嬉野です。
絵本といえば、サン=テグジュペリの「星の王子さま」もステキだけど、西村繁男さんの「おふろやさん」もステキだと私は思うんですよねぇ。
なにしろ絵本のタイトルが素晴らしいですよね。「おふろやさん」
絵本「おふろやさん」は、ストーリーといっては、3歳児くらいの女の子のあっちゃんと、赤ちゃんと、お父さんお母さんが、家族4人でおふろやさんに行って帰ってくるだけのお話ですから。空想もメルヘンも、王子様もキツネも薔薇も、格言も哲学も出てこないかも知れませんが。でも、人として、なんとも幸福な時間が、あの絵本のおふろやさんの中には流れているんですよねぇ。
とくに、1980年代のバブル景気以前の東京で一人暮らしをしたことのある人には、たまらん懐かしい世界が描かれていると思いますよ。
あの、アパートといえばお風呂がないのが当たり前だったころの東京の町中には、ちょっと歩けば、見上げるほど高い煙突と立派な大屋根のある銭湯が、それこそいっぱいありましたからね。だって六本木の飯倉交差点のソ連大使館の裏手にもふつうに銭湯ありましたもん。
そりゃそうでしょう、だって1980年代にはまだ六本木谷町の町内会が子ども神輿とか出してたりしたんですからね。
まったくバブル景気以前の東京には、まだ東京ローカルがしっかりあって、お風呂のない暮らしや、お家にお風呂があっても夜はおふろやさんに出かけて行くみたいな文化が、まだまだ根強くあったんですよね。
それに、1980年頃の日本は、バブル景気になんかならなくたって「一億総中流」と、日本人全員が言えるほど景気がよかったんです。みんなお金持ってたんです。
だもんで、総理大臣がテレビ中継で「どうでしょうかみなさん。日本人ももうお金持ちになったんですよ。これからは1年間に何ドルくらいはもう使ってもイイんですよ」と、そんなふうに国民に呼びかけてましたからね。そうでも言わないと日本人はいつまでもコツコツコツコツ貯金し続ける癖が止まらなかった。だから総理大臣が直々に呼びかけた。つまりそれくらい日米貿易摩擦は深刻なほど日本の一人勝ちだったんですから、バブル景気なんて来なくたって良かったんです。金持ちになったって貧乏くささがいつまでも染みついてて、そっちの方が居心地が良いなんてね、それを思えば全員が貧乏になるのも悪いことばかりじゃない。
だから、絵本「おふろやさん」は見てて楽しいんじゃないでしょうかねぇ。
とにかく、いろんな人が来てるんですよ。気の良いオヤジも、ヤンキー風の兄ちゃんも、真面目な銀行員みたいなおじさんも、みんな同じふろやで、同じように裸になってるんですよ。
子どもたちも、学校も終わった夜の時間に、また偶然おふろやさんで友だちと一緒になったりするから、余計に楽しくなるんでしょうね、お風呂場ではしゃぎ過ぎちゃって、とおとお知らないジジイのカミナリが落ちて説教されるとかね。あって。
子どもたちはしょげて、周りで見てる大人は自分も子ども自分に覚えがあるからか微笑ましそうに笑ってる、みたいなね。そんなおふろやさんの湯船の周りには町内にある商店の広告看板が忠実に再現されてたりするんです。それを1つ1つ読むのも楽しい。
子どもも大人も体重計で体重を計ってたり。きっと昔は太ったことを喜んでたんじゃないでしょうかね。食えてることを喜んでる、みたいなことですよね。
風呂上がりの火照った身体に飲むのはビールでなくて冷たい牛乳。
これからの日本は、どんどん貧乏になっていくんでしょ?
でも、絵本「おふろやさん」を見る限り、お風呂のない貧乏暮らしも、楽しげなおふろやさんさえ近場にあれば、かえって幸せにやってけそうな気もして来るくらい楽しそうでしたよ。それに町内のみんなが毎晩おふろやさんにきて支えてくれるんですから、風呂代だって、すぐに安くなりますよ。
バブル景気さえこなければ、そもそも東京をはじめとした日本中の町は、家賃の安いアパートがたくさんあって貧乏に対応できてたんですから。それを思い出せば、これから少々貧乏な時代がやってきたところで日本人はじゅうぶんハッピーにやっていけると思いますよ。
みんなが貧乏になる時代は、人間の距離が近くなりそうです。娯楽を楽しむ金もなくなれば、誰かの話を聞くのも娯楽になるみたいなことですから、そういう意味でも人と人との距離は近まってゆきますもんねぇ。
まぁ、そんなことを絵本「おふろやさん」は教えてくれますね。きっとバブル前の日本を知らない若い人が読んでも楽しめると思いますから、皆さんも興味をもたれた方はぜひご覧になってください。たしか、まだ売ってたと思いましたよ。
あ、そうそう。ぼくらの新刊「なんだか疲れる」も只今絶賛発売中です。こっちも、もちろん売ってます。こっちもハッピーになれますよ〜〜〜!
(2022年5月15日 嬉野雅道)
どうで荘の放送室 第45回
住民の皆様、こんにちは。スタッフYです。
毎週金曜日にお届けしている「どうで荘の放送室」第45回です。
どうで荘の放送室ではほぼ毎週、日々の出来事からD陣がちょっと気になっていること、些細な雑談まで、放送室の設備を利用してD陣がどうで荘の住民の皆様に無理やりおみまいしております。
放送室では掲示板などに書き込んでいただいた内容などを見ながらまったりお話したりします。日常の些細なこと、考えたこと等、ぜひ掲示板に書き込んでみてください。
☆今週の放送室☆
・4月からスタートした「お悩み相談室」についてです。
・同じ質問に対するD陣の回答やいかに
・質問はビシッときっちりお渡ししております
☆お悩み相談ができるのは原則どうで荘の入居者様のみ!
ぜひ、以下から皆様のお悩みをお寄せください!
お悩みに回答してくださっているおふたり
SHARP シャープ株式会社(@SHARP_JP)さん / Twitter
病理医ヤンデル(@Dr_yandel)さん / Twitter
また、これまでのお悩み相談アーカイブは入居者限定コンテンツページのタグ「D陣日誌」よりお読みいただけます!あわせてぜひお読みください!
前回の放送はこちら
シャープさんとヤンデル先生の相談室
〜ただまぁ、打つ手はないです〜
第2回
「公式」の先駆・シャープさんと、つぶやく病理医・ヤンデル先生が!
