Facebook Facebook Twitter Instagram Youtube 藤村忠寿 嬉野雅道 星アイコン 入居者募集中

【お願い】藤村Dへの「お手紙」を募集しています

嬉野です。私はね皆さん。今年の夏のもの凄い猛暑を経験して怯えましたよ。だって、私だって相当長いこと生きていますよ。それなのにそんな私でさえ「ここまでの暑さは体験したことがない」っていう酷熱の夏を経験してしまい、経験しながらもなお何が起きているのかハテナでしかありませんでした。それくらいの暑い夏だった。この先どうなるんだニッポン。

だって気象庁の発表した本日の気温が37℃ってなに? 実際の町中は42℃もあったし。42℃? もはや「ニッポンの夏、金鳥の夏」みたいな、夜になったら庭に面したガラス戸を開けて家族みんなで縁側に腰を下ろして蚊取り線香を焚いて団扇で夕涼み、なんて風な情緒で夏を語っていた日本の夏は、もう影も形もなくなってしまったということを受け入れなければならない事態が発生しているわけです。

今は夜になろうとも外は暑いですから外気が入らぬように窓はきっちり閉めて、ガンガンにクーラーを効かせないと生きていけなくなったのがニッポンの夏というわけなのです。

だから、「今年は異常だわ」とかではないのです。既にもう毎年異常を更新している乱気の時代に入ってしまったわけです。つまり我々は、毎年、未知の体験に愕然とするしかないのです。

まさにそんな酷熱の夏に、私は呑気にも京都で寺巡りをやってしまったのです。

だって仕方ないじゃないですか。たまたま関西出張が発生して、少し空き時間もあったもんですから、だったら京都までの往復の交通費は会社持ち、みたいなものですから「ラッキー。ホテル代だけ自分で持てば京都寺巡りが出来る」と、そう思えたわけです。しかし寺巡りするにはあまりにも暑過ぎて、私はバチでも当たったように大変な目に遭う始末です。

そうそう。白状しますが。私ずっとバカにしてたんです若い人たちが首から小さな扇風機を下げて歩いている姿をね。「バカじゃなかろうか」と。「あんおもちゃみたいな扇風機で涼しくなるわけないじゃないか」と。勝手に思ってたんです。けどね、アレは大事よ。私、途中であの扇風機、欲しくなりましたもん。あと、欲しかったのが水で冷やせて首に巻く布切れね。あとは、さすがに途中で薬局で買ってしまった、スプレーを自分に噴射して自分自身を急冷するやつ。いやいや、あのスプレーで道中どれだけ急場を凌げたことか。やっぱり、あらゆるグッズを駆使して苛烈な夏も活動し続けようとする若者は賢いね。まったく目の前の変化に対応するに敏です。

とにかくその日、京都の朝の天気予報番組では「今日は危険な気温なので外出は避けましょう」と勧告してるわけです。そんな日に私は呑気にも京都で寺巡りをしてしまった。そりゃあなた寺に行ったって寺には誰も来やしませんよ。だって危険な気温なんですから。来てるのは私みたいな、今更予定を変えられなかった呑気な人だけですよ。

でも、そういう意味ではね、この夏私は、京都をある程度、独り占めしてしまったわけです。おまけに熱波で頭はクラクラするし余計なことは何も考えられなくてね、そのお陰で仏様に手を合わせるとあとはもう無心になれる。いつまでも拝んでしまえる。功徳になりましたね。

そして何より日向には危険を感じました。実際、私の体が避けたがるわけです陽射しを。そんな中でありがたかったのは木陰でしたね。

だって鬱蒼と繁った嵐山の竹林の道は、普通に歩けましたからね。だから、すごいもんですよ植物がもたらしてくれる恩恵というものは。

お寺も苔むす境内に入ったら頭上は生い茂る青紅葉が陽射しを遮ってくれて一面の木陰ですしね。そんな境内のベンチに腰掛けていると、そのうち涼やかに風が吹いてくるんです。もちろん暑くはあるけど危険度はグンと遠のいて行くのがわかるから良い感じに極楽です。おまけに人も来ないから境内は静かでね。あとはただ、セミだけがジージーと鳴いているのです。おまけに私を囲んでくれる植物のグリーンは目にも穏やかで瑞々しく。間違いなく私は植物に囲まれた中に居ることで命が守られていると実感できました。そんな素直な実感を経験することも初めてのことでした。

