シャープさんとヤンデル先生の相談室
〜ただまぁ、打つ手はないです〜
第3回
「公式」の先駆・シャープさんと、つぶやく病理医・ヤンデル先生が!
悩みを聞くだけ聞いて解決しない相談室を架空のアパート「どうで荘」で開設。
入居者からの「相談」に、各自の持ち場から答えていただきます。
☆今回のお悩み☆
2年前から在宅勤務が始まり、会社に
行かなくなってから、同居している母が、
色々な人からかかってくる電話
(私はこの電話の事を“生存確認”と呼ぶ。
何故なら妹や弟、母が昔から仲の良い
友達からだからだ。)で、「私は娘
(つまり、私)が結婚するまでは死ねない。」
と言っているのが聞こえてくる。
私は別に結婚しないつもりもないし、
嫁に行かないと言った覚えもない。
でも、毎度毎度“生存確認”の度に言われると、
さすがの私も凹みます。
こんな母へどんな対応をしたら
良いのか教えて頂きたいです。(PN:恋するうさぎ)
こんにちは。興味深いクエスチョンです。どうもありがとうございます。
さっそくですが2×2表を作ってみていいですか? 医者がけっこうよくやるやつです。これによってデータを整理して、厳密な解析をしてみようと思います。
はい、ドン。
あなたが結婚しないかどうかと、お母さまが死ねないかどうかについては、この4パターンがあります。さっそく空欄を埋めて参りましょう。
まず、あなたが結婚しなかったときです。お母さまは「結婚するまでは死ねない」とおっしゃっていたので、複雑かつ緻密に専門的な分析を致しますと、つまりはこういうことかと拝察いたします。
「そうありたい」。まあこれですよね。かなり困難な検討でしたが、私は医者ですので、非常に論理的にこの結果を導きました。
さて、次に行きましょう。人体ってほんとうに不思議で、あなたが結婚しなければお母さまは死ねないとおっしゃっているようですが、人間の寿命というのはいつか必ずやってきてしまいます。ですから、左下の欄ですね、たとえあなたが結婚しなくても、じつはお母さまは……。
こうなのです。残酷ですが、これは医学的な事実です。エビデンスもあります。人はいつか死にます。悲しく、寂しいことです。
では次に、あなたが結婚したパターンも見てみましょう。あなたは、「結婚しないつもりはない」とおっしゃっていますので、つまり、厳密に考えますと、結婚される可能性があるわけですから、ここも検討の価値があります。
さてこのあたりから衝撃の事実なのですが、あなたが結婚しないと死ねないと言ったお母さまは、あなたが結婚しても、たぶん死にたくないと思います。データは不十分で追加検討の余地はあるにせよ、これまでの私の臨床経験から推測致しますに、空欄をこのように埋めることが可能かと考えます。
「そうありたい」。あなたが結婚したからそれで安心してはい死ねます、という人間って、えー、そのー、たぶんあんまりいないと思うんですよね。なんだかんだ、子どもの行く末を見てみたいんじゃないかな。たいてい。ここ、エビデンスレベルがやや低いですけれど、観察研究的にはまあ、こうだと思います。
そして……最後に残った枠。くり返しになりますけれども、とても悲しいことですが、人はみな、必ず寿命がやってきます。あなたが結婚したあとで、残念ながら、他の人と同じように、あなたのお母さんもいつか天寿をまっとうされる日が来ます。これはもう、間違いありません。早いか遅いかの違いはあれ。それが遅ければいいなと願いつつ。
……できました。
非常に稠密(ちゅうみつ)な検討の結果、結論が出ました。
あなたが結婚しなくても、結婚しても、お母さんは死ねない(そうありたい)。そして、人は、いつか死ぬ。
2×2表を用いることで、非常に明確で、かつ、少しだけ残酷な、でも、希望を抱きたくもなるような結果が導かれました。
いかがでしたか?
驚かれましたか?
