8月11日も終わりまして、ようやく明日で10日間の療養、というか経過観察が終了いたします。
こんなに長く感じる10日間はこのところ経験したことがないですねぇ。
遠い昔、小、中学校のころは1週間が長かったですけどね。
嫌いだったからですね、学校が。
あのころ、土曜日の昼が一番好きでした。当時は半ドンってのがあったんですねぇ。学校からの帰り道は楽しくて、家に帰ると吉本新喜劇がやってて、昼ごはん食べてっていう、あの時間。
で、心が沈むのが日曜日の夜8時。よく覚えてるのは中村雅俊の「俺たちの旅」っていうドラマでね。あれが始まると週末の終末がやってきて、就寝時間の9時近くになると、「たぁーだぁーおまえがいいぃー」っていう中村さんが低音で歌い上げるエンディングテーマが流れて、なんか当時は意味のわかんなかった「青春とは」的ないい雰囲気の言葉がテロップで流れるとですね、私の心はアルマゲドン、世界の終わりでしたね。
そんな「日曜夜は世界の終わり」という「週末終末」状態は、中学までずっと続いてました。
あの年代って、なんていうか、論理が通じないというか、真面目な話をしても通じないじゃないですか。特に我々の世代って校内暴力全盛期ですから暴力がモノを言うというか。それが嫌だったんでしょうね。
高校になると終末感は少しなくなり、大学時代はまったくなくなり、でも就職したての新人のころ、東京支社に勤めていた時はまた1週間が長く感じるようになって、10年ぶりの「週末終末」の気運に支配されるようになりましたね。
仕事が嫌だったんですよね。
でね、そんな人生2回の「週末終末期」に、私は共通したあることに没頭しているんですね。
それは魚類の飼育。
週末終末第一期の小中学時代、私は金魚の飼育に熱中しておりました。金魚すくいで取ってきた和金とかじゃなくて「らんちゅう」とか「土佐金」とか、愛好家が飼育するような観賞魚。クラスにテラダくんとサトーくんという愛好家仲間がいて、休み時間に彼らと好きな女子の話ではなく好きな金魚の話をするのが最上の楽しみでしたね。
それから10年後の週末終末第二期、就職したての東京時代、没頭したのが熱帯魚。水槽の中に水草を植えて景観を作り出すアクアリウムってやつですね。横長の90センチ水槽を「カージナルテトラ」が群泳する。そんな風景をニヤついて見てましたもんね。
で、それ以降の私の人生からは「週末終末」は消え去って、今では「週末」という概念すらなくなっているんですけど、実はその後にですね、もう一度だけ魚類飼育熱が復活した時期があるんです。
あれは多分「どうでしょう」のレギュラー放送を終えたころだと思うんですけど、魚類飼育では最も難しい海水魚と珊瑚に凝りだしたんですね。あ、ちょうど「ファインディング・ニモ」のころだと思います。いろいろと失敗を繰り返しながら、ネジリンボウっていうハゼとデッポウエビが共生するような水槽を作って、夜はずっとそれを眺めてました。
水槽での魚類飼育ってのは難しいんですけど、ちゃんと調べて手をかけてやると自然界に近い環境が出来上がるんです。つまり「自分で作り出すことができる」ってことです。
子供のころは、学校で自分の思うようにはいかなくて、20代のころは、会社で自分の思うような仕事が出来なかった。逆に自分がそれぞれの環境に合わさなければならなかった。
そして、どうでしょうを終えてDVDを作り始めたころは、会社やそのほか関連するところとの話が自分の思うようにはいかなかった。なかなか理解が得られなかった時代です。
そんな時に、自分で作り出すことができる世界に没頭していたんでしょうね。
うん、今になってわかりました。
と、いうのもですね、この妖精生活、前半はオリンピックを楽しみに見てたんですけど、もうひとつ、ずっと熱心に見てるものがあるんです。
それはYouTubeの「熱帯魚飼育」の動画でして。自分では別に意識してなかったんですけど、今こうして考えると、「なるほどなぁ」と納得できるんです。
自分ではどうすることもできない状況から、自分でどうにかすることができる世界の方へと、意識を持っていこうとしてたんでしょうね。自浄作用と言いますか。知らず知らずのうちに。
札幌に帰ったら熱帯魚をやりたいなぁと思ってますけど、まぁできないでしょうね。家を留守にすることが多いですから水槽の面倒を見られないし、なにより今はいろんなことが自分の考えでできるような状況になりましたからね。
そして明日でこの「どうにもならない状況」は、とりあえず終わりますしね。
さ、いよいよ明日、何もなければ妖精生活終了です。
深夜0時。
体温36.8度
血中酸素濃度96
もうね、ずーっと正常。
以上でございます。