜どうでしょう」の奇天烈な真実とでもいいましょうか、本当は、大昔にHTBが放送していた番組を1996年に偶然発見した藤村くんが、その過去の番組「水曜いかがでしょう」をパクって作り始めたのが「水曜どうでしょう」の真実であったのだ〜という、小芝居をね、日曜の昼からさせられまして。撮影が行われたんですけどね。
でも、お陰でね。とっても興味深い動画を見ることができたんです。
「水曜いかがでしょう」です。
これは、近々皆さんも見ることになろうかと思うのですが、55年前のテレビ人が「水曜どうでしょう」的な旅企画をフイルムで撮影してテレビ番組にしていたらどんなテイストのどんなビジュアルになったか、そんな、だれも思いもしないようなことを妄想し、どうしてもこの目で見たいと執着したテレビ制作会社勤務の若者が、現実にオノレの技術と想像力と演技力とで見事に再現してみせた、モノクロの画質も登場人物の喋り具合も、何から何まで昔のフリをした正真正銘の現代の動画「水曜いかがでしょう」だったんです。
あのね、クオリティーが高いですよ。
見てるともう、妙な気持ち良さが脳にくるのです。隙がない。
クセになる動画なのです。
水曜どうでしょうを続けてきて、もうじき30年です。オギャアと生まれた赤ん坊でさえ、お父さんやお母さんになってしまって家のローンの返済さえ始めてしまうような長い年月をかけて、ただ真面目におもしろがって番組を作り続けていたら、いつの間にか僕らではない他人様が、どうでしょうを深く愛するがゆえに、彼ら銘々の進んだ道の技量をもってとびきりの娯楽にしてくれるという、そんな事象がこのところ、講談、モノマネと演芸部門を賑わせておりましたところへ、ここへきて、今回ついに映像部門でも花を咲かせ始めたという、
げに、幸せなことです。
嘘のない仕事ぶりには、同じように嘘のない仕事ぶりの人たちが川の流れのように春の風のように集まってくるんですね。
ということで、どうで荘TVでご覧になれる日が参りましたら、またご連絡しますので、どうぞみなさんお楽しみに。
それでは、本日も、みなさんご無事で。ハッピーの方へ舵を切って参りましょう〜