シャープさんとヤンデル先生の相談室
〜ただまぁ、打つ手はないです〜
第17回
「公式」の先駆・シャープさんと、つぶやく病理医・ヤンデル先生が!
悩みを聞くだけ聞いて解決しない相談室を架空のアパート「どうで荘」で開設。
様々な「相談」に、各自の持ち場から答えていただきます。
お悩みはこちらからお寄せください
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☆今回のお悩み☆
シャープさん、ヤンデル先生、こんにちは お二人に聞いて欲しい悩みが一つあるのですが、それがうつ手がない悩みなのか?この悩みを相談していいのか?と言う事にも悩んでしまって。悩みってなんでしょうね笑。
世の中は、コロナがなんとなく明けたような空気があり、飲み会が解禁みたいな雰囲気を醸し出し、飲み会の活気が戻りつつあるこの頃。 先日、半年程前に赤ちゃんの生まれた友人に会ってきました。
赤ちゃんの機嫌も良く、沢山笑ってくれて、可愛かったです。 その友人はチャゲアス好きで知り合った古い友人なのですが、その他の古い友人も集めて、久しぶりにお披露目会を企画しました。
そのチャゲアス好きの古い友人の中に、一年半前に、奥さんを亡くした友人がいます。企画をしたときに、すぐ反応してくれたのは彼でした。
彼 「ありがとう。その日は奥さんの誕生日なので、申し訳ないけど欠席します🙇🙇」
自分 「了解です。一杯楽しかった事を、思い出して下さい。今度、個人的に飲みましょう。」
自分の返信もこれで良かったのかと思いましたが、その後、違う日に個人的に飲もうと誘ったら、心良く承諾してくれ、後日二人で飲むことになりました。
二人で会った際、彼に何を言ってあげればいいのか、それとも何も言わない方が良いのか。なるようにしかならないとも思いますが、それでも経験豊富なお二人に、ご意見、アドバイスなどを頂きたいと思い、質問させて頂きました。 よろしくお願いいたします。PN:M.H
こんにちは。お手紙ありがとうございます。こちら、もしかしたら「期限切れのお悩み」ではないかと懸念しています。
たぶんその飲み会、もう終わってますよね……? お手紙をいただいてからどうで荘のホームページに掲載されるまでおそらく、1か月以上の時間が空いているはずですので。
となると私から申し上げるべきことは、「あなたのとったそのやり方ですべてOKです」以外にないです。全肯定です。病理医風に申し上げると、全アグリー(同意)です。
ただ……「申し上げるべきこと」なんて、このコーナーでは求められていないかもしれません。
「“やるべきこと”ではない! 『成し遂げること』を目指してはいけない! やりたいことを、やりたいようにやるのだ!!」
(大童澄瞳『映像研には手を出すな!』)
『映像研には手を出すな!』の浅草みどり氏の言葉です。本当にこれだと思います。
以降、「私が言うべきこと」ではなく、「私が言いたいこと」を書きます。
人間が二人います。連れ添って同じ場に赴き、同じテーブルに付きます。相手の顔がよく見える位置に座ります。
ただし両者とも、相手の顔を正面からガン見するわけではありません。それだとなんか、はしたないというか恥ずかしいという気持ちがあります。
そこで、互いに「目線のやり場」が必要となります。
具体的には、食べ物なり飲み物なりを、テーブルの上、すなわち二人の「間」にあるスペースに置きます。
すると、途端に楽になります。
相手を深々とのぞきこむ必要がなくなって、「間」にあるものをお互い見ればよいからです。そして、ときどき、ちらっと相手のお顔を見たらいい。ほどほどに。
飲みの席とはつまりそういう場なのだと思います。
ちなみに「間」に置くのは料理や目線だけではありません。「話題」もです。
相手と自分がいて対話をするとき、語る題材が「相手の心の芯にあるもの」もしくは「自分の心の芯にあるもの」だと、けっこうしんどいです。
お互いによく見えて、お互いの手が届くような、ほどほどの距離にある「間」のところに話題を設定します。
お互いが別角度から眺めて、何かを付け足したり、手を伸ばして少し変形させたり、口に運んで味わってみたりする。同じ料理を食べるように、話題もシェアするのです。
すると、二人の間に、何か新しいものが生まれてきます。
すべての料理が終わって下げられて、さあ帰ろうかとなる直前の一瞬、テーブルを見ると、そこに余韻と共に、「その日新しく立ち上がった何か」が見えてくる気がします。
これが、他者と「間」を共有するということです。
自分の中から湧き上がってくるものを自分で眺めて自分で結論を用意するのとは、全く違いますよね。
今のM.Hさんは、その彼との会食を終えられているのではないかと思うのですが、もし今、その日のことを振り返って、
「何かを言ってあげるべきだったのか、それとも何も言わないべきだったのか」
お悩みなのでしたら、そんな「べき」なんぞはどうでもいいことですのであまり気にしないでください。
やりたいことをやりたいようにできていれば何よりです。できなかったかもしれませんが次またやってみてください。
でも、もし、当日のことを振り返って分析して次に活かしたいと思われているのでしたら、ひとつ視点を足してみることをおすすめします。
「間」はどうでしたか? という視点です。
私たちはつい、「彼にとってどうだったろうか」とか、「自分にとってどうだったろうか」ということを考えがちです。しかし、とにかく飲み会というものは、もしくは対話というものは、基本的に、相手そのものとか自分そのものに直接触れて変化を起こすためのものではないです。
何かが起こるのは、いつだって二人の「間」の部分です。
「何かを言ってあげたことで、彼と私の間にはどういうモノが立ち上がってきたのか」
「何かを言わなかったことで、彼と私の間で何がどう変化したのか」
