嬉野です。
昨年の年の瀬に、講談師 玉田玉山(たまだぎょくざん)氏の講談を間近に聴く機会があり、その節、私は氏の講談の迫力にスコブル心惹かれたのでありました。玉山氏はまだ30歳になったばかり。驚くほどの色白で、その立ち姿は皆さんもご存知でありましょうところの彼の英国の絵本作家、故レイモンド・ブリッグズさん描くところのスノーマンをさらに撫で肩にして立たせたような感じでありますから、見上げるような大柄でありながら隠しようもない愛嬌があり、その顔立ちはスノーマンよりはよほど口元が小さく目が細く、お人よしと見えなくもないながら、いやまてよ、どうも目の奥が笑っていない気もして油断のならないご面相とも見えますので玉山氏のご性質の真相は、今もって判然とはいたしませんが、とにかく人より雪だるまに近い印象を有するこの幾分人離れした風貌が初見の客にも彼をして人外(にんがい)と見せるのか妙な安心感を与えるところは芸を見せる者としては得であろうと感じいるのでありました。
この玉田玉山氏は、うちの玉木青くんの年来の友人であり、その縁あって、5年ほど前には京都で開催した「よろしく御笑覧ください」という京都のパフォーマーたちを廃校になった京都の小学校の講堂に集めた大イベントでもトップバッターで出演を飾った過去がございます。
あのときはまだ、玉山氏は丸山交通公園という名でステージにスーツを着て立って独りで漫談的なことをやっておりましたが、そのときも彼は、ただ語るだけでは飽き足らず、手に持ったウヰスキーのボトルを満座の中で一本飲み干してしまいながら漫談を語ったという身体を張った荒芸をも披露しまして満天下の度肝を引き抜いたのでありました。
その丸山くんが一念思い立ち、さる高名なる講談師に弟子入りすること4年。この度、ようやく師匠の許しが出て年季が明け、これからはイベントごとも自分の判断で起こせる立場を得まして、ここに晴れて一人前の講談師となり門出を飾ったわけでございますが、この玉山氏、「水曜どうでしょう」の大ファンでもありますことから、去年の年の瀬に大阪で盛大に行いました「第1回どうで荘忘年会」の席で、飛び入りよろしく「うつ病の自分と水曜どうでしょうとの出会い」という即席講談を一席、急遽呼び込まれました舞台で演じてくれましたが、これがすこぶる面白く、問答無用に私の胸ぐらを鷲掴みにしたのであります。
講談という、あの悠長で、なにかと言えば大声を張り上げがちな大袈裟な語りの芸でもって「水曜どうでしょう」を深夜に初めてテレビで見たときの「なんじゃこの番組は?」という玉山氏の驚きを、うつ病にやられていた当時の自分の心境と共に大真面目に語って、なおかつ笑かすという、奇天烈なる可笑しみの世界をお客の前に現出させたのであります。
どうでしょうの味わいを深く知るものにとって玉山氏のこの講談は絶品の味わいで、「水曜どうでしょう」をそらんじるほど繰り返し見てきた猛者ファンほど、玉山氏の「どうでしょう講談」は胸に迫ると思いますので、是非とも間近で体感してほしいのであります。
さて、そのような玉山氏の「水曜どうでしょう講談」が、大阪の忘年会に続き、新春1月8日の「どうで荘新年会」でも聞けるかもしれないということですので、当日ご来場の皆さんは、どうぞ今から「お楽しみに!」と私は言いたいのでございます。
そして、玉田玉山氏の「どうでしょう講談」、良いじゃないか!と、わたくし同様に心を鷲掴みにされた皆さんは、是非とも陰に陽にこれからの氏の活動を支えてあげていただきたいのでございます。
いつか「水曜どうでしょう」をニッポンの伝統芸能である歌舞伎で観たい聴きたいと思っておりましたら、これまたニッポンの伝統芸能である講談で語って笑かすという男が出現しよりました!という、以上、2023年新春のホットな話題でございました。
不思議にニッポンの伝統芸能と小気味よく通底する「水曜どうでしょう」を見つつ今年も朗らかに年を重ねて参りましょう。
あけましておめでとうございます!
大家の藤村でございます。
年末年始は、LINEグループへのみなさんの投稿が不思議な連帯感を醸し出しておりまして、眺めているだけで「あーいいじゃない」と思った次第でございます。
今年も郵便局でバイトする次女は帰ってきませんでしたが、長女と長男は帰ってきましてね、恒例の元旦食いまくりビュッフェを堪能してまいりました。
もう往年の食いっぷりは影を潜め、ゆっくりとワインを飲みながら、少しずつ美味い料理を取り分けて楽しんで、それでも大満足でございました。
さて年が明けて2023年。
今年は2月末に大阪マラソン、その翌週には大分竹田で名水マラソン、さらに続けて福岡で初のHTBグッズショップ出店、そして水曜どうでしょうの新作の放送、5月から8月までは「ここキャン北海道」でテント生活、9月からは「キャラバン」、さらにその後は藤村源五郎一座の大阪での公演も画策しておりまして、また楽しい一年になりそうです。
コロナのおかげと言っては語弊がありますが、しかし、こうやってみなさんとお会いしてイベントを開くことがどれだけ楽しいことだったか、改めて実感した一年でしたので、今年もまた常に初陣のつもりで全力で事にあたっていこうと思っておる次第でございます。
ではみなさん!
