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【イベント】藤やんうれしー祭 in 埼玉!4月12日開催【チケット発売中!】

ディレクター陣
  • D陣日誌
  • スタッフより
    2024.06.20
4月01日の日誌

4月12日(土)埼玉にてイベント開催!詳しくはこちら!

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嬉野です。
日誌です。

さて、みなさんの町の桜は満開ですか?

札幌は、桜が咲くとか言う以前にまだ道が凍るほど寒いです。
おとといなどは「真冬か!」と我が目を疑う悪天候で、日がな一日、横殴りに降り注ぐ霰の嵐に唖然とするばかり。いやはや、つりよかさんに会いに出掛けた九州佐賀の春爛漫は、あれは夢だったのかと思わされる、いまだ春とは名ばかりの札幌です。

あの日、我が故郷、佐賀で感じた九州の春は、ぽかぽかと心地よく、朝から晩まで暑くもなければ寒くもない、まさに極楽でした。

北海道に暮らす者にとって、あんな長閑な春は楽ちんすぎる。気持ち良すぎて人間がダメになりそうです。
あぁ、知らなんだ、九州育ちの私はあんなにも極楽な春をあたりまえのように毎年体験していただなんて。慣れるというのはもったいない。もっと噛み締めるべきだった。

だからでしょう佐賀の人らの春の心根は極楽そのもののようでした。

つまりです。佐賀駅前には車が立ち入れない人間だけの広場がつくられており、そこに丸テーブルやら椅子やらが置かれて市民がそこで老若男女銘々憩うておるのです。
北風も吹かず、霰の嵐も降らず。穏やかな春風のみ吹いて暑くもなければ寒くもないから3月の外でも夕方過ぎまで憩うておられるのです。

駅前に展開するそのような望洋とした風情がすでに呑気を醸しているところへ、さらに広場の一角には何十人もの市民がゴロ寝出来るような木製のデッキが設られており(あぁした長閑なものを駅前で見たことは佐賀以外の町にはありません)、そのデッキには春爛漫の陽気に当てられ頭が極楽になった地元JKたちが、制服姿のまま肩を並べ、足を伸ばして、ゴロゴロと魚屋の店先に並んだ魚のように仰向けになり10代の春を謳歌しておったのです。

「夕方5時の駅前で、JKがここまで無防備に全身を晒せる町。そんな長閑な町など佐賀以外には無かろうよ」と、私は驚きを禁じ得ず。
しかも頭が極楽なのはJKに限らずサラリーマン諸氏も御同様で、いや、老若男女とて御同様で。
やがて夜のとばりも降りてこようかという春の夕方にもかかわらず缶酎ハイを飲んでる人すら見当たらず、酔い潰れてデッキで寝ているオヤジも見当たらず。ヤバい空気もヤンチャな雰囲気もこの町には皆無であり、どこまでも長閑と健やかさばかりが幅を利かせて、とてもじゃないが、"月曜から夜ふかし"もこの町にゃあ取材には来ないだろうと思わせる。

心地よい湿度に恵まれた春の陽気の中で生き物たちは「愛されている」と感じるのか、日毎夜毎、時を経るごとに自ずと無防備になって行く。
ならば愛こそすべて。春よこい。

そんな春爛漫の佐賀で我々は5年ぶりにつりよかさんたちと再開して、またしても感動のもてなしを受けたことは、先日、生配信をご覧になったみなさんはご承知のことでしょう。

つりよかさんたちは、つりよかハウスと名づけた家で男ばかりの共同生活をもう何年も続けているわけです。
田んぼばかりが目立つ辺りとはいえ近隣住民にとって、つりよかは充分に怪しい集団でもあるでしょう。

なんなら彼らはそれぞれに屈強な風貌。5年経った今もまだまだアラフォー。ヤバい武闘集団と思われても仕方がない。

でも、そんな彼らは近隣住民の皆さんとコミュニュケーションを深めるためにと、毎年、「つりよか主催夏祭り」を100万ガネの大金を掛けてやっているのだそうです。
そうして集まってきた近所の人たち、子供たちと、つりよかハウスでとびきり美味いものを食って、酒を飲んで(子供は飲みませんよ)仲良しになっているのだとか。
そして日が暮れると近場の田圃から本格的な打ち上げ花火を盛大に打ち上げるのだそうです。
これにはご近所も大興奮。