無理もありません。こんなにはっきり結果が出るなんて、びっくりですよね……。
ただし、2×2表は、なんだか高校時代の数学の、統計学とか場合分けのようなものをほうふつとさせますね。人間味がないですよね。パッと見でよくわからないし。うっとうしくもある。
これでは、「説明のへたな医者」のそしりを免れません。
そこで、よりわかりやすさを追究するために、図にしてみましょう。情報を視覚化することは大切です。
そうそう、あなたはお母さまに電話がかかってくることを「生存確認」とおっしゃっているのだそうですね。滑稽さ、哀愁、人生の無常さ、軽いテンションが入り混じった、どことなく落語的なテンションを感じました。誰かから電話がかかってくるたびに「生存確認されたの?」と言われるお母さまのお気持ちはどんな感じかなーというのがちょっと気になったりはしますが……あ、そうか、言われてはいないのか、あなたの頭の中で親しみを込めてそう呼んでいるだけなら問題ないですね。まあ、お母さまの方も、あなたに直接言うでもなく、妹さんや弟さんとの会話の中で、(おそらくはあなたに聞こえるか聞こえないかくらいの距離感で)直接あなたに言うともなしに、「(あなたが)結婚するまでは死ねない」とくり返されているとのことで、これはつまり、お互いに、相手に直接言うではなしに「生存確認」「死ぬに死ねない」とおっしゃっておられるのかな、と理解をしました。というわけで、直接言っているわけじゃないからその言葉使いについては一切問題ないと結論しまして、あなたのおっしゃった「生存」という言葉が、なんだかぎょっとしつつも愛らしいなあと思いましたので、少々拝借いたしまして、グラフを作って見ました。
縦軸が生存確率。
横軸が時間です。
左のグラフが、あなたが結婚しなかった場合の、お母さまの生存確率です。これは本当に、人類という名の生物を生み出した物理法則や化学法則、あるいはそれを超越するような何か、そういったものを恨むしかない……という残酷な結果ではありますが、人間は生きていれば時と共に必ず生存確率が下がります。できればそのカーブよ、緩やかであれかし! と願うばかりでございます。
で、右のグラフが、あなたが結婚した場合の、お母さまの生存確率です。こちらは色を変えてみました。非常に丁寧にプロットしました。その結果二つを見比べてみましょう。暖色系は少し盛り上がって見えますから気を付けてくださいね。
わかりづらいですか? きちんと、厳密に解析しましょうか? では、グリッド線を引き、二つを厳密に比べてみました。
本当に驚きました! い、い、一緒です! ぴったりと!!!
まさかの結果に、藩士一同驚愕です。
つまり……じつは……なんと……。
お母さんの言う、「あなたが結婚するまで死ねない」は、根拠に乏しい、誤った認識、すなわち、誤解だったのです……。
「あなたが結婚するかしないか」と、「お母さんが死ねるか死ねないか」は、「独立の事象」と言えます。両者に相関関係がなく、因果関係もありません。
以上、大変クリアカットに証明できました。私も医師としての責務を果たせたような気がします。
しかし……。
ここで、あなたが、私の検討を参考にして、
「何言ってるの、私が結婚するとかしないとか、お母さんの生き死にとはなんの関係もないでしょ」
などと、一方的に、「正しい顔」でものを言うのは、果たして適切な対処法でしょうか?
このような状態を、俯瞰して、医学的に解析すると、こういうことになります。
「朗書体」はかつて正規のルートで私が購入したものですので、安心して使えます。皆さんも安心してください。ともあれ、このように、親子の関係、あるいは成人した人間同士で、「片方が正しくて片方が誤っている!」みたいな尺度で会話をするのは、なんか、対等じゃないです。
偏っているというか。
一方的というか。
とにかく、嫌な感じですよね。
正論を押しつけてくる医者って嫌な感じしませんか?