今年一年もまた楽しく過ごしてまいりましょう!
(2023年1月1日 藤村忠寿)
嬉野です。本日千秋楽を迎える藤村源五郎一座「神面記」を、今週の月曜日に見物してきましたが、これが、良かったんですねぇ。上演時間は70分と意外とあっさりした尺だったのですが、見終わって満足感がありました。
物語は織田信長が京都の本能寺で家臣の明智光秀に謀叛の襲撃を受けてその生涯を終えるという本能寺事件に想を得たお芝居ですが、今回は「藤村源五郎一座」お馴染みの笑いがいっさいなかった。しかし、笑いを省いたことは大事なことと思えました。
去年も見に行きましたが、そのときはまだ過去にやった笑いのネタが随所に残っておりました。私、ネタを知っておりますだけに「これをやるならオレの講談で前振りしてからの方がもっと素直に笑えるはず」と見物しながら思ったものでした。だから「この笑いネタはもうやらない方がいいだろうなぁ」と思い見ていましたら、今年の舞台ではそういう笑いが省かれいっさい無かった。さすが藤村さん。
笑いも、ある程度、観客に状況を分からせてでないと笑いはおきないものと私は思いますから「やるなら」笑いの分だけ情報も入れることになり、笑いが増えれば単純に芝居が長くなり、とても70分では終われない。加えてお芝居も物語で見せようとするなら、これもまたいろんな状況をその都度観客に分からせてでないと物語は面白く見せられないから、これもまた70分では終えられない。
でも、今年の「藤村源五郎一座」は70分で客を満足させたのです。
そうなると、そこには客に体感させる効果がふんだんにあったと思わせられるのです。
例えば、去年から取り入れた客席と舞台とを仕切る紗幕の存在。単純な御簾のようであれの効果は大きいのかもしれない。あの紗幕がフィルターとなり役者たちから生々しさを隠し、舞台からも客席からも時間や場所すら超越させる効果があるのかもしれない。だからこそ目の前の舞台が今のことだと思えなくなってゆき、やがて、ここが何処だかも分からなく時間を曖昧なものにさせてしまうだけに時代劇芝居に向いているのかもしれない。
そして、その紗幕に立体的に投影される文字、影、映像。そして紗幕の奥で展開する激しい殺陣、力強く優雅で迫力あるダンス。そして役者たちの立ち姿、声音、セリフ芝居の言葉の中身、情感。それらが見る者の語感を刺激して良い感じに活性化させていたのだと思います。
しかしながら、いかんせん私という人間の理解力が今ひとつゆっくりなので、観劇しながら細かいところはほとんどこぼれ落ちて何を見てきたのかを忘れているわけで。しかし、その時間は心地よい70分間だったとだけ印象は記憶しているということです。
芝居展開に破綻がなく、おそらく藤村さんは随所にいろんな効果を盛り込んで話を展開させていたはずと思いますが、私ばかりがそれに気づかず長閑に観劇していたということかもしれませんが、ならば、それとてこぼさず掬ってしまう体感的な効果もまた同時に与えていたと思われるのです。このことこそ、私は芝居としてデカいと思いました。だっていろんな人が見にくるんですから、ひとつの入り口だけでは足りないのです。
何にしても私は「藤村源五郎一座」はまさに途上にいるのだと感じました。
「なんだよ!まだ途中なのかよ!」と藤村さんは瞬時に私の発言にリアクションしましたが「いや、そうじゃない。そういう途上じゃない。何か、進むべき道を見つけちゃったんじゃないの? という意味での、途上です。だから次がまた楽しみだと思ったのです。この道を進んでいければ何処かで開けた土地に出る、1つの完成形となる」そう、予感した舞台だったということです。
劇のクライマックスで、白い寝巻き姿で、他の誰よりも迫力を出しちゃっているオッカナイ織田信長が、すぐそこに凄んでいたんですが、「あ、でも、あの人って、サラリーマンなんだよなぁと不意に我に帰ったときの一瞬の可笑しみもまた、あの一座の芝居を見る時の醍醐味であることは相変わらずで、それもまた良かったのでございます。
あ、そうそう。藤村さんの次女のふーちゃんの抑制の効いた芝居が今回ヤケに良かったのには我ながら驚きました。ふーちゃん。そんな目もあるんだね。お見それしました。やっぱり人というものの評価は軽々に答えを出せるものではないんですね。
藤村でございます。
大阪で藤村源五郎一座の公演中でございます。
最大で40名までしか入れない狭い空間で、お客さんの数センチ先で芝居を見せる、殺陣を見せる、ダンスを見せる、その空間全てを舞台に仕立て上げる、ということをやっております。
普通の劇場では出来ないことをやろうと思っておりますので、実際にここへ来て見てもらわないとわからないし、我々自身もお客さんの反応を見ないと良し悪しがよくわからない。
でもまぁ、あんまり難しい方向には考えず、源五郎一座は、楽しく舞台を作り上げることのみを考えて邁進しております。
