藤村でございます。
本日、北海道の地で初のラグビー、リーグワンの公式試合が札幌ドームで行われました。
北海道ラグビー協会のアンバサダーとして、明治大学元監督の丹羽さんと試合開始前にピッチ上で試合の見どころなど話してまいりました。
北海道にはラグビーのプロチームがないので、通常なら公式戦は開催されないんですが、丹羽さんの明治大学人脈をフルに使い倒しまして今回、公式戦が実施されました。
だって北海道までの遠征費など、たいそうなお金がかかりますからね、なかなかできることじゃない。今日はそんな稀有なゲームだったんです。
さて、私がラグビーをやっていたのは、もう40年近くも前のことで、当時は明治、早稲田、慶應の大学ラグビーが大人気。正月に行われる日本選手権では社会人トップの新日鉄釜石や神戸製鋼なんかと死闘を繰り広げ、大学チームが日本一を獲得するなんてこともしょっちゅうありまして、大いに盛り上がっておりました。
でも考えてみてください。
サッカーや野球で大学生のチームが日本一になるなんてことありますか?ないですよね。
当時の日本のラグビーは、それほどレベルが低かった、ということの裏返しでもあります。
サッカーにしても野球にしても、ラグビーにしても、選手が一番実力を発揮できるのは、20代中盤から30代初めのころです。でも日本では社会人になってまでラグビーを続ける環境が整っていなかった。大学を卒業する22歳ごろには多くの選手たちがキャリアを終えてしまって、これからいよいよ強くなるってころには、もう仕事に明け暮れて筋肉は贅肉と成り果てていたわけです。
えぇ私もそうでしたよ。中学生からずっと10年間もラグビーをやってたのに、HTBに入社してから一気に太りましたから。
でも、ラグビーW杯の日本開催を前に、ラグビーのプロ化も進みまして、ようやく大学卒業後のラグビー環境も整ってきた。それでいきなり日本のラグビーのレベルが上がったんですね。今じゃ大学チームが日本一になるなんて到底不可能ですから。
そして今や、世界の一流選手たちがこぞって日本のプロリーグにやってきている。昨年のW杯決勝戦に出場した選手たちのうち、実に10人以上が今、日本でプレーしてるんです。サッカーのプレミアリーグ並みですよ。いや、それ以上かもしれない。
もはや日本のラグビー、リーグワンは世界一と言っても過言ではないほどの実力があるというわけです。
ではなぜ日本にそんな優秀な選手が集まってきているのか?
お金だけで言えばサッカーと同じく、ヨーロッパのプロリーグの方が収入は多いそうです。
でも日本リーグは試合数が少ない。これが大きな理由のひとつ。野球もメジャーリーグはとにかく試合数が多いですよね。でも野球と比べて体への負担が格段に大きいラグビー選手としては、試合数が少ないのは大きな利点です。
さらにはラグビーの練習環境が海外に比べても整っているそうです。指導者も一流が揃っていると。これは、トヨタやサントリー、パナソニックなどの世界的な大企業がバックアップしてるのが大きな要因でしょうね。
でも一番の理由は、日本の安全な住環境だそうです。食べ物も安くて美味いしね、安心して家族と移住できる、これが一番の理由だそうです。
そんなことで、海外の一流選手たちが伸び伸びとプレーしている姿を見られるのが今の日本のラグビー。
さらにさらに!
日本のラグビーはとにかく展開が早い。休むことなくすばしっこく動き続ける。W杯では、そんな日本のラグビースタイルに観客は拍手喝采でした。
つまり、見ていて面白いのが日本のラグビーなんですよ。そこに世界的なプレイヤーたちが参戦している。これはもう見て損はない!というか、見なきゃ損ですよ!
リーグワンの試合も残りわずか。関東や関西では、すぐに見に行けますから、是非!
ルールなんてわからなくても大丈夫。とにかく世界一のプレーを目の前でみてください!
世界で唯一、天然芝でドームでラグビーが見られるのは札幌だけ!
