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シャープさんとヤンデル先生の相談室
〜ただまぁ、打つ手はないです〜

第10

 

「公式」の先駆・シャープさんと、つぶやく病理医・ヤンデル先生が!

悩みを聞くだけ聞いて解決しない相談室を架空のアパート「どうで荘」で開設。
入居者からの「相談」に、各自の持ち場から答えていただきます。

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☆今回のお悩み☆

仕事と子育てどう両立すればいいと思いますか?奥さんは子育てで大変そうだけど仕事をして稼がないと子育てが色々しんどくなるジレンマです。

(PN. たいさん)

 

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どうで荘にご入居のみなさま、新年おめでとうございます。どうかみなさまの一年が、楽しくて実りの多い年でありますように。とはいえ今年はどうでしょうの新作が控えていますから、藩士のご多幸は保証されているのかもしれません。とにかく「滑り台とはなにか」を見届けることが、卯年の使命になりそうです。

 

さて新しい年のお悩みです。なんとも今っぽいテーマが寄せられました。子育てと仕事の両立。人類は太古の昔から連綿と子育てと仕事を行なってきたはずなのに、いまだ頻繁に問いかけられる悩みです。こんなの、人類の叡智でとっくに解決していそうなものですが、どうやらそうではないらしい。たいして歴史を学んでこなかった私ですが、子育てと仕事の両立について語られた古典や神話、あるいは子育てと仕事を命題にした哲学書など、ついぞ見かけたことがありません。

 

率直に申し上げて私は、毎日のようにSNSやメディアで目にする「子育てと仕事の両立」に、やや食傷気味です。なぜなら議論されるそれらはことごとく、子育てvs仕事の二項対立として語られるからです。子育てと仕事の両立といいつつ、議論はいつも「どちらかを選べ」あるいは「どちらかを諦めろ」と、当事者たちに迫ります。どちらの言い分にも、背景に「私たちもそうしてきたのだから」という無言の説得が感じられ、私はだんだん怖くなってくるのです。

 

メディアでもSNSでも、時に家電や時短を話題の入り口にしつつ、子育ての敵は仕事、仕事の敵は子育てと、それぞれがそれぞれの敵を語ります。もちろん私たちの時間は有限ですから、何事も優先順位をつけ、取捨選択せざるをえない、のはよくわかります。ですが問題を考える前に、お互いを敵と睨みあう、二項対立の構図そのものが、悩める人へ否応なくしんどさをふりまいているようで、私はそこに食傷しているのです。

 

どうして二項対立にうんざりするか。だって子育てと仕事はそもそも、まったく違うものじゃないかと思うのです。子育てと仕事は、相手が子どもと大人。対峙する他者がちがうから、そこに適用される常識もちがうはずです。使う言語もちがうし、研ぎ澄ます五感もちがうから、おそらく働く脳の部位も異なるのではと思います。疲労の質もぜんぜんちがうでしょう。

 

つまり子育てと仕事は、すき焼きとしゃぶしゃぶの違いよりもっとちがう。風呂と電卓ほどちがう。子育てと仕事は、テニスとサッカーの違いよりずっとちがう。自転車と囲碁ほどちがうのです。なにもかもがちがう。なのに子育てと仕事はなぜか、みんなちがってみんないい、とはなりません。

 

どちらも満足に経験したわけでもない私が言うのも僭越ですが、そもそも子育てと仕事は比較が成立しないほどに、ぜんぜん違う人間の営みです。だから二項対立する子育てか仕事か論争を見ていると、だんだん私は、解剖台のミシンと傘が描かれた、シュルレアリスムの絵を眺めるような気持ちになってきます。ただしシュルレアリスムはまったくちがうモノが偶然出会う時の美しさを問う表現ですが、この場合はまったくちがうモノを対立させているわけです。対立が両立を阻むのは明らかでしょう。

 

そういえば昔の人類は「子育てと仕事なんてまったく別もん」として扱ってきたのかもしれません。だから子育てと仕事の両立をテーマにした古い書物も見当たらないのではないか。そんなことまで思えてきました。

 

