嬉野です。昨日、古石場文化センターで、噂の講談師 玉田玉山が語る政治家講談「加藤の乱」を聴いてきたんですが、これが、聴いてみて、やっぱりおもしろかった。
いや、たしかにね。今、改めて当時を振り返って「加藤の乱」という政治事件を振り返ってみますとね。ここまでどうしようもなく行き詰まってしまっている現在の日本の政治の、こういう吹き溜まりみたいな未来に流れて来てしまった要因として、あの「加藤の乱」は、ひとつの分水嶺であったのかもしれないなぁと思わせるところがあって、私は改めて「加藤の乱」というのは、あれは重要な事件だったんだなと感慨を新たに持ちましたね。
ちょうど「水曜どうでしょう」が「原付西日本制覇」の旅に出かけてたときだったと思いますが、当時現職だった小渕恵三首相が脳梗塞で緊急入院されて亡くなられるわけです。そしたら、そこからもう一度総裁選をやって正規に総裁を選出するという手続きをスッカリすっ飛ばして、「政治の空白を作ってはならない」というお為ごかしで、密室の談合の中から森喜朗さんがスピードくじ的に総理大臣になるという自民党内の田舎のおじさんたち的な采配があって森内閣が誕生してしまう。そしたら森さんは今回のオリンピックでも失言が相次いで盛んにマスコミに問題化されて叩かれて辞めちゃったけど、首相になったあの当時もあっと驚く失言が相次いで、森内閣は国民の信をひたすら失い続けて支持率は、あっと驚く10数%台まで下落していって、とうとう野党が内閣不信任案を提出するところまで事態は揉めにも揉めてしまったんですね。とはいえ議席の過半数は与党が占めているから不信任案は通らない。ところが、ここで自民党の若手エース加藤紘一さんが自民党と日本国のためを考えれば森内閣ではダメだから森内閣を倒そうと立ち上がり、自らの派閥議員を率いて造反を企てて野党に与する形で内閣不信任案を通そうと目論んだわけです。
だけど、これに抵抗する自民党執行部で森派の野中広務さんやら小泉純一郎さんらの激しい切り崩し工作にあって、あっという間に加藤紘一さんは数を失って、内閣不信任案を通すという目論見はあえなく潰えてしまうという、この一連の騒動が「加藤の乱」であり、最終的に加藤紘一さんは野中広務さんに良いように丸め込まれて、自分でも身の振り方をどうして良いものやら分からなくなって、自分でぶち上げた「日本の政治のために森内閣を打倒する」という道義まで有耶無耶にしてしまって最後は保身にまわったかのような行動をとってしまったもんだから、加藤紘一さんは国民の信をすっかり失って完全に政治生命を絶たれて終わったんですね。ですからそこは自業自得かもしれませんけど、でも、加藤紘一さんが、次の総理にと、マスコミからも国民からも大いに嘱望されていたのは事実で。だったらそんな有意の人が、なぜ総理大臣にはなれなくて、内容実力ともに、たいしてそうでもない人が、なんとなくで総理大臣になれてしまうという我が国の政治体質が、ゆくゆく総理大臣の価値やら政治家の責任の重さやら価値やらをひたすら下げて今に至ると思えば、仮に「加藤の乱」が成功して加藤紘一さんが総理大臣になっていたら、いや、そもそも加藤紘一さんが乱なんか起こさずとも、すんなり総理大臣になれていれば、自民党の世代交代も健全に進んだのかも知れず。もし加藤さんが総理大臣になっていれば、小泉純一郎さんが総理大臣になることもなかったわけだから、自民党をぶっ壊すという小泉内閣も実現しておらず、主義主張も違うのに、ただただ自民党が嫌で出て行った議員たちが徒党を組んで民主党という政党を作るという流れも、もう少しは堅実に考えられていたかもしれず、でもまぁ、仮に加藤内閣ができたとしても事態は大してかわらなかったのかもしれないですけどね。
でも、「もしも」という夢が見れるんであれば、そっちの夢も見てみたかったなあくらいのことは、玉田玉山の「加藤の乱」を聴きながら思ったんですよね。なんで、玉田玉山という講談師の視点は、やっぱりジャーナリストなんだと思うんですよ。そのジャーナリスティックな玉田玉山の視点で語られるところが、彼の「水曜どうでしょう講談」にも流れているし、政治家講談にも流れている。玉田玉山は結局、誰がよくて誰が悪いと批判めいたことを言いたいがために講談にしたわけじゃなくて、政治家という人間の、いろんな性質と、いろんなキャラが、銘々の都合で恥ずかしげもなく暗躍するときに見せる人間性の輝きに魅力を感じてるんだと思うんですよね。
事実、「加藤の乱」に登場してくる20数年前の政治家たちの乱闘ぶりは、やっぱり充分講談になり得ているのでした。だから、今もまた、政治家やら、政治家を標榜する人たちの中に、講談になる人物やら事件やらを玉田玉山は見ているでしょうから、彼の趣味でしかないと自信が主張する玉田玉山の新たな政治家講談を私は次々に聞いて行きたい。その聴ける機会を、私は、さっそく楽しみに待つわけであります。
(2023年6月7日 嬉野雅道)