どうで荘にお住まいの住民のみなさんこんにちは。嬉野です。私は本日も元気です。みなさん、日々、それぞれに不満も不安もございましょうが、まぁ適当に今日も無事であれば、なんとかハッピーに参りましょう。
さて、お聞き及びの方も多かろうと思いますが、今月末に札幌の平岸高台公園で除幕式があるそうですね。なんでもあの公園の脇で50年もの長きに渡って電波を出し続けていたHTBさんが、移転に伴い、お世話になった地域の皆さんへ長年の感謝の意を込めて、札幌市に「平岸高台公園」という園名碑を寄贈したんですね。おそらく寄贈を巡ってはHTBと札幌市の間で「もらってくれ」「勘弁してくれ」「良いじゃないか記念なんだから」「あんたのところの番組の宣伝じゃないか」「金はウチが出すって言ってるだろう」「よけいな手間は増やさんでくれ」とまぁ、きっといろいろあったんでしょう。知りませんけど。
しかし、双方の落とし所が見つかったのか、この度いよいよ除幕式に漕ぎ着けたということでしょうから、さしもの札幌市も押し負けたんでしょうね。だって「平岸高台公園」の書は私の筆になるものですからねぇ。名のある書家が揮毫したわけでもない、サラリーマンの私がペンテルさんの筆ペンで書いたものですよ。それか石碑に彫られている。凄いですねぇ世の中の流れというものは。これだから勢いというものは怖いです。
いったい誰が言い出したんでしょうか、寡聞にして知りませんが、あれはコロナになる前でしたよ。
ある日、私に「書いてくれ」という依頼が社内でありましてね。私としては半信半疑ですよ。石碑の字を書くなんてあなた、ふつう、サラリーマンが体験することじゃないですよ。それでもそういうことになっちゃってね、石碑の背面には我々4人のシルエットが番組名とともにこれも刻印されております。
いよいよこれであの旧社屋も解体されてこの地上から消え、後に残るのは、高台公園と、あの公園で数々の前枠後枠を撮った長閑な日々の長閑な思い出だけになる。それと私の手になる平岸高台公園の書。そういことなんでしょうね。そして、私の死後、50年、石碑と私の手になる書は残り、旧社屋跡地に建てられたonちゃんタウンに住む子供たちがやって来て「ママー!この公園の石の字、なんか変」「あら、ほんと、変ねぇ」みたいなことになるという。人生というのは、かくのごとく、おもしろく、奇なるものでありますね。
あ。あぁいうのって鳥の糞とか白くつくんですよねぇ。
だれか掃除してくれんのかなぁ。
さぁ、それではみなさん。本日も各自の持ち場でなにぶん奮闘願います!