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シャープさんとヤンデル先生の相談室

〜ただまぁ、打つ手はないです〜

第5

「公式」の先駆・シャープさんと、つぶやく病理医・ヤンデル先生が!

悩みを聞くだけ聞いて解決しない相談室を架空のアパート「どうで荘」で開設。
入居者からの「相談」に、各自の持ち場から答えていただきます。

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☆今回のお悩み☆

物心ついた時からこうでした。
悩みというより、不思議に思っていることがあります。
幼稚園に行かず、小学校に上がるまで自宅でずっと過した自分ですが、誰に教えられるわけでもないのに腐っていました。腐っているという表現はもっともっと大きくなってから意味を知ったのですが
男女の普通のロマンスの数倍、男同志のロマンスに興味を惹かれてしまう体質です。誰からも教えられていないのに、変換する脳が備わっていて、しかもそれがあまり大っぴらにしてはいけないということを幼児にして知っていてこっそり、こうであったらばな、あれはこういうことであったのであろうなどと、自らの妄想の世界に一人でいるしかありませんでした。
そして、小さいころあんなに「どうしてこうなったのだ」と悩んでいたのに、長じてみると、こんなに同じことを考えている人が多くて、何でもないのだ。それもまた解せぬ。
どうしてこういう芽が種もなく生えてくるのでしょうか?なんの役に立つのでしょうか?男の人にもあるのでしょうか。

(P.N のりぞう)

 

 

のりぞうさん、メッセージをお送りいただきありがとうございました。さっそく拝見して、私がおやっと思ったのは、冒頭の「悩みというより、不思議に思っていることがあります。」の一行でした。

のりぞうさんは、本コーナーの趣旨が「お悩み相談」であることをご存じの上で、「不思議に対するQA」としてメールを送った方がいい、と感じられたわけですね。

ここでわざわざ言い換えてくださった、「悩むこと」と「不思議に思うこと」の違いとは、なんでしょうか。

 

 「悩む」とは、自分が直面している「あるものごと」が、自分がそれまで育んできた価値観や、暮らしていく上で頼りにするべき土台、あるいはよすがにしているシステムと、噛み合わないときに生じる感情です。噛み合わない、つまり歯車同士がうまくマッチしないと、価値観はジワジワとおびやかされ、土台はグラグラとゆるがされ、システムはボロボロに破壊されるかもしれません。もしそうなれば、これまで自分が自分であり続けてきた「当たり前の毎日」が変わってしまうかもしれない。

 そういうとき、人は悩みます。

 「あるものごと」には魅力がある。しかし、それを導入してしまうと、安穏と暮らしていた日々が壊れてしまう。現状が維持できない。

魅力があるものを取り入れても、何も変わらずに暮らしていけるのならば、誰も悩みません。しかし、「何かを手に入れる代わりに、何かを失うかもしれない」となるからこそ、人は考え込んでしまうのです。

 これが、一般的な「悩む」という感情だと思います。

 

 例をあげましょう。

美容師さんが、あなたに声をかけました。「今回、いつもと変えてみますか? 少しカラーリングを明るくしてみるとかいかがでしょう」。なるほど、気分が変わっていいかも。流行りの色に合わせるのもおもしろいかも。しかし、例えばこれ、私だったら、だいぶ悩むと思います。

私は自分の髪の毛の色が黒であることを前提とした生活をしています。服の色や、メガネのフレームが、新しい髪の毛の色と合わなくなるかもなあ、と思って悩むでしょうね。

さらに言えば、私は病院で仕事をしています。患者さんとすれ違うときに「チャラチャラした職員だ」と言われるのがちょっとコワイ、みたいな懸念もあります。いや、いまどき、医者が髪の毛を染めていたからって誰も怒らない? うーん、そうでしょうか? 世の中にはいろいろな価値観の人がいますからね。どうしようかなあ……。

 これぞ、「悩む」です。カラーリングという「あるものごと」を選べば、私の日常は多かれ少なかれ影響を受けます。

 

