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シャープさんとヤンデル先生の相談室

〜ただまぁ、打つ手はないです〜

第4

「公式」の先駆・シャープさんと、つぶやく病理医・ヤンデル先生が!

悩みを聞くだけ聞いて解決しない相談室を架空のアパート「どうで荘」で開設。
入居者からの「相談」に、各自の持ち場から答えていただきます。

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☆今回のお悩み☆

実は、これはもう終わった出来事なんですが、かなりもやもやした思いが残ったので、お二人の考えを聞きたいと思い、相談します。 某有名アイス店でシングルを注文したら「今、料金はそのままでダブルにできます」と言われました。私は、野菜のようなたくさん食べてもいいものなら追加しますが、アイスなので追加したくなくて断りました。 すると、店員さんは引き下がらずダブルを勧めてきました。そこからは、先輩店員も出てきて「後から苦情のような事を言われることもあるので…」とよくわからない言い分でしつこく勧められて、私も意地になり「いらないって言ってるんだからいいじゃないですか!」と言い争いになる始末。 結局こちらが折れてダブルにしましたが、あれは何だったんでしょうか? なんかお得の押し付けのような気もしますが、私がおかしいのでしょうか? どうぞよろしくお願いします。

 

 

どうで荘にご入居のみなさん、こんにちは。@SHARP_JP の山本です。あっという間に梅雨が明けてしまいました。北海道には梅雨がない、という説はこの時分に定番の世間話ですが、ひょっとしたらその前提も変わってしまうのかもしれません。さいきん北海道で、エアコンがたくさん売れていますし。

 

さて、今回のお悩みです。お悩みというか、私には世のビジネス論とか、高度資本主義と呼ばれる世界への警鐘に思えてなりませんでした。寄せられた相談文をはじめて読んだ時、ちょっと考え込んだくらいです。これはただのお悩みではない。なにか、私の本来の仕事に対して非常に重要な示唆に富んでいる。そんな予感がしております。

 

人間は合理性を好み、合理的に行動する生き物である。私たちはざっくりと、そういう大枠の人間観に同意しつつ、毎日を生きています。なぜかというと、そう信じていないとやってられないから、だと思うのです。世界はあまりに複雑で、そこで生きていくにはなにか真実めいたルールを適用しないと、私たちは狂ってしまうのでしょう。

 

しかし日常は、容易にその人間観を揺さぶってきます。私たちはふつうに暮らしていたって、理不尽な目に会います。たまたま入ったお店でも、いつもの通勤電車でも、あるいは職場でも、最初から最後まで疑問符しかつかない怒りを撒き散らす人がいるし、時には理不尽な偏見や抑圧の目に自身が晒されることもあるでしょう。そんな理不尽で具体的な経験談があふれたSNSをひらくたびに、はて人間は合理的な生き物だったはずだよなと、私は頭を抱えたくなります。

 

目を離したすきに明後日の方向へ駆け出す。食卓にひろがる信じがたい食べこぼし。まったく筋の通らないイヤイヤ。小さなお子を育てる親御さんなら、いずれ合理性を獲得するのが人間だ、と呪文をとなえながら成長を見守られていると思います。どうやら人間は生来的に合理的ではない。そう思い知らされる時間です。

 

一方で私たちは、非合理が人間の胸を打つ経験もします。というか、なんとも説明のつかない表現が、見た人の心になんとも説明のつかない衝動をもたらすことこそ、芸術やコンテンツの力だとも言えます。 

 

人間が繰り広げる、非合理的な行動がなぜこうもわれわれを魅了するのか。水曜どうでしょうを履修したみなさんなら、全員が知っているはずです。無意味や理不尽が時に痛快であること。合理性の追求が人間の創作の動機でないこと。ミラクルがあること。それを、身を以て証明したのが、あの番組の存在だと思うのです。

 

とにかく私たちは、人間は合理的に行動するといったんは解釈しつつも、どこか釈然とせず生きているのでしょう。むしろ合理性からはみでた存在を、愛おしく思う節すら私たちにはあります。つまり、人間は合理的でありつつも非合理的な生き物である。そのゆらゆらした立ち位置こそが、私たちが複雑で残酷な世界を生き抜く合理性なのかもしれません。

 

しかし、そのゆらゆらした立ち位置を徹底的に排除する場所があります。私たちがあくせく働くビジネスという場です。費用対効果だとかコストパフォーマンスだとかいう言葉が飛び交う職場は、人間の非合理性をとことん漂白することで生まれてきました。だからそこでは、人間が合理的に行動する以外の行動は、いっさい想定されません。そしてそういう場所(たいていは大きめの文字でマーケティングなるワードがつく部署)だからこそ、「アイスを買えばアイスがもう1個」という企画が生まれたはずです。

 

ですから相談者さんは、アイス屋の店員さんからすればまったく予想もしなかった登場だったのだと思います。おそらく「アイスを買えばアイスがもう1個」キャンペーンの店舗マニュアルにも、あなたのような存在は書かれていなかったのではないか。あまりに想定外だったからこそ、店員さんは頑なな態度しかとれなかったのでしょう。

