7/19日誌(D陣日誌:嬉野)
嬉野です。
日誌です。
つい、このまえまで。
わたしは知らなかったんですけど。
サヤエンドウとグリーンピースって、違う豆かと思ってたら同じお豆だったんですね。
あんまり成長しないうちに摘果するとサヤエンドウとして流通し、成長を待って摘果すれば、それはグリーンピースとして流通する、ってことだったんですね。
なので、グリーンピースをさらに育てると完熟えんどう豆になるんだそうです。
知らなかったわたしは感心して、なぜか反射的に、ユーミンの「チャイニーズスープ」を脳内で口ずさんでおりました。
「椅子に座って爪をたて。
サヤエンドウの筋を剥く。
サヤが私の心なら。
豆は別れた男たち。
みんな、こぼれて、鍋の底。
煮込んで仕舞えば形も分からぬ。
もうすぐ出来上がり」
そうやって丹精して作ったチャイニーズスープを、たしかユーミンは、新しい男の晩ごはんに提供して、「美味しい美味しい」と笑顔を見せる男の顔を見ながら、昔の男たちが咀嚼されていくと、満足げだったんでしょうね(^^)
おもしろい仕返しですね😊
別れてからずっと腹が立ってたとしても。
しかも、多少の未練もあったとしても、ある瞬間に自分の脳内で内々に酷い目に遭わせてやるイメージさえ思いつければ。
意外とそんなお料理作りの中で傷心に萎れた人間の情緒も、たちまち満足させられ復元力を得るのねらという、気づきは、とても勉強になりますね。
わたしは、今日の日誌で。
グリーンピースの話をしようと思って、サヤエンドウの話から始めたんですけど、ついついユーミンの曲に感心しちゃって前置きがすっかり長くなりました。
違う違う。私がしたかったのは、たんにグリーンピースの話だったんです。
もう20数年前に亡くなったうちのお父さんが、グリーンピースごはんが大好きだったんですね。
白いごはんに塩気をふって豆と一緒に炊くから豆の香りと風味がほかほかの白ごはんと一緒に立ちのぼり、口の中でもそれが感じられて、こうして書きながらも食べたいと私は思ってしまうくらいなんですが。
でも、子どもの頃はカタキのように嫌いだったんですグリーンピースごはんが。
でも、お父さんは大好きで(^^)
だって、今夜の晩ご飯はグリーンピースごはんだ!というとになると、お父さんは食卓に着いて御膳の前で、ひとりニコニコしてて。
うちのお母さんからグリーンピースごはんを饗されるのをニッコニコで待ってましたもんね。
それなのに子どもたちは、「え?豆ごはんなの?」と、恨めしく思えるほど豆ごはんがすごく嫌いで。
あれってなんでしょう。
きっと口の中で違う食感がして、いろいろな刺激がランダムに襲いかかってくるようで、たまらなかったんでしょうかねぇ。
いまさら思い出せないんですが、本当に嫌いでね。
で、よせばイイのに、お父さんの横でグリーンピースを箸で一個一個つまんでは皿にほかしてたんです。
今あれを思うと。
お父さんにものすごく申し訳ない気持ちになります。
もちろん今は大好物になってるんですから、あのころだってきっかけさえあれば私も好きになってたっておかしくはなかった。
子どもの頃から好きだったら、「今日はグリーンピースごはんだ!」と、私もお父さんと一緒になって喜んで食べてたわけです。
そしたら、お父さんも満足だったろうし、なにより、もっととっとグリーンピースごはんの回数も増やしてもらえてうれしかったろうになって。
こんな年になってもまだ、反省しているわけです。
まったくもって、孝行のしたいときに親は無し。
でも、なんで、子どものころってあんなに好き嫌いがあったんでしょうね。
ネギもピーマンも苦くて臭くて嫌いだったのに、今や「ネギそば!」とか、ネギを求めて食べますもんね。
ということで。
そのうち父の功徳も兼ねて、豆ごはん、食べようかなと思っております〜(^^)


