シャープさんとヤンデル先生の相談室
〜ただまぁ、打つ手はないです〜
第9回
「公式」の先駆・シャープさんと、つぶやく病理医・ヤンデル先生が!
悩みを聞くだけ聞いて解決しない相談室を架空のアパート「どうで荘」で開設。
入居者からの「相談」に、各自の持ち場から答えていただきます。
☆現在、入居者の皆様からのお悩みを大募集中!
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☆今回のお悩み☆
父が67歳で定年、再雇用でまだまだ働くサラリーマンです。平日は仕事、土日はパチンコと忙しそうですが、母が仕事辞めない?ゆっくりしたら??と父に話します。ただ、父の生きがいは仕事であり、その他はオプションなので、やめた後の反動が気になります。私は仕事は続けてほしいと思うのです。なぜなら、生きがいだけでなく、熱意で生きるタイプなので。父は高卒で、学歴を忌み嫌っていて、子供は大学へ!と話し、私は大学に行けました。またマイホーム購入で67歳で一軒家をガッツリ買うと話しております。すごい父親をもったなーと誇らしく思います。母の意見もわかるし、父の性格もわかるので、悩ましいです。母や父にどんなアドバイスやコメントをすれば良いでしょうか。。
(PN:きむら さん)
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毎度お世話になっております。
これはですね、きむらさん、分身しましょう。一人でやることではないですね。なぜなら話を聞く相手がここには3人いるからです。なので3体になってください。きむらA、きむらB、きむらB’(ビーダッシュ)とお呼びします。
きむらAさんへ:
あなたはお母さん担当です。今回のお手紙で最初に、「背中にそっと手をあててお話をおうかがいしたい」と私が個人的に思ったのがお母さんなので、まあ全員にちゃんとお話は聞きたいんですけれども、やはりまあ筆頭はお母さんです。お母さんの「意見」はきむらさんご自身もよくおわかりだと思います。それは「仕事辞めない? ゆっくりしたら?」ということですよね。しかし、これは直感ですが、まだ十分にお母さん自体の「感情」を聞き取れていない気がします。「なぜお父さんに仕事を辞めてほしいのか、なぜゆっくりしてほしいのか」の部分を解像度5000倍くらいでクローズアップしましょう。ズームが甘いと「さみしいから」みたいな話で終わってしまいますけれど、それだと、いやいやまあ人間誰もがさみしいんでしょうがないよね、みたいな塩対応になってしまいがちでよくありません。そうではなくて、お母さんご本人の口から、「お父さんに仕事やめてほしいのはなぜ?」「お父さんが仕事やめてゆっくりするとなったら、どうしたい?」「お父さんが仕事やめない、けど、お母さんの言うこともまあわかるよって言ったとしたら、次に何を言いたい?」みたいに、お母さんが語りたいこと、あるいは、まだ語っていないこと、もっと言えば、言葉にできていない情動的な部分を言葉にするお手伝いまで含めて、しっかり、じっくり、余すところなく、いやまあこれはそもそも終わりもなく途方もないんですけれど、とにかくじっっっっっっっくり聞いてみましょう。そこを丁寧にやるというのがきむらAさん、あなたの役目です。
きむらBさんへ
あなたはお父さん担当です。お母さんから「仕事辞めない? のんびりしたら?」と言われているとき、お父さんはどういう感情でいらっしゃるのでしょうね。「いちいちうるせぇなあ」と思われているのか、「いつもそうだったけれど心配しすぎだ」なのか、「いや、大丈夫だ、もっともっと幸せにしてやる」なのか、可能性としてはいっぱいあるんですけれども、そこ、まだ見えていない話があるかもしれません。気丈に振る舞う裏に不安が控えていないでしょうか。なんとなく大丈夫そうな雰囲気をきむら(合体バージョン)さんの文面から読み取れますが、「お父さんは熱意があるから-大丈夫だろう」の、熱意がある、の部分と、大丈夫、の部分をすぐに繋いでしまうのは尚早かなとも思います。幸い、先ほどきむらAさんがお母さんとじっくりお話をされるとのことでしたので、それと同じくらい……とは言いませんが三分の一くらいの時間をお父さんにもぜひ。それがきむらBさん、あなたの役目です。