21日と25日は完売しておりますが、他の日はまだ入れます故、来てみてくださいな。
嬉野です。
この前の金曜日。私の喉の辺りの皮膚が盛り上がっちゃって、赤く晴れて明らかに化膿しちゃってて、大きくなっていくからね、これはおそらく体液だか膿だかが中でどんどん溜まっててそれが内側から皮膚を外側へ圧迫しててそれで痛くなっちゃってるんだろうと思ってましたら、とうとう昨日の夜に皮膚が裂けちゃって、そこから血が出ちゃって膿も出ちゃってするもんですから、これは放って炎症をこじらせても損だから「皮膚科に行かなきゃなぁ」と思ったんですが、なにしろ出張中のことで、東京は昔住んでましたからそれなりには詳しいつもりでも皮膚科のことまでは分からない。
そんな時にインターネット検索というのは便利ですね。私のホテルは赤坂だったので「赤坂 皮膚科」でさっそく検索したらいろいろ出てきて。でも、そういえば明日はあいにく土曜日で、どこの皮膚科もやってないんですね。そしたらそんな中に銀座だったんですが土日もやってるところがあって。ただ、名前がちょっと「○○色なんちゃらクリニック」とかいうもんで、「え?○○いろ?これはなんか怪しい美容系?」と一旦は構えたんですが、とにかく土日もやってるのはそこしかないからネットで予約して、今朝、行ってきましたら、これが実に感じのいい私好みのクリニックで。
なんかね、受付の方もナースの方もドクターの方もみなさん女子だったんですが重々しいところがなくて、気を使いすぎる言葉遣いもなく、どこまでもざっくばらんで、どこかぶっきら棒にも聴こえるそのもの言いにかえって熟練を感じましてね。懸案の内容物も出してもらったら痛みも和らいで、そのあと抗生剤を1週間分処方してもらって、毎食後と就寝前に飲むように言われて、あれから毎日1日に4回も抗生剤を飲んでるんですけど、この抗生剤が私の喉の傷に効くだけでなく私の身体の内部にひょっとするとあったかもしれないいろんな炎症まで消炎させてしまったのか、そういえば病み上がり後に止まらなくなっていた私のしつこい咳が、いつの間にかすっかり出なくなってて。お陰でえらい楽でね。わたしゃもうすっかりハッピーなんです。
で、そのクリニックの帰り際に「まだしばらく出張なんですか? なんか異変あったらいつでも来てくださいね。うちは毎日やってますから」なんつって言ってもらったもんだから、なんだか友達できたみたいな気分で私はそのクリニックをあとにしたんです。でも、あんまりないですよね。病院行って「ここの人らと友だちになりたいなぁ」みたいに気にいるなんてことね。
でも、思えば、患者でもなかなかいないと思うんですよね。「あのう、なんかここってとっても良いクリニックですね。雰囲気が。いやもう感銘を受けました」なんて、そんなことをわざわざ診察室で言葉にして言い出すやつはね。でも、私はねぇ、何屋だろうと気に入ったら言っちゃってるんですよね「いやもうほんと、素晴らしいですね」って。きっと、これも私の病気みたいなもんなんでしょうね。思ってしまったらもう黙ってられないというね。本日はまぁ、そんなどーでもいい話でした。
藤村でございます。
イナダ組30周年記念企画「ライナス」の公演を終えました。お客さんの入りは残念ながら満席というわけではなかったけれど、とても熱心なファンの方が大勢いらして、千秋楽は楽屋で着替えをしてても拍手が鳴り止まず、3回目のカーテンコールに出たらスタンディングオベーションでした。
30年もやっていると、観客とのこんなハッピーな関係が出来上がるんですね。
そして私はすでに大阪におります。
12月16日からスタートする藤村源五郎一座「神面記」。織田信長の本能寺の変を題材としたお話です。ストーリーは大変面白い。そして、なにより今回も舞台装置がきれい。影絵とプロジェクター映像が全面に映し出されます。
劇場での公演ではなく、普段使っている稽古場をアート空間に替えて公演するヒストリアートの第二弾。少人数のお客さんしか入れない贅沢な芝居を是非!体感してみてください!
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藤村でございます。
YouTubeのどうでそうTVの方でおじさんの一人旅郡上八幡編が公開となりました。
コロナの2年間あまりで団体行動がなくなり、みなさん単独行動が激増しまして。
ひとりでいることが寂しそうには見えなくなったといいますかね。
そんなことで、郡上八幡の後もわたくし出張先での一人旅を続けておりまして、これがなかなかに楽しく。
行き先も、あまり知られていないけれども素敵な場所を探して。
で、次回はこんな場所でごさいます。
わかりますかね。
ホテル住まいが長くなるとホテルで洗濯することになるわけで。そしたら私が定宿にしている赤坂のホテルでは、なんと備え付けのコインランドリーが無料です。素晴らしくないですか?