7月には日本代表戦も予定されていますよ。
これはオススメです。
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☆今回のお悩み☆
会話をうまく続かせることができません。特に初対面の人ですが、仕事関係、プライベート、性別、年齢問わず、話題が次から次へと出るようになるといいなぁ、と思っています。
『水曜どうでしょう』やYouTube等での藤村さん・嬉野さんを見てると、どんな相手でも会話が途絶えることがなくてすごいなぁ~、と思います。 何かよいアドバイスはありませんか?
(PN:t-aoao@川崎)
どうで荘にご入居のみなさま、いかがお過ごしですか。@SHARP_JP の山本です。さて今回は、私もその答えが切実に知りたいお悩みです。私もなかなかどうして、口下手な人間です。特に初対面の相手となると、いっそう「会話を続けること」自体が目的化してしまい、焦ったり、よくわからないことを言ったりと、不審なムーブをとってしまいがち。人との会話が怖い、とまでは言いませんが、会話が負担となる場面は多々あります。なので、そもそも自分が知りたい回答を、はたして自分でひねり出すことができるのか、はなはだ難儀な気持ちになりながら、進めたいと思います。
いま私は前文で「進めたいと思います」と書きました。おそらく私はここから先、つらつらと話題を提示しつつ、途絶えることなく文章を書くことができます。できます、というと正確でないかもしれません。今この瞬間はまだできていないけれど、数瞬後にはできているという確信があります。少なくとも私は、書くことにおいては、相談者さんのようなお悩みを抱くことはありません。書くという行為に限って、私は「うまく続かせることができない」という心配を回避できています(もちろんそうやって書かれた文章がおもしろいかどうかはまた別の問題ですが)
なぜ私が書くことにおいて、うまく続けられないという不安から自由であるかといえば、それはもう場数の問題といえるでしょう。なぜか私は、書くことが大きなウェイトを占める仕事に就き、書いたものを発信するという職務を長らく続けています。自慢する気持ちはありませんが、結果として私は、一般的な人より膨大な量を書き、それを世に放ってきました。その経験が私から、書くこと(そしてそれが読まれること)への苦手意識を取り去ってくれたのだと思います。
と、ここまでつらつら書き進めました。続けましょう。
では私はなぜ、書き続けるのは平気なのに、おしゃべりを続ける行為に苦手意識を抱くのでしょうか。たぶんそこには、書くこととしゃべることの本質的な違いが横たわっているのではないか、と思っています。
少々乱暴に言いますが、おしゃべりが他者との会話であることに対して、書くことは自分との対話です。たとえ書かれたものが、最終的に読まれることで他者とコミュニケーションを図るものだとしても、書いている間は自分との対話によってしか、書くことを進めることができません。冒頭で私が「今この瞬間はまだできていないけど、数瞬後にはできているという確信」と述べたのは、私は私と一文ごとに対話して、次に自分がなにを言うのかを発見する連続こそが書くことではないか、と考えているからです。
私が私と対話すること。それが書くための動力です。翻って会話とは、他者を相手におしゃべりすることです。仕事での初対面なんか、名刺くらいしか寄る辺のない他者でしょう。対話の相手は、勝手知ったる私の中の私。会話の相手は、私の外にあるむき出しの他者。どうやら私の苦手意識には、そういう対話と会話のちがいに関係がありそうな気がしてきました。
私もそこそこ年をとりました。職歴も口下手歴もそこそこ長くなりました。おそらく私は「書ける口下手」という微妙なポジションで、ベテランになりつつあります。そしてベテランゆえに私は、対話と会話を分けるものに、おおよその見当がつくようになりました。対話と会話を分けるもの。それは「たわいのなさ」と「段取り」だと思うのです。
暑いね。暑いですね。どこ行くの。ちょっとそこまで。特に目的もなく、なんとなく交わされるやりとり。私たちの日常は、すべて「意味」が付随する行為だけでできているわけではありません。意味のない行為があるからこそ、私たちは息がつまることなく、リラックスして生きることができます。そしてそういう、特に意味を持たない「たわいのなさ」を交換する行為が、会話にも含まれています。終わりも道筋も見通すことなく、ダラダラと友だちと続けるおしゃべりが楽しいのは、おそらく「たわいのなさ」があって「段取り」がないからではないか、と私は思うわけです。