きむらB’さんへ
「そこはきむらCでいいだろ!」とツッコんでいただきたかったのですがツッコめましたか? さておき、あなたは「あなた自身にお話を聞く」役目です。67歳でまだまだ働いてこれから家を一軒! というエネルギッシュなお父さんと、それを心配そうに見つめながら控えめに自分の主張もなさっているお母さん、両者の間であなたはいったいどういう精神状況なのか。私はですね、個人的には、あなたも話を聞かれるべき存在ではないかなと思いました。仲の良さそうなご家庭で、「大学も出していただいて」、感謝こそあれ不満はないよ、というくらいの雰囲気を感じますけれども、お父さんとお母さんの微妙な差みたいなものを間に立って眺める人間には、死にゃあしねぇけどさ、ちょっとした「微細な引き裂かれ」がある気がするんですよね。いや、死にゃあしねぇんだけどさ。そういう引き裂かれ、もっと気軽に誰かに聞いてもらっていいと思います。死にゃあしねぇけどさ。
今回こうして、一切解決するつもりがない破天荒なお悩み相談企画にメールを送って頂いたのは大英断だったなと思います。お父さんやお母さんが送ってきたわけではなく、きむらさんがメールを送られてきたのですから、私はきむらさん自身のことが少し気になった、というわけです。そういう相談ムーブ、あなたはもっと頻繁になさっていいと思いますよ。もっとも、話し相手もそうそう潤沢に世に満ちあふれているわけではないので、困りますよね。ただこの度、機会あってあなたはすでにAとBとに分裂しておりますよね。だったら、Bさんの一部のエネルギーを借りるくらいの勢いで、「お父さんと向かい合うときのあなたの影」みたいな役割を引き受ける、B’さんにも登場して頂いたわけです。きむらB’さんは、あなた自身の話をもっとじっくり聞いてあげてください。
はい、今回のお悩みに関する私からの感想は以上です。全体的にもっと話をしましょう。「もっと話をする」は令和の流行語大賞にしてもいいくらいだな! と今の私は確信していますが、よく考えると、かつてとあるバラエティ番組が、局所的に流行語大賞にしてしまったセリフ、「腹を割って話そう」というのは、あれ……すばらしいですね……感動するな……。話をしてください。でもだからと言って基本的にはとっくに大人のお父さんととっくに大人のお母さん、最終的にはその二人の問題、というかコミュニケーションのきっかけがコトの本質なのであって、できればあなたは聞き役に徹して、今後は当事者であり続ける必要はないんじゃないかなーとも思いますので、だからひとまず現時点で打つ手はないです。
どうで荘にご入居のみなさま、師走いかがお過ごしですか。私はダメです。年々しんどい。起こったことに対処する、頼まれたことをやるという、熱意も意識も低い仕事ルールを敷く私に、気力と体力の低下が追い打ちをかけます。増え続ける一方の頼まれごとに、私は疲弊を差し出すことでしか乗り切ることができません。ウンウン考え、ヨロヨロ動き、ヘトヘトになる一方です。
すでにヘトヘトな私ですから「67歳で定年、再雇用でまだまだ働く」という、相談者さんのお父さまには、素直に頭が下がります。老いてなお盛ん、老いても気力が漲り続ける境地とは、私にはちょっと想像がつきません。
少なくともサラリーマンという、雇用を条件に「させられる」種類の仕事において、自身の衰えを内なる熱意でもって補えるとは、私にはとても考えられないのです。だから相談者さんのお父さまも、あえて「今から一軒家を買う」と家族に宣言することで、内なる熱意を外部化し、半ば強制的に衰えの退路を断とうとされているのではないか。虚弱な私は、ついついいらぬ心配をしてしまいます。