でも、そのせいでコインランドリーは奪い合いです。
おとついのことです。羽生さんとのトークで盛り上がっちゃって気がついたら3時間以上話しちゃってて、それでホテルに帰ってきたらもう夜中の12時を過ぎてたんですけど、着る物のローテーション的に洗濯しなきゃならない日だったんで、部屋に戻る前にランドリーコーナーをひょいと覗いてみたんです。そしたら、うまい具合に3台あるうちの1台が稼働していなかった。残り時間の数字が「ゼロ」になってたんです。
「よし!今のうちに洗濯だ!」
と、部屋に戻って汚れ物をかき集めてすぐランドリーコーナーへ取って返し、洗濯機の蓋を開けて汚れ物を投入すると洗剤をパラパラと振りかけ、蓋をしてスタートボタンを押したわけです。そして「さて、ここから31分」ということでスマホのアラームに31分をセットしてとりあえず洗濯セット完了です。
で、部屋へ戻ろうとしたらランドリーコーナーの出入り口に音も無く1人の若いのが突っ立ってたんで、いきなりそれに気づいて若干びっくりして、「お!なんだよこいつ」と心の中で呟きつつ部屋へ戻ってそこから31分。若干うたた寝もしちゃってたところへスマホのアラームが鳴ったんで、パッチリ目がさめて「よし!次は乾燥だ!」と再びランドリーコーナーへ取って返したんです。そしたらね。洗濯機の前にビニール袋を持ったホテルマンが立ってたんです。
「何してんだこの人は?」と、わたくし無言のうちにチラチラ見ておりましたら、そのホテルマンが私が洗濯機の蓋を開けたのを見て「あの、恐れ入ります」と声をかけてきたわけです。
「え?なんですか?」と訝しげに返しましたらホテルマンは言うわけです。
「あの。お客さまのその洗濯物の中に、他のお客さまの洗濯物が入っておりまして」みたいなことを言いにくそうな顔して言うわけです。
「え? 何言ってんの? そんなバカなことあるわけないじゃない?」と、私が鼻で笑いながら否定しましたら、そのホテルマンが重ねて言うには、どうやら私が汚れ物を洗濯機に投入したとき、既に、洗い終えた他人の洗濯物が洗濯機の底で静かに持ち主の回収を待っていたらしいのです。それをたいして見もしないで私は自分の汚れ物をその上から投入して洗濯機を回してしまっていたようなのです。
しかし、そんなことを聞かされてもまだ信じられない私は、「ほんとかよ」と、実際に洗濯機の中を覗いてみましたら、「あ!」たしかに見覚えのない下着が混じってるわけです。「やべ!」明らかに私の落ち度、判明です。
ビニール袋を持ったホテルマンは「ございますか?」と遠慮気味に確認してくる。「ありますねー」と私がホテルマンを振り向くと手にしていたビニール袋を広げて「ここへお願いします」と言ってくる。
で、私も「選別できるのかな?」とおぼつかない記憶を頼りに選別を開始しましたら、私のパンツもユニクロなら、その混入している他人のパンツもユニクロっぽかったわけで「これは困難かも」と思われて。でも、やっぱり好みというのは人それぞれでね。わりと選別できたわけです。オマケに私のパンツには「水曜どうでしょうキャラバン」のときにパンツのタグに「う」というマジック書きの識別を施しておりましたので、たやすく確認が出来たのです。
こうして無事に私は選別作業を終え、ホテルマンはビニール袋の口を閉じてランドリーコーナーを去って行きました。
「いやー。悪いことしちゃったなぁオレ」と、私は内心忸怩(じくじ)たる思いで乾燥機に洗い上がったばかりの私の洗い立ての洗濯物を移し終えると乾燥機のタイマーを50分に設定してスタートボタンを押しました。
そしたら、「あ、そーか。。オレが洗濯機を回し始めたとき、音もなく立っていた若者がいたけど、あの彼が被害者だったか」と、合点がゆき。「いやはやそれは可哀想なことをした。彼だって洗濯した後、乾燥までしたかっただろうに、オレのせいで2回も洗濯させられちゃって、さらに31分待たされるはめになって、最後はとうとう深夜になって、眠くてもはや乾燥させる気力もなかったんだろうなぁ」と思われ。「でも、あれだな。オレのお陰で2度も洗ったわけだから結果的にかなり清潔になって良かったんじゃないか?」とも思え。それより「とはいえ、オレの落ち度ではありながら、他人の下着と一緒になっちゃったオレとしても抵抗はあるっちゃあるよなー」と、思われ。「あー、でも、一緒にはなったけど、その段階では、もう一回洗濯が終わって清潔になってたんだからオレ的には被害はないわけだし」とか、いろいろ勝手なことを考えて、「いやー、とにかく忘れよう」とか思って寝ようとするんですけど、さっき洗濯が終わるのを待ってる間にうたた寝しちゃったもんだからなんとなく目が冴えていて。窓の外は白んで来るしで、どことなく寝るのも面倒になって、そのまま珈琲を淹れて朝まで起きていようと思ったのでした。
さて「嬉野珈琲店」は、近々、新種の浅煎りブレンド珈琲を発売予定です〜。
(2022年10月23日 嬉野雅道)
藤村でございます。
直前までどうでしょうのロケに出ており、札幌の自宅に1時間だけ戻って支度をしてすぐさま小樽に向かい、小樽港からフェリーで出発したのは9月15日のことでした。
新潟・弥彦村では弥彦山に登りました。
秋田・仙北町の出店メシはホントに美味かった。
山形・肘折温泉では恒例の夜会ができないので、旅館の縁側でアーティストの皆さんとゲリラ的に投げ銭ライブを敢行しました。
福島・三春町の会場は山間のとてもいい場所でした。
茨城・鉾田市の鹿島灘海浜公園には、近県の人しか来場できないにも関わらず、4年前のキャラバンと同じくらいの多くの人々が集まって大盛況でした。