一方対話はそうはいきません。対話は文字通り、相手と面と向かって行われます。上司と部下が机を挟んで話し合うシーンが典型でしょう。そこでは報告あるいは説得、時には叱責が行われます。対話とは、なんらかの目的に向かって双方が話し合ったり、あるいはこの場の意味を両者で共有するためにおしゃべりが進められます。揉めている人同士が話し合うことを会話と呼ばないように、対話には「たわいのなさ」はなく、ひたすら目的に向かうための「段取り」だけがある、とも言えるのではないでしょうか。
そう考えて行くと、私が会話より対話の方に苦手意識を感じないことも、あながち無理もない気がしてきます。私はあくまで仕事や職務的な要請から、書くこと(書き続けること)を、自身との対話を通して追求してきました。仕事で書くのだから、目的があり、段取りが存在します。そうやって私は、とことん合目的化した人間になってしまった。そして会話にも段取りを持ち込もうとするようになった。会話に段取りを持ちこむような人間の話に、たわいもなさが存在するはずもありません。こうして会話が苦手な私ができあがった、そういう風に思えてきます。なんだか切なくなってきました。
さてここで私は、ひとつ恐ろしいことに気づきます。藤村さんと嬉野さんのことです。あの方たちはなにをやってきたか。よくよく思い返せばあの方々は、どうでしょうで、会話のおもしろさをわれわれに見せ続けたのではなかったか。遠慮のいらない男4人が繰り広げる会話には、たしかに「たわいのなさ」があふれ、「段取りのなさ」の魅力に満ちていました。そしてわれわれは、あの人たちの会話を聞く快楽を知ってしまった。だからあのおふたりに、そもそも会話で勝てるわけがないのです。ひとたびあの方たちがしゃべれば、私たちはただ、耳を傾けざるを得ないのです。ただまぁ、打つ手はないです。
(追伸)
「打つ手はないです」で終わるという縛りが設けられたコラムですから、追伸が禁じ手であることは重々承知の上で、今回はどうかご容赦を。実は今回の相談者さんに、うってつけの書籍があります。田中泰延さんの『会って、話すこと。』という本です。目から鱗とはちがいますが、読めばおそらく気持ちが楽になること請け合いですので、ご一読をおすすめします。
毎月のお悩みへの回答はおひとりは全文公開。もうおひとりは「どうで荘」内のみでの掲載です。「どうで荘」は特に意味なく初月無料中!
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【回答者プロフィール】
山本隆博
@SHARP_JPの運営者。どうでしょうをサラリーマン目線で見直すのが好きです。
病理医ヤンデル/市原真(43)
好きなどうでしょうはユーコンです。
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☆今回のお悩み☆
物心ついた時からこうでした。
悩みというより、不思議に思っていることがあります。
幼稚園に行かず、小学校に上がるまで自宅でずっと過した自分ですが、 誰に教えられるわけでもないのに腐っていました。 腐っているという表現はもっともっと大きくなってから意味を知っ たのですが
男女の普通のロマンスの数倍、男同志のロマンスに興味を惹かれてしまう体質です。 誰からも教えられていないのに、変換する脳が備わっていて、 しかもそれがあまり大っぴらにしてはいけないということを幼児に して知っていてこっそり、こうであったらばな、 あれはこういうことであったのであろうなどと、 自らの妄想の世界に一人でいるしかありませんでした。
そして、小さいころあんなに「どうしてこうなったのだ」と悩んでいたのに、長じてみると、 こんなに同じことを考えている人が多くて、何でもないのだ。 それもまた解せぬ。
どうしてこういう芽が種もなく生えてくるのでしょうか?なんの役に立つのでしょうか?男の人にもあるのでしょうか。 (PN:のりぞう)