なので、ストレートに「植物は頼もしいな」と、今年の夏、私はこの身で実感したわけです。

もちろんね、じめっとした場所が好きな苔に直射日光を当ててしまったら、そりゃ苔も枯れますけど。でも青紅葉やらの木々の葉が日中の陽射しを遮ってくれれば苔も安心。でも生い茂る木々の葉は、放っておいたって太陽光線を求めて自ら上へ上へと繁茂するのですから、別に彼らにだけ嫌な仕事をさせているわけではないわけでね。人間は、ただせっせと木々に水をやれば、あとは何の遠慮も要らず彼らは勝手に葉を繁らせ我々に安全な木陰を与えてくれる。木々はただ手前勝手なことをしているだけなのに、結果として我々人間に恩恵を与えてくれるわけですから、植物と人間は、お互い無理をしないままにwin-winで助け合える間柄なわけです。

私は京都の寺巡りで、道中、急冷スプレーで息を吹き返しましたが、でも、それ以上に私は木陰に助けられた思いですよ。これは間違いない。

だから、この先ね。日本人は、生きていくために積極的に植物に頼るべきなんじゃないかと実感した気でいますよ。

つまり、これからの都市開発は、森や水田を埋め立てて宅地にして石で固めて便利な町を作ることではなく。石で固めて便利にしてしまった町にもう一度、鬱蒼とするほどの植物を植えて、私たち人間を酷熱の陽射しから守っておくれと、繁茂する植物たちに頼る気持ちを持つことだと思ったんです。

つまり、これからの再開発は危険なほどの陽射しを我々の図上で遮って夏でも憩える木陰を提供してくれる森や頼もしい並木道を街中に作ることであるように思えたのです。

むかし。バブルのころ。汐留にあった旧国鉄の広大な操車場跡地が再開発されて生まれ変わり、その結果、お金儲けに貢献できそうな石の街が出来上がりましたけど。あのとき「汐留に森を作れ!」と訴えていた歴史学者がいたことを私は思い出します。

当時は、「何を言っているんだ」と、社会から一蹴された意見だったかもしれませんけど、こんな夏になってしまった今ならば、「鬱蒼とした森があれば酷熱の夏でも生きていけそうだ」と、多くの日本人が「都市に森を作ること」に素直に共感できてしまうのではないでしょうか。

原宿にある明治神宮の森は人口の森だと聞きます。あそこは元々、何もないただの広大な野っ原だったそうです。そんな土地に木を植えて150年かけて鬱蒼とした森を作ろうと計画されたのが明治神宮の森だそうです。あれからやっと100年ほど経って既に鬱蒼とした森が出来上がっています。完成まであと50年。つまり日本人は森を作るノウハウを持っているんですね。その事実もまた実に頼もしい限りです。

これからは100年単位で未来を見通して未来の人たちがその恩恵に浴せるような街をイメージして作る視線が、そのまま我々の気持ちを癒してくれそうに思えます。

だって、100年後の未来に暮らすまだ見ぬ子孫をイメージして我々が住み良い街を残そうとするなんて、実に優しい視点じゃないですか。再開発の出発点にそんな優しさが当たり前のこととして付随するなんてことにでもなれば、その優しさは、今を生きる私達にも照り返して来そうではないですか。そんなことの積み重ねが我々の社会を穏やかな社会に育てて行くかもしれない。そんなふうにも思えて、私はホッとする思いです。

具体的な目標を与えられて今を生きるっていうのは、実際に今を生きている私たちにとって、大事なことのように思えます。

きっと地球はもう新しいステージに入ってしまったのでしょうね。だったら、これからの街づくりは、変に経験のある年配者が仕切るのではなくて、事態の変化に対応するに敏なる若い人達が担うことこそが、適しているし、大事だということは、もう間違いないことに思えます。以上で、お話しおわり。

最後になりましたが、私の新刊「思い出リゾート」が絶賛発売中ですので、是非、お読みくださいませ。

ついに嬉野雅道さんのエッセイ連載「嬉野珈琲店」が紙の本になりました!|光文社新書 (kobunsha.com)

(2022年9月4日 嬉野雅道)

記事一覧に戻る