嬉野です。日誌です。
本日はクリスマスイブです。
少子化が問題視されて久しい日本ですが、相変わらず宗教的な意味合いとは違った別な方向から雰囲気だけで本日これからロマンチックな夜をお迎えになられるような方もこの国にはまだたくさんおられでしょうか。
どうぞお気張りください。
ということでね、我が家でクリスマスイブの晩と言いますとね、なぜか韓国の鶏料理「タッハンマリ(タッカンマリとも)」を夫婦で食べるというのが慣わしとなって久しうございますよ。
この「タッハンマリ」というのは、丸鶏を使った鍋料理ですが、鶏の出汁が効いてて美味いですし、タレにニラと豆板醤と辛子を入れて食べるのがまたうまいわけです。
このタレに辛子というのが意外なんですけど欠かせない味で。あぁ思い出すだに涎がでますね。
さぁ、すでに丸鶏はウチの奥さんが安いときに入手しまして冷凍庫に保存しておりましたから今朝から解凍中であります。そしてね、これも欠かせない野菜としてニラですね。ニラは、昨日近所のスーパーから買ってきました。
なんでも、うちの女房が韓国旅行をしたときに食べて気に入って、「あれは美味しいよ」ということで、それ以来我が家でクリスマスの晩に食うのですよね。
そんなことで、うちの女房はいろんな海外へ出向きましてね、インドではカレーに使う香辛料をキロ単位で買って帰ったこともありましたし、アフリカはバイクツアーに参加してあっちこっちの少数民族に会うという旅にも出かけておりましたよ。
そのときに買って帰った「バルバレ」という香辛料も肉料理に抜群に合いました。それも羊とかクセの強い臭い肉で調理すると臭みが取れる上に臭みのない牛肉を使うより臭い羊肉を使った方がより美味くなるという優れもので。さすがにそれはもう使い切ってしまったんで、もう食えないんですが、私の記憶の中では未だに忘れられない味となっております。
そんな女房のアフリカ・バイク旅の道中でエチオピアの山の中にあるコンソ族という人たちの村に女房は立ち寄ったことがありましてね。それは今からもう21年も前のことになるんですが、そのときの話は私も女房が帰国した当時からずっと聞かされてきましたし、アルバムに貼られたコンソの村の写真も興味深く見てきたんですが。それがなんと、つい先日のことです。
うちはJ:COMさんの通信を使ってるんですが、J:COMチャンネルで「世界ウルルン滞在記」の再放送をやってましてね。それもまだテレビ画面が真四角に近かった📺頃のやつですから徳光さんやら石坂浩二さんやら若くてびっくりで。
なにしろ今から21年も前のやつでしたからそれもそのはず。旅人は当時まだペラッペラな若者だった俳優の玉木宏さんで、その回のその行き先が、なんとエチオピアのコンソの村だったんですよ。ですからもう女房は大喜びで。
「あたしここ行ったよ!」
分かってるっちゅうの、と心の中で思いつつ、私が番組を見ておりますと、番組では、遠い日本という異国から来た若者をコンソの村に入れてイイものかどうしたものかというので、村中の男たちが集まって青年玉木宏さんを取り囲むようにして評議し始めているわけです。なんか、おっかないですよね、みなさん異国の人ですから顔つきも怖く見えますし、外の社会と隔たりを設けて自分たちの文化を守っている民族ですから緊張感が感じられるわけです。中には大声で「余所者を入れたら災いが起きるぞ!」と叫ぶ人もいたりする。紛糾してるんです。さすがアフリカの秘境だ、いきなりおっかないことになってるじゃないかと見ておりましたら「あ、これ、ヤラセだよ」と後ろで女房が軽くヤジを入れる。
「何が?」
「だって、あたしが行ったときこんなことなんかなかったよ。テレビだからそれっぽく見せるためにあえてやってくれてるんだよ」
「いやいやいや。滅多なこと言うもんじゃないよ。時代が違うんだよ」
「え、あたしが行ったのだって21年前だから、ちょうどおんなじ頃だよ」
「いや、だとしてもさ。コンソの村って他にもたくさんあるわけだし」
「え?この村だったよ。なんか、このコンソの村の村長さん。あたしが会った人と顔が違うな」
「いや、だから、同じ村とは限らないでしょ」
番組の進行と同じく女房の思い出にも花が咲いてとにかく私は番組に集中できない。