 「悩む」にはまだほかにもパターンがあります。たとえば、「当たり前になってしまった毎日に不満がある人」も、悩みますね。この場合は、さっきとは逆で、自分が浸ってしまっている価値観、自分が依存してしまった土台、自分が生かされてしまっているシステムを、「あるものごと」によって破壊してしまったらどうなるだろうかと思い、そのような破壊妄想そのものに魅力を感じつつも、どうしても伴ってくるであろう暴力性によって「悩む」わけです。

また、「確かに今までの自分の暮らしかたに不満はあるけれど、全部ぶっ壊してしまうというのは、やりすぎだなあ。毎日がまるで別モノになってしまってはイヤだなあ」というような、「どっちつかず」の気持ちにまごまごしてしまうこともあります。こういうときも、人は「悩む」。

「悩み」にはいろんなパターンがありまして、ここで具体例をいちいち挙げてもいいのですが、文字数が大変なことになりそうですし、やめておきましょう。

 

では、次に、「不思議に思うこと」とはなんでしょうか。

「不思議」とは、自分が直面している「あるものごと」が、自分がそれまで育んできた価値観や、暮らしていく上で頼りにするべき土台、あるいはよすがにしているシステムと比べて、「まるで違う論理で動いている」ときに生じる感情です。

ん? 「悩む」とどう違うのかって? それはですね。

「悩む」とは違って、「不思議」は、「自分のそれまでを壊さない」と思うんです。

先ほどご説明した「悩む」では、「あるものごと」が、まるで歯車同士がぶつかるように、それまでの自分を取り巻くものと衝突しました。

でも、「不思議」は、「あるものごと」が衝突しない。ただ、今まで自分が見てきたものと違うだけ。干渉しない。他者。世界線が交わらない。歯車が合うか合わないかという論点がない。

「あるものごと」が、シンプルに、「ああ~違うなあ~」と感じられるとき、人は「不思議だなあ~」と言います。

 

 例を挙げましょうか。

ミスターは急いでいる日の朝にインキーしました。

このとき、ミスターがインキーをした理由がわからないからと言って、大泉さんや藤村さんの価値観が直ちに揺るがされるわけではありません。

大泉さんは「不思議だもん、エンジンかかってんだから」と言いました。ここで「悩むよね、エンジンかかってんだから」とは言いません。しっくり来ませんよね。

なぜなら、大泉さんは、ミスターを駆動しているインキー論理を目の当たりにして、純粋に「ああこの人は自分とは違う」とは思っていても、自分の価値観や土台、システムが揺るがされるとは思っていませんからね。

「不思議」は、「悩む」とは違って、それまでの自分を壊さないのです(アメリカ横断のスケジュールは壊れましたが)。

 

 こうやってまとめてみると、「不思議」のほうが「悩みよりも」軽い感情……みたいに思えるかもしれません。

 「若きウェルテルの悩み」が、「若きウェルテルの不思議」だったら、ウェルテル、学研ひみつシリーズ読んでそうだなって感じで、確かにちょっと可笑しいです。切迫感はないですね。

 でも。

 「不思議」と思う気持ち、自分とは違う論理で駆動している「全き他者」のメカニズムを知ろうとするありようは、「悩む」に勝るとも劣らないくらいの、とても高度な、すばらしい脳のうごめきです。

「悩み」と「不思議」とは、どちらがすごいとか、どちらがより大切だという類いのものではないと思います。

 

それはさておき。

そろそろ、のりぞうさんからいただいた相談に話を戻しましょう。

 

 あなたが「不思議に思っていること」は、文章としてやや複雑な構造をしているのですが、「不思議」のコアは文末にある以下の部分だと思います。

 

「どうしてこういう芽が種もなく生えてくるのでしょうか」 

「なんの役に立つのでしょうか」 

「男の人にもあるのでしょうか」

 

 それぞれ、

 

・生殖行動と直接関係しないロマンスを感じ取れる脳に対する驚嘆

・歴戦の腐パーソンズにこすられまくった伝統的な命題

・セックス/ジェンダーが思考に影響するかという基礎的かつ深淵な問い

 

だと思います。

のりぞうさんは、これらを「悩み」ではなく「不思議」だと思われたのですよね。

なぜでしょうか?