悩みを聞くだけ聞いて解決しない相談室を架空のアパート「どうで荘」で開設。
入居者からの「相談」に、各自の持ち場から答えていただきます。
☆今回のお悩み☆
賃貸か?マイホームか?悩みまくり。家族4人です。
(PN:きむら)
どうで荘にご入居のみなさん、こんにちは。@SHARP_JP の山本です。なんかアンダーバーでジェイピーなんて書くとかっこいいですが、れっきとしたただの会社員です。
今回は「賃貸か、持ち家か」です。極めて会社員的なお悩みかと思います。とりわけサラリーマンという職種では「買うか借りるか問題」は、昼メシや飲み会における、上司の悪口に次ぐホットなイシューと言えるのではないでしょうか。さいきんは職場の飲み会自体が非常に稀有な存在になってしまいましたが、思い返せば私にも、ちびちび飲むビールの上を上司や同僚の「買うか借りるか論」が飛び交った経験があります。
その激論を観覧席から見てきて、私はずいぶんわかったことがありました。買うか借りるか問題は、たいていポジショントークに過ぎないということです。家を買った人は買うメリットを主張し、家を借りる人は買わないメリットを主張する。お互いが自分の行動の正当性を主張しているだけなのです。
もちろん私だって、ポジショントークするお気持ちは痛いほどわかります。家を買うというひとかたならぬ選択をした人は、その選択が間違っていたなんて間違っても認めたくないでしょう。逆もまた然り。ひとかたならぬ選択をしないという選択も、それなりのメンタルが求められるもの。保留を続けるという行為だって、実はけっこう意思の力が要るものです。
ただいずれにしろ、それぞれの側にそれぞれの結論ありきなのです。実際のところそこに議論の余地はほとんどない。議論を尽くしたところで決着がないのなら、買うか借りるか問題ははじめから買うコミュニティと借りるコミュニティに別れて、その中で「それな」とか「わかる」とメンバー同士で声をかけあった方がよほど建設的なのではないかと、私なんかは思うところであります。
私が会社の飲み会でこの話題をどこか敬遠したくなる理由はほかにもあります。買うか借りるか議論に参加することはすなわち、人生を収支で見る倫理に参加してしまうからにほかなりません。おうおうにして買うか借りるか論争は、買う方も借りる方も自らの人生を収支で換算することで、あなたにその正しさを説いてきます。
正味なところ、私の人生やあなたの人生は、儲かったのか、損したのか。これ、われわれがひいひい言いながら毎年駆け抜ける、会社の決算といっしょですよね。とある時点の収支に基づいて、己が社会に存在する正当性を問われることは、企業にとって当然のルールです。しかし私は、自分の人生までを収支で語るのはちょっと遠慮したい。会社の飲み会であっても、自ら進んで自分の人生を企業活動のルールに載せるのは、さすがに御免被りたい。どうしてもそう思ってしまうのです。
やはり私は青臭くとも心のどこかで、カネで計れないコトはあるしカネで買えないモノがあると思っていたいのでしょう。ましてや収支を見るということは、自分の人生に恣意的な線を引かねばなりません。人生の収支を集計するための線とはいったいどこか。おそらく「死ぬ時」以外にありえないのではないでしょうか。
つまりは「賃貸か?マイホームか?悩みまくり」は、メメント・モリなのです。会社員が飲み会でのポジショントークはかろうじて回避できたとしても、愛する家族を前に「死を忘ることなかれ」でいることほど酷なこともないでしょう。
買うか借りるか問題は、メメント・モリ。
ただまぁ、打つ手はありません。
このご質問、主語がないですね。他にもいろいろない。でも我々は、言葉を補って行間のニュアンスを掴むことができます。人間の脳ってすげぇなーと思う。
にしても、ですよ。この質問は読み解くのがけっこう難しいです。
まず、「賃貸か?マイホームか?」というのは、「今後、どちらに住むべきかと迷っている」ってことでいいんですよね? 質問主さんが巨大怪獣で、今から賃貸とマイホームのどちらかを(家族4人で)踏み潰す、というシチュエーションだったらどうしよう。
A. どちらも踏まないでください。
悩みまくっている方がどういう方なのかについても、もう少し情報が欲しいところです。「家族4人」だそうですが、質問主さんのポジションは? なんとなーく「お父さん」的なものをイメージしてしまうのは、私の脳が古いステレオタイプに引っ張られているからでしょう。引っ越しを悩んでいるのは末のお子さんかもしれない。犬かもしれない。座敷わらしかもしれない。
でも、ま、たぶん、この方の発言にはある程度の決定権があるでしょう。「だから悩みまくれる」んですよね。「自分ごと」として。
もう少し細かいところを説明してくださると、こちらとしても「自分ごと」として考えることができるんですけど。これじゃあ、わかんないな。だって、家族4人と言っても、「大人2名、小学生1名、クレヨンで壁画を作成中の幼児1名」と、「高齢者1名、中年1名、そのパートナー1名、大学生1名」と、「タレント2名とディレクター2名」では、だいぶ状況が変わってきます。最後のパターンなら、ツインルームに4名押し込んでおけば十分でしょうし。
ところで、この質問文が極めてシンプルなのは、質問主さんのせいではないかもしれません。説明なしに原稿を依頼してくるどうで荘スタッフが、「これでわかるやろ」とばかりに、個人情報のくだりをまとめて削除した可能性もあります。本当は、質問主さんは詳しいことを書いていたのだけれど、お悩み相談のお題として全部掲載するのはさすがに個人情報的にアレだから、やむなく削除した……とか。
だとしたら幸村(スタッフ)は後で説教です。しっかり怒っておきます。バカ野郎。もう少し書け。これじゃツイッターじゃねぇか。いいねしか押せんわ。なんだてめぇ幸せそうな名字しやがって。
……ということで、あらためて、お答えしましょう。多少ピントが外れていたらごめんなさい。でも、あなたのことがよくわからないので、平均的な方のものの考え方に合わせて、ゆるーく照準をセットして、ぼやーっとお答えするしかないんです。
では、失礼ながら……。
賃貸がいいに決まっています。
賃貸って気にくわなかったら引っ越しできるじゃないですか。隣近所とトラブルがあっても賃貸なら次のお部屋を探しやすいです。その点マイホームは、一回建てたらそう簡単には処分できません。そもそも、ローンだけじゃなくて税金もかかるんですよね。冷暖房とか水回りとかの維持費用だって賃貸より高いですし。「長い目で見ればお得」なんてのは、それ、売る側の理屈で、ローンをせしめていく側の理屈ですからね。騙されてはいけませんよ。そうそう、建てる場所はどうしたって、賃貸の物件にくらべると郊外になります。都心で一戸建てってのは普通に考えて無理でしょう。あと、庭のある暮らしにあこがれる、とか、畑を持ちたい、とか、そういう夢を言い出したらきりがないですからね。どれもこれもお金はかかるんですよ。賃貸かマイホームかで迷う人は、全員賃貸にしたほうがいいです。マイホーム建てたからってそこに「得」は存在しません、とりわけお金に関しては、ただ、マイホームの方に「より自由なあり方」と「夢」があるように思えるだけ。おまけに、本当は賃貸にだって自由も夢もある。だったら余計なことを考えずに、世の多くの「家族4人」が住んでいるであろう賃貸にしておけばいいんです。ほらほら、賃貸、賃貸。こうやってすぐに名詞を2倍にしてはいけません。
一気にガーッと書いてみました。
「そうそう! その通り!」と思ったなら、あなた(どなた?)はそもそも迷っていない、悩んでいない人です。
でも、
「えー? そうは言うけどさ……マイホームだってさ……いいところはあるじゃん」
と思ったのなら、その場合、あなたが本当に必要としている、あなたがすがりたいと思っている、あなたが大事にしようと思っている部分が、私にまるで伝わっていないのだろう、と思います。
そりゃあそうでしょうよ。あなた(どなた?)のご質問には、自分の年齢も、家族の構成も、これまで何をしてきたのかも、今後何をしたいのかも、賃貸の何がよくてマイホームの何がいいのかをどのように比べてきたのかも、自分の悩みが誰のためのものなのかも書かれていない。根本的な話として、お住まいが都会なのか地方なのかによっても賃貸とマイホームの性格は変わってきますし、予算によっても、ご職業によっても、何よりほかのご家族がどういう気持ちでいらっしゃるかによっても、おすすめの仕方はまるで違うんです。
でもそういうのが伝わらないと、私は、ググった結果を適当につなぎ合わせた、それっぽいけどぜんぜんオーダーメードじゃないお答えしかできない。
「えーでもさあ、そういう些細なところじゃなくて、世の中には、もっと絶対的に、賃貸とマイホームならこっちのほうがいい! って、多くの人が納得できるような秘密があるものなんじゃないの?」
ありません。
大事なことはいつだって些細な、個人的な、あなた(どなた?)たちだけの都合と性格と歴史に関わる部分にひそんでいます。そこをもっと深掘りしましょう。そしたら、きっと、あなたが何のせいで悩んでいるのか、もう少し具体的に見えてくるんじゃないですかね? ただまぁ、打つ手はないです。
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☆現在、入居者の皆様からのお悩みを大募集中!
