嬉野雅道と人生を学ぶ談話会 ーー連載「嬉野珈琲店」準備稿をお茶うけにして
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おはようございます。
嬉野です。
水曜どうでしょうを見てくれている人が、現代日本に、どれくらいの数おられるのか、計り知れませんが。
でも、未だに水曜どうでしょうで太い金が動きますから、それなりにはおられるのでしょうね。
番組を始めて今年で24年です。
その間、出演者もスタッフも変わらないなんて、そんなテレビ番組ありませんよ。
そんなところからも、醸し出される面白さ、そういったものも水曜どうでしょうには、あるんでしょうね。
だって、人間は、関係性で生きていますからね、目の前に誰がいるかで話ぶりまで変わってしまうものです。
そんなにも人間はデリケートな存在で生きているのです。
だから大泉くんも鈴井さんも、水曜どうでしょう以外では、なんとなく違う人になっているってことですよ。それは生理的に当たり前のことなんです。
相手が変わると自分まで変わるんです。
そういうところが人間の生理には厳然とありますから、
藤村さんという人格を目の前にしない限り、あそこまでの悪態をつき続ける大泉さんは出現しないのです。不思議ですね。
人類は、出会ったときの関係性のままで、生涯、付き合って行くものです。だから、大泉さんは、ぼくらの中に居る限り、ずっと出会ったときの大学生のまま。永遠の若手に甘んじるしかないのです。これはね、誰の命令でもない、人間の生理のなせるわざなのです。
それは不思議なものです。
深淵ですね。
さぁ、今年も最新作の放送が近づいています。
今度こそ、手応えのないものに成り下がったと、4人が4人ともロケから戻ってから観念していたのに、出来上がると「なんでだか笑えて、ずっと見ていたくなる」。
久々に4人だけで旅に出たからとか、もはや、そんなことでは、この面白さの説明などつかない。
人間の無意識の振る舞いって凄いですね。
ここまでテレビ現場で無意識で仕事ができてしまうチームっているでしょうか。
こんなことが出来るということは、現場にいる4人の関係性が異常に親和してしまっているということです。
今回の最新作の旅で、4人が4人それぞれに、現場で不満を意識する瞬間など、たびたびあったことでしょう、特に大泉さん。
だから「今回の旅は1番手応えがなかったぞ」という印象がその時間に蓄積されていったはずなのです。
でも、どこかでは、その不満も不安も消えてしまう時間もあったということです。
そして、その境地は、多く、トークが始まってからの時間にあったのでしょうね。だから場所がどこであれ、トークし始めるとたちまち無我の境となり、無意識の中で互いに面白いことを言ってしまう、そんなことが自由運動で起きてしまう。
そして、それらが無意識であったからこそ、4人の意識に残らなかった。
こうして旅の終わりに残ったのは、不満と不安を意識した瞬間の蓄積だけだった。
そんなことを思いました。
また新たに大事なことを経験してしまったのです。
こんなにも成長を続けるテレビ番組は、世界に水曜どうでしょう以外には、おそらくないでしょう。
そんな恐るべき番組を、幸運にもみなさんは発見し、追い続けてきた。それこそが皆さんの運です。
この先の人生、こうなったらもう、全員で幸福になってまいりましょう(^^)
ここに幸あれ。
とはいえ、とくに手応えはないですよ(^^)ただ、なんかずっと見ていたいと思うだけの旅です。でも、ぼくらは今、それが一番好きです。
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「嬉野さんと人生を学ぶ談話会」当日の音声の一部はこちらから視聴できます。