嬉野です。日誌です。
JR特急おおぞらに乗って帯広へ向かっております。札幌から3時間近く掛かるそうですね。
で、帯広に着いたら前から食べて見たかった「インデアン」のカレーを食べてみようと今から楽しみでしょうがない。まぁ、みたところ、ずいぶんとふつうな味のカレーなんだろうなとは思いつつも、それでも帯広民の魂の味と思えば奥も深いのかも知れず、やはり楽しみでなりません。
さて、1ヶ月間と言う長きにわたり続いた水曜どうでしょうキャラバンも終わり、我が家へ帰ったらすぐ、2泊3日のファミリーキャンプが待っており、積丹で海に沈む真っ赤な夕陽を見て、翌日は徳舜瞥(とくしゅんべつ)のキャンプ場に移動したら、なんだかそこは、やたらと身体が軽くなる場所で、「不思議なもんだ」と思いましたよ。
場所が人体にもたらす影響というものを実感したんです。
翌日ゆっくり帰宅して、今度は東京へ出張し、東京から帰ってきたらまた2泊3日のファミリーキャンプが始動してと、我ながら意外に元気なままで動き回っていたもんですから、キャンプの話でもしようかと思っていましたが、別の話をします。
というか、今年のキャラバンには樋口了一さんが4会場ほど来てくれて。
樋口さんが居るときは、朝10時のオープニングを目指してみんなが会場設営で多忙に準備してるときと、最後にキャラバン音頭をみんなで歌って踊った後のスタッフみんなが撤収に多忙なときにはね、長老2人だけはバスの中でよく話しをしているんです。
今年、あれはどこの会場だったですかしら。「嬉野さん、『新・三軒茶屋のポルターガイスト』ってドキュメンタリー映画見た?」と樋口さんが言うので、「え?何それ?知りませんよ」と返答すると、「おもしろいよ」と言うわけです。「やっぱり死後の世界はあるんだよ」とか樋口さんは言うわけですよ。
「死後の世界?」
死んだらみんな分子に分解されて世界とひとつになるものとばかり思っていた私は、「えぇ〜死後の世界とかやっぱあります? それはやっかい」と、幾分こぼしつつ、その映画が、「Amazonプライムで無料で見れるよ」ということだったので、キャラバン期間中のお休みの日にホテルでスマホで見たんですね。そしたらたしかに非常に興味深い映画だったんです。
だってね、三軒茶屋の小さなアクターズスタジオの稽古場にね、得体の知れない手とかが、突然、床から生えちゃってる映像が普通に撮れてるわけです。
「やだ!怖い」
って、みなさん思うでしょ?
でもね、なんでだか怖くないの。なんていうんだろ、あり得ん映像のはずなのに、それがいとも簡単に映ってるとね、視聴者としては呆気なさすぎて反対にポカンとするんですよ。
そういう意味で、得体の知れぬ物が映りすぎてておもしろい映画でね。
途中で大学の超心理学の先生も呼ばれて現場にやってきて、熱反応のカメラとか仕込んで撮影して科学的にこの現象を調べようとするんだけど、この先生、途中でいきなり怒り出しましてね。
「調べるも何も、こんなのはインチキだよ!」と、もう、とりつく島がない。
たしかに、アクターズスタジオは狭いから、壁際に物がたくさん置かれていて、それを黒幕でカーテンみたいに隠してパッと見は何も置かれていない黒壁のスタジオみたいにしてるから、その黒幕の中に隠れて、その人間が手だけ出して脅かしてるようにも見えはするし、床から手が生えるけど、それってフロアのど真ん中の床からとかじゃないからね。「何で全部黒幕の近くからなんだ」と怪しむこともできる。
でも、床から手が生えた現象のすぐあとにその黒幕をめくってみるとダンボールやら何やらと文字どおり足の踏み場もないほど物が置かれてるから、ここに隠れて手だけ出してたという原始的なインチキの説明がつかないから、隠れてはやれないだろうという状況判断になるんだけど、超心理学の先生は、「そんな、トリックのことは私には分かりませんよ。でも、ここに人が隠れられるスペースがある以上、インチキとしか思えないよ」と、えらい剣幕で、ポルターガイストよりそっちの方が怖い。
