嬉野夫婦のトゥクトゥク旅日記(D陣日誌:嬉野)
嬉野です。日誌です。
去年の秋。何を思ったか、うちの奥さんがトゥクトゥクを買いました。
トゥクトゥク。。。お分かりになります? ほら、タイ🇹🇭やインド🇮🇳でタクシーみたいに走ってる、あの、ドアもないチンケな三輪車ですよ。
外観は車に見えるので、「ドアがない」と思いがちですけど、トゥクトゥクの実態は250ccのバイクですから、ハンドルだってバイクのハンドルのままで、車みたいに円形じゃない。つまり、バイクに幌で屋根をつけて3輪にしたみたいなやつなんです。だから運転には中型バイクの免許が必要。
ということで実態は250ccのバイクですからトゥクトゥクはもちろん高速道を走れます。ドアもないのによ。
おまけに扱いがバイクだからシートベルトもないの。
そんな乗りもんで高速道を走ったら、どうしたって自分も含めいろんな物が車外へこぼれ落ちてゆきそうで緊張感が走るからついつい踏ん張る。
でも、緊張感が走るのは何も高速道でばかりじゃなくて、一般道でだってコーナリングのたびに、「おい!カーブの中で横転するんじゃねーか?」と不安がよぎるほど走りは不安定。
ところが不思議なもんで。
この、常につきまとう緊張感が、どっかで旅を楽しくしてしまっていると思えてくるから人というものは得体が知れない。
身の危険を感じる緊張感が不思議と人をして開放感へ通じる扉を開けさせるのかもと思えてならない。
なにしろ車内は、いや、車内なんだけど常に外気で満ちているから車内であっても外なんだけど。だってドアがないんだから。
だからトゥクトゥクの車外みたいな車内はこの時期だからまだ寒いの。外気温に準じるの。そうなると暖を取るには自分が着膨れるしかない。だから夫婦して上もダウンなら下もダウン。しかもダウンの中にさらにライトダウン。もうダウンダウン。
頭はフリースの帽子。首にはキリキリとマフラーを巻いて、もちろん手袋の装着は必須です。
東京が既に桜満開の頃と言っても北海道や北東北は春まだ浅く桜は蕾を固くするばかり。そんな寒々しい中を風を切って走るんだからどうしたって寒い。
車と違ってトゥクトゥクのハンドルはセンターについてるから運転席には1人しか乗れない。だからフロント席は、運転するうちの奥さんが専有。私は後ろの席に荷物と一緒になって乗りこみ、私の横にはロープでガッチリ固定された犬のケージがあり、その中では我が家のワン公が寛いだ様子で寝そべっている。
ワン公はうちの奥さんに付き従ってこの15年ほど毎年この時期になると日本一周バイク旅に出かけていたから、もう慣れたものです。
さらに車内の空きスペースにはテント用具一式が積まれ(これが重いんだ)、寝袋が積まれ、自炊道具が積まれ、風呂道具が積まれ、何をどんだけ積んだんか分からないくらい積みこまれ、我が家のトゥクトゥクが停車している様を見るにつけ、やたら生活感が出まくっている。
このようなトゥクトゥクで夫婦2人して日本中のキャンプ場からキャンプ場へと点と点を線で結びながら野を駆け丘を越え、テント泊しながら南下し続けると、やがて夫婦は2人とも薄汚れて地べたがお似合いの風体と心模様になってゆきますから、生活感にも貫禄が出てくるから、ついつい夫婦してホームレス感がみなぎってくる(^^)
なんかそんな乗り物ですよトゥクトゥクは。でも、どうもそれが楽しい。
そんなチンケなトゥクトゥクで、私ら夫婦は、やっと雪が溶けたばかりの札幌の寒い4月5日に自宅を出発したのです。
その日だけが快晴で気温も札幌にしては高めで、まさに出発日和でした。
苫小牧港発のフェリーは、その夜、9時過ぎの出港でしたが、トゥクトゥク夫婦は日中の陽射しのある暖かいうちに移動するべえと走り出し、陽の高いうちに苫小牧港に着いてフェリーターミナルで日没を待ちました。
