シャープさんとヤンデル先生の相談室
〜ただまぁ、打つ手はないです〜
第6回
「公式」の先駆・シャープさんと、つぶやく病理医・ヤンデル先生が!
悩みを聞くだけ聞いて解決しない相談室を架空のアパート「どうで荘」で開設。
入居者からの「相談」に、各自の持ち場から答えていただきます。
☆現在、入居者の皆様からのお悩みを大募集中!
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☆今回のお悩み☆
こんばんは、私は札幌でサラリーマンをしている者です。
毎月楽しみに拝読しています。最後の締めが毎回「打つ手はないです」で終わる連載企画ということですが、お二人はこれまで「打つ手はなかった」という経験をされたり、耳にされたりしたことはありますか?
私は以前、函館の新聞配達の人から「『新聞を配達している人が私の家(配達先)の犬に勝手に名前を付けていた。しかもその犬が新聞配達の人に妙になついていて、私が名付けた名前で呼んでも反応してくれなくなった』というクレームが来たときに「打つ手はないなと思った」という話を聞いたことがあります。
お二人の「打つ手はないです」という経験や、他人から聞いたお話をぜひ教えてください。
(PN:藤村忠寿)
札幌でサラリーマンをしている者さん、こんにちは。札幌、サラリーマンという言葉が続いた時点で不穏な空気を感じました。ペンネームがペンネームでないのでは、と指摘したくなる文末のペンネームを拝見する限り、私の予感は当たったのでしょう。どうで荘での連載ということですから、いつか来るかなとは思っていましたが、まさに今回、腹を割るべき時がやってきたのだと思います。
どうも、藤村さん、ご無沙汰しております。@SHARP_JP 山本でございます。なんとかインチキできんのか、今そんなことばかり考えています。
どうでしょうにおける「打つ手はないです」は、思い出すたびに顔が自然とニヤける、藩士にとってのマジックワードですが、現実の「打つ手はないです」とは、それは悲壮感の漂う、できれば言いたくもないし言われたくもない忌まわしきワードではないでしょうか。サラリーマンならば、会社でそんな言葉を使おうものなら、根性がないやら責任感がないやらと、叱責が降り注がれるのは火を見るより明らか。使うのならば、戦略的かつ打算的に使いたいものです。
ところで私は、日頃ツイッター上でよしなしごとをしゃべる仕事をしています。手軽に連絡が取れることから、コールセンターのような役割をすることもあります。そのため私のもとには、お客さんから種々の困りごとが寄せられるわけですが、典型的なお問い合わせといえば、家電の不調です。中には明らかに故障、あるいは修理不能な案件もあり、できるだけ対処法の案内をするものの、ツイッター上にいる私には「打つ手はないです」と、がっくり頭を垂れたくなることもしばしばです。
一方で私は、サラリーマンとして働く会社それ自体が「打つ手はないです」の一歩手前に陥るという、なかなかにスリリングな経験をしたことがあります。当時は新聞やテレビから、投資家の方から、そして市井の人々から、ツイッター係の私に「いやまだ打つ手はあるだろう」と雪崩のようにご指摘が寄せられました。この時も私は、そもそも会社に打つ手が残されているのかいないのか知らないし、会社の上空でなにが起きているのかさっぱり知らされないわけで、やはりここでもサラリーマンの私は「打つ手はないです」とうなだれるばかりだったのです。
ただしどちらの「打つ手はないです」も、いささか乱暴に言うと、しょせんは他人事。自らの胸に手を当ててみれば、私が仕事中に振り絞る「打つ手はないです」には、半端な切実さと「知らんけど」という気持ちが、ずしんと横たわっています。サラリーマンの「打つ手はないです」なんて、所詮そんなところなのかもしれません。ほんとうは打つ手はまだあるけれど、自分にはもう手に負えないしやりたくない、という程度の「打つ手はないです」なのだと思います。
だからやはりここは、自分が心の底から「打つ手はないです」と申し上げるような経験をお話すべきかと思うのです。というか私はかつて、積極的に「打つ手はないです」と言うほかない環境へ、自ら飛び込むようなことを繰り返していました。
音楽の演奏法、あるいはジャンルのひとつとして、インプロビゼーションというものがあるのはご存知でしょうか。いわゆる即興演奏と呼ばれ、ジャズがさまざまなモードを獲得して行く中で派生した、音楽の手法のひとつです。アドリブというと、曲の一部を演者がスコアに縛られず自由に演奏することを指しますが、インプロビゼーションは曲の最初から最後まで譜面は存在せず、楽器をどう演奏するか、だれと演奏するか、そもそも何で演奏するか、いつはじまっていつ終わるか、時には演奏する空間の構造や聴く人の存在を巻き込み、瞬間の判断でもって演奏を行います。
