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【お願い】藤村Dへの「お手紙」を募集しています

嬉野です。日誌です。

昨日は藤村さん率いるHTBチームが川崎でのモルック大会に出場して84チーム中25位の成績だったそうですが、なんか彼らのYouTube動画見てますと確実に上手くなってる感じで、そのあたりの余裕が彼らのコメントからも若干感じられます。

とはいえ、彼らは、去年、モルックを始めたばかりの人たちなんですからね。なのに、しばしばその事実を忘れて見てる瞬間があります。つまり何年もやってる人たちに見えるってことですよね。
今にして思えば、怒号、罵声の乱れ飛ぶ「ここキャン」での藤村さんのモルックの頃が、外野席の私には懐かしいくらいで(^^)今や彼らはモルックを楽しそうにやってますよね〜
この成長ぶりの中、来月の函館の世界大会へ向けて、応援しておられるみなさんの期待はいよいよ膨らんで来たんじゃないでしょうか。
いったい彼らは世界ランクで何位なんだ!と。
だったらHTBも思い切ってモルックの世界大会を中継してみればいいじゃないかと、私なんかは素朴に思いますよ。ローカルテレビなんだからその辺は臨機応変に腰軽くやってしまえば良いのに。世界の巨大資本がオリンピックにうつつを抜かしてる時に、HTBはモルック大会にうつつを抜かしてるなんていう図も、良いじゃないかと、そんな風に思いましたね。

さて、ここからは私ごとですが。またしてもやたらと長いので要注意です。

ずいぶん昔にですね、買いましたイザベラバードの「日本奥地紀行」という本を、ペラペラっと読んで読了もせずに本棚に隠し持ったまま何年が経ったことやら、もはや見当もつきませんが。

そうしたところ、先日です。
YouTubeに、その「日本奥地紀行」の紹介番組が上がってるのを見つけましてね。「あら、これは良い」と聴いてみましたら今更ですが感銘を受けました(^^)
だったら早く読みゃぁ良かったんだよって話ですけどね。
ほんと私、ほとんど読んでなかったんですね(^^)でも、耳から聴く方がやっぱりラクチンで楽しいですね。

三谷幸喜さんの進行で本の朗読は、アナウンサーの方でしょうか女性の方がされてましたから、これはラジオ番組なんでしょうね。朗読部分には効果音も入ってたりして、旅の臨場感がリアルになって聴きながら盛り上がります。やっぱりラジオ番組って作りが良いですよね。なにより、訓練されたみなさんのお声がよろしくて良いです。

で、「日本奥地紀行」というタイトルなんですが。なんかちょっと奇妙でしょ? なんだか南米のアマゾンの上流にでも探検に行くみたいで大袈裟な感じがしますよね。

と言いますのも、このイザベラバード(1831-1904)さんという方は英国人女性で、かつ、旅行家であり探検家であり紀行作家であるという、19世紀に活躍されていた猛者の方でして。
当時、彼女、すでに47歳くらいだったんですが、イギリスから遥々蒸気船に乗って、おそらく完成間もないスエズ運河を通って、アラビア半島を回って、インド洋を越えて、シンガポール、香港、上海と、暑い暑いところを経巡りながら、明治10年、極東にあります未知の国、日本にやって来たわけです。

まだ、江戸時代が終わって、たった10年ほどが経ったばかりの日本に上陸して、女性の身で(最近、こういった表現はよろしくないんでしょうかさっぱり分からなくなってますが)、単身、今だにほとんど江戸時代のままだっただろう日本の東北地方を人力車に乗ったり、馬の背に乗ったり、あるいは徒歩だったりで青森まで縦断踏破して、その先の津軽海峡は船に乗って函館まで渡ったところで旅は終了という、大変な強行軍だったようで。まさしく当時のヨーロッパ人にしてみれば、旅というより、文字通り日本奥地への探検であったわけですね。

もちろん単身とはいってもイザベラさんだけでは言葉が通じませんから通訳から諸々の手配までしてくれるツアコンのような役割を担う日本人青年を東京で雇っていますね。
他に東京では専属の人力車夫も雇って、行けるところまでは人力車に乗って旅をしたようですね。

なにしろ、今と比べたら不便極まりない時代の旅です。
大都市だった江戸の町はまぁまぁ清潔だったとして、その江戸以外の田舎の宿は相当におぞましく、宿に泊まっても、蚊はもちろん、ノミやシラミが出る宿も当たり前にあったようで、精神的にも体力的にも追い詰められる旅だったようです。

そんな中、イザベラさんは猛者ですから、旅なれており、組み立て式のベッドと行水のできる簡易お風呂まで携行してなんとか快適な旅にしようと対策も、おさおさ怠りがない。
これらの準備を宿屋の部屋でしつらえるのも通訳の若者の役目だったようです。

とはいえ日本の宿は、部屋といっても、隣の部屋とは襖や障子で仕切られただけの、プライベートなんて保証されない狭い部屋ばかりですから、埼玉県の春日部の宿では、異人の女が来ているというので、「髪の色やら眼の色が違うぞ」という噂を聞きつけたのか、「そりゃ珍しい」と、ひっきりなしに障子の隙間からイザベラを覗こうとするたくさんの目玉が障子に空いたあちこちの穴から見えて落ち着かない。イザベラは上陸早々に精神的に疲れちゃったみたいで、当初は、通訳の青年に対して不満だらけだったようですが。 

