タカとハト(D陣日誌:嬉野)
(2024年6月16日)
嬉野です。日誌です。長くなりすぎましたから忙しい人は読んじゃダメですよ〜〜
さて先週末、函館の戸井で開催した「ここキャン北海道」に私も参加しました。
早いもので「ここキャン」も3年目で参加者が一気に増えました。
初年度は我々スタッフの数の方が参加者より多かった会場も多々ありましたのに今年の函館は連日40名を超える盛況ぶりで、大泉兄・函館市長も挨拶に来てくださいまして、このご挨拶がまた弁舌爽やかで大泉家のDNAを感じて実に和みました(^^)お兄ちゃんに会えて良かった。
さらには函館市さんの肝煎りで、いろんな地元企業さんから参加者の皆さんへのお土産も物凄い量を貰ったうえに食べきれないほどの生鮮食材までも複数の地元鮮魚会社さんのご厚意でいただきまして、美味すぎて全員のたうちまわって喜んだわ盛り上がったわでございました。
鹿肉を連日キャンプ場まで届けてくれて、それを焼いくれて振る舞ってくれる人まで現れて、それも美味くて感謝でした。
なんだか函館という街が全市をあげて北海と名物「水曜どうでしょう」に、変わらぬ声援📣を送ってくださるみたいで、実にありがたかったですね。
「闘痔の旅」でお馴染みの水無海浜温泉も♨️キャンプ場からバスで40分。近くはないけど、遠いともいえない距離のところにあって。28年ぶりで行ったわけですが、久しぶりすぎて、「あれ?こんなとこだったっけ?」と、感慨とかまったく湧きませんでしたし海の水もざっぷんざっぷんきてませんでしたけど皆さん楽しそうでしたね(^^)
いただいた鮭はうちの金子くんが解体して、うちの参加者に料理人とかいますから刺身にしてくれましたら、これがもうめっぽう美味かったですよ。
ホッケの開きはいったい何十枚あったんでしょう。これも鮮度がいいから実に美味かった。
あと、戸井は水タコが有名らしくこれも肉質が柔らかく美味かった。
かくて北海道の長い夏の日も暮れてゆきましてね。初日は夜となり。
藤村さんは飲酒のピッチが上がったかあっさり夜の8時にはテントに入って寝る始末です。
石坂店長も早朝から私たちスタッフ4、5名を順繰りに車でピックアップしてくれたんで午前4時から活動したとのことで眠くなったんでしょう、店長も早めに寝る。
私も彼ら2人と同じテントでしたので夜の11時を過ぎに、もう寝ようとテントに入りました。
そしたら、そのとき店長はもうテントの中にはいませんで、藤村さんのみが寝袋にくるまって寝てました。
私も寝袋に入ったらあっさり寝たようですね。
そしたら、ときならぬ盛り上がりの声に、私、度肝を抜かれましてね、目が覚めました。
そしたら、テント内に藤村さんの姿はすでになくて、外から散々騒ぐ藤村さんの声がしてくるわけです。
あの方、一回寝たけど、また起きて騒ぐスタイルなんですね。
時計を見るとまだ午前0時半。
私はいくらも寝ていない。
そしてまた意識を失い。また目が覚める。今度は数人を前にして熱く語っている藤村さんの声がしている。
キャンプの夜に語り合うのは実に良いけれど、何もオレが寝てるテントの前でデカ過ぎる声で語ることもないじゃないかと思わないではなかったですが、聴いてますとね。彼が話してる内容に興味を持ってしまったんですね。
「なるほど、言われてみればそうだよねぇ」と、ついつい聞き入ってしまって寝たいんだけど、やたらと彼が話してた「タカ派とハト派」の話が耳に入ってくるわけです。
いったい彼はどれだけの時間語り続けていたか。私の意識も都度なくなったりまた覚醒したりと、寝たり起きたりが続いたんでしょうか気がつけば外はすっかり明るくなっていましたよ。
私は、シッコでもしようと起き上がり時計を見たら、まだ午前5時半。
やはり私はいくらも寝ていない。
そこへ語り終えた藤村さんがテントに戻ってきた。代わりに寝ぼけたまなこの私が外へ出る。
するとそこに、さっきまで夜通しで藤村さんと語っていた連中が待っていて、起きて来たばかりの私の顔を見るなり、「嬉野さん、今朝の嬉野コーヒーは始まりますか?」と、出し抜けにたずねてくる。