【回答者プロフィール】
山本隆博
@SHARP_JPの運営者。どうでしょうをサラリーマン目線で見直すのが好きです。
病理医ヤンデル/市原真(43)
好きなどうでしょうはユーコンです。
※ヤンデル先生の回答はどうで荘トップページにて公開中です!
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どうで荘の放送室 第44回
住民の皆様、こんにちは。スタッフYです。
毎週金曜日にお届けしている「どうで荘の放送室」第44回です。
どうで荘の放送室ではほぼ毎週、日々の出来事からD陣がちょっと気になっていること、些細な雑談まで、放送室の設備を利用してD陣がどうで荘の住民の皆様に無理やりおみまいしております。
放送室では掲示板などに書き込んでいただいた内容などを見ながらまったりお話したりします。日常の些細なこと、考えたこと等、ぜひ掲示板に書き込んでみてください。
今回は放送室史上初、2週連続放送となった嬉野珈琲について(後編)です。
☆今週の放送室☆
・珈琲にハマった大泉さん
・嬉野さんが好きな缶コーヒー
・YouTubeで新企画始動??
皆様もぜひ一度お試しください!
珈琲ほか、D陣が厳選した商品をお求めいただけるお買い物ページはこちら!
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前回の放送はこちら
大家の藤村でございます。
この日記もヤンデルさん、シャープさんが加わってお悩み相談コーナーも始まり、大変意義深いものになってまいりました。
が、わたくしはこの場は思いつくままにテキトーに書く場所でございますれば、テキトーに書かせていただきますよ。
えー
iPhoneを開くだにね、なにやら勝手にセレクトされた思い出のひとコマ的なね、数年前の写真が勝手に提示されるわけですよ
「ねぇー、あなたは思い出せないでしょうけれども、私はiPhoneでございますので記録が残されていますのでね、えー、うおっほん、4年前の今日はこんなことをしてたんですよーあなたはね、だって写真に撮ってるんですよーあなたは、ねぇー、忘れてたでしょう、懐かしいでしょー」
みたいな感じで、これみよがしに写真が提示されるわけですよ。
昔の自分であれば、
「うるせぇーよ!たかが電話器のくせにえらそうに、なにをおれの過去を知ってるみてぇな態度でおれに知らせてくんだよ!」
と、
一括しているところでありますけれども、ある程度歳をとってきた現在といたしましては、もう素直に
「あーそうなんだぁー4年前の今日はこんなことしてたんだぁー全然忘れてたわーありがとねぇー」
と思えるようになりましてね。
そんなことで、ふと思い立って
じゃあね、いったいおまえは(このiPhone8のことね)いつからおれのことをわかっているつもりでいるんだと、いつからおまえは女房面、親友面をするようになったんだと、いう気持ちになりまして、
おれがおまえに最初に残した写真はいったいなんなんだと、クルクルと写真を過去に遡りまして、このiPhoneに記録されている最初の写真を見ましたところ、これでございました。
日付を見ますと2015年5月29日。
7年前の私の誕生日に奥さんが買ってくれた、私の大好物のバタークリームケーキでしたね。
ちょうど50歳の誕生日ですよ。生まれて半世紀ですよ。その誕生日祝いのケーキをわたし、このiPhoneの最初に記録していましたね。
うーん、そうかそうか、おまえが偉そうにおれの過去を知っている的な態度を取るのもしょうがないな、とわたし思いましたね。
iPhone界隈もね、2、3年も経てば旧型になるわけでしょ
でも、おまえは(iPhone8ね)7年前の誕生日からおれの傍にいるんだなと思えば尿道面も、違う、女房面もしょうがないと思った次第でありますよ。
というおもったままを綴った日誌でございましたよ。
ちなみに、ケーキの次に残してあった写真はコレらでした。
伊丹空港に降り立つ前に機上から撮った大阪の上空写真ですね。そこに思い出はまったくありませんけれども、おまえ(iPhone8)には記録されてんだな、と思えばこれもまた尿道面もしょうがないかな、ということでございます。
というわけで、大家藤村日誌は次回以降、さすがに寿命間近のおまえ(iPhone8)に残された7年間の写真を公開していこうと思います。
(2022年5月2日 藤村忠寿)
どうで荘の放送室 第43回
住民の皆様、こんにちは。スタッフYです。
毎週金曜日にお届けしている「どうで荘の放送室」第43回です。
どうで荘の放送室ではほぼ毎週、日々の出来事からD陣がちょっと気になっていること、些細な雑談まで、放送室の設備を利用してD陣がどうで荘の住民の皆様に無理やりおみまいしております。
放送室では掲示板などに書き込んでいただいた内容などを見ながらまったりお話したりします。日常の些細なこと、考えたこと等、ぜひ掲示板に書き込んでみてください。
☆今週の放送室☆
・2週連続放送、嬉野珈琲についてです(前編)
・皆さんの素敵な感想、ありがとうございます!
・ヨーロッパ企画にも浅煎りの伝道師が・・・?
※珈琲について熱く語りすぎたため、後編に続きます。
皆様も、ぜひ一度お試しください!