静岡・御殿場市には樋口了一さんが合流し、アーティスト6組が勢揃いして、これぞキャラバン!の楽しさが蘇りました。
滋賀・東近江市には関西勢が押し寄せて大盛況。
その日に長野県飯田市まで移動して翌朝は長野・豊岡村。
日本アルプスに囲まれた村役場の駐車場は、とても良い雰囲気で、出店メシは今回のキャラバンで最高峰でした。
しかしそのあと大渋滞に巻き込まれて名古屋に着いたのは夜10時。完全にやられました。
そして四国初開催の高知・中土佐町。朝から晩まで釣り三昧。釣りバカの釣った魚を刺身や唐揚げ、天ぷらにしてスタッフの飯をまかないました。キャラバン中には豪雨に見舞われ中断するも、最高に楽しい1日となりました。
兵庫・加東市にも関西勢が集結。合宿所のような宿でみんなでバーベキューをしました。
そして10月10日、最後の岡山・備前市。夜の花火は見事でした。
こうして4年ぶりのキャラバンは終了しました。
新潟、秋田あたりは、当初の予想通り、来場者の数は4年前の半分ほどでした。みなさん、迷っていたのでしょう。
しかし、茨城で急に来場者の数が増えて、往年のキャラバンの活況が戻ってきました。
きっとキャラバンの楽しそうな様子をSNSで知って、みなさんもう居ても立っても居られなくなったんでしょうね。
初めてキャラバンに参加する人も半分近くいて、この2年間でYouTubeを積極的にやったりしたことが認知度を広げたんでしょう。
とにかく「水曜どうでしょうが好き」という思いを同じくする人がたくさん集まることは楽しい!人の幸せは、より多くの人と楽しい時間を共有すること。アーティストのみなさんも、スタッフも「来年また!」を合言葉に、それぞれの居場所に戻っていきました。
そして札幌に戻るHTBスタッフは今日10月11日、フェリーに乗船するために舞鶴港に向かっています。出港は深夜0時。
ところが、です。
北海道が荒天のためフェリーの出港がおよそ6時間遅れるとの連絡が入りました。
つまり、明日の早朝出港と。
これまで台風も巧みに避けて、雨も避けて、天候を完全に見方につけていたキャラバンですが、最後にやられましたね。
そういえば、旅の始まりの新潟・弥彦村でおみくじを引きました。
見事に大吉を引き当てましたが「旅行運」にはこんなことが書いてありましたね。
気になるのは「利少なく」の文字ですが、いやいや!お金の利も当然だけど、いろんな気持ちの利も今回は多かったでしょう!
(2022年10月11日 藤村忠寿)
嬉野です。昨日の滋賀県東近江市の水曜どうでしょうキャラバン会場に降り注いだ熱線は、もはや暑いのか痛いのかすら分からないほどの荒々しさで会場を暴れ回り、我々やアーティストやスタッフや、そして会場に訪れた来場者の面々を刺しまわり、全員、強烈な陽射しに焼かれ意識も朦朧となり、かつ大汗をかき、それでも医務室に送り込まれる者もなく無事に夕方4時には滋賀でのキャラバンは終了したのでした。
しかし、ホッとひと息ついたのも束の間、翌日であるところの本日も、朝から長野県豊丘村でキャラバンの開催を控えておりました我々は、東近江会場をすぐさま撤収するや、お見送りの皆様との別れを惜しみつつ、一路、長野県飯田市の宿へと向け移動を開始したのでした。このまさに、昨日の滋賀会場から連日となる本日の長野会場→そしてそこからはるばる高知会場へ向けての4日間を掛けた大移動こそは今年のキャラバンのダイハードな移動の山場と言えるでしょう。
高速道に上がってほどなく我々は養老サービスエリアに立ち寄り各自で手早く夜メシを済ませて乗車。バスは再び暗い夜の高速道をひた走るのでした。
でもねぇ。こういう慌ただしい移動も意外に悪くないんです。熱戦に焼かれ、ほてって疲れた身体。どこか高揚した気分。ドライバー任せの暗い夜の高速道を疾走する車窓の風景で気分をクールダウンさせ。広めのバス車内のそこここから聴こえる笑い声。話し声。あの雰囲気の中には移動サーカス団のようなボヘミアンな旅情がありましてね、悪くない。私はひとりイヤホーンを耳にあて、聴こえてくるちあきなおみの歌声に痺れ、しばし昭和な歌謡曲の連打連打で疲れた身体を癒すのでありました。
昨夜、飯田で高速道を降りるとき、遠くの夜空に、打ち上げられた花火が音もなく大輪の花を咲かせているのが見えて、一瞬、車内に「わぁー」というほころんだ声が上がりました。
一夜明けて飯田は快晴。陽射し強し。長野県豊丘村会場も暑くなりそうですが、おそらく今日が今年のキャラバンの暑い思い出の分水嶺になるのかもしれません。なんとなく秋の気配は、もうすぐそこに潜んでいるような予感がするのですよ。
そういえば今朝、札幌にて留守宅を守られる藤村さんの奥さんからLINEが来てましてね。読んでみると「今朝の北海道新聞に嬉野さんのステキなお写真とともに『思い出リゾート』の記事が載ってましたよ」と書いてある。そしてそのあとさらに「うちの藤村も嬉野さんも遺影には事欠きませんね」とありました😊なるほど。たしかに肖像権を放棄してネット上に散見される写真も含めれば、たしかに、我々は、いざというときの遺影にすら困らない身の上であるのだなと思いを新たにするのでありました。
「思い出リゾート」好評発売中です。買いましょう。買いましょう〜〜。
水どうD陣の自費出版本『なんだか疲れる』
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藤村Dが作りたかったDVD『藤村Dのひげキャン△』好評発売中!