だからといって「昔に戻れ」なんて、さすがの私も思いません。私たちは昔の人類ではないし、われわれはいつも圧倒的に時間が足らない。下手したら、生きるための金まで足らない社会に置かれそうになります。そこで「どうしてこうなった」を考えだすと、入り組んだ社会や政治の問題に立ちくらみしそうになりますが、ともかく幼子を抱えた大人はなんとかふんばり、やりくりしなければいけません。なかなかしんどい時代です。

 

ならばいっそ。ならばいっそですよ。心の上では「ぜんぶを仕事にしてしまう」のはどうでしょう、とも思うのです。子育てを仕事として同列に組み込む。つまりは相談者さんも奥さまも、どっちも仕事人です。あらゆる「やるべきこと」はシームレスに並べられ、ただただ効率とコストパフォーマンスを指標に、ふたりに(場合によっては夫婦以外のメンバーに)割り振られるのです。そしてとうぜん、ぜんぶが仕事なのですから、その対価も成果もチームで享受します。

 

わかっています。私だってわかっています。「子育ても仕事に」なんて、そういうドライさに徹することができれば、どんなに楽か。ここまで書いてきて私も、それができれば苦労はしないと、しみじみそう思います。打つ手はないのになんとかしなければならぬ。まさに子育てと仕事の両立は、その際たるものなのでしょう。結局私には、相談者さんと奥さまに「ごくろうさま」と声をかけるしかできないようです。

 

ただし、かろうじて光明があるとすれば、私たちの周囲にはたいていいつも「なんとかなった」人たちがいることかもしれません。子育てと仕事の両立は、打つ手がない問題です。ですが、打つ手はないけどなんとかなったと述懐できる問題でもあります。しんどい時でも、「私たちもそうしてきたのだから」と無言の圧をかけてくる顔も知らない先達のアドバイスをうまく避け、「なんとかなった」と朗らかな顔をしている身近な先輩を見ることはできます。

 

とはいえ、そういう人は具体的にどうしたか聞いても、「忙しすぎて覚えてない」と笑うんですけど。ただまぁ、打つ手はありません。

 

 

 

 

こんにちは、病理医ヤンデルです。いよぉーし、本日も粛々と悩みましょう。ええ、悩みます。きれいな回答は無理だなこりゃ。思いついたことからダーッと書きます。

 

最初に……あなたが一行目に用いていらっしゃる言葉、世の中でもかなり便利に使われている「両立」という言葉、これがよくないなーと思いますねえ。あーいやいや、文句言ってるわけじゃないです。なんでそんな言葉を使うんだ、っていう意味ではなくて、「言葉に呪われてるんじゃないかなあ、大変そうだなあ」って言いたい。

「両立」って言葉が私たちの生活をちょっと面倒にしてしまっているのではないかと感じる今日この頃です。

キャリアと家庭を両立、とか、仕事と子育てを両立、とか、みんな、日頃からあまり考えずに使ってしまっている言葉ですけれども、そんな、あのね、この話はね、両方いっぺんに立てられるほど簡単な案件じゃないんですよ。脊髄反射的に「両立」って言っちゃってるけれども。いやいや、そんな簡単じゃないんですって。ねえ。

 

「仕事」も「子育て」も、どちらも言ってみればお遍路をゆっくりゆっくりまわるみたいな行為でしょう。それだけに「かかりきり」になって一歩一歩進んでいったとしても、天候とか、ロープウェーの運行状況とか、クリームパンの奪い合いとか、いろいろままならないものに左右されて、予定通り次の札所に行けるかどうかは時の運みたいなところがあるわけです。「かかりきり」だったとしてもですよ。それがあなた、お遍路と番組の取れ高を両方なんとかしろ? どう考えても無理でしょう? なのに我々は人生で、「お遍路をまわって受験生の合格を祈願しつつ、おもしろいことも言え」みたいな無茶ブリをされるんですよね。

どだい、無茶なんですよ。

ところが、世の中に「両立」なんていう迷惑な言葉がありふれているせいで、なんとなく、「両方やってやれないことはないのかな?」みたいな気持ちになってしまうんですね。これはもう認知のゆがみを生み出す呪いの言葉です。

 

次に、「仕事」と「子育て」が、それぞれ1つの案件みたいな感覚でこの相談の文章を書かれてるような気がしますけれどもね、仕事って、じつは複数の案件を同時にやっていくことなんですよ。子育ても、なんと複数の案件を同時にやっていくことなんですよ。

わかります?