とはいえね。樋口さんの言う「死後の世界はあるよ」というのが、町中のちいさなアクターズスタジオの床から手が生えるような死後の世界であるならね、それは、おぞましくてね。
実家が寺の私としては、そのような状況は直ぐにでも仏の力で成仏させてあげないと。。と思ってしまうような幸福とは思えない状態ですからね。
何らかの問題を抱えた人の死後の世界だろうと思えてくる。
とはいえ、「新・三軒茶屋のポルターガイスト」という映画は、いろんな意味でおもしろいので、私としても平素から妖怪好きの体質でもあり、とはいえ、「あの映画に映っていたものは、いったい何だったんだろう?」と、いろいろ考えてまたイメージが湧いちゃったんですけど。まぁ、それはまたのお話として後日書くとして。
本日私が書くのはたいした話じゃない、小話みたいなもんですね。
順を追って話すとね。そんなキャラバンの長旅から帰宅したら、うちの奥さんがたくさんテレビ番組を録画してくれていましてね、それを一緒に見てましたら、「アンビリバボー」やら「仰天ニュース」的な番組でしたけど、10歳の男の子がね、「ぼく、アメリカのニューヨークの高いビルにある保険会社の事務所で働いてたんだけど、飛行機事故に巻き込まれて死んだの」みたいなことを言い始めたそうでね、お母さんとしても幼児のいきなりの発言に、「え?なにそれ。。」と気味悪くて。
で、話を聞いていくとそれって2001年の9月11日にハドソン川の畔に建ってた世界貿易センタービルに旅客機が激突したあの9・11テロの話としか思えなくて。でもそれってもう今から23年も昔の話だから子どもが知ってるはずもないのに。
でも、「そういえば。。」って、お母さんは振り返るわけですよ。
「そういえば、この子、幼稚園のときに、ホワイトボードに楽しい遊び方のアイデアとかって箇条書きに書いて、他の園児や幼稚園の先生を前にして、こうしたら楽しく遊べますってプレゼンしてたんです」ってと、とにかくやることが園児っぽくない。
おまけに、小学校低学年のころ、「英語が習いたい」って言いだして、お母さんと一緒に英語を勉強し始めたら、お母さん以上に英語が上達してしまって、今ではお母さんも意味が分からない英会話を話せるようになってて、たしかに怪しい。それに小さいときから子どもっぽい服が嫌いで、どうしてもシャツにネクタイをしめたがる。それと何故かメガネやサングラスを掛けたがる。それも、「Ray-Ban」がイイとブランドまでハッキリ指定する。音楽はクラシック音楽ばかり聴いている。ひとっつも子どもらしくない。日本では、そんなふうに子どもが普通じゃないと精神科へ連れて行くんですね。
きっと、お母さん自身が受け止められなかったんでしょうね、我が息子の事態をね。でも、精神科で診察受けても解決は見れず、お母さんはひとり悶々と悩むしかない。
そんなときに「前世の記憶を持つ子どもたち」なんかを研究する超心理学の先生が(アメリカの大学に勤務されてる日本人の先生なんですね)調査にやってきて、この男の子の話がやけに具体的なので、「これは興味深い」と、2人でニューヨークに行くことになるんです。
そして世界貿易センタービルの跡地へ行くと、あそこにはあの事故で亡くなられた人、殉職された消防士全員の名前が石碑に彫ってあるんですね。で、その男の子は、自分が勤務してた保険会社がビルの何階だったかとかも覚えているふうだから、その辺りの階で亡くなった方たちの名前を先生が読み上げると、それを聴きながら、「その名前は、何か引っ掛かる。自分かも知れない」と、言い出して。運良く、その人の遺族(実の姉)にも会えることになるんですね。
