27日に行われました「水曜どうでしょうザ・ベスト奇数版」の副音声収録ライブ配信並びにライブビューイング、ご覧あそばせましたでしょうか。
別に何か仕掛けがあるわけでもなく、ただ昔のVTRを出演者、制作者、そして視聴者が一緒に見る、言ってみればそれだけのことなんですが、なんであんなに楽しいんでしょうね。
何回も見たシーンを今さらながらに見て、何回も笑ったはずなのにまたしても涙を流して笑ってしまう。
こんなことは、水曜どうでしょう以外ではあり得ない体験ですよ。
世の中に面白いものはたくさんあるけれど、これほどまでに繰り返し見るものは(音楽やアニメなんかは何回も見るってことはあるけど)バラエティーではまずないでしょう。
だって「笑い」って何回も見てたら劣化していくもんですから。そんなに何回も見てたら絶対に飽きてくる。
でも「どうでしょうは飽きない」ってことはですよ、どうでしょうの笑いってのは「世間一般にある『お笑い』とは全く種類の違うもの」ということになりますね。
どこが違うか?
それは「どうでしょうの笑いの継続性は、体験の共有からくる『思い出し笑い』のようなもの」ってことだと思うんですよ。
「昔ホラ、お父さんが池に落ちちゃって!ビショビショになって〜アハハハ!」
みたいなね、ことあるごとに何回もその話をするんだけど、お父さんが池に落ちた瞬間のことを思い出すと今でも笑っちゃうという、アレと同じですよ。
水曜どうでしょう独特のカメラ目線が、あたかも視聴者がその場にいるような感覚を生み出して、それを視聴者が繰り返し見ることによって、それが「体験」となっていく。
「お父さんが池に落ちたのを見た」というのと同じ体験をいくつもしてるんですね。
大泉さんがヘリで吐いたの見た。
ジャングルでトイレに入ってるのを隙間から見てた。
ウィリーする瞬間を見てた。
もう数え上げたらキリがない。で、そのすべてが映像に残ってるわけですから、それを見るたんびに大笑いですよ。
お父さんを見て大笑いするのは、お父さんのことをよく知っている家族です。
てことは、どうでしょうの場合「出演者と制作者と視聴者が家族的な関係にある」ってことですわ。ここがまた他のテレビ番組にはあり得ないことで。
だから、先日のライブビューイングが「楽しかった!」と、どうでしょうを知らない人に力説したところでまったく意味がわからないでしょう。
「あんたのお父さんが池に落ちた話はもう何回も聞いたわ」
って感じですからね、世間の反応は。
だからあのイベントは、世の中には決して広まらない、どうでしょうだけのコンテンツなんでしょうね。
いずれにしても「楽しかった!」ですよね。