でも。それは仕方がないですよね。

だって通訳の日本人青年だって英語が話せるってだけで、たんなる東京暮らしの若者だったんでしょうから。

それがいきなり東京から東北を縦断する長旅に出たんですから何から何までが初めての体験だったはずです。

スマホやネット環境が整備された今みたいな時代は、「水曜どうでしょう」だって海外で道に迷ったりしなくなったし、宿なしで道端でテント泊するなんてこともなくなったわけですから、今や不便なんて体験すらできないわけです。そんな昨今の我々から見たら140年前の日本なんて、そらゃもう想像もできないほどに不便極まりない。第一、あらかじめ宿を予約するなんてできませんから青年に不手際が多くてもそりゃ当然のこと。

ですから旅を続けていくうちには、そのあたりの状況はイザベラにも分かってくるわけで。いずれ誤解も解ける。そしてイザベラにも通訳の青年にも人力車の車夫にも戦友のような信頼関係が芽生えていったみたいですね。

なかでも、イザベラは、東京で雇ってた人力車夫の正直さ、高潔さ、親切さに日を追うごとに感銘を受けるんですね。
長旅の間、終始寡黙で温厚で、そんな車夫にずいぶん助けられもしたイザベラは、車夫と別れるときに、「あなたにはとても感謝しているから」と、車夫に余分にチップを渡そうとするのですが車夫は驚いた顔をするばかりで、けして受け取ろうとしない。

「いえ。あたしはここまでお連れするために、これだけの給金でと既に納得して初めに充分にお金は頂いておりますから、それ以上に頂くなんて、そんな滅相もないことはできません」と、どうしても受け取ろうとしない。

「なんという欲のなさだろう。なんと高潔な人間性だろう」と、イザベラは当時の日本人の気持ちに心を打たれたようです。

か弱い女性が(こういう表現が昨今はよろしくないんですかね?)独りで知らぬ他国を旅しているわけですから、そんな弱みにつけいって人の足下を見るように、辱めたり、脅したり、盗みを働こうとしないばかりか、約束した以上の賃金は受け取れないという正直さを貫こうとするなんて19世紀のヨーロッパ人であったイザベラには信じられないことだったようです。

当時のヨーロッパや他の国で女性が同じような旅をしたら、とても日本人と同じような対応をする民族など思いつくこともできなかったようなのです。

こうして車夫と別れたイザベラは、通訳の若者とともに旅を続けるのですが、その先の日本でイザベラが頻繁に目にするのは、とにかく子どもを可愛がる日本人たちの様子だったようです。

どんな田舎に行っても、子どもたちは大人たちにたいそう可愛がられていたようです。その描写が多い。どの村でも町でも大人たちは子どもを大事そうに可愛がり、楽しそうに子どもと遊んでいるのです。それも心の底から可愛くてしょうがないといったようすで。旅の間ずっとイザベラの目には子どもを可愛がり一緒になって遊ぶ大人が映るのです。
おそらく、当時の日本の田舎に、あまりにも娯楽がなかったことが結果として大人が子どもと楽しそうに遊ぶ動機を作っていたのかもしれませんが、だとしても江戸時代の日本の子供たちが、「子どもだから」という理由だけで、どの子も大人たちからたいそう可愛がられ愛されながら日を過ごしていたことは事実のようなのです。

だとすれば、子ども時代にそんな幸福な時間を与えてくれた大人たちに対して、日本人は、終生、懐かしさ、恋しさ、親しみを持ち続けたとて不思議はない。だから成長して大人になればまた子どもを可愛がり、生涯、温和な心で人と付き合っていたのかもしれない。

だとすれば、それは日本人がたどり着いていていた幸福な社会の連鎖だったかもしれない。
当時の日本の社会は、そんな日本人によって営まれていた。そしてそれは当時のヨーロッパ人が本気で驚嘆するほど、世界的に異例のことだった。

ということで、今から140年ほど前のイギリス人、イザベラバードさんの手によって克明に記録された、ありし日の日本と、私たちの先祖たちの様子はとても貴重で、私くらいの昭和人には、ほんの少しくらいはそんな子ども時代に心当たりがあるだけに、すこぶる興味深かった。

まったく。あの承認欲求の強いマシューペリーなんかが(ペリーさんのお家は海軍軍人一家としては名家で、お兄さんは米英戦争のときに大手柄を立てて国の英雄になったらしく、9歳年下の弟のマシューペリーも戦争で兄貴以上の手柄を立てたかったのに、なにぶん戦争は終わり新たな戦争も始まらないので、剛を煮やしてよっしゃとばかりに日本を開国して英雄になろうと盛んに政府に働きかけての日本行だったらしいんですね〜。当初アメリカは日本なんか気にしてなくて気分は中国だった。そらそーですよね)、黒船を引き連れて、日本を脅して開国させて英雄になろうなんていやらしい欲さえ出さなければ、日本はあのまま鎖国したまま、良い感じの文化に辿り着いた状態で、今頃、いったいどんな国になってたんすかねぇ〜。
まったく、なんなんすか、グローバル化って。
本当に惜しいことしましたね。
人間のやるってのは、やっぱり周囲に害悪を及ぼしますね〜。

さ、ということで、みなさん猛暑の中、何かと大変でしょうけど、なんとか元気に気持ちもハッピーに参りましょう〜〜
LINEのチャットぺシージには、ゴトー画伯の手になる良い感じの暑中見舞いがお見舞いされていて、なんとも感じ入りました。

 

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