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【お願い】藤村Dへの「お手紙」を募集しています

大型月刊連載、始動ーー。

シャープさんとヤンデル先生の相談室

〜ただまぁ、打つ手はないです〜

第1回

「公式」の先駆・シャープさんと、つぶやく病理医・ヤンデル先生が!

悩みを聞くだけ聞いて解決しない相談室を架空のアパート「どうで荘」で開設。
入居者からの「相談」に、各自の持ち場から答えていただきます。

毎月1度、どちらかお一人の回答を無料公開
もうお一人の回答や過去のアーカイブは「どうで荘」入居者向けに掲示します。

今月はオープン記念ということで両回答を特別掲載
来月からは「どうで荘」にてお楽しみください。
(お悩みの募集はどうで荘内で行なっています。入居者の方はドシドシお寄せください。)

 

☆今回のお悩み☆
「ぶりっ子」の損得について悩んでいます。現在小売業で働いているのですが、レジや接客のトラブルを回避するため、いわゆる「ぶりっ子」な店員を演じています。年配の方など一部のお客様には好意的に受け取られることが多く、「いいよいいよ、仕方ないよ」とトラブル回避になることもよくあるのでこの点では得なのですが、パート社員の奥様たちや一部のお客様、特に女性のお客様には白い目で見られるような気がします。4月からは転勤で別のお店に移るのですが、ぶりっ子戦法を続けるべきかどうかアドバイスを頂けたら嬉しいです。
(PN:菜央)

 

 お手紙ありがとうございます。拝見しました。いいですね。誰も傷つけない気遣いが伝わってくる一方で、隠し味程度にストレスもまぶしてある名文だと思いました。冒頭から「損得」という単語を用いて読む人の欲望と打算と理性と倫理を揺さぶる構成に、天性の計算高さを感じます。原生林のど真ん中で大型猛禽類の鳴き声を聞き、「お前をいつでもこのかぎ爪でかっさらうことができるのだぞ」的な目線をチクチク感じたときのような、ザワザワとした畏怖に襲われています。さすがどうで荘に寄せられるご相談は市井のソレとは戦闘力が違う、と背筋を伸ばしています。

かくも見事なご相談にお答えするにあたって、いきなり「こうすればいいんじゃない?」とか「それはやめたら?」のような対処法を申し上げるべきではないでしょう。まずは、現状を正しく分析することからはじめようと思います。分析が先、打つ手を考えるのは後。この順番を間違えてはいけません。というか、それ以外のやり方は私には難しいです。それでは分析をはじめましょう。

 

さっそくですが私は今、「いぶりがっこ」のことを考えています。ご存じですか? 秋田県の郷土料理ですよ。「くんせい+つけもの」みたいな感じでおいしいおつまみになります。この「いぶりがっこ」という文字列の中に、そう、お気づきですよね、「ぶりっこ」が含まれています。単なる言葉遊びなんですけれども、あら不思議、一度そう聞いてしまうと次からは、たとえば居酒屋のメニューの中に「いぶりがっこ」を見つけるたびに、あなたはきっと無意識に「いぶりがっこ」の中に潜んだ「ぶりっこ」を発見してしまうことでしょう。

似たような例で、「マイナンバーカードの中にはバーカが含まれている」というのもあります。ここまで来ると呪いみたいなものですが。

人間の脳は、複雑な模様の中に隠れたなんらかの情報を一度見つけ出すと、次からは容易にその情報を拾い上げられるようになります。たとえば、「ウォーリーを探せ!」では、一度ウォーリーを見つけてしまうと、次にまたその本を開いたときに「確かここにウォーリーがいたよな~」と、目が無意識に答えを掘り出しに行ってしまうようになります。ほかにも、レストランのメニューの横にしばしば置かれている、お子さん用の間違い探しクイズ(2枚の絵を見比べて違うところを探すアレ)で、眉毛が片方だけ細いとか、ストライプの間隔が狭いとか、動物のヒゲの本数が違うと言った、細やかな違いを最初はなかなか見つけられませんけれども、一度見つけてしまうと、違いが浮き上がって見えてくるようになります。いったん目を離してからまた見てもすぐに違いが発見できるので、一度解いたクイズはもうおもしろくなくなります。