 

答えは、あなたがご自身で書かれています。

 

「長じてみると、こんなに同じことを考えている人が多くて、何でもない」。

 

大人になったあなたは、理解者を多く得たのですね。

そのおかげで、これらの問いを「多くの人と安心して共有できそうだ」と感じ、「あなたをおびやかさない、揺るがさない、壊さない」場所に立つことができたのでしょう。だからこうして相談コーナーにも投稿することができたのだと思います。

 

「脳ってすごいな。役に立つか立たないか、今の私にとってはどちらでもいいけどみんなはなんて答えるんだろう。男の人にもあるの? まああってもなくてもいいけどさ。

不思議っちゃあ、不思議だよね。」

 

さて。

じつはこの相談には、まだ見どころがあります。

それは、おそらくあなたの心から漏れてきたのではないかと思われる、以下のフレーズです。私はここを何度も読み直しました。

 

“小さいころあんなに「どうしてこうなったのだ」と悩んでいたのに”

 

そう、あなたは、小さいころには、「悩んでいた」のです

 

なぜでしょうか?

 

「あまり大っぴらにしてはいけなかったから」。

 

小さいころのあなたが育まれてきた価値観や、頼っていた土台、大人に与えられたシステムと、「大っぴらな妄想」は、噛み合わなかったんですね。

 

価値観はジワジワとおびやかされ、土台はグラグラとゆるがされ、システムはボロボロに破壊されると思ったんですよね。

 

小さいあなたの「当たり前の毎日」が、変わってしまうかもしれないとおびえていらっしゃったんですよね。

 

今のあなたほど、理解者もおらず、頼れる価値観も、当時の社会に用意されたものでしかなかったから……。

 

 

 

今回の相談文には、「あなたが大人になる過程で解決した悩み」を含んでいます。そんなあなたの「かつての悩み」を生んだのは、BL妄想そのものではなく、それと噛み合わなかった社会の価値観、土台、システムだったのではないかと私は思います。

 

「そうやって考えることは普通じゃない」

「そうやって考えることは下品だ」

「そうやって考えるなんてとんでもない」

 

 と、価値観を押しつけてくる人たちが「いそう」な雰囲気。

「大丈夫、そういう妄想、するよね!」と理解を示してくれる仲間がいない状態。

そんな暮らしをしていた小さいころのあなたは、BL妄想が(自分とではなく)社会と噛み合わないことに、ひとり「悩んでいた」のだと思います。

 でも、それは。

 あなたの交友関係によるものか、成長して精神が成熟したためか、あるいは、社会が「そういう妄想をも噛み合わせてくれる」くらいには多様になったためか。

 いつしか、「不思議」にチェンジしていたのですね。

 

 

 できればこれからの社会では、小さいころのあなたが抱えていたような「悩み」がちょっとでも減っていれば……理解者があちこちに暮らしていればいいな、と思います。

「悩み」を「不思議」に変換できるような、フレキシブルな価値観、包容力のある土台、応用の利くシステムの中で、みんなが暮らしていればいいな、と思います。

 

 

 

 

 あーつかれた。

 今日はもういいですね。めちゃくちゃ考えました。へとへとです。骨太だった。じゃ、そろそろこのへんで。

……え? 悩み相談?

だってもうあなたの場合は、それもう「不思議」になっちゃってるでしょう。そういうのは、夏休みこども電話相談に送ってもらったほうがいいです。このコーナーとしてはねえ、「不思議」には、えー、まあ、打つ手はないです。

 

 

 

どうで荘にご入居のみなさま、お元気ですか。@SHARP_JP の山本です。今年はさんざんやばいぞやばいぞと触れ回っていたせいか、夏に身構えるあまり、暑さにどうにか対処できている気がします。信じられないほど世の中が目まぐるし過ぎて、暑さへ注意が向いていないだけかもしれませんが。

 