「あ、チャガ。あたしも飲んだよ。酸っぱいんだよね。アルコール度数はビールより低いかな。でもなんか、よく分かんないハエみたいなものがいっぱい浮いてたけどあたし避けながら飲んだもん。飲んでる写真もあるよ」
女房はもう盛り上がる一方で。
そのうち番組は佳境を迎え、とうとう帰る日が来て若き日の玉木宏さんも感極まって泣くし、コンソの若者も泣くし、私ももらい泣きするわけです。
で、別れの記念にと玉木宏さんは、これまで滞在させてくれたお礼の意味を込めて村長に木の板を渡すんです。その木の板というのが、村の入り口に飾って置けるようにと現地の文字を教えてもらった玉木宏さんが村の名前をその木の板に自ら掘って作った手作りの看板だったんですね。それを村長に渡すと村長も「ありがとう。使わせてもらうよ」と涙ぐみつつ謝意を表明する。
こうして村人たちはコンソの村の石積みの入り口まで玉木宏さんを送り出して、その入り口で両者は別れ別れになる。コンソの村の人も涙ぐみ抱き合い玉木宏さんは男泣きに泣きながら帰っていくという、あの懐かしい「ウルルン滞在記」のラストシーンですよ。
するとまた女房が言うわけです。
「あ、この入り口。ここ、やっぱりあたしが行った村だよ。入り口がおんなじだもん」
こっちは半泣きで感極まってるっていう1番イイところなのに盛り上がってる女房はとにかく自分が行った村と同じにしたがるわけですよ。
「いや、村の入り口なんて、どこも似たようなもんだよ」
「ほら。見て、おんなじだよ」
振り返ると女房はいつのまにかアルバムも持ってきていて、そこに貼られた写真と見比べながら騒いでおります。
たしかに、小石を丹念に積み上げて築き上げた入り口はおなじです。でもそれはコンソの文化がそういう入り口を作る文化なんでしょうから同じとまでは言い切れないだろうよとぶつぶつ思っておりますと、さらに女房が声を上げたのです。
「あ、写真に写ってる私の上にあるこの看板板。見てよ。玉木宏さんが作ってたやつだよ!」
そんなことがあるかよ、と、アルバムの写真に写った21年前の女房の頭上に目を凝らしましたら、なんと、たしかに今さっき見たばかりの玉木宏さん自作の看板が写ってるんです。
「あ!おんなじだ!」
「でしょう。これ、ほら、村の入り口に立ってるこの写真の私の頭の上にほら」
さすがに、このときばかりは、私としても開いた口が塞がらないほど驚きました。こんなことってある?と思ってしまったのです。
だって、放送当時に見逃した「世界ウルルン滞在記」を21年も経ってからたまたま見てですよ。その番組の中でついさっき玉木宏さんが1人でせっせと作っていた看板がですよ、我が家のアルバムに貼られた写真の中の女房の頭上にハッキリと掲げられていたのですから。
「何だこれは。。」
なんと、女房の主張は事実だったのです。玉木宏さんが、番組でコンソの村に滞在した数カ月後、うちの女房も同じコンソの村を訪れていたのです。
なんかもう時間軸があっちゃこっちゃした感じで、今あの再放送を見ることがなければ、その事実すらうちの夫婦は2人とも知らずに人生を終わるところだったのですよ。
しかし現実には、21年も経った今になって偶然そのことを知ることになるという。。このことが、なんだか不思議でしょうがなくて、いまだに説明がつかないのですが、私は妙な気分になり「こんなことってあるんだろうか」と、1人で奇妙な巡り合わせになす術もなく盛り上がってしまうところがあるのです。
なんの因果で、と言いたくなるほどにです。
まぁ何にしてもコンソの村長は、21年前、別れのときに言った言葉通り、玉木宏さんがお礼にと作り残した村の看板を、ちゃんとあの後、大事に村の入り口に掲げてくれていたんですね。それを。はしなくもうちの女房の写真がこのような形で見届けていたというわけです。
ですからこれは、ひょっとするとご本人の玉木宏さんは未だにご存知ないのかも知れませんが、私たち夫婦だけは、21年も経った今となってのことでしたが、受け取ったコンソの村の人たちの律儀な謝意とその事実を、「確認いたしましたよ」という。まぁ実にどうでもイイような他愛もないお話ではございましたが、私の感覚と感情が混乱しつつも盛り上がってしまいましたので、ここに書き留めさせていただいた、ということでございます。
それではみなさん良いクリスマスと年末をお過ごしくださいませ。