9月10日、どうで荘の公式アプリがリリースされました!
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藤村でございます。
9月27日現在、一番ホットな話題といえば25日に行われたミスターさん、大泉さんそろっての生配信で「最新作のロケに2週間ほど前に行った」ということ。さらに企画は「ロビンソンに会いに行く」というものであることが、ポロっと発表されちゃったことですね。
これ、元々はプロデューサーの杉山くんが「9月25日ってベトナムの最終夜からちょうど20年なんだよね。藤やんは記念日とか興味ないだろうけど、生配信みたいなものやってみていい?」という発案で始まったものでございましてね。
それが決まった後に「そういえば新作のロケに出たことをそこで発表すればいいじゃん」ということになりましてね。
それで迎えた生配信当日。本番5分前に簡単な打ち合わせをしまして、「30分ぐらいベトナムの思い出話をして、そのあとに新作の旅に出たことをミスターさんから発表してもらいましょうかね」と、私が振ったところミスターさんが突然言い出しましてね。
「なんかもう今回は行き先とか企画とか、言っちゃっていいんじゃないですかね」と。
その瞬間、私は笑いましたね。
「ははは!確かにそうだよね」
「そんなもったいぶるほどのものじゃないし」
そんな会話をしているうちに本番を迎えたということですね。
その間、大泉さんはなにも発言しなかったんですけど、本番が始まって30分後、ミスターがなんとなく新作のことを語り出したら大泉さんが絶妙のタイミングで「ロビンソン」の名前を出しましたからね。
さすがですね。タイミングを測って結局一番美味しいところを持っていく天性の勘ですよ。
あぁいう能力を持った人を是非、サッカー日本代表のFWに欲しいですね。
ということで、「滑り台」だけがキラーコンテンツの水曜どうでしょう最新作は来年放送予定です。腐りそうならなる早で放送しますけど。
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9月10日、どうで荘の公式アプリがリリースされました!
アプリにはダウンロードすれば誰でも見れる無料動画のほか、どうで荘入居者限定のトークルームなどもございます!
トークルームでは、D陣の日々の書き込みなども入居者限定で公開中!
本日はそんな書き込みの中から、エアキャラバン直前のD陣の書き込みをご紹介します!
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藤村でございます。
本日9月10日からこちらオープンでございます。
何はともあれ本日14時からの「エアキャラバン」。
藤村忠寿商店から、神戸のレストランで作っている牛肉の「バサ」(肺の部分)の煮込みをレトルトにして販売します。
珍しい部位で、歯ごたえがとてもよろしい。たいそう気に入ったので作ってもらいました。
少量の販売ですが、キャラバンTシャツなどとともにぜひどうぞ!
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ようこそ。大家の嬉野です。
本日9月10日。さっそく「藤やんうれしーのどうで荘アプリ」をダウンロードなさいましたようで、たいへんご苦労様でございました。
これでね、既に入居されておられます皆さまも、ようやく当アパート内でどのような催しが行われているのか一目瞭然となられたはずでございます。
加えてね。まだ入居されていない皆さまも、このアプリから当アパートの全容がイメージされたことでしょう。当アパートは全室日当たり良好、キッチン共同、風呂なし、トイレも共同でございますが、袖すれ合うも多生の縁と申しますように共有部分が多いほど何かのタイミングで、うっかり会話が始まるものでございますのでね、当アパートにご入居になれば、ご近所づきあいも、ご自分のタイミングで気楽に始められるのでございます。
いまだ、ご入居を迷われます皆さまには、ここはもう悩むだけ損だと思し召して、気合一発でお早いご入居手続きをお待ちもうしております。(入居者になりますとヤンデル先生とシャープさんにお悩み相談することもできますので、人生なにかと円満になりますよ)
それでは、既にご入居の皆さまも、今後ご入居予定の皆さまも、このたびのアプリダウンロードを祝しまして、当アパートがご用意いたしました、「アプリでしか見られないスペシャル動画」を、まずはお楽しみください。
なんと!久々に揃ったあの4人が、料理で違和感たっぷりに盛り上がるというご機嫌な動画となっておりますよ〜。お待ちかね、久々にあのシェフの登場でございます!