 

人間はすべからく得を求める。企業の側はそれを所与にしないと、マーケティングがあまりに複雑すぎて、なんも計算ができないのです。だから、タダなのに享受しない人間は、見ないことにする。複雑なお客さんは透明にされるのです。ひどい話ですよね。

 

合理性の追求は、ほかの合理性を排除します。そうする方が仕事の効率があがり、合理的だからです。あなたの「野菜のようなたくさん食べていいもの以外はむやみに食べない」という姿勢は、徹底的に人間を単純化すればいいという、企業やビジネスの乱暴さを浮き彫りにしました。しかし悲しいかな、向こうにとっては、あなたは透明な存在なのです。

 

けれど私は、あなたの主張こそが合理的だと思います。自分で自分の人生を健やかにしようとされているわけですから、圧倒的に正しい。人は金という合理性にのみ生きる。そういう風に人間を単純化する企業にこそ、未来の市場へ打つ手はありません。私はそう思います。自戒を込めて思います。とはいえ私なら、まんまとダブルにしてしまうと思う。ただまぁ、打つ手はありません。

 

 

 

  

これはモヤりますわ。もやもやするのも、無理ないです。「あれは何だったんでしょうか?」にはすみません、ちょっと笑いました。ほんと何だったんですかね。おかわいそうに。お察しします。大変でしたね。

 こういう店員さんみたいな人っていますよねー! こちらの都合とか好みとかを何も聞かずに、いきなり、「これを差し上げます」って一方的にモノを渡してくる人。基本的にそういう人から渡されるものって要りませんよね。だから、相手との関係にもよりますけれども、まあ要らないものは要らないってことで、正直に答えるわけですよ。すると……。

 

「要らねぇ」

「ああ?」

「要らねぇっつってんだよ」

「なんだと鈴虫」

「こんなもの別に欲しくねぇっつってんだ」

「黙って受け取れバカ野郎」

「(カチッ)」

とまあ、こんな感じでつばぜり合いが勃発してくるわけですよね。

ひたすら善意を押しつけてくる人。

本当に私のためを思っているんだったら、私が「それは要りません」と言ったときに、「ああ、要らないならあげるのはやめよう」と思ってくれるのが普通じゃないのかな、って、私も考えてしまいます。ですから相談者の方に100%同意です。

結局こういうことをする人の中で駆動している原理は、私に対する善意じゃなくて、「これを相手に渡すことで自分が良い気持ちになる」という、他でもない、自分に対する善意(何それ)ですよね。

「後から苦情を言われることもあるので~」とかホントに知ったこっちゃないですよ。こっちの都合なんか1ミリも考えちゃいねぇな。

そういう「自分への善行に忙しい人」と関わっていると、いくら日ごろおだやかな我々としても、だんだんイライラしてくるのは当然ですよね、ついカッとなって、バールのようなもので背中をかきながら、

「とにかくこれ要りませんから。はい。要りませんよ」

とね、毅然として対応するしかない。そしたら、たいてい、こんなこと言われませんか?

「こっちはよかれと思ってやってんだよ」

出た~~~~~~~~~~~~~~よかれ~~~~~~~~~~~~~~~。 

「よかれと思ってやってんだよ」が出るシーンって基本的に「やってることが裏目に出てるシーン」だけです。私たち、こんなセリフ恥ずかしくて言えませんよね。本当に相手のことを考えていたら。でもあなたのアイスクリーム屋さんしかり、こういうことをやる人はどこにでも……

あれ?

今のセリフもなんかどっかで見たことありますね? たしか西表島あたりで……。

じつは今回、ご相談にお答えしようとして、文面を読んで考えている最中、なぜか、アイスクリームのダブルの要る要らないみたいなちっちぇえ押し問答をしているのが、とあるスズムシとゲンゴロウのやりとりに変換されてしまって私はたいそう困惑しました。

そして今実際にこうして回答を書きながら、ふと思ったのです。

 「余計なお世話」や、「よかれと思って」をエンタメにした某番組は偉かったなあ……と。

 「よかれと思って」が太字で画面一杯の字幕になる番組、他にないですよね。人間の本質に近いところにある汚ねぇ部分を抽出して笑いに変えていく構造、エグいなあ。だから歴史に残るんだろうなあ。

最終的に今回の件で折れたあなたは、今モヤモヤしていることも含めて、ポジションとしては大泉さんみたいなもんですよ。誇っていいんじゃないでしょうか。

以上、今回のご相談ですが、えー、すでに終わったことだと相談者さんも書かれておりますので、まあ、打つ手はないです。

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【回答者プロフィール】

山本隆博
@SHARP_JPの運営者。どうでしょうをサラリーマン目線で見直すのが好きです。

病理医ヤンデル/市原真(43)

好きなどうでしょうはユーコンです。

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