藤村でごさいます。
札幌を離れて1ヶ月が経ちました。
週末は水曜どうでしょうDVDの販促イベントで福岡博多、大阪心斎橋、東京渋谷と移動し、物産展開催中の埼玉熊谷にも顔を出して、その合間は大阪に行き、2年半ぶりの「藤村源五郎一座」の稽古をしておりました。
初顔合わせは10月25日。天神橋筋にある稽古場で、今回の演出をつとめるダンサーのリカコから「アート」をコンセプトに公演をしたいと言われまして。「ならば」と、稽古場をぐるりと白布で囲い、そこにプロジェクターで映像を映し出し、観客席を真ん中に配置して、その周囲で時代劇を演ずるというスタイルを思い付きました。
それから2週間後の12月10日から稽古をスタート。芝居のラインナップは、これまで源五郎一座でやってきた演目の中から幕末を舞台とした「吉田松陰」「佐久間象山」「新撰組大石鍬二郎」そして「義の為に」という4つの短編としました。前半ふたつは「笑い」、後半ふたつは「緊迫感のある殺陣」を見せるものです。
芝居の稽古と並行して、副座長の藤澤アニキがプロジェクターに映し出す映像を制作し、若手座員の田ノ中亮資が音楽を制作。
業者さんの都合で、稽古場を白布で囲う工事と3面を映し出すプロジェクターの設置作業が完了したのが、本番4日前の11月26日。
ところが、アニキの制作した映像を実際に映し出してみると、明るすぎたり派手すぎたりして、ほぼ作り直しとなり、結局すべての映像が完成したのは、本番前日の11月30日。
こうなると普通は「おいおい大丈夫か」となるわけですが、源五郎一座は慌てない。それはいつも稽古が終わったあと、座長の私が座員のメシを作り、食卓を囲んで芝居の話を夜中まで続けて意思の統一がされていたからだと思います。
それは本番中も続いて、毎夜公演が終わるたびに、制作の国枝くんが撮影してくれた公演の全映像を見ながら、「ここはもっとこうしたら」とお互いに言い合っておりました。
そうして迎えた千秋楽。ひきこもりの次女が堂々と前説を行い、アニキは大事なところでセリフを噛み、私は我慢できずに笑ってしまったりと、まぁありましたけれども、2年半ぶりの源五郎一座を終えて、私は充実感に浸りながらも、すぐに次の公演の構想をアニキに語っておりました。
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今回の舞台は、ぐるり360°で芝居が展開されておりますので、映像も360°回転できる仕組みになっております。それゆえにアップの映像はありませんけれども、一体どんなことをやっていたのかは、よくわかるかと存じます。
(2021年12月8日 藤村忠寿)