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嬉野です。
この前、不意に思い出したことがあって。
30年くらい前だったと思うんですけど。サハリンの田舎で大火傷をして瀕死だった男の子が、北海道に緊急搬送されて札幌医大で受けた皮膚移植の手術が成功して、元気になって、またサハリンに帰って行く、みたいなことがあったんですよ。
サハリンで大やけどをしたコンスタンチン少年が札幌医大に緊急搬送
男の子の名前はコンスタンチンくん。年齢はまだ3歳になったばかり。可愛いらしい男の子でした。今、40歳以上になる日本人なら、まだみんなコンスタンチンくんのことは、「あぁ、そんなことあった、あった」って覚えていると思うんですよね。なんか、それくらい、当時の日本人にとってあのニュースは印象深い出来事だったと思うんです。
だって、ソ連のサハリンに住んでいた男の子が緊急搬送された先が、首都モスクワではなくて、当時国交のなかった日本の北海道だったんですからね。
もにろん、距離はモスクワなんかより北海道の方が近いにきまってるんだけど、なにしろ冷戦時代だったからソ連は近くて遠い国だったんですよ。
そんな時代にソ連のサハリンからやって来たコンスタンチンくんが、日本の北海道で皮膚移植手術を受けて、それが見事に成功してね。入院先の札幌の病院で日毎に回復していく様子を連日報道されるテレビニュースで見るのは当時の日本人には、なんだかとても嬉しかったよなぁって、今も覚えてますからね。
コンスタンチンくんはたった3歳だったけど、ソ連に対して日本人が戦後ずっと抱いていた暗い思い出と暗い印象を明るいものに変えてくれた、なんかそんな気がしたんだと思うんですよね、
それまでソ連といえば、北海道の漁船が操業中に領海侵犯でソ連の巡視船に拿捕されては、乗組員が何年も日本に帰してもらえない、みたいな怖いことが、ぼくが小さい頃から頻繁にテレビニュースになっていましたからね。
それが、コンスタンチンくんの手術が成功して、幼い彼が元気になっていく姿を見ると、なんか、単純にソ連の人たちと上手くやっていけるじゃないか、って思えて、日本人は安心したのかもしれませんよね。
サハリンと北海道はすごく近いから、だからサハリンで火傷を負った子が北海道に治療に来た。冷戦とか、国交がないとかいった国の事情を超えて、人と人とが交流できたじゃないか、というのがね、とても明るいニュースに思えた。その思いは30年ぶりに思い出した今も変わりませんよね。
そしてね、こんなことを30年ぶりに思い出したのも、きっと、ウクライナで起きてる戦争のことで、ぼく自身、気が重い日が続くからだったでしょうね。でも、コンスタンチンくんの記憶は、あれから30年経つのに、未だにぼくを慰めてくれるんですよね。
当時3歳だったコンスタンチンくんも、あれから32年経って今は35歳くらいになってるんでしょうね。でも、当時、本人はまだ小さかったから何も覚えていないかもしれませんね。
ネットで、当時のことをいろいろ検索してたら、日本で、すっかり元気になったコンスタンチンくんを連れて、家族3人がサハリンに帰るとき。日本のマスコミの取材に答えて、お母さんがコメントを残していて、それが、ぼくには、とても印象的だったんです。
お母さんは、ぼくら日本人に対して、こう言っていました。
「彼らの(日本人の)優しさは、おそらく、無限なのだと思います」と。
この言い方って、なんか、ふつうとちょっと違うなって思えて、なんか胸に来るものがあったんです。
「感謝しています」とか、「ありがとう」とかじゃない、なにか、それを超えたもののように思えたんです。とにかく、ぼくにはとても印象深いことばに思えて、いつまでも噛み締めてしまったんですね。
「彼ら(日本人)の優しさは、おそらく、無限なのだと思います」
でも、たしかにコンスタンチンくん救出の経緯を見ていくと、当時の日本人が本当に「なんとかしてあげたい」と官も民も一緒になって、終始、懸命に心を配った様子が見えてきますから、コンスタンチンくんのお母さんの口からあの言葉が出たのも不思議はなかったかもしれないと、ぼくにも思えてくるところがありました。
当時のソ連は、体制が崩壊寸前で、暮らしのいろんなことが不便になっていて、ましてやコンスタンチンくん家族が暮らす極東のサハリンは、首都モスクワから遥かに離れた田舎でしたから、なおさら不便になっていたはずなんです。
蛇口からお湯もまともに出ないような状態だったから、コンスタンチンくんのお母さんは、大きなタライに水を汲んで、そこへ直接電熱棒みたいなものを漬け込んで、それでお湯をぐらっぐらに沸かしていたんだそうです。コンスタンチンくんは、そのぐらっぐらに沸騰したタライのお湯に可哀想にうっかり尻もちをついちゃったんですね。
でも、日頃からお母さんに「危険だから絶対に近づいちゃダメよ」って、きっときつく言われてたんでしょうね、コンスタンチンくんは火傷しちゃったことよりお母さんに怒られるって思って「お母さんごめんなさい」って言いながらお母さんの前に現れたらしいんです。
コンスタンチンくんはそのときすでに全身の90%近くを火傷してしまっていて、お母さんは驚いて近くの診療所へコンスタンチンくんを連れて行ったんですけど、当時のサハリンの医療事情では皮膚移植など出来る設備なんかなかなくて、「残念だけど、ここでは手の施しようがないですよ」と、死を待つしかないことをドクターから告げられたらしいのです。
でも、日本でだったら、他人の皮膚を移植して治療しているらしいって、コンスタンチンくんのお母さんは、ドクターとの会話の中で知るんですね。
でも、その日本とは国交がない。そしたら、そのとき、たまたまサハリンに日本人がひとり来ていて、コンスタンチンくんの両親は息子を助けたい一心で、なんの面識もなかったその日本人を、日本人というだけで訪ねて、懸命に息子の窮状を訴えたそうです。
すると、その日本人には北海道庁にたまたま知り合いがいて、「なんとかしてあげたい」と思った彼は、すぐ道庁に国際電話をかけてくれた。
でも、「重度の火傷の子がいるんだけど、日本で治療をしてあげられないだろうか」と、いきなり国際電話で相談された道庁の人も困惑しながら、それでもやっぱり、「なんとかしてあげたい」という気持ちが強かったんでしょう、日本から飛行機で迎えにいくのだから下手をすると領空侵犯でソ連の戦闘機がスクランブル発進をして撃墜されてしまう。これはそんなに簡単な話ではないとは思いながらも、「もしここで、自分が常識的に『無理だ』と断ってしまったら、自分は生涯このことを後悔し続けるかもしれないと思い悩んだ末に、この道庁の人は外務省に電話するんですね。
そしたら連絡を受けた外務相でも「それは何とかしてあげたい」とすぐ動いてくれて、さっそく超法規的な措置をとって男の子を日本に連れて来る段取をつけ千歳空港でサハリンに迎えに行くチャーター機を手配したのだそうですが、ここまでに用した時間が僅か3時間。ものすごく早い。
サハリンにいた日本人が道庁職員に国際電話をかけてから外務省が超法規的措置を段取って、千歳にあったYS11を手配するまでたったの3時間だったなんて、これは実に驚異的な速さだったと思います。(YS11というのはプロペラ機ですね。サハリンの飛行場に離着陸できる飛行機を探して手配したってことですよね)。
当時のソ連のTOPはゴルバチョフさんで、サハリン州知事から日本の外務省に正式に「コンスタンチンくん救援要請」が提出され、日本政府はそれを受理して千歳空港から日本のドクターを乗せてYS11で救援に向かったのです。日本の飛行機がサハリンに近づいてもソ連の戦闘機はスクランブル発進することはせず、日本の救助チームは支障なく、サハリンに到着でき、コンスタンチンくんとお父さんを乗せたYS11は無事に札幌に戻ってくることが出来ました。
こうして何ひとつ言葉も分からない日本にやって来てからも、日本の病院スタッフたちは毎日コンスタンチンくんを手厚く看護してくれるし、可愛がってくれるし、ドクターは皮膚移植手術を成功させ、サハリンでは助けられないと言われたコンスタンチンくんが、日を追う毎に元気になっていって、お母さんもお父さんもどれほど嬉しかったことか。
でも、なんでしょうね。お母さんは感謝しながら、「けど、どうして彼らは、私たち家族に、ここまでのことをしてくれるのだろう」と、気持ちが落ち着けば落ち着くほど不思議に思うようになったのかもしれませんね。
最初こそ、なんとか日本で息子を助けてほしいと必死だったろうけど、でも、コンスタンチンくんの両親には、国交のなかった国どうし、手続きをどうすれば良いのかなんて、そんなことは思いもよらなかったわけで、サハリンにいた日本人に頼み込むのが精一杯のことだったでしょうから、本来なら、その時点で途切れてしまうような状況だったと思うのに、運良く、「なんとかしてあげたい」の気持ちが日本人の間で繋げられて、国の事情を乗り越えて、本当に日本からコンスタンチンくんを救援するための飛行機がやってきたわけですからね。
そして、コンスタンチンくんは、火傷も治ってまた元気な男の子に戻って、家族に幸せが帰って来たわけですから、お母さんが、戸惑うほどの幸せの中で、思わず考えてしまうような、とても複雑な思いがあったとしても不思議じゃない。だって、コンスタンチンくんの治療費も、お母さんたちにはまるで用意できなかったのに、最終的にその治療費に有り余るほどのお金が、日本中から募金されて、その総額は1億円にまで達したのだそうですから、どれだけ多くの日本人がコンスタンチンくんのことを見守っていたことか。それもあって、コンスタンチンくんのお母さんはあのコメントを残したんでしょうね。
「彼らの優しさは、おそらく無限なのだと思います」
ありがとうでは納めきれなかったコンスタンチンくんのお母さんの正直な思いが、あの印象的なコメントになったような気が、ぼくにはして、どうしても噛み締めてしまうんです。
思うんですけど。
きっと、どんな時代になったって、人が、そこに住み、そこで生きているっていう現実は、たまたまのことなんだって思って、良いんですよね。
国籍が違うってことだって、たまたまのことだと思って良いんですよね。たまたま、昔からそこに住んでいたから、それだけのことが理由で国籍が同じだったり違ったりするって。
「もう時代は変わった!」と言われても、ぼくら自身は、「変わった」と先回りするようなことは思い込まないようにしたほうが良いのですよね。
だって、過去を振り返ったとき、思い出にもういちど慰められるようなことをする方が、人間は、過去も未来も幸せなんだと、答えはもうすでに出ていますからね。そういう意味では、何も変わらない。人間がいる限り、その事実は変わらないのです。
そう心に留めて忘れないようにしなければなぁと、なんか、ぼくは、このごろ思うのです。
とまぁ、そんなことが言ってみたかったのですが、そしたら、また長々と書いてしまいましたが、まぁ、これだって誰も読んじゃいないでしょうから、良いでしょう。
(2022年4月24日 嬉野雅道)
どうで荘の放送室 第42回
住民の皆様、こんにちは。スタッフYです。
毎週金曜日にお届けしている「どうで荘の放送室」第42回です。
どうで荘の放送室ではほぼ毎週、日々の出来事からD陣がちょっと気になっていること、些細な雑談まで、放送室の設備を利用してD陣がどうで荘の住民の皆様に無理やりおみまいしております。
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☆今週の放送室☆
・D陣、旅先で桜を見てきました
・藤村さん、ふたたび湯治に?
