藤村でございます。
昨日12日に保健所から電話があり、体温と体調の簡単な質問を受けて「すべて問題なし」ということで本日13日、妖精の世界から現世に戻ってきました。
あれはもう今月初めのことでしたね。
YouTubeのスタッフに陽性反応が出たということで、その日の夜にWOWOWの「電波少年W」生出演があったので「一応検査を受けとこう」と、以前一度利用したことがある羽田空港内の検査施設に行ったら予約してないとダメってことで、急ぎネットでいろいろと調べましてね、都内某所の雑居ビルの中にある医院に行ったわけですね。
これが8月2日の午前中のこと。
夜までに検査結果が出ないといけないんでね、最短2時間で結果のわかるクイック検査ってのをやったんですよ。3万ですよ!3万!でもしょうがないですもんね、WOWOWさんに「一応検査しときました。ちゃんと陰性でしたぁー」ってすぐに言ってあげなきゃいけないですからね。
でまぁ検査を終えてですね、回転寿司で昼メシ食ってたんです。そしたら2時間も経ってなかったんじゃないですかね、ふとスマホを見たら病院からメールと見知らぬ電話の着信があったんですね。
「おー、んー?」と、やや予感めいたものもありながらメールを開くと
PCR検査の結果は【陽性】でした。
ビシッと書いてあるわけですね。ゆっくり二度見しましたもんね。
「おぉ?んー?ん!」みたいなね。
回転寿司を切り上げて着信のあった番号にかけると検査を受けた病院の院長さんが出ましてね、その方がどうでしょうの大ファンで私も救われましたね、あんまり深刻にならなかったというか。
とりあえず10日程度の療養になると思います。
詳しくは保健所からこの番号に連絡がいきますけど、ただもう今、保健所も大変で、なかなか連絡も来ないみたいなんで、まぁとりあえずお待ちいただくということで。
とまぁそういうことらしくて、とりあえず連絡待ち。そして「電波少年」のスタッフにメールを入れました。検査の結果は陽性でしたと。向こうは慌てたでしょうね。いやそりゃ慌てますよ。その日の生放送まるまる「どうでしょう特集」でしたからね。なんなら翌週も「どうでしょう特集」の予定で、つまり2週分が吹っ飛ぶわけですから。
でもまぁ今日の生放送はとりあえずzoomとかでなんとかなるんじゃないか?と思ってたんですよ。だってあの番組、そもそもクロマキーで顔だけくり抜かれてトークしてるわけですからね。「んなに変わんないだろ」と思ってたんです。ところが「収録中に症状が急変することも考えられる」と、「無理はさせられない」と、WOWOWさんの判断がありまして、番組内容の全面的な変更になると連絡がきましてね。「いやぁー土屋さん大変だこれは」と、思いましたけど、でも一方で「いや土屋さんだから大丈夫か」と、妙な安心感もありましたね。
ただ問題は「電波少年」の生放送で、番組内容が変更になった理由を言わないといけない、つまり私がコロナになったことを番組内で言わなきゃいけないってことですね。
すぐさま今度は会社から電話がありまして、午後8時の「電波少年」の放送前にHTBから発表をすると。実名報道ということになるけど大丈夫か?と。
いやもう、大丈夫なんですよ。とにかくこっちはまったくの無症状でしたからね。いつも通り、普通なんですよ、私自身はね。
だからどっかで他人事のような感覚があったんですよね。そんなに騒がなくてもと。
ところが、周りの人たちはそうではない。特に家族は心配するわけです。奥さんは特に。こっちは東京で陽性になったので札幌に戻ることができない。奥さんの心労たるや相当なもので、むしろそっちの方が心配になるぐらいで。
私だって最初の2日ぐらいはドキドキしてましたよ。メールを開けばとにかくみんなが「急変するらしい」「急変するんだ」「そしたら大変なことになるんだ」と、口を揃えて言いますからね、こっちも怯える。
でも3日目ぐらいからこの状況に疑問を持ち始めましたね。「なんかちょっと」と。それからのことは日誌に書いてきた通りなんですけど。
そして今、
こうして10日間の妖精生活を終えて思うのは、
「あまりに無為な日々だった」
ということ、でしょうか。
そう思ったのは「無症状だった」ということがやはり大きいんでしょうけど、でもこれはつまり「ほとんどの人と同じ症状」ってことですよ。
私はたまたま必要に迫られて検査をした結果「陽性」という反応が出た、ということで、わかりやすく生活を制限されましたけど、誰もがこの1年以上、真綿で締め付けられるように生活を制限されているのは同じです。
そして常に「コロナになったら、症状が悪化したらどうしよう」という不安を突きつけられて生活しているのも同じです。
その「不安」というものが、本当に「危険を避けるために必要な不安」ならいいんだけど、正直もう「本当にそこまで危険なのか?」って思い始めている。「いろんなことを犠牲にしてまで必要な不安なのか?」って。
奥さんが取り乱してしまうほどの不安を感じたのは、私の症状とは関係なく、コロナになったら死んでしまうと、いろんなところで言っている、からです。
奥さんにとっては、そんな世間から与えられた不安に包囲された10日間だったでしょう。
そして私にとっては、自分が隔離されたことでこの危険なウィルスを社会に広げることなく、みんなの安全を守った、とはほとんど思えなくて、ただもう釈然としない感じですね。体も精神も休まらなかったし、また太ったし、という。
ただ数ヶ月は抗体ができたと、いうだけのことですね。
さぁ、まもなく札幌に着きます。
藤村の妖精日誌、これにて終了です。
まずは、東京より断然美味しい回転寿司に行こう!
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藤村忠寿から届く日誌を毎日更新しています。
これまでのアーカイブはどうで荘にございます。