本日10日14:00からは「エアキャラバン」配信。
17日からは4年ぶりのリアルキャラバン始動。
どうぞお越しくださいませ。
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ぜひ、この機会にアプリをダウンロードしてみてください!
(2022年9月11日)
嬉野です。私はね皆さん。今年の夏のもの凄い猛暑を経験して怯えましたよ。だって、私だって相当長いこと生きていますよ。それなのにそんな私でさえ「ここまでの暑さは体験したことがない」っていう酷熱の夏を経験してしまい、経験しながらもなお何が起きているのかハテナでしかありませんでした。それくらいの暑い夏だった。この先どうなるんだニッポン。
だって気象庁の発表した本日の気温が37℃ってなに? 実際の町中は42℃もあったし。42℃? もはや「ニッポンの夏、金鳥の夏」みたいな、夜になったら庭に面したガラス戸を開けて家族みんなで縁側に腰を下ろして蚊取り線香を焚いて団扇で夕涼み、なんて風な情緒で夏を語っていた日本の夏は、もう影も形もなくなってしまったということを受け入れなければならない事態が発生しているわけです。
今は夜になろうとも外は暑いですから外気が入らぬように窓はきっちり閉めて、ガンガンにクーラーを効かせないと生きていけなくなったのがニッポンの夏というわけなのです。
だから、「今年は異常だわ」とかではないのです。既にもう毎年異常を更新している乱気の時代に入ってしまったわけです。つまり我々は、毎年、未知の体験に愕然とするしかないのです。
まさにそんな酷熱の夏に、私は呑気にも京都で寺巡りをやってしまったのです。
だって仕方ないじゃないですか。たまたま関西出張が発生して、少し空き時間もあったもんですから、だったら京都までの往復の交通費は会社持ち、みたいなものですから「ラッキー。ホテル代だけ自分で持てば京都寺巡りが出来る」と、そう思えたわけです。しかし寺巡りするにはあまりにも暑過ぎて、私はバチでも当たったように大変な目に遭う始末です。
そうそう。白状しますが。私ずっとバカにしてたんです若い人たちが首から小さな扇風機を下げて歩いている姿をね。「バカじゃなかろうか」と。「あんおもちゃみたいな扇風機で涼しくなるわけないじゃないか」と。勝手に思ってたんです。けどね、アレは大事よ。私、途中であの扇風機、欲しくなりましたもん。あと、欲しかったのが水で冷やせて首に巻く布切れね。あとは、さすがに途中で薬局で買ってしまった、スプレーを自分に噴射して自分自身を急冷するやつ。いやいや、あのスプレーで道中どれだけ急場を凌げたことか。やっぱり、あらゆるグッズを駆使して苛烈な夏も活動し続けようとする若者は賢いね。まったく目の前の変化に対応するに敏です。
とにかくその日、京都の朝の天気予報番組では「今日は危険な気温なので外出は避けましょう」と勧告してるわけです。そんな日に私は呑気にも京都で寺巡りをしてしまった。そりゃあなた寺に行ったって寺には誰も来やしませんよ。だって危険な気温なんですから。来てるのは私みたいな、今更予定を変えられなかった呑気な人だけですよ。
でも、そういう意味ではね、この夏私は、京都をある程度、独り占めしてしまったわけです。おまけに熱波で頭はクラクラするし余計なことは何も考えられなくてね、そのお陰で仏様に手を合わせるとあとはもう無心になれる。いつまでも拝んでしまえる。功徳になりましたね。
そして何より日向には危険を感じました。実際、私の体が避けたがるわけです陽射しを。そんな中でありがたかったのは木陰でしたね。
だって鬱蒼と繁った嵐山の竹林の道は、普通に歩けましたからね。だから、すごいもんですよ植物がもたらしてくれる恩恵というものは。
お寺も苔むす境内に入ったら頭上は生い茂る青紅葉が陽射しを遮ってくれて一面の木陰ですしね。そんな境内のベンチに腰掛けていると、そのうち涼やかに風が吹いてくるんです。もちろん暑くはあるけど危険度はグンと遠のいて行くのがわかるから良い感じに極楽です。おまけに人も来ないから境内は静かでね。あとはただ、セミだけがジージーと鳴いているのです。おまけに私を囲んでくれる植物のグリーンは目にも穏やかで瑞々しく。間違いなく私は植物に囲まれた中に居ることで命が守られていると実感できました。そんな素直な実感を経験することも初めてのことでした。
なので、ストレートに「植物は頼もしいな」と、今年の夏、私はこの身で実感したわけです。
もちろんね、じめっとした場所が好きな苔に直射日光を当ててしまったら、そりゃ苔も枯れますけど。でも青紅葉やらの木々の葉が日中の陽射しを遮ってくれれば苔も安心。でも生い茂る木々の葉は、放っておいたって太陽光線を求めて自ら上へ上へと繁茂するのですから、別に彼らにだけ嫌な仕事をさせているわけではないわけでね。人間は、ただせっせと木々に水をやれば、あとは何の遠慮も要らず彼らは勝手に葉を繁らせ我々に安全な木陰を与えてくれる。木々はただ手前勝手なことをしているだけなのに、結果として我々人間に恩恵を与えてくれるわけですから、植物と人間は、お互い無理をしないままにwin-winで助け合える間柄なわけです。
