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藤村でございます。

大阪での藤村源五郎一座芝居公演「2024春の大ちょんまげ祭り」が終わりました。

どうで荘住人の方でも、この時代劇集団の公演を「まだ見たことない」って人がほとんどだと思います。

そりゃそうでしょう、たいした話題にもならないし、どうでしょうとも関係ないし。もし見て、なんかこう「あれ?」って思ったらイヤですしね。

分かりますよ、そのへんのところ。

でもまぁ、改めて。

そもそも、なぜに私が大阪で時代劇をやり始めたのか?という話からしますけれども、この一座の旗揚げは2015年、今から9年前ですね。

当時、大阪讀賣テレビの西田二郎とやっていたテレビ埼玉の番組「たまたま」の企画のひとつで「ヒーローショー・ショー」というのがありましてね。(この「たまたま」って番組自体も謎なんだけども、それは今回置いといて)

これは、遊園地やデパートの屋上なんかでやるような仮面ライダー的なヒーローショーをですね、私がその場で演出していく様子から見せていって最後はヒーローショーを完成させるという、その全行程を舞台上でショーとして見せるという西田二郎考案の企画でございまして。

その関西版をですね、大阪城内にある神社で収録したんですけど、その日に初めて顔を合わせた役者陣たちが、もうメイクがバチバチでコテコテの関西時代劇集団の連中で、私、ちょっと困惑してたんですよね。

「対決列島」で大泉さんが関西人のマネをして私に執拗に絡んでくる場面があるんですけど、私は元来「関西人が苦手」だったんですよね。苦手というより「嫌い」だったんです。

だって「お笑いは関西や」みたいなことを自分たちで言い放ってるような人種ですよ。なにを勝手なことを言ってるんだという反感が昔からあったんです。

どうでしょうの笑いは、だから「反関西」という旗印が自分の中にはあって。後年になって、萩本欽一さんにお会いした時に「水曜どうでしょうは関東の笑いだよ」と言われた時には至上の喜びを感じましたからね。

まぁそんな反関西の私が最も苦手とするタイプのゴリゴリの、やけに馴れ馴れしい関西弁で話しかけてくるその「笑撃武踊団」と名乗る連中が、大阪城の神社の控室にいたわけですよ。

「よろしゅうお願いしますぅー」みたいなね、一応へりくだりつつも、腹の中はどう思ってるのか分からないような、そんな関西弁を操る連中ですよ。全く信用ならない。

だいたいなんすか?その「笑撃」ってネーミング。「衝撃」じゃなくて「笑撃」って。「笑いで撃つ」みたいなことっすか?よく自分たちでそんな恥ずかしい名前つけられますね?

とまぁ、そんな悪印象ですよ、いきなり。

ところがですね、ショーが始まってやつらのパフォーマンスを見ると、女性陣は実に艷やかで、そして男性陣は迫真の殺陣を披露するわけですよ。スゴイんですよ実力が。思わず私「おーっ!」と、感嘆の声を挙げましてね。

収録が終わり、彼らの稽古場で飲み会を開き、金髪モヒカンのアニキと呼ばれているサングラスのカッコつけた男が(コイツが長渕剛の大ファンで、それもまた「はぁ?」って思ったんですけど)鉄板でとんぺい焼きを作ってくれまして、これが美味くて、いつしか酒をしこたま飲んで、私その日に稽古場のトイレで盛大に吐きましてね。

私の中で「吐くという行為にまで及ぶ」とはつまり、「吐くほど楽しかった」ということでございまして、ほんとに心から楽しかったんですよね。

あのコテコテの関西人たちと一緒にいることが。

その「笑撃」と名乗る連中の中心人物は、サエリという演出担当の押しの強い巫女のような女で、モヒカンサングラスのアニキといういかつい男が殺陣の専門家で、龍竹(リュウセツ)と名乗る二枚目が歴史オタクで、この3人が日光江戸村で時代劇をやっていたのが縁でつながって、そこにミツルという脚本を書ける愛想の良い男と、サエリの実の妹でロンドンの大学でダンスの博士号を取った本格的なダンサーのリカコが加わって、この「笑撃武踊団」というグループを作っていたのでありました。

その才能の集まりは、その昔チームナックスを見た時と同じくらいの感激がありまして、すぐさま彼らに「おれを座長にしろ」と言って、その劇団をいわば乗っ取って「藤村源五郎一座」を結成したのでした。

そこには「テレビでは時代劇はもはや用無しだけれど、日本を訪れる外国人には間違いなく時代劇はウケるだろう」という目論見もありましたし、なにより、自分が大嫌いだった関西人と時代劇をやるという突拍子もない状態に我ながら笑ってしまっていたのでありました。

そしてすぐに西田二郎に紹介された「探偵ナイトスクープ」のスタッフをしていた男に「激安な部屋を探してくれ」というオーダーを出して、家賃3万5千円の部屋を稽古場の近くに借りて、大阪天神橋筋商店街界隈に住み着いたのです。

そんな一座に嬉野さんを引き入れて、講談師として語りを担当してもらいました。思えば嬉野先生は玉田玉山よりも早く講談をやっていたんですよね。あの方の文章の才能は先に開花しておりましたけれど、しゃべりの才能がここでまた見事に開花して感激しました。

嫌いだった関西に部屋を借りて、コテコテの関西人たちと時代劇をやり始めて9年。

その間、メンバーたちは引きこもりの次女を支えてくれ、社会復帰をさせてくれ、今ではその次女も「源五郎一座」の座員となり、それがあいつの大きな生きる糧にもなっており。

でもいつしかメンバーの顔ぶれも変わり、今は座長の私、殺陣師のアニキ、ダンサーのリカコ、そこに次女と、田ノ中という芝居の才能はあんまりないけれど音楽の才能はスゴイ若手が加わって一座を形成しております。

まぁそんな一座の今回の公演は、大阪ユニバーサルスタジオでエンターテナーをしている役者たちを加えて、初心に立ち帰り、お笑いをメインに据えて、肩肘張らない演目にしました。

最初の演目は前回やったミステリー仕立ての時代劇「本能寺の変」を、映画の撮影に見立てて、NGを連発する役者とスタッフたちのドタバタを、ほぼアドリブで30分以上演じるというものでございました。

そこからオープニングに入り、プロジェクションマッピングで踊りと忍者の派手な殺陣を見せ

「忍者になりたい」と伊賀忍びの里にやってきた中年男が、実は猿飛サスケだったというコント芝居

そのまま幽玄な舞いが始まって

幽霊退治をする坊主と「お花」という名の女幽霊との悲恋のコント芝居

そこから戦国時代の赤い武田軍の演舞と

徳川家康が三方ヶ原でうんちを漏らしたという逸話を元にした「どうした家康」

最後は水戸黄門御一行、赤影、鞍馬天狗、遠山の金さん、暴れん坊将軍が次々と登場し、掛け声と投げ銭が乱れ飛ぶ「江戸町ヒーロー大集合」という茶番劇で幕を下ろしました。

とまあ、ここまで書いてもよくわからんでしょうけれども、不思議な縁でつながった連中と、数十人しか入れない狭い稽古場を劇場にして、商業演劇とも違う、アングラ劇とも違う、ただただ楽しいだけの無為な時間をお客さんと共有できるお芝居ができたと、妙な満足感だけを感じております。

また次回も必ずやりますので、その時は臆せず、大阪に足を運んでいただければと思います。

 

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\寄合復活!みんなで乾杯!/

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