・皆さんも色々な写真を掲示板に投稿してみてください!
旅の模様を収録した動画は、水曜どうでそうTVで近日公開いたします!
前回の放送はこちら
藤村でございます。
一般公開がいよいよ決定いたしまして、久しぶりに赤平へとやって来ました。
どうでしょうハウス周辺を覆い尽くしていた雪はほぼ溶けておりましたが、雪解け水で地面はぬかるみ、どうでしょうレイクには薄氷が張っておりました。
木々に芽吹きの気配はなく、春の訪れまで今しばらくの寒々とした風情でございましたわ。
一般公開は夏の盛りのころですから、まったくもって景色は違うものとなります。木々が付けた葉っぱが日光を遮って心地良い日陰を作りましてね、本州の猛暑とは別世界の天国となります。
ただまぁ、虫の多さには閉口しますが、クワガタなんかもいますからね、見つけると楽しくなりますよ。
やっと、ホントにやっと、みなさんに「レイクサイドリゾート どうでしょうハウス」を体感してもらえることになりました。
夏を楽しみにお待ちください。
(2022年4月17日 藤村忠寿)
【どうで荘特典あり】新刊サイン本・先行予約受付中!お買いものはこちらから(「なんだか疲れる」)

水どうD陣の自費出版本「どうで荘文庫」、待望の第2弾が発売決定!
どうで荘入居者の方は、送料無料などの特典付きでサイン本をご予約いただけます。
予約受付期間:
2022年4月10日(日)14:00~5月8日(日)23:59
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入居者限定『なんだか疲れる』サイン本
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皆さまのご予約、おまちしております!
どうで荘の放送室 第41回
住民の皆様、こんにちは。スタッフYです。
毎週金曜日にお届けしている「どうで荘の放送室」第41回です。
どうで荘の放送室ではほぼ毎週、日々の出来事からD陣がちょっと気になっていること、些細な雑談まで、放送室の設備を利用してD陣がどうで荘の住民の皆様に無理やりおみまいしております。
放送室では掲示板などに書き込んでいただいた内容などを見ながらまったりお話したりします。日常の些細なこと、考えたこと等、ぜひ掲示板に書き込んでみてください。
☆今週の放送室☆
・5月から開催される「ここキャン」について
・藤村さんや店長が北海道中をまわります
・嬉野さんも登場する・・・かも?
ここキャンについての詳細は以下からご確認ください!
ここキャン北海道 COCO CAMP HOKKAIDO (htb.co.jp)
前回の放送はこちら
速報!!!!
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大型月刊連載、始動ーー。
シャープさんとヤンデル先生の相談室
〜ただまぁ、打つ手はないです〜
第1回
「公式」の先駆・シャープさんと、つぶやく病理医・ヤンデル先生が!
悩みを聞くだけ聞いて解決しない相談室を架空のアパート「どうで荘」で開設。
入居者からの「相談」に、各自の持ち場から答えていただきます。
毎月1度、どちらかお一人の回答を無料公開。
もうお一人の回答や過去のアーカイブは「どうで荘」入居者向けに掲示します。
今月はオープン記念ということで両回答を特別掲載!
来月からは「どうで荘」にてお楽しみください。
(お悩みの募集はどうで荘内で行なっています。入居者の方はドシドシお寄せください。)
☆今回のお悩み☆
「ぶりっ子」の損得について悩んでいます。現在小売業で働いているのですが、レジや接客のトラブルを回避するため、いわゆる「ぶりっ子」な店員を演じています。年配の方など一部のお客様には好意的に受け取られることが多く、「いいよいいよ、仕方ないよ」とトラブル回避になることもよくあるのでこの点では得なのですが、パート社員の奥様たちや一部のお客様、特に女性のお客様には白い目で見られるような気がします。4月からは転勤で別のお店に移るのですが、ぶりっ子戦法を続けるべきかどうかアドバイスを頂けたら嬉しいです。
(PN:菜央)
お手紙ありがとうございます。拝見しました。いいですね。誰も傷つけない気遣いが伝わってくる一方で、隠し味程度にストレスもまぶしてある名文だと思いました。冒頭から「損得」という単語を用いて読む人の欲望と打算と理性と倫理を揺さぶる構成に、天性の計算高さを感じます。原生林のど真ん中で大型猛禽類の鳴き声を聞き、「お前をいつでもこのかぎ爪でかっさらうことができるのだぞ」的な目線をチクチク感じたときのような、ザワザワとした畏怖に襲われています。さすがどうで荘に寄せられるご相談は市井のソレとは戦闘力が違う、と背筋を伸ばしています。
かくも見事なご相談にお答えするにあたって、いきなり「こうすればいいんじゃない?」とか「それはやめたら?」のような対処法を申し上げるべきではないでしょう。まずは、現状を正しく分析することからはじめようと思います。分析が先、打つ手を考えるのは後。この順番を間違えてはいけません。というか、それ以外のやり方は私には難しいです。それでは分析をはじめましょう。
さっそくですが私は今、「いぶりがっこ」のことを考えています。ご存じですか? 秋田県の郷土料理ですよ。「くんせい+つけもの」みたいな感じでおいしいおつまみになります。この「いぶりがっこ」という文字列の中に、そう、お気づきですよね、「ぶりっこ」が含まれています。単なる言葉遊びなんですけれども、あら不思議、一度そう聞いてしまうと次からは、たとえば居酒屋のメニューの中に「いぶりがっこ」を見つけるたびに、あなたはきっと無意識に「いぶりがっこ」の中に潜んだ「ぶりっこ」を発見してしまうことでしょう。
似たような例で、「マイナンバーカードの中にはバーカが含まれている」というのもあります。ここまで来ると呪いみたいなものですが。
人間の脳は、複雑な模様の中に隠れたなんらかの情報を一度見つけ出すと、次からは容易にその情報を拾い上げられるようになります。たとえば、「ウォーリーを探せ!」では、一度ウォーリーを見つけてしまうと、次にまたその本を開いたときに「確かここにウォーリーがいたよな~」と、目が無意識に答えを掘り出しに行ってしまうようになります。ほかにも、レストランのメニューの横にしばしば置かれている、お子さん用の間違い探しクイズ(2枚の絵を見比べて違うところを探すアレ)で、眉毛が片方だけ細いとか、ストライプの間隔が狭いとか、動物のヒゲの本数が違うと言った、細やかな違いを最初はなかなか見つけられませんけれども、一度見つけてしまうと、違いが浮き上がって見えてくるようになります。いったん目を離してからまた見てもすぐに違いが発見できるので、一度解いたクイズはもうおもしろくなくなります。
脳って、一度何かを見つけると、その部分を周囲から浮き立つように強調してくれるんですよね。ですから「いぶりがっこの中のぶりっこ」も、もうこれからはずっとハイライトされっぱなしだと思います。
で、まあ、「いぶりがっこ」の中に「ぶりっこ」を見出したところで、いぶりがっこの味が落ちるわけではないですし、居酒屋のメニューを見ながらカップルが「あんたそういうぶりっ子タイプ好きだよね~」「は? 気にしすぎだし~、何ソレ、嫉妬?」などと口論を始めることもありませんので、さほど問題はないです。
しかし、「人間の中にぶりっ子という要素を見つけてしまう」場合、話は別です。
