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【お願い】藤村Dへの「お手紙」を募集しています

5月7日(日)@埼玉県熊谷市 八木橋百貨店
藤やんうれしー×佐藤麻美!
水曜どうでしょう講談も公開収録SPイベント!
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※どうで荘限定受付は入居者限定コンテンツページよりお申し込みください。

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※「藤やんとうれしー」への入会はどうで荘の入居とは異なります。予めご了承ください。

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シャープさんとヤンデル先生の相談室
〜ただまぁ、打つ手はないです〜

  第13回

 

「公式」の先駆・シャープさんと、つぶやく病理医・ヤンデル先生が!

悩みを聞くだけ聞いて解決しない相談室を架空のアパート「どうで荘」で開設。
入居者からの「相談」に、各自の持ち場から答えていただきます。

毎月1度、どちらかお一人の回答を無料公開
もうお一人の回答や過去のアーカイブは「どうで荘」入居者向けに掲示します。

今月はシャープさんの回答を無料掲載いたします!

病理医ヤンデル先生の回答や、これまでのアーカイブは「どうで荘」の入居者限定ページにて公開しております!

また、お悩みの募集は以下より行っております!ドシドシお寄せください。   

お悩み相談室 お悩みフォーム  

 

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☆今回のお悩み☆

10代のころから自己肯定感が低く、ずっとこんな奴は神様が長生きさせないだろうと思ってました。
が、なんとかかんとか45歳の今まで生きて、会社員、妻、小学生の母親、どれも中途半端にやり過ごしております。

先日ショックを受けたのは、弱者として振る舞うのはそれ自体が他者へのマウントと言っていたか、もっと別の言葉だったか、40過ぎて記憶もすぐに曖昧になるのですが、要は高齢の方の病気自慢のようなことはそれはそれで人のことを下に見ているというようなツイートを見てしまい、
ああそうか、自分なんてダメなんです、って言うのは、重責から逃げてるというだけじゃなくて、威張り散らしてる人と変わらない行為なのかと、そのことにハッと気づかされたことでした。

でもそこそこ身体は丈夫、ごく中流な私のような人間が、子供から見て元気で明るいお母さんでいたい、自己肯定感を上げたい、ただ長年のクセのようなものでなかなか自分か好きになれず、それゆえ必要以上に腰が低くなったり、逆にどうしてよいかわからず不遜になったり、はたまたそういったことを悔んだりするをやめるにはどうしたらよいのでしょうか?

私の自信がないことで得する人なんて誰もいないのは分かっていて、母として、仕事のリーダーとしてハツラツとしたい。
けど鏡を見て「あなたのことが大好きですよ」などという自己暗示をかけても大して変わらない。
自分という小さな枠から外に眼を向けるべきと思ってもすぐに自分の内側に戻ってきてしまう。
そのことをたまに「ああダメだ」と思ったり、SNSで呟いたり、身近な人に伝えたりするのは、人を下に見るいけないことなのでしょうか?

打つ手はなくても.何かよい視点を教えていただけたら幸いです。

(PN:なみ)

 

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 どうで荘にご入居のみなさん、こんにちは。すっかり春ですね。春は見知った人と別れたり、知らない人と出会ったりと、人間関係がめまぐるしい季節です。人見知りの民や自意識こじらせ族にとっては、なかなかどうして緊張を強いられる季節でもあり、春めく日々をのうのうと過ごすわけにもいきません。私もそういう傾向にある人間ですから、つまり春はあけぼのです。まだみんなが寝静まっていて、私がだれにも会うことがない、日の出前の時間。あのあけぼのが静かで安心で、私はいちばん好きです。

さて今月のご相談。自己肯定感の低い自分をどうにかしたい。私も身につまされるお悩みです。しかも相談者さんは「自己卑下は相手との関係性の上下を強いるという意味で、他者にも圧をかけている」という視点を知り、さらに卑下を重ねようとされています。らせんが根深くて、なかなか難しい問題だと思います。

私を含めて見回すと、なにかとオドオドしがちな人はたくさんいます。一方、なにかと他人に抑圧的な態度をとる人もまた、うんざりするほどたくさんいます。他人に抑圧的な態度をとる人に対して、時に「私なんてダメなんです」は盾となり、余計な衝突を避けられる場合もあるでしょう。幸か不幸かオドオドは戦略的に採用され、多用するうちにオドオドが固定化してしまった人は、実はけっこういると思います。