だから今ではすっかり近隣の人たちにつりよかたちは喜ばれて、「今年の夏祭りは、いつやるの?」とみんなが楽しみに待つまでになってしまい、「もう、やめられなくなりました」と、つりよかさんたちは嬉しそうに言っておりました。

しかしね、不思議なもので、人というのは、そうやって顔馴染になると、顔馴染みが出す声や音は、もうそれほどうるさく感じなくなるのですよね。

それに、日本も経済格差が叫ばれる時代になって富裕層とか呼ばれるお金持ちが出現しましたけど、歴史を紐解けば、それは日本でも珍しいことではなくて、戦前から江戸以前の昔の方がよっぽど経済格差は甚だしかったわけですからね。

でも、戦前から昔のお金持ちたちは、その金をもっと世の中に還元していた側面もあったはずです。
芸術家を育てたり。絢爛豪華な襖絵や天井絵を残したり。豪壮な城を築いたり。ありがたい神社仏閣を創建したり。庭を作ったり。煌びやかな武具を設えて行進して見せたり。満開の桜の山野で盛大に茶会を開いて民衆の評判を得たりと、今よりはもっと世間の人らの評判を気にしていたと思うんですが、この頃の富裕層はそういうことをいっさいしないから世間を気にしている様子もありません。
せいぜいSNSで済ませている。
そんな印象が強いところへ、つりよかたちは近隣住民のハッピーのために祭りを開催し、地元に還元しているのですから、彼らは世間と一緒にハッピーに暮らそうとしている。そこが素晴らしい。

彼らの発想はやっぱり今も正しい。

と、5年ぶりに会っても、そう思わせてくれるのです。この安心感。

そうそう。
うちの藤村さんが、平戸辺りの海で、船の上からイカの群れを追って、真鯛を釣りまくった狂乱の顛末の一部始終を、まだ皆さんはご覧になってはいない。

そしてその夜、我々を待ち受けていた5年ぶりのつりよかたちのもてなしが如何なるレベルのものであったかも、これもまたみなさんはご覧になってはいない。
ということでね。
それら全てはこれからの編集にお待ちいただくことと相成ります。

5年ぶりのつりよかたちの歓待にまたしても感激してしまって、つりよかハウスを去るときに、藤村さんはポツリと言いましたね。

「あいつらの実力は、レベルが違う」と。

そうです。我々は彼らの実力に舌を巻くしかないのです。そんな彼らが全力でもてなしてくれる。そんなもてなしてなどできる連中は世界中探しても彼ら以外にはないでしょう。

コロナのせいで、再会までにうっかり5年も掛かってしまったけど。
結果として、それはそれで良かったかのもしれない。かれらのレベルの違うもてなしに慣れてしまうようでは、それもまたもったいない。

極楽のような春の陽気の中、我々はつりよかハウスの、オープンBARで日が暮れるまで美味いものばかりを食べ、西の空に丸々とデッカ過ぎる夕陽が沈んでいくのをいつまでも飽きずに眺めておりました。

だって、沈む夕陽を隠してしまう障害物がないからいつまでも夕陽が見えるのです。

藤やんは言ってましたね。
「佐賀で1番高い人工建築物は、電柱なんだね…」と。

私は腹の中で思いましたよね。
「そんなこと、あるかよ。。。」と。

 

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6月20日の日誌

どうで荘での居候が続いている。

御存知、リアルどうで荘、神奈川県川崎市中原区にあるどうでしょうD陣の配信拠点。

そこに居候をしているわけだが、配信拠点なので当然機材が多く配置されている。

高価でないとありえない画質のカメラが串刺しになった(もっと正しい表現があるのだろうけれど、無知ゆえにわからぬ)三脚が屹立し、照明機材も林立。マイクも何種類かがギリスの近衛兵の帽子みたいな頭(なんて言うんだあれは。マイクの部位の名前もわからないし近衛兵の帽子の名前もわからない)をもたげている。パソコン、どでかいモニター、そのほか使途不明の、官房機密費みたいな、高そうな機材。そして床、机の上でとぐろを巻いているのが各種コード・線類である。

