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嬉野です。
つい先日の夜更けのことです。うちのマンションで火事騒ぎがありまして。そのとき間が悪く私は風呂に入っておりましてね。それも不覚にも長湯をしてしまって、まぁ半分眠いのもあったんで、それで湯船でぐずぐずして時間を食って、ようやく風呂から上がって身体を拭きだしたところへ、「なんか、他の階で火災警報が鳴ってる気がする」と女房が緊迫した口調で廊下を過ぎて行くんです。

私は「警報が鳴るのも久しぶりだねぇ」と呑気なことを口にしながら、こんな全裸なタイミングで、そんなマジな非常事態が起きては堪らんと、「空耳、空耳」と、ひたすら心に念じて身体を拭き続けておりましが、たしかに私の耳にも微かにですが聞こえてくるのです。「火災が発生しました!火災が発生しました」というやけに緊迫感を強いるオッカナイ感じの警報の声が。

それを聞いてしまったもんで「あぁ、たしかに鳴ってるよ」と女房に声を掛けると「7階で火災って言ってるみたい」とさらに緊迫した声が返ってくる。

「階下なら、ベランダから乗り出して、煙が出てるか外を見たほうが早いね」と、私は濡れた髪をタオルで拭きながらベランダに出て身を乗り出したところ、髪も凍らす冷たい北国の夜風がマンションの外壁伝いに勢いよく吹き上がって来る。「いやぁ冷たい。早く髪を乾かさんとこんなんで寒空に避難したら絶対に風邪ひく」と思いつつ、真下に落とした視線の先に、いち早く避難した住人の方でしょうか、マンションの玄関を出たばかりのあたりに2人、3人と豆粒のような人影を見つける。でも肝心の火事らしき煙はどこからも出ている風ではない。

「煙はまったく見えないよ」という私の声を背中に聞きながら、女房は、「ちょっと下に行ってみる」と、ダウンを羽織って出て行こうとするので「あ。携帯は持ってってよ!」と、降りる気のなくなった私は連絡をスムーズにするために促しましたら「あ、そうだね」と、引き返してきて女房はすぐまた出て行きました。

「煙も出てないんじゃ、きっと誤報だな」

私は、確信してヘアドライヤーに手を伸ばそうとしましたが、次の瞬間、突如、我が家の火災警報までが、「火事です!火事です!7階で火災が発生しました。すぐに避難してください!火事です!火事です!」と、大音量で鳴り出してしまい、そのボリュームのデカさに私はすっかり度肝を抜かれてしまったのですが、そっからはもうエンドレスで部屋中に恐怖の警報音が轟き渡って止む気配はなく、我が家の愛犬も堪らず発狂したように吠えはじめ、もはや、どんだけなだめても吠えやまない。すでに呑気に髪を乾かしてる雰囲気なんか我が家には微塵もない。

「これはかなわん」と、下に降りて行った女房に電話して「うちの部屋でも警報鳴り出したからオレもこれから降りるよ!」と、電話口で喚きましたが、とにかく鳴り渡る警報のうるささに女房の声すら聞き取れない。

「あ、なら、私も寒いから一回上がる」と、女房が言うのがやっと聞こえましたが、「なんだ? 下に避難したやつがまた上がってくるんだったら間違いなくこの警報は誤報じゃないか」と、そのとき確信しましたが、かといって耳をつんざく拷問のようなこの警報音の中で呑気にして居られるはずもなく、いまや火事避難というか騒音に耐えられずに避難せざるを得ない状況となり、警報音に吠え続ける犬をなだめつつ、なんとか服を着てダウンを羽織り、それでも吠えやまぬ犬をひょいと小脇に抱き上げて、ちょうど上がってきた女房が、ダウンの中にさらに着込むのを待って、それからエレベーターで夫婦2人して1階へ降りて行ったわけです。

そしたら一階のエレベーターホールには、マンション住人の半分ほど(うちの棟は20世帯ほどです)のみなさんが、寝巻きの上にダウンを羽織って、マスクして、きっと寒いからでしょう男女とも腕組みして集まっておられました。で、この騒ぎの中で実にバカげた感慨なのかなぁと思いつつ、でも私は、久しぶりに住人みなさんと顔を合わせる感じが懐かしくて、不意に同窓会的な和やかな雰囲気がしてきたんです。