やっと日が暮れて、その夜フェリーに乗り込んで6時間、夫婦を乗せたフェリーは翌朝4月6日の未明、八戸港に着岸し、どれだけ眠れたか知れないけど、積み荷を満載にしたデッカいトラックがゾロゾロ降りてゆく後に、うちのトゥクトゥクも頼りなげにつき従って降りて行けば、午前4時を過ぎたばかりの八戸港では、既に大勢の人でごった返した館鼻岸壁朝市が大盛況で、トゥクトゥク夫婦は朝市で朝ごはんを探す。
行列のできている豚まん屋で我々夫婦も行列に並び豚まんを買い、歩きながら食って朝メシとする。
そのあと口の中を火傷するほどに激アツ過ぎた豚汁をフーフー言いながらすすって暖をとる(これがやたらと具が多かった)。
明るくなった頃に館鼻岸壁朝市をあとにして、トゥクトゥク夫婦は盛岡を目指す。その夜は盛岡に一泊。
翌朝、曇り空の中を走り出し、「岩山展望台」という看板を見つける。
朝ごはんの場所を探していたので、展望台も良かろうということとなり、急坂ながら、なんとか頑張れ上ってくれと夫婦はトゥクトゥクに鞭打てば、トゥクトゥクもそれに応え無事に展望台まで我々を運んでくれた。
展望台からは、いまだ雪の残る岩手山を遠望し雄大さに感嘆する。
夫婦はベンチに座り眼下の盛岡の町を一望しながら、昨日スーパーで買った調理パンを取り出して「美味い美味い」と食す。
お昼には近場の紫波町で、これまた美味い地元うどん屋の讃岐うどんを食べ、そのままその夜は矢巾のキャンプ場で一泊。熊出没の看板に一応ビビる。キャンプ場のぐるりは熊撃退電気柵で囲われていた。
キャンパーは我々の他に1組だけ。
晩ごはんはキャンプ場の調理場で自炊しテーブルと椅子のある東屋で食す。献立は麻婆豆腐。
私はコンビニで買っておいたおにぎりを取り出し、これをデッカい豆腐が入っていたデッカい空の容器に入れ、その上に麻婆豆腐をどんどんかけて食べる。全体が熱々になって美味かった。おまけに洗い物も出ず大満足。
その夜のテント内は激冷えで、深夜と夜明けに寒くて目が覚め、凍えながらトイレへ行く。雨はなし。熊もなし。なぜかトイレがウォシュレットだった。キャンプ料金三百円なのに。
翌朝、近くの福田パンでお昼ごはん用にとコッペパンを買う。朝ごはんはキャンプ場でカップラーメンを食べた。
その後、山にわけ行って、海沿いの宮古を自動車専用道路で一直線に目指す。トゥクトゥクのエンジンにはけっこう無理を強いた。
うちの奥さんは右手のアクセルをフルスロットルのままで走る。後ろの私はいろんな意味で大緊張。
かくて夫婦を乗せたトゥクトゥクは無事に宮古に着いてくれ、ワン公とともに道の駅に降り立ち、2人と1匹は太平洋を望む。
道中陽射しがあり嬉しく、トゥクトゥク移動にはありがたい1日となる。
お昼には誰もいない休憩室で福田パンを食べる。コッペパン1個でお腹いっぱい。
その夜は大槌の民宿に一泊。料理上手の女将さんの味付けに唸る。至福。
その夜はお布団で寝る。
翌朝、料理上手の民宿の女将さんの朝ごはんにまたしても舌鼓を打つ。
大槌から釜石へ南下、再び山を越えこの日は花巻を目指す。
来た道の自動車専用道路は避けて下道を走り遠野へ向かったが、下道は道が細く急坂でもあり、かえって険しかった。だが下道は風情に富んでおり、道中、釜石を過ぎたあたりから線路沿いに姿を見せるシケタ町をいくつも通り過ぎる。
だが、シケタ町のシケタ風情はシケタ乗り物に乗って旅する夫婦の心を妙に打つ。どんな町にも浅き春の訪れが感じられて旅情盛り上がり、しみじみと生きている幸せを感じる。
途中、遠野に遊び河童淵を見る。
遠野からは、下道の険しさを避け、またしてもトゥクトゥクのエンジンに無理をさせて再び自動車専用道路にて盛岡方面へ向けて激走。