この線類がなかなかのくせ者。

配信というのは一個の機材でできるわけではなく、いくつかの機材の協力のもとに行われる。

その機材の接続、連絡を取るのがこれらの線。玉木青が配信を仕切っているとすると例えるならば彼が殿様である。織田信長である。

各機材は能力のある武将たち。羽柴秀吉柴田勝家丹羽長秀。

そして各種コード・線は連絡役。母衣武者ということになる。つまり毛利新介、野々村三十郎と言ったところになる。コード・線類は毛利新介なのだ。

これ、逆にわかりにくくなっているな。

逆の説明で使うべき例えだ。母衣武者とか毛利新介を説明するときの例え。

さて、我が部屋の毛利新介なこと線・コードの類なのであるが、これがなかなかの荒武者、猪武者、蛮勇と言っても良い性格だ。

もちろん仕事はできる。いつも通信は快適。しかしながらとにかく素行が悪いというか態度が悪いというか、要するにいつもぐちゃぐちゃなのだ。

ぐちゃぐちゃなどという言葉では表現できないくらいである。ぐぢゃぐぢゃ、あるいはぐぢゃんぐぢゃん、ぐっぢゃんぐっぢゃん、って感じなのだ。

現代社会くらい複雑に絡み合っている。アレキサンダー大王やったらブチ切れて一刀両断しているくらいの混迷ぶり。ゴルディアスの結び目。いや、ゴルディアスの毛利新介状態。

玉木青が配信を指揮する際に、何やら線の付け替えなどを行うこともあるのだが、もう、その苦労と言ったた筆舌に尽くしがたいものがある。

だって、一本の線を手繰り寄せたら線全部が混然一体となって「ゴゴゴ」という感じでこちらへ近づいてくるのだ。スムーズな作業などできようはずもない。

玉木青、そういうことがおこるたびに「コードを整理しましょう」というのだけれど、やはり混然一体となってまがまがしい気を放っている、メデューサの頭にも見えなくないそのコードの黒塊を見ると、我々の意志は削げ、石のようになってしまうのである。

 居候には感謝が重要だ。ということをインターネットで観た僕も、感謝の意を伝えるべくコードを整理しようかと思ったこともある。

しかしながら生来愚鈍無知蒙昧因循姑息惰気満満たる玉田玉山である。

手を付けようとはしたものの、多種多様のコード、まさに八百万。

HDMIやらAC、USB、AUX、DVD、果てはSONY、Panasonicの文字も恐ろしく、イヤホン糸くず抜け毛までもが一致に団結をしているものだから手出しをすることができない。

僕は震えて眠るだけである。

 そんな状況でもまあ何とかコード同士、見た目には混迷を極めていたとしても、連絡を取り合い、配信等に支障が無ければそれでいいのだ。が、そうもいかない場面というのが近頃散見されている。

コードというのはコンセント類からの給電の役割も果たしているわけだが、その給電の役割のコードが抜けておることがあるのだ。

こうなると起動すべき電気機器が起動をせず、配信に重大な支障をきたすことになる。

何故、そういう仕儀になってしまうのか。

僕がコンセントを抜いているのである。

いや、こういえば配信への妨害行為即刻退去の所払い、武蔵新城より10里の外より近寄ってはならぬ。と思われる読者諸君も多いだろう。

しかしそんな妨害などという強い意志を持たねばできないことをできるほど僕には意気地というものがない。

これすべて我が暗愚の為である。

居候の寂しさは夜に来る。そういう場合は夜の街に繰り出す。と言っても寂しさと人の誘いのタイミングが合一するタイミングはまれだし、寂しいからと言って人を誘い呼び出し、寂しさをぶつけるような酒に突き合わせる度胸も自信もない。