どうで荘にご入居のみなさま、お元気ですか。@SHARP_JP の山本です。今年はさんざんやばいぞやばいぞと触れ回っていたせいか、夏に身構えるあまり、暑さにどうにか対処できている気がします。信じられないほど世の中が目まぐるし過ぎて、暑さへ注意が向いていないだけかもしれませんが。
さて、今回のお悩みです。お悩みというか、一種のカミングアウトと言えるのかもしれません。物心つく前から腐っていたという、相談者さんの告白です。
物心つく前から腐っていた。まるで意思を宿すことになったゾンビを描く、実験的なゾンビ映画がはじまりそうなモノローグに思えてきますが、そうではありません。腐るとはこの場合、有機物の腐敗を指すわけではありません。ニンゲンが腐るという意味ではゾンビと似ているのかもしれませんが、ここで腐るのは肉体ではなく、どちらかというとニンゲンの脳です。さいきん認知が進んだとはいえ、腐という文字を見て、意味の第一候補にBLが挙がる人はまだまだ少ないのではないでしょうか。BLのBに属し、Lを投影される男性ならなおさらかと思います。
しかし私は違いました。お悩みの文章に忽然と現れる「誰に教えられるわけでもないのに腐っていました」を一瞥してすぐ、これはBLの話だなと理解しました。申し遅れましたが、私はBL方面に話がはやい男性なのです。
なぜ私がBLに話がはやい一般男性かというと、自分がBLの素材としてきわめて親和性の高いマンガの主人公となり、BLを主とする出版社から書籍化されるという、そうとう粘度と難度の高い経験をしたからですが、長くなるので割愛します。気になる人は「シャープさんとタニタくん」で検索してみてください。いまでも書籍は買えると思います。
とにかく私がその時に理解したのは、BLとか腐女子と称する人たちが愛好し志向する目的とは、自身の性的嗜好を満たすのではなく、意識や認識のレイヤーを各人が増やそうとする行為にほかならない、というものでした。言い換えると、日常を取り巻く2つの事物の間にLOVEのフラグやサインをめざとく検知し、あらゆる事象に見えない物語を見出す力、とでも言えるでしょうか。つまり腐ったと自称される人とは、五感による世界の認識に腐という第六感を付加することで、物事の背景と奥行きを常人の何倍ものパワーで構築できる能力者なのです。
そして「腐」がそのような異能を指すのであれば、「誰からも教えられていないのに変換する脳が備わっていた」という相談者さんの述懐も、あながちないとも言えない気がしてきます。腐とはそもそも、人間が先天的に獲得する能力なのかもしれません。幼い子が石や木の枝といった、抽象性の高いモノでごっこ遊びに耽る様子を見ても、人間はそうとう早い段階から事物に物語を見出す能力が備わっているのではないかと、私は思います。
しかしここで同時に素朴な疑問も生じます。相談者さんはこうも続けるのです。「長じてみると、こんなに同じことを考えている人が多くて、何でもないのだ」ということがわかった、と。実は同じような能力者がこれほどまでにたくさん存在することを、大人になって知ったわけです。どれほど多いかというと、私が主人公となるマンガが出版社から書籍化され、それが書店で販売されるほど、です。つまり産業と呼べるレベルで、需要と供給や雇用の仕組みが社会にできあがり、文化と呼べる時間をかけ、歴史や作品が豊穣に積み上げられてきたわけです。
そう考えていくと、腐の能力を天与の才としてだけ語ることもまた、そうとう乱暴であると思うのです。腐は決して先天的なものだけではない。だれかから受け継がれ、育てられる能力という側面もあるはず。だから私はここで、ひとつの仮説を持つにいたります。
相談者さんのご親族、たとえばお母様が腐の者であった可能性はありませんか。物心がつく前から腐っていたとおっしゃる相談者さんは、物心がつく前から腐の指南を受けられていたのではないですか。私は相談者さんが腐の帝王学を修めた方ではないかとにらんでいます。折しも私は知っています。古の時代より腐を極めたベテランの方は、腐ェニックスと称されることを。もし可能であるなら、お母様と腐に関して、腹を割ってお話をされるとよいのではないでしょうか。ただまぁ、打つ手はありません。
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【回答者プロフィール】
山本隆博
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