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嬉野です。この前「ふしぎ発見」でポンペイやってたんで思わず見て。それでやっぱり感動してポンペイのことを何か書きたいと思って書いていたんですが、書きながら、そもそも自分は、いったい何を書きたかったんだっけと、わけがわからなくなり。

いや、私の場合、こういうことよくあるんです。

とにかく、かいつまんで書けば、私はポンペイと聞くと「ワクワクする」ということです。
つまり「驚く」ということです。
さらに「憧れる」ということです。
そして「人間に生まれてきた悦びというものをポンペイで暮らしていた人たちの暮らしぶりのよすがから、自分はいまさら教えられるなぁ」という驚きです。

あぁダメです。やっぱり書けば書くほど、自分で何を書いてるんだか何が書きたいんだか分からなくなる。

ポンペイは二千年前にベスビオ火山の火砕流に呑まれた町です。
だから、その日のポンペイだけを見れば悲劇的な運命を辿った町です。
先ごろトンガで海底火山の大噴火があったばかりですし、おまけに今の時代、日本の現状からだって火砕流が町を飲み込むなんてことは他人事ではないとさえ思えてしまうほどのオッカナイ話です。でも、そのときポンペイの町を埋めた溶岩がそれから二千年もの間、溶岩の下に埋めた町を時の風化と腐食から守り抜いてしまったものだから、二千年たって発掘され出土された壺や綺麗な色をしたガラス瓶や当時の食器やら鍋やらが現行品と変わらないような良好な保存状態だったものだから、それを見た現代人は(私ですが)目を見張るわけです。とても二千年前のものとは思えないじゃないか!って。

でも、完璧な形で残されたものは出土品だけではなくて実にポンペイの町全体がほぼ完璧な状態のままで発掘されて現代に蘇ったから、発掘されたポンペイの街角に立つと、なんかもう、二千年前のポンペイの町にタイムスリップしたみたいな気分に襲われてしまうわけです。ワクワクはそれです。そして、そこまでイメージして辿り着くところは「ここは、現代じゃないか」という当惑です。

私は鎌倉時代にタイムスリップして、自分が楽しく生きていけるとは思えません。室町時代も厳しいでしょう。でも、それより遥かに大昔であるのに、ポンペイの町でなら今の私のままでも楽しく生きていけそうな気がすると思えてしまうのです。それがポンペイが「既に現代だ」と思える証です。

なぜ令和の今を生きてる日本人である私が、自国の歴史の中ではなく、異国の、それも二千年も前のイタリア半島南部にあったポンペイの町の人々の暮らしぶりを見て違和感を感じないのか。なぜ、縁もゆかりもない町に懐かしさを感じるのか。そこに現代があるからではないでしょうか。

時はまだ、キリスト教が出現する前の多神教だったローマ時代です。お金持ちの家の壁には神話に出てくる裸体の男女のフレスコ画が描かれています。その柔らかな筆致と暖かみのある暖色系の色合いに不思議な大らかさを感じます。厳格さという冷たさが見つけられないのです。どこを見ても人々の大らかさを感じるばかりです。

街には水道管が張り巡らされていて、お金持ちの家には水道が引かれ、その水道管も蛇口も現代のものと変わりがない。庶民が水を汲みにくる水汲み場は広場になっていて、周囲には軽食屋が店を開き、店の壁には食材の新鮮さを誇るように生き生きとした魚や鶏の絵が描かれている。通りを歩いていたら私もまたその絵に惹かれてつい入ってしまいそうな店構えです。

どんなものに人は訴求されるか。そこをイメージして彼らは宣伝しているのです。その二千年前の宣伝に現代の私は素直に訴求されるのです。つまり、ぼくがポンペイの人たちに懐かしさを覚えたのは「二千年前のポンペイが既に現代」だからです。

日本では卑弥呼だってまだ現れていない紀元79年です。西暦の下二桁なんかじゃない、正真正銘の79年です。

子どものころ、父から教わったのは、ポンペイ最後の日というたった一晩で町が消えてしまった恐ろしい話だったけど、ポンペイを思うと、ぼくはどうしてもそこを忘れて「昔のローマの人たちは、こんなにも大らかに楽しげに暮らしていたんだなぁ」と、二千年前のローマ人の日常の暮らしぶりがポカポカとした陽だまりの中にあるようで、憧れてしまうばかりです。

そういえばディズニーランド好きの知り合いが「わたし!ディズニーランドに住みたい!」とか発言してて、それを聞いて「バカじゃねぇのか」と反射的に思いましたけど、そいつはバカじゃなかった。たしかに私だってポンペイを思えばそんな気持ちになる。そうだな、ポンペイなら住みたいと思う。ということはポンペイの町もディズニーランドみたいな御伽の国なんです。日常を生きる自分に、非日常を見せてくれるミラクルな町なんです。

でも、ディズニーランドは作り物の町だけれど、ポンペイは二千年前の町だけどリアルに人が暮らしていた町です。だったら人間の暮らしそのままだって、御伽の国みたいに、ワンダーランドみたいに、ワクワクするものになるということに思えるのです。今の時代を生きるぼくらだって、実現出来るかもしれない。そう思わせて、励ましてくれる。それがポンペイだと、ぼくは思います。

どんなに時代が離れていようと、古代人、現代人、分けて考えることに意味はまったくない、いや、そう考えることが間違いの始まりを作ってしまうに違いない。「現代を生きる自分たちは、過去に生きてた人たちより時間的に優位な分、位置エネルギーが高いと思ってしまいがちだけれど、どうやらそんなことはない。古代の人だって、考え方や、好みは、今のぼくらとまるで変わらない。ひょっとしたら今のぼくらよりもっと自由で、もっと大らかで、もっと寛容に生きる物の考え方を獲得していたかもしれない。

ポンペイはそんな人々が気持ちよく暮らしていた幸福な町だったと思えるし。現代人の目から見ても充分な豊かさと便利さが既にあったと思えます。

二千年前のローマ人たちの排泄物も残っていたりするらしく、彼らがどんなものを食べていたのかもそれを分析したら分かるそうです。実際、彼らが食べていたものを現代の医学者が当時の排泄物から分析してみると、健康面で医者が太鼓判を押すくらい満点の食生活だったそうです。

そらそうですよね。化学肥料も使ってない、農薬もない、添加物も混入されてない、常にオーガニックで鮮度抜群のものを彼らは食べるしかなかったんでしょうから。

ひょっとすると、ぼくらの未来は、ポンペイの町みたいな暮らしなのかもしれませんね。ポンペイの町には電気もWi-Fiもないけど、それでもみんな幸せになれる。みたいな。これからの我々現代人にとっては、ある意味、モデルケース的な未来として二千年前のポンペイの町が今に残されているということです。

不思議ですね。

と、結局とっ散らかったままで終わりますが、なんとなく伝わるところもあったでしょう。それではまた本日も、各自の持ち場で奮闘願います。

あ、今、上野の東京博物館で「ポンペイ展」やってます。

特別展「ポンペイ」 Special Exhibition POMPEII (pompeii2022.jp)

(2022年1月23日 嬉野雅道)

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