卑屈は自分の足元の地面を掘り、怖い人の前から姿を消すような、下方向のマウンティングとして作用する時があります。つまり人間関係がややこしい世間で、卑屈や卑下こそが処世のコツという側面は確かにある。でもやっぱり、相談者さんがお悩みのように、あらゆる方面に卑屈であることは健全な精神のあり方ではないと、私も思います。私たちが関わる他者は、抑圧的な態度をとる人ばかりではありません。ほとんどは対等で、あるいは無関心で、そしてときどき親密に、人はあなたに関わるのですから。

それにしてもいったいいつから「自己肯定感」なる言葉が当たり前に使われるようになったのでしょうか。自己なんて、肯定しようが否定しようが、おかまいなしに自分の中にデンと居座る存在です。そもそも物心がつく頃から、その物心こそが自己なわけで、自己とは肯定否定よりも奥にある、それゆえ触れることが難しい芯のようなものだと思います。

結局、自己肯定感が高かろうが低かろうが、いつだって自分が自分を追いかけてくるし、自分が自分を邪魔することもある。どうやったって自分は自分を追い払うことができないのなら、私は私という自分を、ちょっと距離を保って、見つめるようになりました。そうやって見つめていると「そうか私はこういう風に思うのか」と気付かされ、なかなかどうして自己は示唆に富み、興味深い対象となって、肯定したり否定するヒマがありません。

話は変わりますが、私は即興とかインプロビゼーションと呼ばれるジャンルの音楽を長らく続けています。ひとりで、あるいは数人で、決めることといったらだいたいの演奏時間だけで、あとはなにもルールを設けず、いっせいに各自の楽器を演奏します。ルールがないので、ただひたすら私は、私と私以外のミュージシャンが出す音を現在進行形で聴きながら、次に自分は何の音を出すか、どれくらいの音量にするかなど、発音に関するすべての行為を瞬時に判断して演奏をするわけです。

こう書くとあたかも私は、制約のない自由な地平に立ってのびのびと演奏をしているように思えますが、実際はちがいます。結局のところ、私は私ができる/知っている方法しか、演奏ができないのです。いくら自由といっても、私は私が思いつく中からしか次のアクションを選べないし、私は私ができることの中からしか、次の音を思いつけません。つまりそこにあるのは、私の持つ可能の順列組み合わせでしかないわけです。

ただの順列組み合わせに不満を感じた私は、いかに自分が自分を裏切る演奏ができるかを模索しました。利き手と反対の手を使うとか、自分で制御できない機械を介すとか、目を瞑るとか、知らない楽器を使うとか、いろいろ試したのですが、最終的に私が行き着いたのは「酔っ払う」でした。

なんてことのないアイデアでしたが、効果はてきめんです。飲みながら前後不覚になりつつ演奏する方法は、自分の中の順列組み合わせを狂わせるどころか、人見知りが人前で演奏するジレンマまで、みごとに解消してくれました。ひたすら酔っ払う。自分の音楽スタイルが確立された瞬間です。

しかしそのスタイルも、私はあっけなく放り出すことになります。ややこしくて、聴く人も限られるようなジャンルの音楽でも、続けていると海外に呼ばれるようになります。ある年、私にロンドンで演奏する機会をくれた現地の人が出演前にアドバイスをくれました。ロンドンではどれだけいい演奏をしようとも、その人が酔っ払っていると酒のおかげと解釈されるよ、というものです。だから飲みながらやらない方がいい、と。

それを聞いた私は、なんだか心の底から納得したのでした。ドーピングしているように見えるならバカバカしいことだなと、思ったのです。それ以来、私は酒を飲みながら演奏することをやめました。いい演奏をしたくてやっているのに、あれはドーピングのおかげだと思われるなら、これほど損なこともありません。とはいえ演奏前には少し飲むけど。

「自己肯定感が低い私」も、なんだか似ているような気がするのです。オドオドは自分の中の問題のどこかをカバーしてくれるのは確かです。「私なんて」は自分を守る盾になりえる。でもオドオドしている状態を「オドオドを選択している人」という目で見たとたん、その人は自分を卑下させるダウナーなドーピングをしているように思えてきませんか。もしそうなら、それはしんどいながらも自己と向き合おうとする人にとって、どうにもバカバカしい印象だと、私は考えます。

もちろん根本的な解決は別です。私が酒を飲みながらの演奏をやめたからといって、私がものすごく評価されたわけではありません。それはいまの私を見れば明らかでしょう。あいかわらず私は、演奏前にオドオドします。そういう意味で、ただまあ打つ手はありません。

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ヤンデル先生の今月のお悩みへの回答はどうで荘の入居者限定で公開中です!

 

【回答者プロフィール】

山本隆博
@SHARP_JPの運営者。どうでしょうをサラリーマン目線で見直すのが好きです。

病理医ヤンデル/市原真(44)
好きなどうでしょうはユーコンです。

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