5/31日誌(D陣日誌:藤村)
ふぉゆどう、っていう番組が始まったきっかけは何かというと、やっぱり西田二郎なんですよ。
西田二郎が、スタート社――まあ、旧ジャニーズですよね――そこと関わるようになった。
ジャニーズ事務所なんてものは、我々にとっては、ほんとに無縁の存在だったんです。二郎にとってもそうだろうし、私なんかもっとそうです。まったく縁のない世界だった。
でも、そのジャニーズ事務所というものが、いろんなことを経て、スタート社という違う形になった。
じゃあ、そもそもジャニーズ事務所って何だったのか。
それはやっぱり、日本のエンターテインメントをものすごく牽引してきた存在だったと思うんです。そこは間違いなく、すごい力があった。
ただ、その牽引力があまりにも大きかったから、東京のキー局も、そこにベタッと寄りかかるというか。大事にする、という言い方とも少し違うんだけど、いつの間にか「もうそこしかない」みたいな感じになっていたところがあると思うんです。
それが、いろいろあって崩れた。
そのときに、「じゃあ日本の芸能界って、このまま東京のキー局のやり方で進んでいくのか?」というと、もうそれ自体が完全に崩れているわけです。
特に、テレビ界を牽引してきたフジテレビというものの力が、かつてのようにはなくなっている。そういう時代になっている。
じゃあ、旧ジャニーズだったスタート社を、誰がどう受け止めるのか。
その話が、西田二郎から来たんです。
そこで二郎と話していて、「これはキー局じゃないよな」と思ったんです。
むしろ、究極的に言えば、資本に染まりきっていないローカルが、ちゃんとやっていかなきゃいけないんじゃないか。そんな話になった。
それは、私にとってもかなり革新的な考え方でした。
社会的な信用という意味で、まだ崩れていないテレビって、東京のキー局じゃなくて、ローカルなんじゃないか。だったら我々でやろうじゃないか、と。
その流れの中で、二郎が見つけてきたのが、ふぉ〜ゆ〜だったんです。
公式にCDデビューをしているわけではない。だけど、ずっとアイドルをやっている。しかも40代の男たち。
二郎が「これ、最高におもろいで」と言うわけです。
それで私も一緒に渋谷公会堂へ観に行ったんです。
観終わったあとに彼らに挨拶をして、実際に会ってみた。
その瞬間に、やっぱり人の良さが伝わってきたんですよ。
「ああ、こいつらもいろいろあったんだろうな」と思った。
40代まで、ずっとその世界で生きてきたわけですからね。相当、命を削ってきたはずなんです。
だから、「こいつらとだったら、普通に話したいな」と思ったんです。
普通の話でいいんです。
別に、大泉さんみたいに、面白い話に命をかけなくていいんです(笑)。
彼らがこれまでどうやって生きてきたのか。
今もアイドルでいるというのはどういうことなのか。
そういうことを、落ち着いて話したい。
そういう番組だったらいいなと思ったんです。
私にとっても、それならプレッシャーにならない。
何か大きな企画を背負わせるんじゃなくて、ただ話す。焚き火を囲んで、酒でも飲みながら、ふぉ〜ゆ〜の4人といろんな話をする。
私にとっても、今もアイドルをやっている40代の男たちなんて、初めて会う人種ですから。
単純に、その話を聞きたいんです。
そうやって始まったのが、「ふぉゆどう」という番組です。
この番組の作り方も、二郎が考えたことなんだけど、普通に俺たちが番組を作って、どこかに売るという形ではないんです。
全国のローカル局に声をかけて、番組販売費のような形でお金を出してもらう。
「皆さんも一緒にやりましょうよ」と呼びかけて、番組を作っていく。
もちろん、そういうやり方は、下手をすると烏合の衆みたいになりがちです。
でも、面白いやり方ではある。だから、やってみようと思った。
私としては、その顔としてそこに出るというのは、いいなと思ったんです。
ふぉ〜ゆ〜の4人は、「何でもやります!」って言うんです。
街ブラでも何でもやります、って。
でも私は、そこをあえて何にもやらせない、ということをやりたいんです。
「いや、もう痛々しいから、見てらんないから、やんなくていい」と(笑)。
彼らはずっと、何かをやらされてきた人たちでもあると思うんです。
だからこそ、ここでは何かを無理にやるんじゃなくて、ちゃんとまともに話そうぜ、と。
それを毎月1回できればいい。
そういう番組なんです。
だから、これからも意外と楽しみなんですよ。
何かを派手に仕掛けるというより、ふぉ〜ゆ〜の4人と、ただ話す。
その中で、40代のアイドルとして生きてきた人間の面白さや、にじみ出るものが、自然に出てくればいい。
「何でもやります」という人たちに、何もやらせない。
そこに、この番組の面白さがあるんじゃないかと思っています。