私はします。2×2の表を作ったりグラフを作ったりして、エビデンスを盾にとうとうと説明されても、
ハァーむかつきますよね。カチッと来そうです。いやいやこれは、まずいでしょう。人間味なさすぎるわ。不寛容ですよね。空気読まなさすぎ。そう思いませんか? 私は思います。
かと言って、ですよ、ここで、平等とか寛容ばかりを考えて、このような対処をするのも、やっぱりよくないと思うんですよね。
もはや何言ってるかわかんないですからね。これじゃ売り言葉に買い言葉ですね。パイ生地で菊練りするのと同列です。言える組み合わせを言いたいように言っただけでじつは倫理とかすっ飛んだセリフになってますよね。
そこで。
こういう、難しい問題を解くにあたっては。正誤を急がないのがいいんじゃないかと思います。
あの、ぜんぶひっくり返しますけどね。
2×2とか、グラフとか、クソですよ。
合ってるも間違ってるもないんですよ。
人のセリフってのは正しい正しくないで判断するものじゃないんですよ。
そこに毎回感情が乗るんですよ。
感情ってのは正誤で説明できない、しちゃいけないものだと思いますよ。
正解とかないんで、受け止めりゃそれでいいです。あるいは、
これでもいいと思います。
だってもう正解なんてないんだから。
正しいこととか誤ったこととかいう判定自体がまちがってるんですから。
何度言われても関係ありません。
「ああ、また感情が川を流れてきたぞ、ドンブラコドンブラコ」ってスルーしていいと思うんですよね。
でもその、あなたは、たぶんそんなこと、とっくにわかっていて、それでもなんかちょっとイラッと来ていて、なんとかならんか、正解はないのか、って、迷いを言葉に組み換えて、こちらに相談を送ってくださったんじゃないかとは思うんですけどね。
私も、一応そこまでわかってたんですけどね。でもまあこの原稿は、とりあえず書き始めなきゃ書き終わんないからなーって気持ちで、がんばって図を作りながら、必死で考えまして、そのー、結果がね、だいたいこうやって書いてきた感じになっちゃったんですけども、えぇー、なんと申しますか、私の努力と感情が伝わっていればいいなーと、今はそういう気分でいるわけですけれども、じゃあそれが具体的に何かの解決になったかと、えーとー、あー、そのー、ただまぁ、打つ手はないです。
どうで荘のみなさん、こんにちは。@SHARP_JP の山本です。ご入居の方におかれましては、各部屋に備え付けエアコンの試運転はお済みでしょうか。とか言いながら、どうで荘がエアコン完備な近代的アパートだとはとうてい思えません。やはりどうで荘には、風鈴や扇風機が似合う。あと浴衣と相撲。狭い部屋に男4人。私はそう思います。
さて、今回は全面的に打つ手がないお悩みでしょう。人間の思い込みほど、対処のしようがないものはない。その思い込みが善意にもとづいたものだとなおさらです。ましてやここは母から娘への思い込み。心配が愛情という行為の大部分を占める親子関係は想像に難くありません。心配が愛情の発露であるかぎり「心配するな」と言っても伝わるはずもなし。それゆえの圧や悲劇が日々どこかで、相談者のようなお悩みを生んでいるのだと思います。
ただしひとつ光明があるとすれば「私は別に結婚しないつもりもないし、嫁に行かないと言った覚えもない」という点ではないでしょうか。あなたは結婚についての態度を、これまでいっさい表明したことがない。ならばいっそのこと、お母さまへ宣言してしまえばいいと思うのです。「未来はわからない。だから未来を決めない」と。
ことほどさように未来はわからない。そればかりはお母さまも、自分の人生を振り返るまでもなく、ここ2年にわたるウイルスの猛威を思うだけでわかるはずです。未来はわからない。わからないからこそ、私は保留する。そう高らかに、お母さまへ宣誓したらどうでしょうか。
「宣誓! 私、娘一名は、そこそこの仲間とそこそこの仕事ができることに感謝し、なんでこうなったと愚痴りたくもなる見通しの立たない社会を呪いつつ、やっぱり私だってそれなりの幸せが欲しいと思うけど、私にとってなにが幸せかから模索せざるをえない時代と人生に、最後の一秒まで諦めることなく、正々堂々と未来を保留することを誓います!」
多少の軋轢は覚悟の上で、私とお母さんの時代は異なるのだと、高校球児のごとく全力で叫べばいいのです。私たちだって、そこそこがんばっているのです。その点は少なくとも私が保証します。
しかしまたここで問題が立ち上がることを、サラリーマンの私は同時に知っています。思い出してほしい。会社で選手宣誓する行為がどういうものだったかを。今期の売上ノルマを立てさせられる時。自らが組み込まれたKPIを設定する時。挑戦する項目をいくつも述べさせられる時。会社はなぜか、自分の都合を社員の目標にすり替えます。その証として、未来の達成を社員の側から宣言させる。その後に待ち受けるのは何か。報連相であり、期末の査定です。
つまりは、大人の宣誓には進捗が問われるのです。「未来はわからない。だから未来を決めない」と宣誓したとたん、母親からの「保留の進捗どうですか」がはじまるでしょう。そのしんどさは、在宅勤務でも仕事をがんばる相談者さんなら、よくわかると思います。ただまぁ、打つ手はありません。
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☆現在、入居者の皆様からのお悩みを大募集中!
【回答者プロフィール】
山本隆博
@SHARP_JPの運営者。どうでしょうをサラリーマン目線で見直すのが好きです。
病理医ヤンデル/市原真(43)
好きなどうでしょうはユーコンです。
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