脳って、一度何かを見つけると、その部分を周囲から浮き立つように強調してくれるんですよね。ですから「いぶりがっこの中のぶりっこ」も、もうこれからはずっとハイライトされっぱなしだと思います。

 で、まあ、「いぶりがっこ」の中に「ぶりっこ」を見出したところで、いぶりがっこの味が落ちるわけではないですし、居酒屋のメニューを見ながらカップルが「あんたそういうぶりっ子タイプ好きだよね~」「は? 気にしすぎだし~、何ソレ、嫉妬?」などと口論を始めることもありませんので、さほど問題はないです。

しかし、「人間の中にぶりっ子という要素を見つけてしまう」場合、話は別です。

 人間の脳は、ひとたび誰かの中にぶりっ子成分を見つけると、そこから先は「ぶりっ子」の部分を強調し続けます。あ、こいつぶりっ子だわ、と認識するやいなや、どれほど目を離しても、次にその人を見たときには「あー、あのぶりっ子ね」と、光り輝くひとつの属性によってその人を判断するようになります。

 

 さて、あなたはぶりっ子を「演じている」とお書きになりました。レジや接客のトラブルを回避するため、と誰もが納得するような理由も書き添えられています。最後には「戦法」であると明言され、「続けるかどうか」、すなわちいつでもやめることができるのだ、というニュアンスまでお伝え頂いております。でもこれ、自己分析として間違っているのではないかと思います。いわゆる「誤診」です。私が診察、じゃなかった、拝察いたしますに、あなたはいぶりがっこです。あなたを構成する成分のなかにそもそも「ぶ」「り」「っ」「こ」が含まれているのだと思います。「演じている」のではありません。ぶりっ子という着ぐるみを一時的に着て、脱ごうと思えばいつでも脱げるという類いのものではないと思います。ぶりっ子はあなたの外にある概念ではなく、あなたの中にある、あなたの一部を構成する「要素」です。そしてあなたは、それを意図的に抽出して、「ほらぶりっ子だよ」とみずから強調なさっているわけです。

 

細かいことを付け足しますと、「レジや接客のトラブルを回避するためにぶりっ子を演じる」というのは一般論として通じないと思います。ここ、思わず読み飛ばしそうになりましたが、レジや接客を担当される方がみんなぶりっ子になっていくわけではないですので、詭弁ですね。人間は、「リンゴは甘いからカレーに入れてみた。」のように、「~から」とか「~ために」といったフレーズを使うことで、なんかちょっと論理的にうまくつながったかのような文章を書いて人を誘導することができます。私も誘導されかけました。漫然とお手紙を読むと、「そうかー、理由があって、ぶりっ子という成分を外から持ってきて、自分に一時的にくっつけているのだな」と納得しがちですが、実際には、理由があって外挿したのではなく、「内からにじみ出てくるものに対し、後から理屈を付け足した」のではないかと思います。そもそも、「パート社員の奥様たちや一部のお客様、特に女性のお客様には白い目で見られる」とお書きになっていますように、これ、別のトラブルの火種になってしまっていますよね。でもまあ、年配の方など一部のお客様には好意的に受け止められているそうですから、これはもう、損得も利害も入り混じっているわけで、あとは個人でその道を選ぶか選ばないか、くらいの話になっています。

 

以上、私はあなたのお手紙を拝見して、このように感じました。

 

「ぶりっ子を演じているのではなく、自分の中からぶりっ子成分がにじみ出てくるのを、損得ともに織り込み済みで、自分なりに利用されているのでは?」

 

4月から移られる次のお店でも、ぶりっ子を演じるかどうか、みたいなレイヤーの問題ではなく、自分の中から温泉のお湯のように続々と湧き上がってくる「ぶりっ子成分」をどう有効活用するか、という問題として考えた方がより建設的なのではないでしょうか。いぶりがっこの中からぶりっこを除去したら「いが」しか残りません。これではもはや、いぶりがっこの痕跡も感じられません。だったら、無理に除去するのではなく、「ぶりっ子」はそこにあるものとして計算していったほうがいいかもしれません。以上が私の分析です。

ただまぁ、打つ手はないです。

 

どうで荘にご入居のみなさん、こんにちは。@SHARP_JP の山本と申します。家電メーカーのしがないサラリーマンがなんの因果か、北の病理医ヤンデルさんといっしょに他人さまの悩み相談に乗ることになりました。