マンションの総会や理事会で顔を合わせるのとはなんか違う、冬の夜寒に誤報とはいえ火災警報が鳴り渡り、避難を強いられ、一度は「火事か?」と緊迫して、不安になり、でも、それは誤報で今や少しホッとできており、そこに去来した安心感とタイミングを同じくして一堂に会した顔見知りの顔、顔、顔を見たもんだから、きっと私に限らず、住人それぞれの心に、「顔見知りというのは悪いもんじゃないなぁ」という思いを全員が一度に体験し学習したのかもしれんなぁと思ったのです。

だって、そう感じてるのは私だけではないように思えたのです。あのとき、あの場にいた住人と住人との間に、不思議と壁というものを感じないという実に和やかな身内的な雰囲気が醸されていて、それに誰もがほだされ、ほっこりしていた気分が見てとれたのです。

だってねぇ、エレベーターを降りるなり「あら、みなさんおそろいですねえ。なんか久しぶりにお顔を見ましたね。同窓会みたいじゃないですか」と、私が言ったら、そこにいた多くの住人が思わず笑顔を見せるという不思議な展開がありましたからね。

いつもはエレベーターで乗り合わせても口数少なく済ませてしまう階下の奥さんも、今は素直に素朴に笑顔になってくれて、一緒に降りてきてた子どもたちも、久々に見たので、みんな予想外に大きくなっていて。その感慨もありました。

あぁ、この女の子が病院で生まれて、この奥さんに大事に大事に、本当に大事そうに腕に抱かれて、病院から旦那さんと一緒にこのマンションに帰って来たとき、ちょうど上から降りてきた私は、入れ違いに、このエレベーターホールから乗り込むご夫婦に、この場所でお祝いの言葉を掛けて、それに奥さんが嬉しそうに笑って応えられておられたときのことを、もう15年ほども前のことだけど、昨日のことのように思い出しちゃって。

あのときの赤ん坊が、もうこんなに大きくなってて、今やしっかり人格も出来た10代となり、これじゃあもうあのときの赤ん坊とは別人だなぁと思う気持ちもありながら、でも、この子が記憶しない時間というものがこの子の人生にはあって、そんな時間の中で、この子は大人たちに大事に支えられてここまで成長してきたんだなとも思え、個人が知らない時間の中でその個人を支えようとしてきた誰かがいて、でも、その子はその子の記憶外にある時間の中で起きたことは当然覚えてはいないから、そこに対する負債はいっさい考えなくてもよいわけで、そんな状況にも、人の幸福と自由はあるのかもしれないなぁとも思えてきて、いやいや、なんで今こんなところで、そんなこと考えてるんだオレはと、これまた不思議な気持ちになり。

なんでこんなときに、こんなところで、みんなはこんな風に和やかになっているのだろうと、あの夜のことは、そのあとまでも私の中で尾を引いたことでした。

やがて管理会社の警備の人がやって来て、誤作動で鳴りっぱなしだった警報を止めてくれて、「お騒がせしました。警報は誤作動でした」という声を合図に、住人それぞれは複数回に分けてエレベーターに乗り込んで無事な我が家へ戻って行きました。

もちろん、この夜を境にマンション住人の結束が固くなり、みたいなことは、結局、なに1つとしてありませんでしたが。

でも後日、エレベーターで乗り合わせた、仕事に向かおうとしていたとある奥さんに「この前の夜は寝不足で大変でしたねぇ」と話しかけると「本当です〜!」と迷惑そうな声で言葉を返されましたが、「でも、意外に同窓会みたいに和やかで、みなさん妙に盛り上がってましたね」と、続けると、「本当ですね」とマスクの顔から見せる目を細めながら笑顔になられ、エレベーターを降りると、「行ってきます」と冬寒の道を小走りにかけて行かれましたから、あの夜に発生した火事騒ぎで、同じマンションに20年住み続ける顔見知りの住人たちに心を許した寛容性も、ほんの少しくらいは、その効き目が、この先も、住人の間に残っていくのかもしれんなあと思ったという、まぁ、それだけのお話でございます。ではみなさん、くれぐれも風邪などひきませんようにお過ごしください。本日は、嬉野でございました。

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