彼とご自身との間で生成されたもの、変化したものを見て、判断されたらよいのではないかと思いました。
もちろん、すべては終わったことですので本日のお悩みについては打つ手はないです。でも、たまたま、まだ飲み会が行われていなかったとしたら……? いや、それでも、これはあくまであなたと彼の間に立ち上がってくるものの話あり、私とあなたの間に立ち上がってくるものの話ではないので、私としてはやっぱりまあその打つ手はないです。
どうで荘にご入居のみなさま、最近だれかと飲酒しましたか。私も時々、だれかと飲酒しています。結局どこからいつなにが解禁になったのか、明確な線引きもわからないままにぬるっと変化した毎日ですが、少なくともだれかと外で飲むという選択に、ほとんど逡巡がいらなくなったことは、ありがたいことだと思っています。言いたいことがあろうがなかろうが、のべつまくなしにしゃべろうがぽつぽつ口を開こうが、声の届く範囲でだれかと飲むのが、私はやっぱり好きです。
では今月のお悩みです。重いです。さっきこの原稿の下書きファイル名を見たら、打つ手がない相談室もどうやら今回で17回目のようです。解決をあらかじめ放棄した相談室とはいえ、毎月の連載を続けていると、回答するのに気が重い回と、そうでもない回があります。その気の軽重はひとえに相談内容によるのですが、どこに重さを感じるかは、つまり「死」です。どうで荘管理人から月末に送られてくる相談内容に、死の文字があったり、死の気配を感じたとたん、私は自分の喉がキュッと閉まる感覚を覚えます。生老病死とはよく言うけれど、「おもんぱかれなさ」でいえば、死ほどわからないものもないと思います。
ですから今回は重いです。激重です。まだ最近といっていい過去に奥様を亡くされた友人とひさしぶりに飲む時の態度を、相談者さんはお悩みです。相談文には、再会のきっかけが共通の友人に赤ちゃんが生まれたことであるとも記されていました。その生と死のコントラストに、相談者さんも気後れする気配が感じられ、私も胸が詰まります。
それにしても敬服するのは、相談者さんがその友人を、ちゃんと誘うところだと思うのです。私を含めたほとんどの人は、悲しみに暮れているであろう人のことを「そっとしておく」というかたちで思いやろうとします。私たちは、悲しいことがあった人を前にして、その悲しみの種類には想像がついても、それが本人にとってどれほどの悲しさなのか、ほんとうのところはわかりません。そして私たちは、わからないならば立ち入らず、そっとしておくべきだと判断してしまう。その判断には、なにもできない自分を正当化するような、自身への言い訳が含まれているのですが、ともかく私たちは、思いやりを「時間が解決してくれる」という可能性に丸投げしがちです。
そこを相談者さんは、そっと、でもちゃんと誘う。よかったら来ないか、あるいは飲みに行かないかと、そっとしておきません。おそらくご友人も、相談者さんの毅然とした「ほっとかない」気遣いを感じ取り、だからこそ飲みに行く約束に応えようとされたのだと思います。
だから相談者さんの思いやりは、この時点ですでに達成されているのではないでしょうか。ご友人はもう、あなたの思いやりを受信している。そしてすでにいくらか慰められているのだと思います。相談者さんは約束の日当日の態度を決めかねていますが、飲んでいるあいだは、友人の悲しいできごとについて言っても言わなくても、きっとだいじょうぶなんだと、私は思います。
飲んでる間も、別に陽気にふるまう必要もないと思います。煽るように酒を飲む必要もないと思います。たぶんご友人の悲しみは、にぎやかな一晩を過ごしたり、前後不覚に酔っ払って解消するような種類のものではありません。ただふつうに、目の前の料理を食ってうまいねと言えばいいし、次なに飲む?と相談しながら、あなたの近況を、あるいはチャゲアスの近況を話せばいいだけだと思います。その上でもし、ご友人が自分の抱える悲しみについて話されるなら、その時は友人のグラスの空き具合を気にしながら、じっと聞いてあげてください。そうやってふたりとも、ふわふわと酔っぱらうことができれば、それでもうじゅうぶんではないですか。
ただし一点だけ。飲み会はできれば少し早めに切り上げてください。いくらふたりの話が盛り上がろうとも、ふたりの酔いが心地よく進もうとも、できれば終電ギリギリではなく、小一時間ほど早めに切り上げ、もう一軒ひとりで飲み直せるような時間を作ってあげてください。もちろんあなたの誘いも、気遣いも、なにげない話も、確実に友人を慰めます。しかしやっぱり、彼の悲しみをなかったことにはできません。
われわれには、自分で慰撫するしかない感情というものがあります。孤独とか喪失に関わる悲しさは、それに類するものだと思います。ご友人があなたに悲しいできごとを話すのか話さないのか、私にはわかりません。しかし少なくとも、あなたと会うことで、あらためて悲しさが輪郭を持った夜の最後は、友人がひとりでその悲しさをそっと撫でる時間で終わるべきだと思うのです。
しかし、ご友人がひとりで飲み直す時間は、一概に悲しい時間とは呼べないはずです。ひとりで反省したり反芻したりする時間は、今日までのあなたの気遣いも、あなたとの今日の思い出も含まれているはずです。だから心配することはありません。ただ、友人の悲しみを癒すのは友人にしかできないのです。そしてそのためには、われわれがおもんぱかれない「長くて静かな時間」が必要なのだと思います。ただまあ、打つ手はありません。
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【回答者プロフィール】
山本隆博
@SHARP_JPの運営者。どうでしょうをサラリーマン目線で見直すのが好きです。
病理医ヤンデル/市原真(45)
好きなどうでしょうはユーコンです。