そして私は、そのインプロビゼーションをターンテーブルで成立させたいと思って、けっこう長い間、どうにかこうにか音楽をやってきました。ターンテーブルとは、ラッパーがうろうろする後ろで手をせわしなく動かし、レコードを擦ったりスイッチをいじったりするアレです。DJと聞いてイメージされる、ヘッドホンを耳に当ててスクラッチする例のアレです。アレでもって、私はインプロビゼーションと称する音楽をやっていました。ていうか、いまもやっています。
ここまで読まれた方はうすうす感じられているかもしれませんが、インプロビゼーションはそうとう難解な音楽です。一般的な音楽に期待される、踊ったり歌ったりという楽しさもありません。しばしば前衛とかアバンギャルドという形容詞が付いて、アートや芸術と呼ばれる方面と結びつきやすく、それゆえ敷居が高かったりします。私の音楽は、見た目や機材の編成は「さあパーティーをはじめよう」と言わんばかりの陽気さですが、実際の演奏は踊るには複雑で、耳をすますには音量が歪すぎます。
そして時には、レコードを再生する装置であるターンテーブルに、割れたり溶けたりしたレコード、布や紙などのレコード以外の物質を回転させ、自分でもまったく先の読めない不快な音が連続します。意図的に壊れたターンテーブルを使う時すらあります。つまり私は、自分が演奏する手段に自ら「打つ手はないです」という状態を作り出すことで、自分の音楽をインプロビゼーションというジャンルに置きたかったのです。
またジャズの即興セッションをイメージしてもらうとわかりやすいですが、インプロビゼーションは、他者と即興演奏を行なうことも多いです。私もたくさんの演者と即興で演奏をしてきました。トランペットやギター、ドラムといった見た目にもわかりやすい楽器から、舞踏やボイスといった身体を使った表現とセッションを行う場合があります。初対面の状態から、相手の音を聴き、自分の演奏を組み立てていく作業は、時にもう「打つ手はありません」と逃げ出したくなる状況に陥ることもしばしばです。
だれかと打ち合わせなしにセッションをする。それ自体になかなかの緊張感が伴いますが、相手が海外の人だとその緊張感は倍増します。有名なミュージシャンであれば過去の作品を聴くことで、その人がどんな音を出すか類推もできますが、私と同様、無名な人であれば予想する手段も限られます。今日のライブのセッション相手はサックス奏者だからと安心していたら、演奏がはじまると一度も吹くことなく、ただひたすらサックスのボディに接吻することで音を出し続けた相手と、おもむろにカバンから5個ほどの懐中時計を取り出し、中のゼンマイ音をひたすらマイクで拾い続けるミュージシャンとのセッションは、ほんとうに「打つ手はありません」と思ったものです。
なんでそんなことをやりはじめたのか、理由は忘れてしまいました。しかし、とにかく私は「打つ手はないです」という状況を開示し、それでもなお音と演奏をどう持続させるのか、自分で自分を観客のように眺める行為を続けています。どうやら私は、少なくとも表現という行為においては、「打つ手はなくとも続けざるを得ない」という状況に身を置いてなお、なにをするかを追求するのが好きなようです。そしてこれはいささかこじつけな気もしますが、打つ手はなくとも続けるとはまさに、藤村さんがお仕事されてきたことに通じるものがあるのではないか。まことに勝手ながらそう思っております。
打つ手はないけどなんとか演奏を続ける。いい歳してもなかなか止めないところを見ると、それはもう私の癖としか言えないような境地です。打つ手はありません。
こんばんは、病理医ヤンデルです。いつもはこちらで悩み相談という体裁の、しかし実際には言いたいことだけ言って最終的に「打つ手はないです」と放り出してしまうという押し売り的雑文を連載させて頂いておりますが、お楽しみ頂けていれば何よりでございます。
そんな私には、何を隠そうひとつの悩みがございまして。
連載第6回目にして、はやくも、「ペンネーム・藤村忠寿さん」を名乗る無頼漢から、悩み相談でもなんでもねぇ、事実上の「いい感じのエッセイを書けというお題」をほうりこまれた、ということでございます。
企画の趣旨が雲散霧消! もうテコ入れかよ! ていうかこれそもそも本人なのか!? 確かめる手段なし! いやだねーSNS時代! 商業施設の爆破予告がなんとなくウソっぽいなと思っても安全のために避難しなきゃいけないときの気持ちわかるわー!
