シャープさんとヤンデル先生の相談室
〜ただまぁ、打つ手はないです〜
第14回
「公式」の先駆・シャープさんと、つぶやく病理医・ヤンデル先生が!
悩みを聞くだけ聞いて解決しない相談室を架空のアパート「どうで荘」で開設。
入居者からの「相談」に、各自の持ち場から答えていただきます。
お悩みはこちらからお寄せください
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☆今回のお悩み☆
結婚して10数年、お金のトラブルが絶えない旦那に嫌気がさしています。結婚資金あるある詐欺(実際は貯金ゼロで結局ローン組んだ)から始まり、数えればキリがありません。離婚を考えたいですが子供がいるため我慢しています。早めに見切りをつけるべきか、子供が成人になるまで耐えるか、悩んでます。
(PN: ミスター小泉)
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どうで荘にご入居のみなさん、機嫌よく暮らしてますか。私はそこそこ心配事を抱えながらも、そこそこ機嫌よくやってます。心配事を抱えると、それが生活の通奏低音となって、絶え間なく存在感を発揮してきます。小さく低い音でブーンと箱鳴りする部屋に暮らすようで、生活は落ち着かぬものになりがちです。聴こえるか聴こえないかの小さな音なんて気にしなければいいとアドバイスするのは簡単ですが、一定の周波数でずっと環境が振動しているわけですから、その体感を無視するのは容易ではありません。心配事とはそれだけやっかいなものだし、心配事を抱えながら機嫌よくいるというのは、なかなかの意思とコツが必要だと思います。
さて今月のお悩みです。家族の金銭感覚に関するお悩み。これぞまさに、ザ・人生相談といった趣です。私のような得体の知れぬ人間がたたずむ相談所に、とうとうかくも典型的なお悩みが寄せられるようになったかと、妙な感慨さえ湧いてきます。
だいたい人生の心配事ツートップといえば、お金か人間関係でしょう。解決を放棄することをあらかじめ保証された私ですら、お金の心配はできることなら生涯にわたって解放されたいと願っています。結婚して十数年、お子さんがいらっしゃる相談者さんも、これまで「なんとかなってきた」とはいえ、旦那さんが次々もたらすお金の心配事を抱え続けてきたわけですから、その暮らしはよほど落ち着かないものだっただろうと思います。
相談文では詳細が語られないので推測するしかありませんが、お金のトラブルが絶えないとあることから、もし離婚しても次の人生設計に夫からの養育費は計上できないと感じておられるのかもしれません。人生経験が豊富とは決して言えない私ですが、お金へのだらしなさは、治るチャンスを逃してしまうと、歳を取るごとに硬化していくことをなんとなく知っています。打つ手なしの気配がひしひし感じられます。
それにしてもお金とは不思議なものです。貨幣はただの紙切れであり、世界の人々が「これは実質は紙だけど実際はお金だ」と互いに信じている限りで、紙切れはお金であるという、現実と幻想の間にギリギリ存在する仕方が、そもそも不思議です。お金はそれをお金だとみんなが信じている間、お金であり続けるわけです。それに加えて、私がいつも不思議に思うのが、お金には「恥ずかしさ」がつきまとう、ということです。
私たちはなぜか、自分のお金の話をすることに抵抗を感じます。仕事では「これだけ売り上げた」とか「ここまでコストダウンした」といった、自分が成し遂げた会社の金の話は堂々とアピールするのに、友だちの間ですらお互いの年収や貯金の額を聞くことははばかられます。少なくとも私たちが暮らす国の文化圏では、自分のお金について開示するのも、他人にお金の開示を求めるのも、恥ずかしさやためらいがつきまとう。私も会社で扱う金の話はなんの抵抗もなく口にできます(もちろん社外秘は口をつぐむけど)が、自分の給料やボーナスを口外するのはやっぱり恥ずかしいものです。ギャラの開示や交渉を忌避しがちな、われわれの商習慣も、どこかこの恥ずかしさに通じるように思います。
ではその恥ずかしさは、自分が稼いだり持っていたりする金の少なさに起因するのでしょうか。貧乏を恥じる気持ちは、もちろんだれにもあります。仮に私も自分の給料をここに書き、少ねえなとか甲斐性なしと思われることに恐怖を感じます。しかし一方で、テレビのバラエティ番組なんかで、売れっ子芸人の収入を暴露といいながら、暴露する側もされる側もしきりにタブーとしてはしゃぐ様子を見るにつけ、多けりゃ多いで金の話をするのは恥ずかしいのだな、と思わされます。とにかくわれわれは、保有する金額でもって自らの人となりを判断されることを恐れるあまり、金の話をすることに恥ずかしさを感じるのかもしれません。