さて、今回のお悩みです。お悩みというか、一種のカミングアウトと言えるのかもしれません。物心つく前から腐っていたという、相談者さんの告白です。

 

物心つく前から腐っていた。まるで意思を宿すことになったゾンビを描く、実験的なゾンビ映画がはじまりそうなモノローグに思えてきますが、そうではありません。腐るとはこの場合、有機物の腐敗を指すわけではありません。ニンゲンが腐るという意味ではゾンビと似ているのかもしれませんが、ここで腐るのは肉体ではなく、どちらかというとニンゲンの脳です。さいきん認知が進んだとはいえ、腐という文字を見て、意味の第一候補にBLが挙がる人はまだまだ少ないのではないでしょうか。BLのBに属し、Lを投影される男性ならなおさらかと思います。

 

しかし私は違いました。お悩みの文章に忽然と現れる「誰に教えられるわけでもないのに腐っていました」を一瞥してすぐ、これはBLの話だなと理解しました。申し遅れましたが、私はBL方面に話がはやい男性なのです。

 

なぜ私がBLに話がはやい一般男性かというと、自分がBLの素材としてきわめて親和性の高いマンガの主人公となり、BLを主とする出版社から書籍化されるという、そうとう粘度と難度の高い経験をしたからですが、長くなるので割愛します。気になる人は「シャープさんとタニタくん」で検索してみてください。いまでも書籍は買えると思います。

 

とにかく私がその時に理解したのは、BLとか腐女子と称する人たちが愛好し志向する目的とは、自身の性的嗜好を満たすのではなく、意識や認識のレイヤーを各人が増やそうとする行為にほかならない、というものでした。言い換えると、日常を取り巻く2つの事物の間にLOVEのフラグやサインをめざとく検知し、あらゆる事象に見えない物語を見出す力、とでも言えるでしょうか。つまり腐ったと自称される人とは、五感による世界の認識に腐という第六感を付加することで、物事の背景と奥行きを常人の何倍ものパワーで構築できる能力者なのです。

 

そして「腐」がそのような異能を指すのであれば、「誰からも教えられていないのに変換する脳が備わっていた」という相談者さんの述懐も、あながちないとも言えない気がしてきます。腐とはそもそも、人間が先天的に獲得する能力なのかもしれません。幼い子が石や木の枝といった、抽象性の高いモノでごっこ遊びに耽る様子を見ても、人間はそうとう早い段階から事物に物語を見出す能力が備わっているのではないかと、私は思います。

 

しかしここで同時に素朴な疑問も生じます。相談者さんはこうも続けるのです。「長じてみると、こんなに同じことを考えている人が多くて、何でもないのだ」ということがわかった、と。実は同じような能力者がこれほどまでにたくさん存在することを、大人になって知ったわけです。どれほど多いかというと、私が主人公となるマンガが出版社から書籍化され、それが書店で販売されるほど、です。つまり産業と呼べるレベルで、需要と供給や雇用の仕組みが社会にできあがり、文化と呼べる時間をかけ、歴史や作品が豊穣に積み上げられてきたわけです。

 

そう考えていくと、腐の能力を天与の才としてだけ語ることもまた、そうとう乱暴であると思うのです。腐は決して先天的なものだけではない。だれかから受け継がれ、育てられる能力という側面もあるはず。だから私はここで、ひとつの仮説を持つにいたります。

 

相談者さんのご親族、たとえばお母様が腐の者であった可能性はありませんか。物心がつく前から腐っていたとおっしゃる相談者さんは、物心がつく前から腐の指南を受けられていたのではないですか。私は相談者さんが腐の帝王学を修めた方ではないかとにらんでいます。折しも私は知っています。古の時代より腐を極めたベテランの方は、腐ェニックスと称されることを。もし可能であるなら、お母様と腐に関して、腹を割ってお話をされるとよいのではないでしょうか。ただまぁ、打つ手はありません。

 

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【回答者プロフィール】

山本隆博
@SHARP_JPの運営者。どうでしょうをサラリーマン目線で見直すのが好きです。

病理医ヤンデル/市原真(43)

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