そしたら、その亡くなった方のお姉さんから亡くなった弟さんの写真見せてもらうと、スーツにキチンとネクタイしてる写真ばかりでね。やっぱりメガネを掛けてて、「弟はRay-Banが好きだったわ」と言われ。「音楽はクラシック音楽ばかり聴いてたの」と言われ。だからとあって、それだけでその子の生まれ変わりの物語が説明つくわけでもないんだろうけど、でも、お姉さんは「私はクリスチャンだから、弟があなたに生まれ変わるなんてことは信じないんだけど」といいながら、でも自然と嬉し泣きをし、「ハグさせてちょうだい」とその男の子を優しく抱きしめてましたね。それを見てたお母さんは、なんか、「きっと、この子、こういうことだったんだわ」と、やっと我が子の不思議さを素直に受け入れることができたようすでしたね。
そしたら昨日だったか、これもまたテレビで、「女子高生がカニの甲羅からプラスチックをつくるための、カニの甲羅を分解できる微生物を世界で初めて発見しました」なんていうニュースがあって。そしたら、もうその女子高生の話しっぷりやら顔つきやらが、いわゆる高校生のそれではなくてね。
クラスメイトと映ってる写真もぱっと見、担任の先生と生徒みたいにしか見えないのね。その表情に精神的余裕の違いがありすぎるのが顔に出てて。
だよねぇ〜。たしかに、この女子高生は、もう、そうとう人生を繰り返してるんだろうねぇ〜と思えてしまう風格が見てとれてしまい。
そういえば何年か前にハマって見てた日テレのドラマ「ブラッシュアップライフ」を思い出してね。そういえば、あれには、生まれ変わったあとも、また同じ人生を赤ん坊から始めるから何周も何周もするうちには、幼児のうちから人生の目標も見えてきてしまうだけに、生まれ変われば変わるほど、だんだん幼年期や思春期に遊びかまけることも無駄に思えてきて、幼児ながら目標に向かって励むという大人な時間の過ごし方を⏰自然とするようになり、無理なく人生の熟達者となって行く的な展開だったんですね。
「やっぱり、人間は、繰り返し反復するうちに、人生に熟達していくものだから、人生を何周もしてたら、やっぱり、誰だって、あぁした子どもになるんじゃないかねぇ」と、リアルに思えてきて。そういえば、芦田愛菜ちゃんの「天才博士ちゃん」とかに出てくる子どもたちも小さいながら、すでに大好きな目標を持っちゃってるから、あの子たちだってきっと何周目かの人生に違いないだろうなと思えてくる。
だって、どの子のお母さんも「とくに何もしてないんです。この子が勝手に。。」って口を揃えたように言うから、やっぱり教育とか、そういうことじゃないんじゃないかと私は思いを新たにするわけですよ。
ま、そう考えればですよ。
私なんかはおそらく今期、初めて人間になったくちなんでしょうね。
おそらく前世はイタチかなんかじゃないですか。それもかなり幸福なイタチの人生を送った個体なんじゃないですかね。それが、今期、人間をやり始めたわけで。
だったらそりゃ人間一周目なんですからね、そりゃこんなもんだわ〜的なことでしょうよ。これで私になんかハッキリと目標が見えてくるのは、まぁ、次の次の次くらいからじゃないですかね〜。だったら今期は割り切って見学見学。みたいにね。私なんかは割とすんなりそんなふうに思えてしまって、それで満足できる体質なんですよねぇ〜。そこがまさにイタチとか、ハタネズミ的な素直さでね。
そこに思いが至りまして、この期に及んで、またさらにのどかな気持ちになりましたという、ご報告でございました。以上。
それでは、みなさんは何周目か知りませんが、本日もオノが人生にお励みくださいまし。
さて、まだまだ帯広に着く気配もなし。沿線はただただ鬱蒼とした大自然ばかりなり。
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