シャープさんとヤンデル先生の相談室
〜ただまぁ、打つ手はないです〜
第19回
「公式」の先駆・シャープさんと、つぶやく病理医・ヤンデル先生が!
悩みを聞くだけ聞いて解決しない相談室を架空のアパート「どうで荘」で開設。
様々な「相談」に、各自の持ち場から答えていただきます。
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☆今回のお悩み☆
採血の際、腕の血管が逃げます。右手の血管はレジスタンスの様になっており、看護師さんによっては腕の中で針がマツケンサンバ並みに動きます。マツケンサンバが嫌な私は涙を流しながら「後生ですから、手の甲から、手の甲から採血をッ……」と懇願しますが、看護師さんのプライドを傷つけてしまうのか、マツケンサンバはさらに加速。ここは梅田コマ劇場かと思う位の熱演を繰り広げた結果、腕にはいくつかの注射針の跡と内出血の跡。次の日警察官に職務質問を受けたことは言うまでもありません。腕の血管が逃げないように説得したいのですが、どのように説得すればいいのでしょうか。嘘でもいいので教えてください。
(P.N:匿名希望の中川学)
こんにちは。
――追いかけると逃げるよ。
人って、そういうものだから。
チラチラこちらを振り向きながら、楽しそうに逃げていく。
クスクスと笑いながら。
手の鳴るほうへ。
アハハ。
とはいえ、追いかけないわけにはいかないんだ。
私たちは、大人だから。
そして逃げていくのは、子ども。
血管は無邪気な子ども。
子どもが逃げていくとき、責任ある大人は、腹を決めて追いかける必要がある。茶番であっても。くり返される諸行は無常であっても。追いかけるのは、子どもの体ではなく、心。大人はそれをつかまえにいかないといけない。
それはそれとして……マツケンサンバって、別にそんなに動かないよ。
あれ、ほぼその場で踊るから。ちょっと揺れながら。
だから、たとえとしてはおかしいよね。冷静に考えると。
なぜあなたは、おかしいたとえを使ったのかな。
それはたぶん、本当は血管がそれほど動かなかったから、ではないかと思う。
スルッと逃げたのかもしれない。でも、そんなに派手に動き回ってはいない。
つまりたぶん妄想。
血管が動き回るという妄想に、想像上のマツケンサンバを付与したから、とっ散らかったんだと思う。
ちなみに、マツケンサンバって、サンバじゃないからね。
サンバにボンゴ使わないし。4割くらいマンボで3割くらいルンバ。その正体はラテン風歌謡曲。
陽気だから踊りたくなるかもしれないけれど。
血管が逃げるときのたとえに使うような歌じゃない。
これについては、かわいそうだなと思った。
引き合いに出されて、かわいそう。
マツケンサンバがかわいそう。
本当はマツケンサンバIIなのに、省略されてるところもかわいそう。
「マツケンサンバが嫌な私は……」って、嫌われ損。ああ、かわいそう。
そういうこと言うから逃げられるんだよ。
なんか血管の気持ちわかってきた。
この際だから書いておく。
まず、「後生ですから」なんて言ってないでしょ。大げさでしょ。盛ったよね。
看護師のプライドがどうとか言ってるけど、看護師って「刺す場所変えてください」って普通に言えば変えてくれるか、変えないならその理由を言ってくれるよ。つまりはその看護師のプライドのくだりも嘘じゃないかな。適当にふくらませたでしょ。盛ったよね。
ぶっちゃけ、職務質問も嘘でしょ。まあこれはみんなもわかったと思うけど。
わかるよ。大人だもん。
ほかにも気になった点がある。
レジスタンスって抵抗運動だから、どっちかっていうと「テコでも動かない」ときに使うほうがしっくりくる。血管が何度も針を受け止めて、ぼろぼろになって、それでもしぶとく生き延びていく、みたいな意味で用いるならジャストなたとえ。でも、逃げる血管をたとえるにしては変だよね。あんまりそこまで考えずに書いたでしょう。「レジスタンス」って言葉の響きにうっとりしたかっただけじゃない?
あとさあ、梅田コマ劇場って、今はないよね。
梅田コマ劇場が閉館・移転して梅田芸術劇場になったのって1990年代だよ。当然、マツケンサンバIIなんて、なかった。
そういう時代考証の適当さも、ちょっと雑だなーと思う。
そして極めつけは匿名希望なのに名前書いてるとこ。でもこれなんかツッコミ待ちでニヤニヤしてるところが普通にちょっと寒いから、特にコメントはしません。おもしろくはなかったよ。
つまり今回のお悩みのほとんど全部が嘘と脚色。
でも、この中に、まったく真実がないかっていうと。
そんなこともない。
今日の相談は、ここからはじまります。
血管は確かに逃げたんだと思うんだ。踊ってはいないけど。
いくら話しかけてもスンって感じでまともに取り合ってもらえなかった、高校時代の同級生の女の子みたいに、はかなく逃げたんじゃないかな。
やるせないね。
焦燥感と無常感がじわじわとブレンドされながら、心の下水道を満たしていく。
そういう逃げられ方を、あなたは実際に経験したんじゃなかろうか。
そこだけは、嘘じゃなかったんじゃないかな。
そして、そのことに、あなたはきっと傷ついた。
違う? 違わないよね。
あなたは傷ついたんだ。
傷ついたって言っても、内出血の話じゃないよ。心に傷を負った。
逃げられるってのはさ。
つらいよね。
でもあなたは、つらかった話を、そのままぱっとお悩みには書かなかった。
嘘にまみれた形にした。
私は今、そのことをとても真剣に考えています。
あなたは、もしや、これまでも、自分に何かつらいことがあるたびに、そのつらさに真っ正面から向き合おうとするのではなく、いったんその負荷を、衝撃を、傷を、あたかも砂の中に宝物を埋めてなくしてしまうように、自分の中に取り込んでしまったのではないですか?
