嬉野です。
絵本といえば、サン=テグジュペリの「星の王子さま」もステキだけど、西村繁男さんの「おふろやさん」もステキだと私は思うんですよねぇ。
なにしろ絵本のタイトルが素晴らしいですよね。「おふろやさん」
絵本「おふろやさん」は、ストーリーといっては、3歳児くらいの女の子のあっちゃんと、赤ちゃんと、お父さんお母さんが、家族4人でおふろやさんに行って帰ってくるだけのお話ですから。空想もメルヘンも、王子様もキツネも薔薇も、格言も哲学も出てこないかも知れませんが。でも、人として、なんとも幸福な時間が、あの絵本のおふろやさんの中には流れているんですよねぇ。
とくに、1980年代のバブル景気以前の東京で一人暮らしをしたことのある人には、たまらん懐かしい世界が描かれていると思いますよ。
あの、アパートといえばお風呂がないのが当たり前だったころの東京の町中には、ちょっと歩けば、見上げるほど高い煙突と立派な大屋根のある銭湯が、それこそいっぱいありましたからね。だって六本木の飯倉交差点のソ連大使館の裏手にもふつうに銭湯ありましたもん。
そりゃそうでしょう、だって1980年代にはまだ六本木谷町の町内会が子ども神輿とか出してたりしたんですからね。
まったくバブル景気以前の東京には、まだ東京ローカルがしっかりあって、お風呂のない暮らしや、お家にお風呂があっても夜はおふろやさんに出かけて行くみたいな文化が、まだまだ根強くあったんですよね。
それに、1980年頃の日本は、バブル景気になんかならなくたって「一億総中流」と、日本人全員が言えるほど景気がよかったんです。みんなお金持ってたんです。
だもんで、総理大臣がテレビ中継で「どうでしょうかみなさん。日本人ももうお金持ちになったんですよ。これからは1年間に何ドルくらいはもう使ってもイイんですよ」と、そんなふうに国民に呼びかけてましたからね。そうでも言わないと日本人はいつまでもコツコツコツコツ貯金し続ける癖が止まらなかった。だから総理大臣が直々に呼びかけた。つまりそれくらい日米貿易摩擦は深刻なほど日本の一人勝ちだったんですから、バブル景気なんて来なくたって良かったんです。金持ちになったって貧乏くささがいつまでも染みついてて、そっちの方が居心地が良いなんてね、それを思えば全員が貧乏になるのも悪いことばかりじゃない。
だから、絵本「おふろやさん」は見てて楽しいんじゃないでしょうかねぇ。
とにかく、いろんな人が来てるんですよ。気の良いオヤジも、ヤンキー風の兄ちゃんも、真面目な銀行員みたいなおじさんも、みんな同じふろやで、同じように裸になってるんですよ。
子どもたちも、学校も終わった夜の時間に、また偶然おふろやさんで友だちと一緒になったりするから、余計に楽しくなるんでしょうね、お風呂場ではしゃぎ過ぎちゃって、とおとお知らないジジイのカミナリが落ちて説教されるとかね。あって。
子どもたちはしょげて、周りで見てる大人は自分も子ども自分に覚えがあるからか微笑ましそうに笑ってる、みたいなね。そんなおふろやさんの湯船の周りには町内にある商店の広告看板が忠実に再現されてたりするんです。それを1つ1つ読むのも楽しい。
子どもも大人も体重計で体重を計ってたり。きっと昔は太ったことを喜んでたんじゃないでしょうかね。食えてることを喜んでる、みたいなことですよね。
風呂上がりの火照った身体に飲むのはビールでなくて冷たい牛乳。
これからの日本は、どんどん貧乏になっていくんでしょ?
でも、絵本「おふろやさん」を見る限り、お風呂のない貧乏暮らしも、楽しげなおふろやさんさえ近場にあれば、かえって幸せにやってけそうな気もして来るくらい楽しそうでしたよ。それに町内のみんなが毎晩おふろやさんにきて支えてくれるんですから、風呂代だって、すぐに安くなりますよ。
バブル景気さえこなければ、そもそも東京をはじめとした日本中の町は、家賃の安いアパートがたくさんあって貧乏に対応できてたんですから。それを思い出せば、これから少々貧乏な時代がやってきたところで日本人はじゅうぶんハッピーにやっていけると思いますよ。
みんなが貧乏になる時代は、人間の距離が近くなりそうです。娯楽を楽しむ金もなくなれば、誰かの話を聞くのも娯楽になるみたいなことですから、そういう意味でも人と人との距離は近まってゆきますもんねぇ。
まぁ、そんなことを絵本「おふろやさん」は教えてくれますね。きっとバブル前の日本を知らない若い人が読んでも楽しめると思いますから、皆さんも興味をもたれた方はぜひご覧になってください。たしか、まだ売ってたと思いましたよ。
あ、そうそう。ぼくらの新刊「なんだか疲れる」も只今絶賛発売中です。こっちも、もちろん売ってます。こっちもハッピーになれますよ〜〜〜!
(2022年5月15日 嬉野雅道)