そう考えると私は、相談者さんの旦那さんの気持ちがうっすらわかる、ような気がします。もちろん気がするだけで、限りなく万が一の可能性ではありますが、旦那さんは自分の収入なり貯蓄なりを家族に知られることを極度に恥ずかしがる、という節はないでしょうか。もっとも親しい間柄である家族に、お金を介して自分を見透かされることをおそれるあまり、ない貯金をあると言ったり、浪費や借金を隠したりと、その場を取り繕い続けた結果が今、ということは考えられないでしょうか。
極度の羞恥心は、本人にとって切実ゆえに浅はかなふるまいをとる時があると思います。だから引き続きこれは万が一の可能性ですが、旦那さんが抱き続ける「恥ずかしさ」をどうにか取り除くことができれば、少なくともトラブルには至らぬようになるかもしれません。それはつまり、最近よく語られる、心理的安全性というやつなのかも。
もちろん金銭感覚やお金へのだらしなさは、その人の性としか呼べない、根深いものです。改善の余地など、本当はないのだと思います。中には、性としか呼べないその根深さが「貨幣はただの紙切れだ」という境地に通じる人だっているかもしれません。もし相談者さんの旦那さんが、お金をお金だと信じられない人だったなら、取りつく島もないか、そもそも仙人か超人の類かもしれません。
人間同士の幻想を共有することで成り立つお金は、その誕生時点から危うさや難しさを持っていたのです。だからこそ人間はお金に悩むし、正直にお金の話をすることをためらうのでしょう。ただまあ打つ手はありません。
ミスター小泉さんこんにちは。いきなりですが先ほど、もう一通の「お悩み」が届きました。これがですね、偶然なんですけれど、どことなくあなたのお悩みとも通じるところがありそうで、まあその、本質的には違うお悩みではあるんですけれども、今回はその……「両方」を読ませていただいて考えるのがよいのかな、と思いました。
こんなお悩みです。よろしければこちらを先にお読みください。
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春に社会人となったのですが、これまでを振り返って少し思うところがあったので、お手紙をお送りします。
私は、お金のトラブルが絶えない家庭に育ちました。母は父のことを陰で「詐欺」だなんだとののしっており、「そもそも結婚資金の段階からおかしいと思っていた、貯金がまったくなかったからローンを組むはめになった」という話も何度か耳にしました。家庭内はときに冷たく、ときにギスギスとしていて、子ども心に、うちの親が結婚できたことは不思議だなあと感じましたし、学校の帰り道や、ふとんの中などで、もしかすると親が離婚してしまうのではないかと、一人こっそりと心配していたこともありました。
その後、結局両親は離婚しませんでした。どことなく不安定な家庭のまま月日は流れ、紆余曲折を経て、先日、私の就職が決まりました。そして、機嫌の良かった母がふと漏らしました。
「やー、あんたが育つ前に離婚してなくてよかったわ~」
じつは、私が母の口から直接「離婚」という言葉を聞いたのはこのときがはじめてでした。それまで、いかに雰囲気が悪くなろうとも、私の前ではさすがに具体的なことは口に出さなかったのだと思います。しかし、私の就職を祝うムードの中、つい口が滑ったのであろう母は、そのまま続けてこう言いました。
「あんたは知らなかったでしょうけれど、ほんとはだいぶ悩んだこともあったのよ。でも、お金にしても仕事にしてもね、片親だといろいろ大変だし、あなたも受験勉強やらなんやらに身が入らなくなっても困るでしょう。だからね、我慢してよかった~。あんたが一人でがんばれるまでは支えようと思ってたからね、ほんとによかったわ」
私はこれを聞いたとき、その……一緒に「よかったよかった」と喜べればよかったのかもしれないのですけれども、あの……なんというか、もやもやとした感情におそわれたのです。母は、私という子どもがいたからずっと離婚を我慢していたのだと、あらためてはっきり言葉にされたのだと感じました。そこで思わず母に向かって、
「雰囲気のよくない家庭でずっと我慢して育った私もよくがんばった~」
と、皮肉を言いそうになったのですが、すんでのところでこらえました。
もちろん、ここまで育ててもらった親には感謝しています。
しかし、「子どもを理由に離婚しない」というのは、その……子どものためを思ったことになるのだろうか、と感じました。本当に子どものことを思うならば、性格やお金の問題で家庭内で揉め続けることをまずは避け、子どもが安心できる雰囲気のよい家庭にするべきだったのではないでしょうか?