傷を、内面化してきたのでは?
傷をつけられた自分に、「傷をつけられて当然の理由」があるんじゃないかと心の奥を探ってみたり、
傷がついている自分のほうが「じつは本来の自分」なのではないかと、トボトボ思索の荒野を歩いてみたり、
そういう自分にまた、二重に傷つきながら、傷を追った自分を茶化したり、環境を笑ったり、あえてズレた例えを使ってアイロニカルにまとめたり、してきたんじゃないでしょうか。
違う? たぶん、違わないよね。
だとしたら。
腕の血管が逃げないように、説得しましょう。私も手伝うよ。本気で。
その説得はネタっぽくやっちゃだめだと思う。
あなたの送ってきた相談のように、カムフラージュ過剰で、本当の心がどこにあるのかわからなくしてしまうと、たぶん、だめなんだと思う。
だからさ。
まっすぐ、説得しよう。一度でいいからしっかり向き合おう。
逃げるな!
血管、逃げるな!
戦え!
私たちが、ついてるから!
以上が、今の私の、精一杯のアドバイスです。匿名希望の中川学さん、健闘を祈ります。
あと今日のこの長い長いホラ話を読んでうっかり感動した人がいたとしたらちょっとそれについては打つ手がないです。
どうで荘にお住いのみなさまにおかれましては、健やかにお過ごしでしょうか。私はそれなりに健やかです。ことほどさように医療の現場に注目と負荷が寄せられる時代にあって、幸いなことに私はお医者さんにかかりっぱなしということはありません。ここでお悩みの回答を担うもうひとり、ヤンなんとかも医療の従事者ですが、ほんとうにご苦労さまと思います。
では今月のご相談です。採血がいつもうまくいかず、何度も何度も針をぶっさされるからどうしたらいいでしょう、という内容です。これまた幸いなことに、私は採血されることに苦労するという経験はありません。しかし会社の健康診断なんかで「なかなか順番が来ないな」と顔を上げると、射す方も射される方も四苦八苦していたり、あるいは採血という行為に気分が悪くなり別室へ運ばれる人もいたりして、なんとも気の毒だなと感じます。ちなみに気分が悪くなった人は翌年も運ばれていました。
自分の身体の状態を調べるためにするのが採血ですから、治す治さない以前に、治療のスタートラインに立つ段階から苦労を強いられるのは、なかなか奮闘の気がそがれるだろうと思います。加えて採血の苦労にはそもそも、する側の熟練度と、される側の血管の特性という、原因の二面的複雑さがあるはずです。しかし相談文を読む限り、採血のうまくいかなさは終始、ご自身の生きのいい血管(というと医療の現場における矛盾が生じそうですが)にあると自ら語られています。決して看護師のせいだとはおっしゃいません。そこに私は相談者さんの、医療に従事される方への配慮、言葉を変えれば「注射のプロフェッショナル」への敬意を、ほのかに感じます。
プロフェッショナルに注文をつけるのは勇気がいります。ある事象や行為について、明らかに自分より経験量もスキルも多い相手へあれこれ言うことに、私たちはためらいをおぼえます。なにせ向こうはプロですから。飲食店へ入って、うまいまずいはともかく、作り方まで指示する人はいないでしょう。私もこういう仕事が長いので、ようやく言葉のプロという認知が進んできたのか、さいきんは言葉の選び方について社内からあれこれ指定されることはなくなりました。うまいまずいは相変わらず言われますが。なので、相談者さんも「後生ですから」という懇願というかたちでしか、プロに注文をつけることができないのでしょう。結果、腕の注射跡は増えるばかり、とは相談文に書かれているとおりです。
ご相談には「逃げる血管の説得方法を教えてくれ」とあります。私には不随意筋の管理方法などわかりません。だいたい随意の筋すらうまくコントロールできない、極度の運動音痴で知られる私です。尋ねる相手を間違っています。とはいえ、なかやまきんに君ですら、筋肉に聞いても答えはわからず、筋肉はルーレットだとおっしゃっています。きんに君でも無理なのですから、われわれが「逃げるのかい?逃げないのかい?」と自らの血管に説得を試みても、成功するはずがないと思われます。つまり注射をされる側に、打つ手はないのでしょう。やはり採血は、注射のプロが成否を握る領域なのだと思います。
と、ここまで私は胸騒ぎを覚えながらも、その胸騒ぎがいったいなにかを把握しないまま回答を進めてきました。回答も終盤に差し掛かるいま、胸騒ぎの出元を探るべく、ペンネームのお名前を検索してみたのです。そこでわかったのは「相談者さん、あなたもプロですよね…?」ということでした。
もちろん相談者さんがプロの作家さん、それもマンガ家さんであることは推測の域を出ません。私には確かめる術もありません。しかし、この相談文の流れるようなおもしろさ、客観性と躍動感にあふれた血管描写力、そして必要以上に語られるマツケンサンバへの多幸感に、私は一読目からただならぬ胸騒ぎをおぼえていたのでしょう。これはプロの仕事だ、と。
であれば、なおさらです。プロに注文をつけるなど、私にはできません。私にはそんな勇気はありません。私が申し上げることができるのは、この相談文で綴られたお悩みをぜひマンガで読ませてください、それだけです。ただまあ、打つ手はありません。
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山本隆博
@SHARP_JPの運営者。どうでしょうをサラリーマン目線で見直すのが好きです。
病理医ヤンデル/市原真(45)
好きなどうでしょうはユーコンです。