人間の脳は、ひとたび誰かの中にぶりっ子成分を見つけると、そこから先は「ぶりっ子」の部分を強調し続けます。あ、こいつぶりっ子だわ、と認識するやいなや、どれほど目を離しても、次にその人を見たときには「あー、あのぶりっ子ね」と、光り輝くひとつの属性によってその人を判断するようになります。
さて、あなたはぶりっ子を「演じている」とお書きになりました。レジや接客のトラブルを回避するため、と誰もが納得するような理由も書き添えられています。最後には「戦法」であると明言され、「続けるかどうか」、すなわちいつでもやめることができるのだ、というニュアンスまでお伝え頂いております。でもこれ、自己分析として間違っているのではないかと思います。いわゆる「誤診」です。私が診察、じゃなかった、拝察いたしますに、あなたはいぶりがっこです。あなたを構成する成分のなかにそもそも「ぶ」「り」「っ」「こ」が含まれているのだと思います。「演じている」のではありません。ぶりっ子という着ぐるみを一時的に着て、脱ごうと思えばいつでも脱げるという類いのものではないと思います。ぶりっ子はあなたの外にある概念ではなく、あなたの中にある、あなたの一部を構成する「要素」です。そしてあなたは、それを意図的に抽出して、「ほらぶりっ子だよ」とみずから強調なさっているわけです。
細かいことを付け足しますと、「レジや接客のトラブルを回避するためにぶりっ子を演じる」というのは一般論として通じないと思います。ここ、思わず読み飛ばしそうになりましたが、レジや接客を担当される方がみんなぶりっ子になっていくわけではないですので、詭弁ですね。人間は、「リンゴは甘いからカレーに入れてみた。」のように、「~から」とか「~ために」といったフレーズを使うことで、なんかちょっと論理的にうまくつながったかのような文章を書いて人を誘導することができます。私も誘導されかけました。漫然とお手紙を読むと、「そうかー、理由があって、ぶりっ子という成分を外から持ってきて、自分に一時的にくっつけているのだな」と納得しがちですが、実際には、理由があって外挿したのではなく、「内からにじみ出てくるものに対し、後から理屈を付け足した」のではないかと思います。そもそも、「パート社員の奥様たちや一部のお客様、特に女性のお客様には白い目で見られる」とお書きになっていますように、これ、別のトラブルの火種になってしまっていますよね。でもまあ、年配の方など一部のお客様には好意的に受け止められているそうですから、これはもう、損得も利害も入り混じっているわけで、あとは個人でその道を選ぶか選ばないか、くらいの話になっています。
以上、私はあなたのお手紙を拝見して、このように感じました。
「ぶりっ子を演じているのではなく、自分の中からぶりっ子成分がにじみ出てくるのを、損得ともに織り込み済みで、自分なりに利用されているのでは?」
4月から移られる次のお店でも、ぶりっ子を演じるかどうか、みたいなレイヤーの問題ではなく、自分の中から温泉のお湯のように続々と湧き上がってくる「ぶりっ子成分」をどう有効活用するか、という問題として考えた方がより建設的なのではないでしょうか。いぶりがっこの中からぶりっこを除去したら「いが」しか残りません。これではもはや、いぶりがっこの痕跡も感じられません。だったら、無理に除去するのではなく、「ぶりっ子」はそこにあるものとして計算していったほうがいいかもしれません。以上が私の分析です。
ただまぁ、打つ手はないです。
どうで荘にご入居のみなさん、こんにちは。@SHARP_JP の山本と申します。家電メーカーのしがないサラリーマンがなんの因果か、北の病理医ヤンデルさんといっしょに他人さまの悩み相談に乗ることになりました。
相談に乗るのはせいぜい家電の買い替えくらいのボンクラ会社員が、なんらかの解を提示しようとするわけですから、悩む方も油断がなりません。なにより回答する本人が「だいじょうぶだろうか」と疑心にとらわれているわけで、ままならないとはこのことでしょう。
さて「ぶりっ子の損得」です。まるで「ニッポンの論点」とか「武士の一分」といったスケールの大きさを感じさせる語感ですが、ご本人にとっては接客を仕事とされているだけに、お悩みは切実かと思います。
結論から先に申し上げますと、ぶりっ子の損得は総合的に勘定すればちょい得ではなかろうか、私はそう考えております。
ここを読むみなさんが、私のふだんの仕事をご存知だとうれしいのですが、私は主にツイッターを舞台に、勤め先の製品を身の回りのよしなしごととともに発信しています。もう10年あまり、広義の広告宣伝という企業活動に身をやつしております。
化粧品や嗜好品ならいざ知らず、家電のお客さんは潜在的に老若男女の全員です。つまり私の仕事はほぼ全ての人を対象にメッセージを発信し、その結果あわよくば多くの人から好感を獲得する、そうでなくとも最低限、だれからも嫌われないというラインが課せられるのです。当たり前ですが、広告はイメージや売り上げに関わりますから、反感を買うことは許されません。
では、だれからも嫌われない広告に必要なことはなにか。沈黙か、ぶりっ子以外にありません。沈黙では私の仕事が成立しないので、つまり私は職能的ぶりっ子を10年続けてきたことになります。ぶりっ子のプロフェッショナルと言ってもいい。
すると私はどうなったか。驚くべきことに、私はいい人になったのです。10年前の私と現在の私を比較検証できる人間は限られますが、その張本人である私は自信をもって断言できます。私は今、いい人です。10年前より、いい人になったのです。
おそらく人間は打算的なふるまいであっても、それを続けることで自身が影響を受けるのでしょう。たとえ仕事上の言動でも、長期的に見ればぶりっ子は本人の人格に深い影響を与える、私はそう考えています。いい人になることに不利益を唱える人はいないはずです。だからぶりっ子でお悩みの菜央さんも心配いりません。あなたはいずれ、いい人になります。
もちろん「だれからも嫌われない私」が非常に困難なゴールであることは私も知っています。ぶりっ子は「ほんとうの自分」を覆い隠す手段であるのもまた事実。多くの人と触れあう職能的ぶりっ子なら、なおさら「あなたの本心がどこか」を探る白い目に晒され続けるでしょう。お互いが裏をかきあう、メタ化したコミュニケーションは疲れるものです。
しかし本来ぶりっ子が目指していた「いい人」を、あなたが名実ともに実現したらどうでしょうか。ぶりっ子というふるまいが実際のあなたに影響を与え、あなた自身が「だれからも嫌われない私」そのものになれば、ぶりっ子は戦法でなくなります。そこにいるのは、ただのいい人。すなわちぶりっ子とは、やめずに続けることにこそ、その成否がかかっているのです。
が、問題はここで終わりません。ぶりっ子を続けることを阻む、最大の敵がいることをゆめゆめ忘れてはいけません。ぶりっ子の継続を邪魔するのは、ぶりっ子に白い目を向けてくる他人ではない。過去のあなたです。過去のあなたが「お前、そんなにいい人だったっけ」と、ぶりっ子を続ける現在のあなたを執拗にあざ笑ってくる。それに耐えるのは至難の技でしょう。白い目は世間でなく、身内にある。つまりあなたは、あなたの中に敵をインキーしているのです。そしてぶりっ子はかくも困難な道かと思うたび、あなたの脳裏にはあの声が蘇るはずでしょう。
「ただまぁ、打つ手はないです」
【回答者プロフィール】
病理医ヤンデル/市原真(43)
好きなどうでしょうはユーコンです。
山本隆博
@SHARP_JPの運営者。どうでしょうをサラリーマン目線で見直すのが好きです。
来月のお悩みへの回答はお一人は全文公開。もうお一人は「どうで荘」内のみでの掲載です。「どうで荘」は特に意味なく初月無料中!