その夜は花巻のキャンプ場で一泊。
スーパーで豚のバラ肉を買い、ニンニク増しましの野菜炒めを作り晩ごはんとする。
キャンパーは我々の他には誰もおらず、その後も誰も来ず。熊も来ず。
日中、走るトゥクトゥクから眺める春まだ浅き北東北の未だ花もなき侘しき風景のすべてが。寒さに震えどこかしら薄汚れて行くトゥクトゥク夫婦に優しく微笑みかけてくれるようで、なんとも心慰められる。
常に肌を刺す冷たい外気の中にも、夫婦はやはり春の訪れを感じ、自然と心湧き立つ。日本の田舎は今も美しい。
トゥクトゥクという不便で緊張感を強いる快適ではない乗り物で旅を続けることで、人は知らぬ間に目線がどんどん下がっていくように思える。きっと我々の目線は菜の花くらいまでは下がってしまったのであろう。それだからこそ、遅々とした北東北の春の訪れをすら敏感に感じられて心湧き立つのだろう。そんな気がしてならない。
寒さの中を移動するトゥクトゥク夫婦は、雨が上がるだけで嬉しい。雲間から不意に陽が射して背中がポカポカしてくるだけで幸せだと思ってしまう。
目線が菜の花まで下がれば、岩手山を眺めながら展望台で前の日にスーパーで買った調理パンを食べたって、あんなにも普通に美味しかったのだろうと思えてくる。こんなことを書いても、きっと誰にもわかってもらえぬと思うが、しかし、ひょっとすると旅する乗り物は、旅する者の生活のレベルを規定するのかもしれない。
だって、ドアもないトゥクトゥクの吹きっさらしの車内で着膨れながら旅をしていると、キャンプ場にテントを張って、ワン公と一緒になって寝起きするのが1番しっくりくる。
トゥクトゥクで旅をしながらホテルに泊まろうとはついに思いつかなかった。菜の花まで下がった目線では、ホテルは地べたから遠すぎて、ピンとこないのだろうか。
せいぜいピンときて民宿。
あとは湯治宿だろう。
トゥクトゥクで日本をくまなく走るうちには日本中の至るところに萎びた温泉町もあり、シケ果てた町もあり、菜の花の目線になってしまうトゥクトゥクで移動すれば旅情は盛り上がる。
肘折温泉みたいな温泉町には、きっと立ち寄りたくなる。泊まった湯治宿のお風呂場のカランのお湯の出が少々悪くたって、きっとそれほど気にもならず、お湯に浸かれるだけで了とできる気がする。
それらは、うちら夫婦の貧乏性が先鋭化しただけのことかも知れないが、とにかくうちら夫婦はキャンプ場に着くとホッとしていた。
我が家のワン公も寛いでいる。
それに、不思議とうちでは絶対に飲まないインスタントコーヒーばかり飲むようになった。旅の間はインスタントコーヒーで十分というのとも少し違う気がする。どちらかというとインスタントコーヒーが好きになっていくように思えた。
スーパーに立ち寄るとペットボトルに入った無糖のブラックコーヒーのデカいやつをつい探してしまって買っていた。
もちろん飲むたびに「なんの深みもないなぁ〜」と感心するのだが、深みもなければ嫌味もないので、ごくごく飲めるから、しだいにそれが美味しいと思えてくる。
こうして、朝、キャンプ場でテントを畳んでトゥクトゥクに積み込んで、3,5kgのワン公を抱いてケイジの扉を開けるとワン公は自分で中に入ってケージの中でくるりとUターンして寝そべる。私ら夫婦もトゥクトゥクに乗り込み次のキャンプ地を目指す。
私は4/12に埼玉の熊谷でイベントがあったので、4/10の夕方に私はトゥクトゥクを降り、夫婦は花巻空港で解散した。そのままうちの奥さんはワン公連れで東北を南下し、一路、九州鹿児島を目指す。
その日の夜、札幌に着いた私は、
トゥクトゥクの旅が楽しかっただけにたびの終わりを寂しく思った。