「はぁ? いま何時だと思ってんのよ。コーヒーなんて始めないよ。オレはシッコしに行くだけだし」と告げますと、実に残念そうな表情をするのです。たしかにまぁ、「そうだな」、シッコして、また寝て、また起きるのも面倒臭いかもなぁとも思え。
「じゃぁ、まぁ、このままやろうか」ということになり、「嬉野コーヒー」は朝の5時半から開店したわけです。
とにかく去年は1人1人にちゃんとした量のコーヒーを提供したのですが、多くの方が美味いんだか美味しくないんだか分からないという顔だったんで、「今年はもう、1人1人にあんな量は要らないだろー。みんな、味見したいだけなんだろう」と反省し。
試飲程度の少量を飲んでもらおうと方針転換して、それで準備に入った。
で、まずお湯だと思いましたから、「とにかくね。誰でもいいから湯を沸かしておくれ。湯がないとコーヒーは始まらないから」と、言いますと、皆さん良くしたもので、何処からともなく機材を持ち寄って湯を沸かしてくれるわけです。
「あと、すぐゴミが出るからごみ袋がいるよ」と言うと誰かしらゴミ袋を持ってきてくれる。実に頼もしい。
私は、都度、豆を15g計り。
その豆を銘機コマンダンテでゴリゴリ手回しで挽いて粉にする。
粉にしたら、それを持参した「うれポン」にセットする。
そしたらもうお湯が沸いている。
だから湯を250cc、「うれポン」へ投入して待つこと2分15秒でコーヒー250ccが完成。
これを小さな紙コップに少量ずつ入れて各人に振る舞い始めましたら、さらに早起きの人らが集まってくる。
毎回湯を沸かす担当。毎回うれポンをすすぎに行ってくれる担当。と、担当者を固定し、分業制にし作業を繰り返してたら、担当者2人が熟練してきて段取りが良くなって私が追い立てられてくる。
追い立てられた私はどんどんコーヒーを淹れ、そのまま3時間コーヒーを淹れ続けて時計を見たらもう午前8時半になっている。
コーヒーもごく少量ずつだったのに、気がつけば4リットルものコーヒーを淹れていた。びっくり。
しかし、少量つづ提供した浅煎りコーヒーは、希少性が増したようで今年は評判がようございましたね。
こうして、昼を迎え、なんとなく全員が寝不足で、だらっと2日目に突入。そしたら函館市の職員さんが昨日とおんなじ莫大な量のお土産を持ってくる。食いきれないほどの鮮魚が今日も山と積まれる。そこへ新規の参加者も新たにやってきた。
でも、なんでしょう。
寝不足で迎えた次の日の日中というのがね、不思議とハッピー感の中にあるんです。
キャンプ場の林の中で椅子に座って、別に何したいわけでもなく。そして、これから何するでもないんです。
でもなんか勝手に満ち足りている。
あの満足はなんでしょうね。
そしたら、近くに座ってた参加者の1人が、「なんか気分いいなぁ」と声に出して言っている。
(あぁ、おまえもそーか)と、私も心の中で共感。そして、することないからビールを飲む。幸せ。
基本的に、前の晩の寝不足が祟って全員が野良化していくあの感じ。
あれが良いんですよねぇ。
あのボヤーっとした精神状態って、きっと、緩みきってて、いかなるものにも縛られてない解放感の中にあるんでしょうね。
あ、そう。
私が、思わず聞き入った藤村さんの夜更けの語りの中身ですけどね。
なんですか、「うるさい!」という苦情を、どうやら受けたみたいでね。
まぁ、そりゃ受けますよね(^^)
で、それが私の意識が寝てて飛んでる間にあったみたいで。
貸切のはずだったんですけどね、なんか、一般の方が遠くの方にいらしたんですね。遠いから大丈夫だろうと思ってたら距離が遠くても関係ないほどうるさかったんですね(^^)
まぁ、だいたい察しはつきますけどね。
そんなことがあって、それを踏まえて藤村さんが語るには、「あぁやって、うるさいぞと苦情を言いに来るのは鷹派だ」と、戦争が起きる元を作っていると。自分はそもそも争う気がない鳩派なんだと。
だから、苦情がきたら、素直に、すぐ騒ぐのを止めるんだと。
でも、しばらくしたら、それまで以上にまた騒げば良いんだと。
だって騒ぎたいんだからと。でも、そしたら、また苦情が来るだろうけど、それで良いんだと。だって、すぐまたシーンとするからと。そして、相手が帰ったら、それまで以上にまた騒ぐんだと。だって楽しいんだから騒いじゃうんだと。そこは仕方がないんだと。