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どうで荘の部屋飲み 乾杯タイム応募フォーム
【お申込期間:4月10日(日)12:00~4月16日(土)17:00】
※お申込いただいた方のうち、「乾杯タイム」にご参加いただける方には、4月19日(火)の23:59までにご案内メールをお送りいたします。そちらのご案内に沿ってご参加ください。
どうで荘の部屋飲み、乾杯タイムについては以下からご確認ください。
【注意事項】
・どうで荘の飲み会はオンラインツール「zoom」を使用して開催いたします。事前にスマートフォンやPCなどに「zoom」をインストールしていただきますようお願いいたします。
zoomのURLはこちら: https://zoom.us/
・応募多数の場合には抽選とさせていただきます(ご当選のご案内はメールでのご連絡をもってかえさせていただきます)。
・より多くの住民の方にご参加いただくため、初めてのお申し込みの方を優先させていただいております。あらかじめご了承ください。
・乾杯タイムを含む飲み会の模様は、当日ご参加いただけなかった住民の皆様のためにアーカイブとして録画し、「入居者限定コンテンツ」内で期間限定で公開させていただきます。
・メールでのご参加等のご案内に際し、携帯キャリアアドレスのメールなどで、どうで荘からのメールが到着しない事案が多数発生しております。お申し込みの際にはなるべくフリーメールのアドレス(@gmail.com @yahoo.co.jpなど)をご利用いただきますよう、お願いいたします。
・本申込の際にご記入いただいた情報は、本企画に必要な場合のみ使用いたします。なお、ご住所は乾杯した方に「ささやかな送付物」をお送りするために使用いたします。
(送付物のお送りは1回目のご参加の方のみとなります)
どうで荘の放送室 第40回
住民の皆様、こんにちは。スタッフYです。
毎週金曜日にお届けしている「どうで荘の放送室」第40回です。
どうで荘の放送室ではほぼ毎週、日々の出来事からD陣がちょっと気になっていること、些細な雑談まで、放送室の設備を利用してD陣がどうで荘の住民の皆様に無理やりおみまいしております。
放送室では掲示板などに書き込んでいただいた内容などを見ながらまったりお話したりします。日常の些細なこと、考えたこと等、ぜひ掲示板に書き込んでみてください。
☆今週の放送室☆
・嬉野さんの日誌(3月20日公開分)についてのお話です。
・今やここでしか読めないタイプの文章
・日誌に時間をかける嬉野さん、時間をかけない藤村さん
これまで公開された日誌のアーカイブは「入居者限定コンテンツページ」の「D陣日誌」のタグよりお読みいただけますので、ぜひお読みください!
前回の放送はこちら
嬉野です。
まさかの戦争がヨーロッパで始まって。戦争を始めた方の国が嘘ばかりつくので、連日、テレビやネットで厚かましい嘘を日常的に耳にすることとなり、さすがに私も、あまりの露骨な嘘にげんなりしてきました。
でも80年前は、私たちの日本も中国大陸で正当な理由も見当たらないまま戦争を始めた国だったし、最後には世界相手の戦争まで始めた当事国だったから、やっぱりあんなふうに嘘ばかりついているヤケに攻撃的で信用できないヤバイ国と思われてたんだろうなぁって、改めてそのことを実感しました。
まったく、この時代に、このような戦争を見せられることになってようやく実感したんですね。ははぁ、これだったんだなってね。こんなふうに日本もかつては嘘ばかりついて他国に酷い侵略戦争をやってる相当ヤバイ国だと見られていたんだなぁという、かつての国際社会側の目線に立って、かつての日本を見れてしまったわけですね。
かつての日本も、戦争を始めたいときには「相手が悪いんです。私らはやむなく戦争を始めたんです」と国際社会にバレバレの大嘘をついて戦争を始め、そのうち自分で始めたその戦争に負け始めると今度は自国民に対して「我が国は、また勝ちました。この戦争は順調です。日本の軍隊は世界最強です」と毎日のように真っ赤な嘘をつき続けていたわけですね。
でも、素朴に考えたらですよ。戦争が始まってから嘘ばかりついてるんですから、その政府には正直なことが言えない状況があるってことが世界からは丸わかりですから、戦争は相当負けちゃってて、もう、このあとどうして良いのか分からないくらい、かなり焦ってるんだと、ウラハラに世界に白状してるようなものだったかもしれませんね。
とはいえ。
つい、戦争みたいな大きな話から書き始めてしまいましたけど。
してみようと思ったのは、嘘をつく、という話なんです。
まぁ、嘘をつくこと自体は、わりと日常的なことだと思いますから。人間が嘘をついたとて、それほど驚くことでもないし、恥じることでもないと思います。まぁ要するに嘘も程度問題であって、状況しだいで、ついても良いとは思うんです。エイプリルフールなんて日もありますからね。
でも、もし、呆れるくらい平気で嘘がつけるようになってしまっていたら、そのときは用心した方がいい。
だって、嘘は毒を出しますから。そして知らないうちに嘘の出す毒は人の体を蝕みはじめますから。
いや、ほんと、嘘はオッカナイんですよ。とにかく嘘ばっかりついてると、その毒が最後には顔面に滲み出てきて、その人は、なんとも不幸せな顔になってしまうんですよ。
私はこういう人を、かつて会社の上層部に何人か見て来ましたからねぇ。なんかね、その人たちね、知らないうちに妙にあくどい顔になってたんですよ。
「あれ? あの人、あんなヤバイ顔してたっけ」
これは恐らく、60歳を過ぎてね、徐々に肉体にも衰えが出てくると、もう隠せなくなるんでしょうね。だから嘘ついて来た毒の量がレットラインを超えてしまったら容赦なく顔に出ちゃう。
若くて、まだ元気だった頃なら、どんだけ嘘ついてても、明るく快活な顔してられたんでしょうけどね。でも、それが還暦を過ぎてもまだ嘘ついてると、土手が決壊するように、一気に顔に不幸せが押し寄せてしまうんですね。だから会社の上層部で権力を持っちゃったような地位にいる人の顔が、突然こんな2度見するような顔になってたら、
「ははぁ、やっぱりあの人、けっこう長いこと平気で嘘ばかりついてたんだなぁ〜」と思って間違いない。
年取ったら嘘つきは顔に出ちゃうんです。ということは、嘘も、つき過ぎると美容にも良くないってことですよ。
で、これも本当のことなんですけど、正直な権力者って、実際、明るい顔してるんですよ。そして、そんな明るい権力者のスピーチって、それを聞いてるこっちの気持ちまで明るくさせるんですよ。これは驚きですよね。つまり、それだけのチカラを持ってるってことなんですよ正直者は。
正直者は人の気持ちまで明るくし、反対に嘘つきは人の気持ちまで暗くするってことですよ。