 

相談に乗るのはせいぜい家電の買い替えくらいのボンクラ会社員が、なんらかの解を提示しようとするわけですから、悩む方も油断がなりません。なにより回答する本人が「だいじょうぶだろうか」と疑心にとらわれているわけで、ままならないとはこのことでしょう。

 

さて「ぶりっ子の損得」です。まるで「ニッポンの論点」とか「武士の一分」といったスケールの大きさを感じさせる語感ですが、ご本人にとっては接客を仕事とされているだけに、お悩みは切実かと思います。

 

結論から先に申し上げますと、ぶりっ子の損得は総合的に勘定すればちょい得ではなかろうか、私はそう考えております。

 

ここを読むみなさんが、私のふだんの仕事をご存知だとうれしいのですが、私は主にツイッターを舞台に、勤め先の製品を身の回りのよしなしごととともに発信しています。もう10年あまり、広義の広告宣伝という企業活動に身をやつしております。

 

化粧品や嗜好品ならいざ知らず、家電のお客さんは潜在的に老若男女の全員です。つまり私の仕事はほぼ全ての人を対象にメッセージを発信し、その結果あわよくば多くの人から好感を獲得する、そうでなくとも最低限、だれからも嫌われないというラインが課せられるのです。当たり前ですが、広告はイメージや売り上げに関わりますから、反感を買うことは許されません。

 

では、だれからも嫌われない広告に必要なことはなにか。沈黙か、ぶりっ子以外にありません。沈黙では私の仕事が成立しないので、つまり私は職能的ぶりっ子を10年続けてきたことになります。ぶりっ子のプロフェッショナルと言ってもいい。

 

すると私はどうなったか。驚くべきことに、私はいい人になったのです。10年前の私と現在の私を比較検証できる人間は限られますが、その張本人である私は自信をもって断言できます。私は今、いい人です。10年前より、いい人になったのです。

 

おそらく人間は打算的なふるまいであっても、それを続けることで自身が影響を受けるのでしょう。たとえ仕事上の言動でも、長期的に見ればぶりっ子は本人の人格に深い影響を与える、私はそう考えています。いい人になることに不利益を唱える人はいないはずです。だからぶりっ子でお悩みの菜央さんも心配いりません。あなたはいずれ、いい人になります。

 

もちろん「だれからも嫌われない私」が非常に困難なゴールであることは私も知っています。ぶりっ子は「ほんとうの自分」を覆い隠す手段であるのもまた事実。多くの人と触れあう職能的ぶりっ子なら、なおさら「あなたの本心がどこか」を探る白い目に晒され続けるでしょう。お互いが裏をかきあう、メタ化したコミュニケーションは疲れるものです。

 

しかし本来ぶりっ子が目指していた「いい人」を、あなたが名実ともに実現したらどうでしょうか。ぶりっ子というふるまいが実際のあなたに影響を与え、あなた自身が「だれからも嫌われない私」そのものになれば、ぶりっ子は戦法でなくなります。そこにいるのは、ただのいい人。すなわちぶりっ子とは、やめずに続けることにこそ、その成否がかかっているのです。

 

が、問題はここで終わりません。ぶりっ子を続けることを阻む、最大の敵がいることをゆめゆめ忘れてはいけません。ぶりっ子の継続を邪魔するのは、ぶりっ子に白い目を向けてくる他人ではない。過去のあなたです。過去のあなたが「お前、そんなにいい人だったっけ」と、ぶりっ子を続ける現在のあなたを執拗にあざ笑ってくる。それに耐えるのは至難の技でしょう。白い目は世間でなく、身内にある。つまりあなたは、あなたの中に敵をインキーしているのです。そしてぶりっ子はかくも困難な道かと思うたび、あなたの脳裏にはあの声が蘇るはずでしょう。


「ただまぁ、打つ手はないです」

 

【回答者プロフィール】
病理医ヤンデル/市原真(43)
好きなどうでしょうはユーコンです。

山本隆博
@SHARP_JPの運営者。どうでしょうをサラリーマン目線で見直すのが好きです。

来月のお悩みへの回答はお一人は全文公開。もうお一人は「どうで荘」内のみでの掲載です。「どうで荘」は特に意味なく初月無料中

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