仕事をきちんとやろうと思ったら、例のいまいましい「両立」みたいなことを、毎日言われ続けることになります。そう思いませんか? あれをまとめとけ、こっちは会議しとけ、そっちは学んどけ、どこかでコミュニケーションしとけみたいなことばかりじゃないですか。基本マルチタスクでしょう。

子育ても同じで、「両立」「両立」の雨あられです。そう思いませんか? あそこを面倒みとけ、これを作っとけ、それは片付けとけ、どこかでコミュニケーションしとけみたいなのが延々と続くんですよ。めちゃくちゃマルチタスクです。

そして極めつけには、仕事も子育ても、基本的に「フルの休日」ってないんですよね。負荷の波はあるんだけど、それがゼロになるってことはない。

 

となるとね。仕事だけで両立、子育てだけで両立して、さらに仕事と子育てで両立って、あなたそりゃ、いくつ両があると思ってるんですか。よっ、千両役者。やかましいわ。

 

何が言いたいかっていうとですね、「仕事」と「子育て」と、二項を立てて両方なんとかしたい、みたいな前提に無理があるし、そもそも仕事だけやっていようが子育てだけやっていようが、「両立」みたいなものが求められる限り、人間はいつも、過剰なマルチタスク状況を強いられるんですよ。

どちらかだけであっても無理なのに。

 

そこで我々の「先輩方」はどうしてきたかっていうと……。

あそこで「両立」してるような方も、あっちで「専業」してるような方も。

まあ……小声で言いますが……みんな適度にサボってますよ。

 

仕事でやらなきゃいけないあれこれを、全部やってる人なんていません。なんでもこなしてすごい! みたいなバリキャリの先輩も、もちろん非常に高いレベルでいろいろこなしているのはその通りなのですが、どこかで必ず手を抜いています。仕事において絵は描かないとか。取引先との会話は減らすとか。そうじゃないと、千手観音でもない普通の人間は絶対に無理なんです。

 

で、家事や子育てについてもそれは全く同じで、じつは全員がほどよくさぼってます。子どもに対して完璧であろうとしたところで子ども以外の家族に対しては手を抜くことになるし、そもそも、「完璧な親」なんていませんよ。子に教えられることばかりですし。

 

そんなこと、ネットでも現実でもみんなが言ってますよ。サボりかたを覚えよう、みたいなね。

でも同じネットの中に、「両立」っていう言葉があるばっかりに、なんとなく、「仕事」と「子育て」はどっちもやってかないとダメなのかなー、許されないのかなーみたいに、圧迫されちゃうんですよね。

 

だからね、両立なんて言葉から自由になりましょう。

我々はどっちにしろ、仕事だけをしようが、子育てだけをしようが、マルチタスクにあわあわしながら、適度にあっちを立てたりこっちを立てたりを微調整しつづけて、それでなんとかやりくりしていくものです。だったら、たとえば、「仕事というマルチタスク+子育てというマルチタスク=仕事と子育てというマルチタスク」みたいにね、1+1=2ですけど、「たくさん+たくさん=たくさん」みたいに考えてね、はい、数学からも自由になりましょうね、いいですか、そんなまじめに考えてないで、思考も多少はサボったほうがいいですよ、でね、たくさんのできごとを簡単に「仕事 VS 家庭」みたいに切り分けるんじゃなくてね、家族みんなで協力しながら、「全部はむり!」っていう気持ちを共有してですね(これ大事)、その場その場で、今はこっちを大事にしようかな、今日は13番札所までとりあえず一緒にいこうかなという感じで、随時相談しながらやりくりしていくということでどうですか。マルチタスクにはマルチメンバーでマルっといくしかないんじゃないか。

 

ねえ。

 

それでもなお両立したいって言われたら、まあその、打つ手はないです。

 

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【回答者プロフィール】

山本隆博
@SHARP_JPの運営者。どうでしょうをサラリーマン目線で見直すのが好きです。

病理医ヤンデル/市原真(44)

好きなどうでしょうはユーコンです。

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