「子どもがいたから我慢して離婚を思いとどまった」って、結局それって子どものためではなくて自分のためだと思うんですけれども、それを子どものせい、私のせいにされたことに、なんというか、引っかかってしまったのです。
こんなことをつい考えてしまった私は親不孝なのでしょうか。
母にも父にも感謝こそすれ、モヤモヤするなんてよくないことなのでしょうか。
誰にも言えない悩みだったので、ついここにお送りしてしまいました。長くなってすみません。手を打つ段階はとっくに過ぎ去っているんだろうな、ということもわかっております。でも、よろしくお願いします。
P.N. うれしいヒゲ
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いやー困りましたね。どうしましょうこれ。
まあその、打つ手がないです。
今さらねえ。どうしろってんですか。
うん、このコーナーではいつものことですけれどね。
それにしても手遅れ……というか、あまりに過ぎ去ったことがらばかりで、今から何か言葉をかけて、この人が少し楽になるようなシチュエーションが、想像できないです。
ごめんなさい。
うーむ。
「ミスター小泉さん」のお悩みにお答えする前に、ちょっと先に「うれしいヒゲさん」の話をもうちょっとだけ考えてもいいですか?
この方にまとわりついている、「問題」の芯はどこにあると思いますか?
私が考えるに、「うれしいヒゲ」さんは、優しい方です。それがたぶん問題なんです。
この人はずーっと、父と母がうまくいっていないことを目の当たりにして、傷つけられてきたのだと思います。家庭の中で「安全」とか「安心」とか「安楽」を感じられていなかったのではないかと思います。でも、両親を憎んではいないですよね、この文章を読む限り。なんというか、本人は親不孝だなんだと書かれていますけれども、それは逆で、むしろ愛情に満ちているように思います。文章の端々からそれが伝わると思うのです。
でも、その優しさにこそ問題がある。
母親から言われた「私はあんたのために我慢してたんだ」というセリフに、瞬間的にイラッとした自分が許せなかった、なんて……どうかしてますよ。優しすぎます。
本来ならば、
「はぁ? 子どものため? 親の都合だろうが!」
くらいの啖呵を切って、家を飛び出したってよかったんです。誰も責めないと思います。
でも、やさしいヒゲさんは優しいからそれができなくて、それでこんなに悩んじゃってるんだろうなって思うんですよ。
この方は就職を気に、もう少し落ち着いた家庭で暮らせたらいいなって思います。これからの人生で思う存分、ゆったりとしてほしいなと思います。でも、就職すればすぐに自分中心の生活がはじまるかっていうと、そんなことないですよね。たとえば就職を機に親との関係をばっさりリセットしていちから幸せな暮らしをはじめるなんて、この優しい方の性格を想像すると、なかなか難しいんじゃないでしょうか。
だからまあ、なんていうかその、ここまで来てしまうとちょっと……。
せめてこの親が、「あんたがいるから我慢してた」などと、子どもにデリカシーのないことを言う前に、「やさしいヒゲ」さんに声をかけておきたかったなあ、なんて、今さら言ってもしょうがないことを、考えています。
離婚を考えることは夫婦の権利であり、自由です。かつ、離婚という行動の責任は、夫婦が自分たちで背負えばいいです。それは当たり前のことだと思います。夫婦のありように対して、夫婦がそれぞれ立ち向かえばよし、あるいはぶっちゃけ逃げたっていいんじゃないかな。結局それって自分たちのことなんですからね。
私たちはみんな聖人君子じゃないんで、失敗もするし、微妙な選択もするし、後悔もする。でもその結果と自分たちで付き合えていればいいんじゃないでしょうか。失敗が悪だとは全く思いません。後悔だってどんどんすればいいです。