帰宅する道々、我が家の近所にあるロイホに寄り晩ごはんにカシミールカレーを食べる。
食べていたらカレーの味が美味すぎることに途中で気づいた。
いや、美味すぎて悪いこともないだろうと思い直したが、でも可笑しなもので、やっぱり美味すぎると思えてしまうのだった。
人はいろんなことに慣れるものだけど、美味すぎる食事にも慣れてしまったら美味すぎる事実にも気づかなくなっていくのかと思ったらそれがショックだった。
素朴な食事であんなに美味かったトゥクトゥクの旅の日々が不意に懐かしく思われてきた。
あっちの生活の方が楽しさがたくさんあったのかもと思えた。
そういえば円安が進む今の日本に、あえて海外からやって来て、海外より圧倒的に賃金の安い日本で、それでも好きで働いている外国の若い人がこのとこほ増えていると聞く。
「え? どうして?」と反射的に思ってしまう自分がいた。
私も日本で暮らしていて知らぬ内にお金が1番と思ってしまってるいるのかもしれない。
でも、あえて日本で働こうとする海外の人らは、そはお金じゃないとハッキリ思っている。だから、わざわざ貧乏になってしまった日本にやって来て働いているのだ。
彼らは、「日本人の対人的な柔らかな人柄や、ホスピタリティや、治安の良さはお金には変えられない価値があるよ」と、口を揃えて言うのだった。
ひょっとすると、長く日本に住んでる我々日本人の方が、今、世界の中で日本にしかない良さに慣れきっていて、それがお金では贖えないのだということに気づかなくなっているのかもしれない。今、日本に住んでたら、誰もが普通に手にしている価値に、それが日本にしかないことだと気づかなくなっている。
もしかすると、お金のために、そんな日本にしかない価値を、お金やら、どうでもイイものと平気で引き換えにしてしまいそう。
やっぱり日本って世界の中で1番イイとこだよねぇと思う視点は、菜の花の目線まで下がっていけば、すぐに持てるようになる。なるほど、菜の花の目線まで下がることは、案外、大事なことかも知れないと、私は、このトゥクトゥクの旅をして思いを新たにしたのかもしれない。
やっぱり日本って世界の中で変ですもん。世界の中でこんなに飛び抜けて極端に地震災害が多い場所だっていうのも変だし。そんなところにずっと住んでて今日に至ってるとかも変ですよ。
五千年前とかに黄河流域とかエジプトとか世界のいろんなところで高度な文明が発達していた頃、まだまだ裸足で原始的な生活してたような日本なのに、でも、そんな日本の15,000年も前の地層から土器(縄文土器)が出土する。そんな古い地層から土器が出土するなんてとこは世界のどこにもなくて、ただ日本だけだって聞くとね。なんか、びっくりするしね。
世界中のどこも土器なんか作ってないときにいち早く土器を作ってて、その技術と発想を、そのまま高度な文明に結実させようとしなかったような事実もまた不思議に思えるし。
やっぱり日本という場所も、この地理的位置に住む人らも、太古の昔から今に至るも、なんか結局ヘンテコなことを考えて、日本という場所を、世界のどこにもないヘンテコなところにしてるんだなと思えば、もうそんなに金の亡者ばかりを尊敬することもなかろうよ日本人、と、思えてもくるのであります。
今朝方、うちの奥さんから仙台まで来たよと電話あり。桜🌸満開とのこと。花も咲かない寒々しい時期からトゥクトゥクで着膨れして南下するうちに、季節がハッキリ変わって、桜の花が満開の風景に遭遇するなんていうのがトゥクトゥクやらバイクでの移動して行く旅の1番の醍醐味。
それを思うと、菜の花の目線で、その風景に立ち会えないのが、すこぶる残念ではあるけれど、一度体験したことは脳内に残って、憧れとして再生され続けるから、いつかまた来る機会を待ちましょう。