だから、正直でいられる人の数が増えはじめたら、やがて間違いなくその社会は明るい社会になるんです。なんで、もし、なんとなく社会が暗かったら、これは嘘つきが凄く多い社会なのか、あんまり正直なことが言えない社会ってことですよね。
このことはね、忘れないでおこうと、私なんかは戒めのように思うんです。
だから、私も中年を過ぎたら、自分に嘘つかないで済むように、できないことは、「できないですよ」と、公言するようにしました。まぁ、もともとそういとこあったんですけどね。
もちろんこの社会ではね、仕事ができるフリをしてる方が得なのかもしれませんよ。いや、そういう顔でもしていなきゃ上司や同僚や後輩にまで心ない嫌味を言われたり軽く扱われたりするかもしれませんからね。人間、いくつになったって軽く扱われるのは気分が悪い。それで、ついね、「できない」と正直に言えなかったりすることもあるでしょうし、もしくは、プライドがそれを言わせないとかもあるかもしれないしね。
でも。これだって、嘘をついてることに変わりはないんですよ。
だから、こんな嘘でも、つき続けていると、つまりできるフリし続けてると、いつかその嘘で自分が苦しくなるときが来るんですよ。
で、もしも自分が苦しくなってきたら、それはもうしょうがない、そのときは「できないことは、できませんよ」と、会社の中であろうと少しずつ正直になって行くしかないわけです。
やっぱり人生は、自分が正直でいられる場所を1つでも多く作れた方が明るいものになるんですよ。そのために少々社会的に軽んじられても、正直でいられる環境を1つでも多く獲得する方が人生はハッピーですよね。ぼくは、そのことをね、ある日の昼下がりの飲茶屋で、つくづく思ったんです。
だって、餃子が美味いんだ。海老と竹の子が包まれててね。これに酢醤油をつけて口に入れて噛んでごらんなさいな。まず食感にやられてそのあとで味にやられるから。竹の子がやっぱり美味いんだよねぇ。そして茶です。茶を飲むと、口の中がいっぺんでさっぱりしてまた餃子が食いたくなる。「無限に食べてられるよねぇ」、近くのテーブルから他の客の声が楽しそうに聞こえてくるんです。それを聞いて私もまったく同感ですよ。よし、次は春巻きを食ってやろうと思うから、私はホール係のお兄さんを呼んで、「春巻き4本ね」と追加注文して、また、そばにある餃子を口に入れ、竹の子と海老が口の中でプリっと弾けて、旨味が広がってね、夢中で噛んで飲み込んだら、また茶を飲むんです。そしたらまたさっぱりしちゃって。春巻きがまたねぇ美味いんですよ。椎茸がね、旨味を出しちゃって無茶苦茶美味い。アッツあっですよ春巻きは。口の中、ヤケドですよ。でもねぇ「なんて美味いんだろう」と、心の底からハッピーになれる。
そのとき思ったんです。いま、自分が心の底から幸せを感じちゃてるのは、そうか、この場に、まるっきり嘘がないからなんだな、ってね。そこに気づいて、私は本当につくづく納得したんです。
美味いものを食べてるときに人がハッピーでいられるのは、味だけのことじゃなかったんだって。そこに、まるっきり嘘がなかったからだったんだ、って。
美味いメシを食ったら、「美味い、美味い」と口にすることになんの躊躇いもない。だって正直に発言できてしまうほど美味い状況しかないから。正直でいられる世界では、誰にも気遣いをせずに済んでいる自分がいる。だからハッピーになれるんですね。
やっぱり嘘をつくたびにね、人間のメンタルは嘘のダメージを浴びていたってことなんでしょうね。
嘘は、ついてたら上手くなるし、だんだん嘘をつくことに抵抗も無くなっていくけど、それでも嘘をつく自分に、自分のメンタルは、けして慣れたりはしないんでしょうね。
だから嘘をつくと、必ず本人はダメージを浴びるんです。
そのダメージが、積もり積もると、最後は顔に滲み出してきて、それは防ぎようもなく、その人は不幸せな顔になって行く。
まるで祟りみたいですけど、これ、本当の話なんです。
いや、もちろん嘘ついたってイイと思うんです。だって厳しい親の家庭に育った子供は嘘つきになるという格言すらあるくらいですから、嘘をつくのも方便です。厳格なものに囲まれてしまったら、そのときは、場合によっては、嘘だってつきましょうよ、嘘ついて、やっと息がつけるって状況ならね。
逆に、「私は嘘はつけない」という個人的なこだわりや信条で、ひとっつも嘘をつかずに生きるようでは、かえって人間関係に摩擦が生じるかもしれない。
そんなときは大いに嘘をついてコミュニュケーションを円滑にする方が社会のためだってこともあるでしょう。つまり、ここは嘘をついた方が良いでしょうというタイミングは当然あって、そんなタイミングには、ぜひ躊躇なく嘘をついてほしい。それができない人は融通の効かない人、ということになりますからね。
結局、嘘をつく、つかないは、バランスの問題です。
「自分の肉体と精神を蝕む毒となって襲ってくるほどに、嘘をつき続けてはいけない」というだけのことです。
そこまでの嘘をついていては、その人の人生はけしてハッピーにはなりません。それは人生の大損ですよ。
例えばね、
「すいません。ヅラでした!」
と、言ってね。ある日、みんなの前でヅラを脱ぐ。なんか、そんなことですよ。自分もキツかったんです。だからもうしんどくなってみんなの前でヅラを脱いだんです。そしたら辺りには爆笑が巻き起こる。脱いだ本人は、恥ずかしいと思うかもしれない。でも、そこに起きた爆笑は、けして蔑みや嘲笑ではないんです。みんなも薄々気づいていたってことなんです。でも、だれも言えなかった。つまり、周囲のみんなも黙っているのがキツかったんです。だから本人が自らの手で脱いでくれて、本当にホッとしたんです。ホッとできたから、みんなは笑えたんです。
嘘は、本人の知らないところで、案外バレてるってことありますよ。本人だけがバレてないと思っていただけだった、なんてことね。
だから結果として、正直は、自分だけでなく、周囲の人たちも幸福にするという、これはひとつの例え話です。
ですから別に、これ読んだからってヅラを脱ぐことはありませんよ。脱ぐ脱がないは自分のタイミングなんですから。
私だって、この先でヅラをかぶるときは、やっぱり世間に黙ってかぶってるかもしれませんしね。だって、ヅラの場合、かぶってる本人が、かぶってること自体を忘れてたらねぇ、それってもう嘘ついてることにはならないかもしれませんからねぇ。で、ある日、だれかに「おや?」って顔されたら、「あ、そうか、そうか」って気づいた顔して、まぁ、そのときは脱ぐということにしてね。
だって、いつ脱ぐか、どうやって脱ぐか、コレだってちゃんと考えた上で首尾よくやらないといけない重大事ですからね。正直になるんだって、タイミングはとっても大事なんですから。やるんなら、上手くやらないと。
ま、どーでもイイですね、そんなことは。では、銘々でがんばりましょう。
ということで、今日のお話は終わりです。これ以上はもう、ありません。
(2022年4月3日 嬉野雅道)