Facebook Facebook Twitter Instagram Youtube 藤村忠寿 嬉野雅道 星アイコン 入居者募集中

【お願い】藤村Dへの「お手紙」を募集しています

嬉野です。

 

いきなりですけど皆さん。NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」、あれ、やたらと面白くないですか? 三谷幸喜さんの脚本。今週分の第4話も見終わったばかりの私としては、次の1週間が待ち遠しくてたまらない。やっと第4話が終わったばかりというのに私は初回から既に夢中なんですよ。

わけても大泉洋さんの源頼朝がいいんです。あの人、やっぱり名優ですよ。この頃つくずくそう思うのです。

だってあの人。脚本家・三谷幸喜さんが挑んでくる難しいオーダーを見事にやり遂げてますもんね。これは素晴らしいですよ。 

それを強く思ったのは第2話のラストシーンでした。

そもそも初回から大泉洋が演じる源頼朝は女性とすぐくっつくし、別れても、いったい誠実さがあったのか、なかったのか今ひとつ分からない、実にのらりくらりと優柔不断なキャラなのです。北条家の嫡男、片岡愛之助さん演じる野心家の宗時が「源氏の頭領なのだからいつか挙兵して平清盛を討つおつもりだろう」と見込んで父親と身を挺してまで頼朝をかばってくれたのに、「わしは挙兵などする気はないから宗時(片岡愛之助)にもそう言っておいてくれ」と、世話になり始めた北条の家で、小栗旬演じる弟の北条義時に面倒臭そうにうそぶくあたりは、ぼやきの大泉洋を地でいく役柄ではないのかと見せておいて、その実、大泉洋はラストで感動的なシーンを演じてみせたのです。

それは2話のラストでした。湯河原の湯で疲れを癒す頼朝がいます。そのすぐ横で、小栗旬が「あなたが北条に来てから我が家はてんやわんやですよ」と歯に絹着せぬ辛辣な言いっぷりで「実際、迷惑なんですよ。出て行ってくれませんか、北条から」と、実に厄介以外のなにものでもないですよあなたはと、頼朝に対する敬意もなく軽口を吐き捨てるように言うのです。あまりにも日常的な世界で佇む小栗旬です。

ところが大泉洋は、そんか小栗旬と偶然この海岸にある露天風呂で、いまこそ2人きりになれたと見て、「時は良し」とばかりに「わしには悲願がある」と、いきなり核心を語り始めるのです。

「わしには時がない。もう失敗はできぬのじゃ。わしはいずれ挙兵する。都に攻め上り憎き清盛の首を取り、この世を正す。この世をあるべき姿に戻す。そのためには北条が欠かせぬのだ。良いな。ことは慎重に運ばねばならぬ。このことは兄にも話すな。小次郎(小栗旬のことですね)。おまえは。わしの頼りになる弟じゃ」。

思いがけなく大泉洋の大望を間近で聞いてしまった小栗旬は、ほんの3分前まで「出ていってくれませんか北条から」と大泉洋をくさしていたのに、今や頼朝の威に打たれて感動しており、思わず頼朝の目を見て「ははっ!」と、別人のように感激の声を上げるや頼朝の前に家臣としてかしずくのです。

つまり大泉洋はこの3分ほどのセリフの中で小栗旬を一気に政治的に覚醒させ、陽だまりのような日常から歴史の表舞台へと押し上げてしまったのです。この説得力。 

主役・小栗旬は、この大泉洋のセリフに思わず目を見開かされてしまい、大泉洋は、主人公・小栗旬を一気に物語の核心部へと、この3分間の演技でいきなり乗せてしまうという離れ業をやってのけたと私は思って、大興奮したのです。

いや、そうじゃない。順番をもっと正確に言えば、北条義時「開眼」の瞬間までの一連の流れの自然さに大泉洋の演技のことなど忘れて、ただただ、わたしはドラマの中の頼朝と義時の関係の急展開にまず素直に感動してしまっていたのです。 

それはもう不意打ちでやってきた感動でした。だって3分前まで小栗旬は大泉洋をくさしていたんですから。つまり笑いから始まったシーンだったのに。そしたらこの展開。大いなる油断です。その隙を突いていつの間にか大泉洋は自然とドラマを展開させてしまっていて、見ていた私は、すっかり心を動かされてしまって感動していたのです。「なんて感動的なシーンなんだろう」と。 

そのあと、少し冷静になって考えたんです。「え、でも、今の芝居でオレを納得させ感動させたのは大泉洋だよな」そう思って、改めて上に書いたようなことを自分の中で確認して、今度は大泉洋の演技力に感動したのです。

だって、三谷幸喜さんが書いたセリフがどれだけ素晴らしくても、そのセリフに俳優・大泉洋が憑依できなければ、どれだけ小栗旬が名演技で「はは!」っと歓喜の声を上げたところで全てはポカンです。でも結果はポカンではなかった。

そこには「鎌倉殿の」とタイトルに冠された、その名にし負う源氏の頭領の夢、頭領の雄々しさが、セリフの行間に染み出てくる頼朝の雄々しさとしてあったのです。

テレビ画面の中で、大泉洋は、まだ若々しい若者のムードを漂わせながら、義理の弟になった小栗旬の魂を震わせてしまう頼朝を演じきったのです。だから視聴者である私には頼朝の夢がそこにちゃんと見えた。わたしはそのことに感じいり不意打ちでもあったため感動したと思うのです。

もちろん、頼朝はたった3分で義時を政治的に開眼させ彼を物語の表舞台に一気に押し上げてみせたのですが、俳優大泉洋にとってみれば3分にも及ぶ長いセリフを言いながら、そのセリフの中で小栗旬の気持ちが180度変わっても「ふしぎではないよね」と視聴者を説得し納得させるだけの演技力を見せつけなければならない。これは大仕事だったはずです。俳優の課題としてこれはすこぶる重い。

しかしそこには脚本家・三谷幸喜さんの大泉洋への並々ならぬ信頼があったのでしょうね。

大泉洋ならこの芝居は絶対に出来ると信じていたから、この2話のラストシーンを考えついたはずです。そして大泉洋を挑発する言葉を脚本のト書あたりに書き添えたのではないでしょうか。挑発です。そして大泉洋はそれに見事に答えた。素晴らしいことです。 

まぁ、そういうことなので、私のこの頃の楽しみは週に一回のこの「鎌倉殿の13人」を食い入るように見ることと、出張のときに浅煎りのコーヒーを飲みにふらりとフグレンに立ち寄ることと、そして、女房へのみやげに何か可愛い雑貨がないかしらとオーサムストアを覗きに行くことですかね。

あ、あと、完結編まで全巻買ったSF小説「三体」を、いろんなところで大事に読んでる至福の時間、これも格別です。完結まで、まだ当分楽しめます。 

それでは諸氏、本日も各自の持ち場で奮闘願います。解散。

東京は今日も天気が良くて最高ですよねぇ。

(2022年2月6日 嬉野雅道)

記事一覧に戻る