嬉野です。
赤坂の六本木通りの方へ抜けて行く裏路地に、なんだか美味しいハンバーグを食わせる店があって。そこ、夜だけの店だったみたいなんですけど、コロナ中にランチも始めて。それでふつうに定食の値段で出してて。この値段でこれだけのハンバーグ食わせてくれるんだったらこの店は凄い太っ腹だと感心するくらいで。それで、ちょっと前に思い出して食べたくなって昼の開店時間に合わせて行ってみたらやってなかったんです。ドアに「close」の札が下がってて。でも、店の中に灯りはついている。「これは何だろう」と、ダメもとで店に電話してみたら、「やってますよ」と答えるんです。「え?やってんの?」「やってます」「え?でもクローズって札下がってるよ」「外します」みたいなやりとりして電話切ったらドアが開いて、中から人が顔出して「close」の札がひっくり返されて「open」になった。それでランチメニューの立て看板もやっと出して来て。
「なか、いいすか?」「どうぞ」みたいな淡白な応対の中、店内に入ると、暗いんです。なんだかやけに暗くて。店内の雰囲気も、散らかってるわけでもないのになんか雑然としてるんです。よくない。これは料理人の精神状態がよくない。灯りは厨房の中にしかともってないし。テーブル席もあったんですが私はカウンターの席に腰を下ろしてハンバーグを注文したんです。でも心はすでに気が気じゃない。「なんかヤバいなぁ」「料理人変わったのかなぁ」「大丈夫かなぁハンバーグ」「どんなのが出てくるのか怖いなぁ」いろいろ思ってドキドキしてたんです。お客は私以外には1人もいないし。そりゃそーです。だってさっきまで「close」の札、下がってたんすから。
ただ。調理を始めたその様を見ていると、そこはまぁ、しっかりしてそうには見えたんです。キャベツを切る包丁の様も。手の中でパンパン叩いてハンバーグから空気を抜く感じも、そこから一連の動きでフライパンに乗せる感じも。「まぁ、大丈夫そうだ」。そう思って萎えかけた自分の気持ちを励まして。そしたら、それから出来上がってお膳に乗って出て来たハンバーグとお椀の味噌汁とサラダとの見栄えもお膳の上でビシッときまってたんです。
で、まず、脇の付け合わせのキャベツの千切りサラダから口にしたら、これがシャキッとして美味かった。キャベツの千切りとか、切っただけみたいなシンプルなものは、やっぱり処理の仕方が上手いとシャキシャキ感が口の中で心地良くて楽しくなってって、それで美味くてついつい食っちゃうんです。「あ、これはキャベツがすでに美味い。これは絶対ハンバーグ大丈夫だわ」そう思ってメインのハンバーグにナイフを入れたらジュワッと肉汁が出て来て口の中へ入れたらえらく美味かったんで猛烈にホッとして悦びが込み上げて来たんです。あとはもう熱々のごはんとハンバーグと交互に食うと益々美味さが上昇しちゃって恥ずかしいくらい夢中で食べて。
聞いたら、「ランチなんかちっとも儲からないですよ」「おまけに何でPayPay使えないんだとか怒られて」それですっかりやる気を失くしていたようなのです。あのね。本当にやめてほしい。これだけ美味いハンバーグ、そうそう見つけられないですよ。しかもこの値段でやってくれてるんですよ。そんなちゃんとした料理人に味以外のことで、PayPayとかで文句を言わないで欲しい。ランチやめたらどうしてくれるんですか? 気に入らなかったら黙って出ればいいんですよ。美味かったときだけ感動したと声を掛ければいい。そうやって、せっかくこんな巷で真面目にやってくれてる良質の料理人を、なんとかやめさせない方向にみんなで持っていかないと、本当に個人でやってる食べたら身体にも心にも良い味が巷から消えますよ。チェーン店みたいなどこの店に行っても同じ、みたいなことになりますよメシ屋が全部。
ということでね。あのとき不安な心でキャベツの千切りのサラダを食ったときの速攻美味くてホッとして、嬉しかった安堵感がいまだに忘れられなくて。それで今日の日記はそれです。本当はラパルフェのこと書こうと思ったんですけど。それはまた次回。それではみなさん本日もそれなりにご活躍ください。嬉野でした。
(2023年2月12日 嬉野雅道)