心にさまざまな絶叫を響かせながら天を仰ぎましたが、病理検査室の天井にあるLED蛍光灯は最近取り替えたばかりでギラギラと攻撃的であり、目をしょぼしょぼとさせてまたPCに向き合って頭を抱えている次第です。これがまあ、目下の「打つ手がない悩み」と申し上げておきましょう。
さておき、「ペンネーム・藤村忠寿さん」を名乗る確信犯からいただいたお題を拝見して、私は、ほろほろと昔のことを思い出しました。
ある日、ある場所で、ある仕事をしていた私が、ある年下の人間から相談を受けたときのことでございます。
私はあのとき、確かに「打つ手はないな。」という気分になりました。
ある人間が、私に向かって、仕事のつらさをとうとうと語りました。
ときに声を詰まらせ、ときに塞ぎ込み、ときに過去に対する深い後悔の念をにじませながら、「私の選択は間違いだった」「目標が消えてしまった」「私の基盤となるものがガラガラと崩れてしまった」というような言葉をぽつり、ぽつりと紡いでいきます。
詳しく聞いてみると、あれもこれもと夢を詰めこみまくって予定を立てたはいいが、次第にマルチタスクを消化しきれなくなり、アップアップになって、ついにはメンタルが爆発してしまった、ということのようでした。
そして、私が「相談」に乗ることになったのですが、その「相談」が、少々変わっておりました。
この人間は、こういうしゃべり方をしたのです。
――こんな決断をすると皆さんに迷惑をかけることはわかっているんですが。
――内心、冷静になって考えると、今こうしてやっていることがもう限界だとわかっているんですけれども。
――これ、最初の選択が、そもそも無理があったってことですよね。わかっています。
……そう、相談なんですけれど、「全部わかっている」と言うのですよ。
私は面食らいました。
相談じゃないんですよね。
確認なんです。
あのときの私は素直にこう感じました。「これって、私から何か言う必要はないな」。そして、かなり強めに感じました。「こりゃあ、打つ手はないな」。
今回、「ペンネーム・藤村忠寿さん」を名乗るデウス・エクス・マキナから大鉈をふるわれて、真っ先に思い出したのが、このエピソードでした。
思い起こせば、人というものは得てして、「ある程度決断してから人に相談する」ものですねえ。
これからどっちの道を選ぶか、という選択肢AとBとがあるとして、選ぶ可能性がフィフティ・フィフティの段階で他人に話を聞いてもらうというのは、実際にはまれなんだと思います。
80:20? あるいは、90:10かな。
本人の中で、ほぼほぼ、取るべき道が決まっている状態で、「じつは今50:50で迷っているんですけれども」と、90:10であることを(タテマエ上は)隠して相談をするケースのほうが、圧倒的に多いような気がします。
くだんの人間に限った話ではありません。たいていの相談って、「それもう君の中では決まってるよね。」と言いたいものばかりです。「相談者のなかで設定された謎解きを、相談者が選んだ情報をもとに解かされる」というのが、お悩み相談の本質的な性質のひとつなのではないでしょうか。
じゃあ、人はなぜ、そこまでして他人に相談をするのかというと……。
うーん、ここからは本当に私の想像なのですけれども、
「自分の選択」を誰かに承認してもらうこと自体が、ものすごく大きな人生の目標なんでしょう。
普通、目標と言ったら、何かをやってみたい、どこかにたどり着いてみたい、違うものになってみたい、みたいなものを指すと思われがちです。その目標に向かって取る手段を選ぶ。「選択」とはほかでもない、手段を選んでいる。
しかし、その「手段」自体が目的化する。より細かく申し上げれば、「手段を承認してもらうこと」が、本人にとっては、タテマエ上の目標よりも一段でかい、本質的な「影の目標」になっていることがすごーく多いですね。
……やあ、言い過ぎたかもしれませんけれどね。
本人の中で「わかっているんですけど」と言いながら、「どう思いますか」と人にたずねて回る人間のことを思い出して、だいたい世の中の相談事に、「お前は正しいよ」「その考え方は合っているよ」以外の正解はないんだよなーという気持ちが、あらためてふつふつと湧いてきました。
相談というものは得てして、他人がしゃしゃり出てきて「何かの手を打つ」というものではない。そんなことは求められていない。
思えば、「手を打つ」というのは、注射を打つみたいなもので、セラピー(治療)的です。でも、ほんとうは、「手を打たないでただ背中にそっと当てる」だけでいい場面が山ほどある。ケア(手当て)だけが求められている。
今さらですが、「打つ手はないです」で締めるこの企画、じつに深いな、確実に需要と価値がありますね。なるほどよくできている。
「ペンネーム・藤村忠寿さん」を名乗る公安の刺客に対するお答えは以上となります。順番的に私の記事が無料公開かな? シャープさんが「打つ手はない」と感じたエピソード、楽しみですねえ、そっちは皆さん、金払って読んでください。「たまにはどっちも無料で読ませろ」みたいなリプライを私個人に送られましてもすみません、当てる手がないわけではないですが、打つ手はないです。
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【回答者プロフィール】
山本隆博
@SHARP_JPの運営者。どうでしょうをサラリーマン目線で見直すのが好きです。
病理医ヤンデル/市原真(43)
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