もっと言えば、責任から逃れようが、なあなあにしようが、思い込みで見当違いの理由を探してウソに逃げようが、それで夫婦が互いを傷つけようが、あらゆる結果が夫婦自身に跳ね返ってくる分には、別に……べっっっつに……いいんでない? と思います。
きれい事ばかり言ってられないです。
夫婦がどんな道を選んだとしても、自由ですよ。結果に関して夫婦自身が向き合ったり逃げたりしている分には万事OKじゃないですか。もちろん、「他人」に迷惑をかけなければ。
でも、夫婦の選択やら行動やらを、「子どものせい」にするというのは……ないですね。
いや、まあ、内心つい「子どもがいるからなあ」なんて感じてしまう弱い心は、どんな親にもあると思います。そこはめちゃくちゃ理解できます。でも、ついうっかり、気が緩んで、子どもの前でそれを言っちゃうってほんと、ぜんぜんだめです。あり得ないと思います。うれしいヒゲさんの親はそれをやってしまったので最悪だと思いました。夫婦の責任を子どもに押しつけるって、それを子どもに言うって、ちょっと、本当にやっちゃだめだと思うんですよ。うっかりやっちゃう可能性はあるんですけど(人間は弱いですから)、そのうっかりを、なるべく減らしたい。
子どもには子どもの人生があり、子どもだっていずれは自分の行動の責任を自分で取っていくようになります。ただ、人生の序盤、子ども時代に、「自由と責任」とはなんなんだろうなという難しいモンダイを、子どもがひとりで考えるのは大変で、だからこそ、先に生きている大人がある程度導いていかないとかわいそうだなと思います。
「自由にしてよいが責任は自分で取れ」という感覚は、学校だけでも社会だけでも家庭だけでも教えることができない、難しいものだと思いますから、別にその理念を子どもに教える際に、親だけががんばるべきだなんて微塵も思いません。そこは、子ども自身がゆっくりと時間をかけて、世界中から学び取ってもらうしかないと思います。だから親だけが子どもの成長の責任を負う必要はない。けれども……せめて……親とはつまり子どもの一番近くにいる大人なのですから……「自由に伴う責任」を背負おうとする姿くらいはときどき見せてあげたらいいんじゃないかと思います。
そして、夫婦の行動の理由を子どものせいにするというのは、それと真逆のことなんですよね。
すみません話がそれました。
うれしいヒゲさんの相談には答えようがないです。すでに終わってしまったことです。かわいそうに。親の責任を背負って苦しくなってしまっている。うれしいヒゲさんのせいじゃないのに。これからはぜひ、違う人生を生きて欲しい。過去の傷はもう治りませんけれど、きっとこの先、傷つきづらい人生が待っていると信じたい。この方はやさしいですから。
で、えーと、ミスター小泉さん。
ごめんなさいねすっかり後回しにして。
あなたの相談にはたぶん、打つ手があります。
どんな道を選んでもあなたはこの先、結局、なんとかなります。離婚してもしなくてもどうでもいいと思います。そこはたぶん本質ではないです。どっちを選んでも大変ですけれど、人生ってたいてい、大変なんで、ま、なんか、そういうもんです。
ただ、ひとつ、「子どもがいるため悩んでいます」という思考の部分は、なんとかしておいたほうがいいんじゃないかと思いました。それだけです。あなたは大丈夫。まだ大丈夫です。これからがある。
で、うーん、どうしてもこっちが気になってしまうな。
うれしいヒゲさんには打つ手がないです。ねえ。はあ。まあその……打つ手がないです。
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【回答者プロフィール】
山本隆博
@SHARP_JPの運営者。どうでしょうをサラリーマン目線で見直すのが好きです。
病理医ヤンデル/市原真(44)
好きなどうでしょうはユーコンです。