結句行きつけのバーに行き、喋る。ということになる。バーというのは街の中でそういう地位を占めているのだ、ということを最近はとみに思う。

キャバクラ、ホストクラブ、スナック、ガールズバー、メイド喫茶、コンカフェ。そういったものの意味というのが一人で都会に暮らしてわかってきた。

僕の行きつけといえるバーは新宿、四谷三丁目、高円寺に一軒づつある。

ここへ出かけて、あるいは仕事帰りによって、喋りながら酒を飲む。

あのバーという空間へは皆がある程度そこにいる人と話をしに来ている。

うーん、進次郎のような話になるが、バーに来ている人は全員バーに来ている人、なのだ。

であるから知らない人が相手でも、なんだったら人見知りの僕だが、行きつけのバーであると、場所見知り、もないのでかなり話ができる。いや、相手の話を聴いているだけで面白い。寂しさに目が向かなくなる時間だ。

そうこうしているうちに23時を過ぎたあたりで終電。

さすがに朝まで飲む体力も財力もないので帰宅をすることになるが、3つの行きつけ、すべて武蔵新城から遠いのだ。

1時間くらいは帰宅に時間がかかる。

この1時間、ずっと座っていれれば楽なのだろうが、そうはいかない。混んでいる。さらに乗り換えも多数。そして人のことを言えた義理じゃあないが、とにかく電車全体が酒臭く気分が悪い。今から一人の居候のねぐらに帰るのか、と思うと突如として寂しさが吹きすさぶ。詮無いことだとわかりながた、酔った頭には大阪に置いてきたネコと妻の顔が浮かぶ。郷里の祖母の顔が浮かぶ。亡くなった母の顔が浮かぶに至って涙が出てくる。

母の顔が浮かんだあたりでやっと武蔵新城に着くものだから、コンビニでヘパリーゼ等各種肝臓機能補助製品と、もう一杯飲む為の酒を買ってどうで荘に帰ることになる。

飲酒と1時間の移動により意識は朦朧である。

鍵を開ける。ドアを開く。倒れこむように体を押し込む真っ暗などうで荘。電気をパチッとつけると撮影機材。モニター。DVDの山、山、山。

皆さんに貼っていただいた床にどったりと倒れこんでひとしきり「あー…」だの「のみすぎたあ…」だの唸った後に、手慰みにTwitter(現Ⅹ)を観ようとすると、スマートホンの電池切れが間近。これはいけない、這うようにして電源タップに近づく。当然すべての電源は埋まっているから一生懸命手を伸ばして手近なコードを抜いてそこに携帯の充電器を指す。

そう、長くなったが、この手近なコードが重要なコードだったりするわけである。

そしてべろんべろんに酔っ払っているのでその重要性を認識せずに眠る。

起きるとすべてを忘れて健やかになってしまっているので、もう抜かれたコードはそのままだ。

そうなると後日の配信に支障をきたす。

と、こういう流れになるわけである。

全て我が暗愚より来ているというのはそういうわけだ。

今迄配信に支障をきたすたびに「なんで抜けているんだこのコードはわからんねえ」という顔を玉木青に僕もしていたのだが、すまぬ、あれは酔っぱらった僕が抜いている。ここで懺悔をする。

今後はやるまいぞとは思っている。しかしどうすれば防ぐことができるのか、というのが皆目見当がつかん、さて、と懊悩しているとにこの度、新しいスタッフYこと横山清正氏がその持ち前の粘り強さでこの線のぐちゃぐちゃを整理しきったのであった。

中々できることではない。

整理すると意外と空きの電源口も確保されるもので、今後はそこに充電器を刺せば事足りる、という状態となったのであった。

降ってわいた平和を寿ぎ、後はまたコードがぐちゃぐちゃにならないよう、注視していくことが、居候の僕にできる平和維持への努力であろう。

しかし横山清正、すごい男である。よくもまああのようなコードを整理しきったものである。ゴルディアスの結び目も、彼さアレキサンダー大王の傍にいれば、一刀両断されることもなかったかもしれぬ。心強い人間がスタッフになったものである。皆もどうぞ彼を頼りにしてください。

僕のことはここまで3000文字書いてきたようななことですからあまり頼りにせずに、期待もせずに、どうか優しく見守ってくれると嬉しいです。

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