釣りよかでしょうと佐賀の春(D陣日誌:嬉野)
嬉野です。
日誌です。
さて、みなさんの町の桜は満開ですか?
札幌は、桜が咲くとか言う以前にまだ道が凍るほど寒いです。
おとといなどは「真冬か!」と我が目を疑う悪天候で、日がな一日、横殴りに降り注ぐ霰の嵐に唖然とするばかり。いやはや、つりよかさんに会いに出掛けた九州佐賀の春爛漫は、あれは夢だったのかと思わされる、いまだ春とは名ばかりの札幌です。
あの日、我が故郷、佐賀で感じた九州の春は、ぽかぽかと心地よく、朝から晩まで暑くもなければ寒くもない、まさに極楽でした。
北海道に暮らす者にとって、あんな長閑な春は楽ちんすぎる。気持ち良すぎて人間がダメになりそうです。
あぁ、知らなんだ、九州育ちの私はあんなにも極楽な春をあたりまえのように毎年体験していただなんて。慣れるというのはもったいない。もっと噛み締めるべきだった。
だからでしょう佐賀の人らの春の心根は極楽そのもののようでした。
つまりです。佐賀駅前には車が立ち入れない人間だけの広場がつくられており、そこに丸テーブルやら椅子やらが置かれて市民がそこで老若男女銘々憩うておるのです。
北風も吹かず、霰の嵐も降らず。穏やかな春風のみ吹いて暑くもなければ寒くもないから3月の外でも夕方過ぎまで憩うておられるのです。
駅前に展開するそのような望洋とした風情がすでに呑気を醸しているところへ、さらに広場の一角には何十人もの市民がゴロ寝出来るような木製のデッキが設られており(あぁした長閑なものを駅前で見たことは佐賀以外の町にはありません)、そのデッキには春爛漫の陽気に当てられ頭が極楽になった地元JKたちが、制服姿のまま肩を並べ、足を伸ばして、ゴロゴロと魚屋の店先に並んだ魚のように仰向けになり10代の春を謳歌しておったのです。
「夕方5時の駅前で、JKがここまで無防備に全身を晒せる町。そんな長閑な町など佐賀以外には無かろうよ」と、私は驚きを禁じ得ず。
しかも頭が極楽なのはJKに限らずサラリーマン諸氏も御同様で、いや、老若男女とて御同様で。
やがて夜のとばりも降りてこようかという春の夕方にもかかわらず缶酎ハイを飲んでる人すら見当たらず、酔い潰れてデッキで寝ているオヤジも見当たらず。ヤバい空気もヤンチャな雰囲気もこの町には皆無であり、どこまでも長閑と健やかさばかりが幅を利かせて、とてもじゃないが、"月曜から夜ふかし"もこの町にゃあ取材には来ないだろうと思わせる。
心地よい湿度に恵まれた春の陽気の中で生き物たちは「愛されている」と感じるのか、日毎夜毎、時を経るごとに自ずと無防備になって行く。
ならば愛こそすべて。春よこい。
そんな春爛漫の佐賀で我々は5年ぶりにつりよかさんたちと再開して、またしても感動のもてなしを受けたことは、先日、生配信をご覧になったみなさんはご承知のことでしょう。
つりよかさんたちは、つりよかハウスと名づけた家で男ばかりの共同生活をもう何年も続けているわけです。
田んぼばかりが目立つ辺りとはいえ近隣住民にとって、つりよかは充分に怪しい集団でもあるでしょう。
なんなら彼らはそれぞれに屈強な風貌。5年経った今もまだまだアラフォー。ヤバい武闘集団と思われても仕方がない。
でも、そんな彼らは近隣住民の皆さんとコミュニュケーションを深めるためにと、毎年、「つりよか主催夏祭り」を100万ガネの大金を掛けてやっているのだそうです。
そうして集まってきた近所の人たち、子供たちと、つりよかハウスでとびきり美味いものを食って、酒を飲んで(子供は飲みませんよ)仲良しになっているのだとか。
そして日が暮れると近場の田圃から本格的な打ち上げ花火を盛大に打ち上げるのだそうです。
これにはご近所も大興奮。
だから今ではすっかり近隣の人たちにつりよかたちは喜ばれて、「今年の夏祭りは、いつやるの?」とみんなが楽しみに待つまでになってしまい、「もう、やめられなくなりました」と、つりよかさんたちは嬉しそうに言っておりました。
しかしね、不思議なもので、人というのは、そうやって顔馴染になると、顔馴染みが出す声や音は、もうそれほどうるさく感じなくなるのですよね。
それに、日本も経済格差が叫ばれる時代になって富裕層とか呼ばれるお金持ちが出現しましたけど、歴史を紐解けば、それは日本でも珍しいことではなくて、戦前から江戸以前の昔の方がよっぽど経済格差は甚だしかったわけですからね。
でも、戦前から昔のお金持ちたちは、その金をもっと世の中に還元していた側面もあったはずです。
芸術家を育てたり。絢爛豪華な襖絵や天井絵を残したり。豪壮な城を築いたり。ありがたい神社仏閣を創建したり。庭を作ったり。煌びやかな武具を設えて行進して見せたり。満開の桜の山野で盛大に茶会を開いて民衆の評判を得たりと、今よりはもっと世間の人らの評判を気にしていたと思うんですが、この頃の富裕層はそういうことをいっさいしないから世間を気にしている様子もありません。
せいぜいSNSで済ませている。
そんな印象が強いところへ、つりよかたちは近隣住民のハッピーのために祭りを開催し、地元に還元しているのですから、彼らは世間と一緒にハッピーに暮らそうとしている。そこが素晴らしい。
彼らの発想はやっぱり今も正しい。
と、5年ぶりに会っても、そう思わせてくれるのです。この安心感。
そうそう。
うちの藤村さんが、平戸辺りの海で、船の上からイカの群れを追って、真鯛を釣りまくった狂乱の顛末の一部始終を、まだ皆さんはご覧になってはいない。
そしてその夜、我々を待ち受けていた5年ぶりのつりよかたちのもてなしが如何なるレベルのものであったかも、これもまたみなさんはご覧になってはいない。
ということでね。
それら全てはこれからの編集にお待ちいただくことと相成ります。
5年ぶりのつりよかたちの歓待にまたしても感激してしまって、つりよかハウスを去るときに、藤村さんはポツリと言いましたね。
「あいつらの実力は、レベルが違う」と。
そうです。我々は彼らの実力に舌を巻くしかないのです。そんな彼らが全力でもてなしてくれる。そんなもてなしてなどできる連中は世界中探しても彼ら以外にはないでしょう。
コロナのせいで、再会までにうっかり5年も掛かってしまったけど。
結果として、それはそれで良かったかのもしれない。かれらのレベルの違うもてなしに慣れてしまうようでは、それもまたもったいない。
極楽のような春の陽気の中、我々はつりよかハウスの、オープンBARで日が暮れるまで美味いものばかりを食べ、西の空に丸々とデッカ過ぎる夕陽が沈んでいくのをいつまでも飽きずに眺めておりました。
だって、沈む夕陽を隠してしまう障害物がないからいつまでも夕陽が見えるのです。
藤やんは言ってましたね。
「佐賀で1番高い人工建築物は、電柱なんだね…」と。
私は腹の中で思いましたよね。
「そんなこと、あるかよ。。。」と。