Facebook Facebook Twitter Instagram Youtube 藤村忠寿 嬉野雅道 星アイコン 入居者募集中

【お願い】藤村Dへの「お手紙」を募集しています

嬉野です。

本日は5月29日。
藤村さんのお誕生日です。
そして、新刊「なんだか疲れる」の発売日です。これがまた、なんだか売れてます。お求めはお早めに〜〜〜。

京都の大原に三千院という有名な寺がありますが。ご存知ですか。

きょうと〜♬お〜はら・さん・ぜん・いん♫恋〜に疲れた・女が・ひとり〜♬

やっと小学校に上がろうかという子ども時分にえらく流行った歌謡曲で私は耳にタコができるほどその寺の名前と場所の名前を聴き、京都を思えば、いつもその歌の出だしが脳内にこだましてくるのです。

私はまだ年端も行かない子どもでしたから、恥ずかしながら♪京都大原3千円と歌っておりました。それに歌詞に出てくる恋に疲れた女というのが良かった。子どもは学校で教えてくれそうにないテーマに惹かれるものです。しかし恋に疲れた女とは何でしょう。けっきょくは失恋なのでしょうとは思いつつも、恋に疲れたとなれば、それは相手にフラれての傷心とは少し違うような気もします。むしろ、いつまで経っても本心の分からない恋の相手にこれ以上振り回されるのは身が持たないからと自分の方からお付き合いに終止符を打って恋から降りた、とか、そんなことなんでしょうかね。

何にしても京都大原三千院といえば叡山電車も通わぬ八瀬の奥の山の中です。たしかに恋に疲れた女が、心を空っぽにして独りになりたいと訪ねて来そうな静寂の寺です。

で、なぜか歌詞には出てきませんが、この寺にある、阿弥陀三尊像という国宝の仏像の迫力が、いま見ても物凄い。

そのときの私は(これは大人になってからの私ですがね)三千院の庭を順路看板を頼りに、わけも分からずフラフラ歩いておったのです。

その日は良く晴れて午後の陽射しが庭の緑に跳ね返り青葉が目に染みるようでね。実に爽やかではあったのですが、実際、目がくらみがちだったんでしょうね。私は薄暗いお堂の中がよく見えませんで、うっかりお堂の脇をそれが何とも知らず通り過ぎるところでした。そして、その通り過ぎようとしたこじんまりとしたお堂こそが、三千院の境内にあって、国宝、阿弥陀三尊像を安置し奉る、いわゆる往生極楽院の本堂だったのです。

その阿弥陀さまは、いわゆる丈六の仏というものでしょう、実に立派な大きさの仏様で。私は、「これはまた素晴らしいなぁ」と、お堂の階段の脇に立って外からお堂の中の阿弥陀さまを見上げておりました。

すると、堂内にいてさっきから1人で熱心に拭き掃除をしていた作務衣姿の若いお坊さんが、「どうぞ上がってご覧ください」と、物欲しげに立っていたであろう私に声を掛けてくれたのです。

思いがけないことだったので「いいんですか?」と聞き返したところ「どうぞ、どうぞ」と勧めてくれる。私は謝辞を述べ靴を脱ぎ階段を数段上がって本堂の縁に上るとそこに座って手を合わせ、そこから堂内の阿弥陀様を今一度見上げました。ビビりましたよねぇ〜。縁から見上げた仏像の迫力に私は一発で圧倒されました。

なにしろ寄せ木づくりの丈六の阿弥陀様なので、間近に見上げると、ひときわ大きくて、座像ながら3メートルくらいはある。そのサイズ感からくる迫力と阿弥陀様の両眼の開き具合からくる慈愛に溢れたお顔つきのありがたさに私は魅入られましてね。なんか見下ろすように見られてる感が厳かでものすごいんです。

そしてさらに、その巨大な阿弥陀様の脇を固めるのが、蓮の花を持った観世音菩薩と合掌姿の勢至菩薩なんですが、その2体の菩薩像の姿勢がね、それぞれに正座しながらも、よく見ると前傾姿勢になっている。それが、なんだろう、どうしても今にも立ち上がりそうな瞬間の造形に見えてきましてね。次の瞬間にこの2体の菩薩は本当に立ち上がるんじゃないだろうかと見えて、見惚れるしかないのですよ。

「あぁ、ここにずっと座って見上げていたい」。正直に私はそう思いました。

聞くところによりますと平安時代の人たちは末法思想というのに取り憑かれていたようで、それこそ疫病、戦乱、大地震、大火、飢饉と、現代人からは想像を絶せる世の中で、まさに乱れ滅んでゆくばかりのダメな世に生きるより、見事、阿弥陀様に来迎してもらって極楽へ連れて行ってもらいたいと、そればかりを寝ても覚めても願ってたという人たちで当時はいっぱいだったみたいでね。それを思えば往生極楽院の阿弥陀三尊像は、まさに来迎の瞬間を完璧リアルに造形してみせたようなバーチャル空間になっていたわけです。

物凄いことですよね。あの阿弥陀三尊像は造られてから千年近くも経った木造仏でしょうに、未だ色褪せることのない迫力で現代人の私の心にも圧倒的な力で迫ってくるのですからね。

さて、京都大原三千院を訪ねた、例の歌詞に出て来る恋に疲れた女ひとりは、結城の紬を着て帯は塩瀬のしかも素描きの帯という色味としては地味だけど白地に墨の素描でデザイン線をシュッシュッと引いたような派手な印象を受ける洒落た組み合わせで、池の水面に映ってた、ということだけがその後の歌詞に描かれるだけで終わるのですから、失恋の歌というより、はたで見ていたオッサンの歌だったってことなんでしょうか。

そうなると、こんな歌詞を作ったオッサンは、いったい何をしに三千院まできてたんだろうと思えてきます。まぁ国宝である阿弥陀三尊像を見にきたのかもしれませんが、阿弥陀三尊像に感動したすぐあとにも煩悩というものは湧くんでしょうね。「極楽往生は、まだイイや」と、現代人は思うんでしょうね。まぁ、あらためていろいろ考えてみると、よく分からない歌が、はやるもんなんですね。

みなさんも、京都に行かれたさいには、ぜひ三千院へお出かけくださいませ。阿弥陀様は本当にありがたい仏様ですからね。その名をお呼びするだけで救いに来てくださろうとする仏様ですからね。

ということで、本日は以上です。

(2022年5月29日 嬉野雅道)

記事一覧に戻る