Facebook Facebook Twitter Instagram Youtube 藤村忠寿 嬉野雅道 星アイコン 入居者募集中

さて、大雨ばかり降る今日この頃ですが、どうで荘にお住まいの皆さまは、無事に快適にお過ごしでございましょうか。

こんにちは。大家の嬉野でございます。

本日は七夕でございまして、なんなら、私の62回目の誕生日でもあるわけでございます。

いえいえ、だからと言って、店子の皆さまにお祝いの金銭を要求しているわけではありませんし、このあと振込先をご案内するわけでもございませんので、そこはどうぞご心配なく、お心安らかにお読みくださいませ。

とはいえ、62回目の今年の私の誕生日と言いますものは、私個人にとりまして、まぁ、一種、特別の感慨のあるものなのでございます。

と、いいますのも。実は、今を去ること21年前の夏の夜。隣で寝ていたはずの女房に「ねぇ、起きてる?」と、不意に呼び掛けられまして。

そのとき私は、ちょうど、どうでしょうドラマ「四国R-14」の脚本執筆中で、四六時中、考えを巡らせていたものですから布団に入ったとて寝もやらず。「起きてるよ」と、答えましたところ。

「自分の寿命って、分かる?」

と、まるで怪談話のワンシーンのようなことを、突如として女房は言い始めたわけで。

私といたしましても、ちょうど「四国R-14」というホラードラマの脚本を書きまくっておりましたところでしてので、頭はすっかりホラー脳、「なんというタイミングで、なんということを言い出すのか」と、ギクリと身構えましましたところ、

「62だよ」と、女房はそのあとをつづけ、こともなげに言い放つのでございました。

まったくもって、なんで、女房はあの晩、あんなことを突然口走ったのか。今もって真意の程は分からず、謎ですが。

ですが、その日から「62」は、私の中で、大きな人生の指標になったわけでございます。

そうなんです。実に意外なことだったんですが、人生に、具体的に期限があるというのは、生きる上で、妙に生きやすかったんです。割と良かったんですよ。

「なるほど、とりあえず、オレの人生は、あのへんまでなのか」

みたいなことで。なんでしょう、目分量のようなものをもらった感じになれたんですね。これが生きる上で意外に良かった。

それに、「だったら、反対に考えれば、それまでは不死身ってことじゃないか」的なね、実に自分勝手な解釈もできたわけです。

さらに考えますと、女房はあくまでも私の寿命として「62」という数字が、あの晩、脳内に煌めいたんでしょうが、でも、もっと視野を広げて考えたら、なにも私だけのことではないのかもしれない。

そうです。たとえば今年ね、小惑星が地球に衝突いたしましたらね、これはもう私も絶滅しますけど全人類も絶滅するわけで。

「なるほど、たしかに事態は、オレだけが、という個人的に終わることでも、ないのかもしれんぞ」

と、そんなふうにも思えてくる。

このあたりのね。何と言いますか、人間の自分勝手な解釈。自分に都合のいい方へ導きがちな人間の意識。このような思考の流れを、人間は自分自身にどんどん許してしまうわけです。

その挙句、最終的に自分が勝手に解釈し始めた、実に身勝手な、まったくもって自分に都合の良い話にしてしまって、それを信じ込めてしまう。

これこそが、この思い込みこそが全人類が持つ特技じゃないだろうか、と私は合点するのです。私の人生の、ここまでの21年という時間は、まさしく私に、このことを強く自覚させる時間であったと、声を大にして言えるわけです。

要するに。

「自分を取り巻くこの世界は、自分で勝手に解釈してしまった方が、自分の人生にとっては都合が良い」ということです。

そこまでの身勝手な体質に、私の意識の土壌改良が進んだ今。いよいよ、私にとって特殊な意味を持つ年が、訪れたわけです。

さぁ、これからの一年の、どこで、いったい何が起きるのか、いやなにも起きないのか。そして私は何を見るのか、それとも見ないのか。やたらと興味深く、集中力を誘発する映画が始まったような、なんだか、そういう濃密な時間が始まったなと、私ひとりは、なんだか冒険が始まったような気分なのです。

妙にワクワクドキドキする観光旅行のような、帰りの飛行機までの時間は限られてるんだから、最大限に味わい尽くそう、とでもいうような、変に盛り上がった旅行者のような気分になっているわけです。

そういえば私は、東京から札幌に越して既に26年ほどになるのですが、いまもって札幌を旅行中みたいな気分のままにしてますから、HTBに行く途中で、うっかり札幌時計台とかに出くわすと、

「わ!時計台だ!ちっちぇー!」

と、未だに旅行者のような新鮮な気持ちで喜べるのです。

まったくもって気分は大事です。出来ることならば新鮮な気分という奴は手放さないに越したことはない。その方が人生はいつまでも艶っぽく見えるものですから。

なので、いよいよ訪れた、この私の「62」という年を、私は、濃密に眺めてやろうと思い初めたところなのであります。

まぁ、幸いなことに、21年前に私にそんな宣言をした女房は「医者」でもありませんし、「預言者」でもありませんので、女房の証言の効力は、どこまでもSFです。

ここがまた、素晴らしいところですね。まったくもって、持つべきものは女房です。

それでは皆さん。せっかくの七夕の夜は今年も雲が邪魔して天の河は見れませんけど、短冊に世界平和と人類の今しばらくの繁栄をしたためた気持ちにおなりになった上で、今宵ばかりは、みんなで寝る前に静かにお祈りいたしましょうね。

おかしな政治家が、おかしな世の中にして、何の罪があるのか、メシ時なのに酒も飲まさないような、まるでコロナ感染拡大の責任が酒にあるようなことにすり替えてしまって、オリンピックやるからオリンピックが終わるまでお酒は飲ませない、みたいなことにしようとしておりますが、何とか、心乱されず、それぞれ自覚的に人としてあるべきハッピーな道を銘々の判断で楽しく進んでまいりましょう。

それでは、皆さま、七夕の今宵も、各自の持ち場で奮闘願います。梅雨の長雨で、天の河が星で氾濫しませんように。

 本日、どうで荘入居者の皆様限定で、62歳を迎えられた嬉野さんとのささやかな茶話会を開催いたします。

詳細はこちら(入居者ログインが必要です)   

記事一覧に戻る