なので、苦情が来たら、それを繰り返すんだと。
「なるほどなぁ〜」と、私は寝たかったんですけど。でも、なんか聴いちゃったんですね。
で、妙に納得しちゃった。
だって、たしかにそれが一番いいですよ。
よくね、「どっちの言い分が正しい」とかってね、みんな、正しい正しくないを話し始めてしまうから。それをやり始めると結局どっかで論争に発展してしまうんですよ。
だからみんな「論破」とかが好きになっちゃう。
でも、「なにが正しいかにこだわる」のは結果的に鷹派🦅の心を育てることになるんですよね。
鳩派🐦はだから「正しい」とかは知らないんだと。正しいからとか、何が正しいとか、むしろ考えようとしちゃいけないんだと。物事を明らかにしようとすると結局は戦争になるんだと。
だから「鳩派は対応に徹する」んだと、そう言っているように私には思えたんです。
なるほど、騒いでる人は楽しいから騒いでしまうんであって、そして、楽しみたいからキャンプに来るんであって、だったらその楽しみたいを我慢することは不満を残すことになるわけで、我慢は結局、不満を溜めてしまい、その溜まり続けた不満もやっぱり戦争の元になりそうで。
でも、もちろん静かにキャンプの夜を楽しみたい人もたくさんいるんです。
そういう人には実に迷惑です。
ソロキャンプ好きのうちの女房だってそんな騒がしいのが同じキャンプ場にいたらきっと怒りますよ。
そーなると女房だってきっと我慢ならなくて「うるさい!」と苦情を言いに行きますよね。
ところがそこでね。「うるさいよ!」と苦情を言ったら意外に相手がすぐ素直に静かになるわけですよ。
こんなにあっさり相手に素直になられると苦情の人もわりに満足するわけです。そしたらテントにも気分よく帰れるわけです。うちの女房も別にそれ以上には怒ることもなく「静かにしててよ」とテントに戻ると思いますよ。で、テントに戻って「やれやれ」と寝るでしょ。そしたら、また突然、前にも増して騒ぎ出す。
そしたら、女房もさらに頭に来て「良い加減にしろ!」とまた苦情を言いに行く。すると、また素直に静まってしまって、と、これをね、延々と繰り返すわけでしょ。
で、ここで意外に重要なのはね。
鳩派🐦にはそもそも悪意がないというところですよね。
別に苦情を言われたからその仕返しに嫌がらせで騒ぐんじゃないわけですよ。とにかく鳩派は楽しいからポッポーポッポー騒いでしまうわけで。その感じはね、おそらく苦情の人にも苦情を言いに行くうちに伝わって行くんですよね。
そうなると、騒乱→「うるさい」と苦情を言いに行く→素直に静まってしまう→満足して戻る→だが、またすぐ騒ぐという、このイタチごっこの繰り返しが、妙なもので途中からひとつのコミュニケーションになっているように思えるんですね。
うちの女房なら、きっと何度目かの苦情で諦めて、藤やんと酒を飲み始めてるかもしれない。初対面だとしてもね。そうなると、戦争を起こさないのは悪意の欠如だと思うんですね。
正しい正しくないではないんです。
戦争の元は悪意ですよね。
悪意が生まれさえしなければ戦争はおきない。悪意を生み出すな。
「正しい、正しくない」を突き詰めようとすることは、違う立場に立っているどちらかが、相手に屈服させらてしまうことを意味してしまう。
屈服させられたと思って仕舞えば、そこには悪意が芽生えてしまう。
ここが実は重要で。
悪意を芽生えさせないことが1番の平和への道ってことですよね。
だったら平和のためには、物事を突き詰めるよりは、対応を考えて、自分のやりたいことは「やりたい」という方向で諦めず、楽しみ続ける。
そういった粘り強さを持つことで、とにかく我慢はしないようにして悪意を生み出す座標から遠く離れて行くことが肝要なのかもしれませんね。
いやはや、「ここキャン」の寝不足は、思わぬところでためになりますね。
どうぞ、みなさん。短い人生です。思いつきで一度「ここキャン」に参加してみてはいかがでしょうか。学びが多々ありましょうぞ。
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