ただし仕事に熱意も意識も低い私でも、意欲や体力の衰えに対する処方を、ひとつだけ知っています。それは習慣です。ルーティーンと言い換えてもいいでしょう。とにかく長年続けてきた自分なりの段取りや行為は、意外なほどに自身の衰えを補完します。長年の習慣といっても、ご立派なものではありません。そもそも雇われの身ゆえですから、サラリーマンの習慣なんて、自ら意識して作り上げたというより、出社時間や勤務地や組織によって半ば強いられた、受動的なルーティーンがほとんどでしょう。
しかし、その習慣は時間を経るほどに驚くべき強度を発揮します。出勤し、仕事をこなし、昼飯を食べ、帰路につく。そこで繰り返されるあらゆる行動や段取りは、自分への最適化を極めていきます。「いつどこでなにをする」が固定された生活は、多少の不調や衰えにビクともしません。それゆえ確立しきった習慣やルーティーンは、時に「生きがい」とすり替わるほどに、スムーズなリズムと強度を私たちの人生にもたらします。長らく同じところに勤めた経験のある人は、頷くところがあるのではないでしょうか。
そういう意味で、相談者さんのお父さまは「平日は仕事、土日はパチンコ」が極度に硬化したルーティーンと化しているのかもしれません。しかもお父さまは熱意をもって、さらにおそらくは学歴社会への反骨心をもって、仕事に邁進されてきた。お父さまは平日の仕事の中でも、高度に洗練された習慣を大小さまざまに確立されていたはずです。
もくもくバリバリと働いてこられたお父さまは懸命に生きる中で、だれにも邪魔できない繰り返しを作り上げた。しかしその繰り返しは繰り返されるうちに固くなるあまり、自身も手が出せないような、不可侵のものになってしまった。だから定年後も「それをやめる」という選択が消えてしまった可能性は、じゅうぶんある気がします。「ゆっくりしたら?」とおっしゃる相談者さんのお母さまには、それをわかっていらっしゃる気配がします。
そのようなケースは、なにも珍しいことではありません。あなたの会社でもあなたの身内でも、習慣の強度ゆえに縛られ、続ける以外に選択肢を持たない人はたくさんいるはずです。人でなくとも「存続させること」が目的になってしまったルールや組織など、私が働く会社の中でさえ枚挙に暇がありません。大げさにいえば、人あるいは組織における習慣の強度を拠り所に社会をゴリゴリ発展させてきた日本は、その恩恵の反動として「変化がしにくい社会的習慣」を作り上げてしまったのでは、と思う時があります。
もちろん強度ある習慣も、それぞれ個人のレベルにおいては、なんら非難されるものではありません。むしろ尊いものです。老齢の職人の所作が無駄なく美しいように、熟年サラリーマンの仕事には一定の説得力があります。それはそれぞれが築き上げた歴史というべきものであり、だれかが否定できるものではありません。おそらく、子どもであっても、親の職業上の固い習慣を否定する余地はないでしょう。そこは人間の尊厳に関わることですから。
つまりは、長年続けた仕事をやめさせることは、だれにもできないのです。それどころか長年の習慣を切断するのは、本人にもできない場合がある。そう考えると、家族には労わり応援する以外にできることはないのでしょう。おそらく私たちは、ルーティーン化した仕事を、雇用が終わるとか体を壊すといった、第三者的無情な事情でしか終わらすことはできない。なかなかどうして、悲しい気持ちになってきます。
働きたいという意思に、打つ手はありません。どれだけ親を気遣おうとも、習慣が習慣を保持しようとする慣性の法則に、子は打つ手はありません。私も親がそういう状況に直面する年頃です。私も親に「仕事をやめろ」とはとうてい言えそうにないから、ただまぁ打つ手はありません。
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【回答者プロフィール】
山本隆博
@SHARP_JPの運営者。どうでしょうをサラリーマン目線で見直すのが好きです。
病理医ヤンデル/市原真(44)
好きなどうでしょうはユーコンです。