私は京都の寺巡りで、道中、急冷スプレーで息を吹き返しましたが、でも、それ以上に私は木陰に助けられた思いですよ。これは間違いない。
だから、この先ね。日本人は、生きていくために積極的に植物に頼るべきなんじゃないかと実感した気でいますよ。
つまり、これからの都市開発は、森や水田を埋め立てて宅地にして石で固めて便利な町を作ることではなく。石で固めて便利にしてしまった町にもう一度、鬱蒼とするほどの植物を植えて、私たち人間を酷熱の陽射しから守っておくれと、繁茂する植物たちに頼る気持ちを持つことだと思ったんです。
つまり、これからの再開発は危険なほどの陽射しを我々の図上で遮って夏でも憩える木陰を提供してくれる森や頼もしい並木道を街中に作ることであるように思えたのです。
むかし。バブルのころ。汐留にあった旧国鉄の広大な操車場跡地が再開発されて生まれ変わり、その結果、お金儲けに貢献できそうな石の街が出来上がりましたけど。あのとき「汐留に森を作れ!」と訴えていた歴史学者がいたことを私は思い出します。
当時は、「何を言っているんだ」と、社会から一蹴された意見だったかもしれませんけど、こんな夏になってしまった今ならば、「鬱蒼とした森があれば酷熱の夏でも生きていけそうだ」と、多くの日本人が「都市に森を作ること」に素直に共感できてしまうのではないでしょうか。
原宿にある明治神宮の森は人口の森だと聞きます。あそこは元々、何もないただの広大な野っ原だったそうです。そんな土地に木を植えて150年かけて鬱蒼とした森を作ろうと計画されたのが明治神宮の森だそうです。あれからやっと100年ほど経って既に鬱蒼とした森が出来上がっています。完成まであと50年。つまり日本人は森を作るノウハウを持っているんですね。その事実もまた実に頼もしい限りです。
これからは100年単位で未来を見通して未来の人たちがその恩恵に浴せるような街をイメージして作る視線が、そのまま我々の気持ちを癒してくれそうに思えます。
だって、100年後の未来に暮らすまだ見ぬ子孫をイメージして我々が住み良い街を残そうとするなんて、実に優しい視点じゃないですか。再開発の出発点にそんな優しさが当たり前のこととして付随するなんてことにでもなれば、その優しさは、今を生きる私達にも照り返して来そうではないですか。そんなことの積み重ねが我々の社会を穏やかな社会に育てて行くかもしれない。そんなふうにも思えて、私はホッとする思いです。
具体的な目標を与えられて今を生きるっていうのは、実際に今を生きている私たちにとって、大事なことのように思えます。
きっと地球はもう新しいステージに入ってしまったのでしょうね。だったら、これからの街づくりは、変に経験のある年配者が仕切るのではなくて、事態の変化に対応するに敏なる若い人達が担うことこそが、適しているし、大事だということは、もう間違いないことに思えます。以上で、お話しおわり。
最後になりましたが、私の新刊「思い出リゾート」が絶賛発売中ですので、是非、お読みくださいませ。
ついに嬉野雅道さんのエッセイ連載「嬉野珈琲店」が紙の本になりました!|光文社新書 (kobunsha.com)
(2022年9月4日 嬉野雅道)
藤村でございます。
今から6年前、2016年3月からの思い出の写真を見ていきましょう。
オーパーツのお芝居「ホーンテッドハウス」の札幌公演のついでに渡辺いっけいさんに「水曜どうでしょうを語ろう」という特別番組に出演してもらった時の写真ですね。
この番組はDVD「ユーコン」発売を記念して道内で放送されたもので、このあとDVDを送ったユーコンのヨシから写真が届きました。
ピートの笑顔がたまりませんね。彼らは本当にあの旅のことを今でもはっきりと覚えているそうです。
続いてこちらは、女川復幸祭でお会いした「ゼーット!」水木一郎先生でございますね。
4月には大阪天六のスタジオでなぜかキングコング西野くんと飲んでますね。
なんか爆笑してます。
5月になりますと、イナダ組「亀屋ミュージックホール」の芝居をやってますね。嬉野先生も冒頭のシーンだけ出演しておりました。
6月にはこんな写真も残ってました。
読売テレビ西田二郎とキングコング西野くんが札幌に遊びに来てたんですね。
さらに「亀屋ミュージックホール」の東京公演もあり、夏を迎え、キャラバンへと続くという6年前の春でございました。
(2022年8月30日 藤村忠寿)
嬉野です。小津安二郎監督の「晩春」という映画は、父ひとり娘ひとりの父子が、早くに亡くなった母親の代わりに幼子のときから手塩にかけて育てた愛娘が大輪の花のような年頃の娘に育ちながらも、ふと気づけば適齢期をとうに超えてしまい、うかうかする間に行き遅れては大変と、好きな異性もいなかったのに、思い切って見合いさせ、嫁に出すまでの父と娘の長閑な日常を描いた物語なんですが、「なんか、父と娘なのにイチャイチャし過ぎなんじゃないですか?」と、朝っぱらから私に聴く人がいたもんで。
そしたら私も、たまたま昨晩、ミケランジェロアントニオーニ監督の「情事」という、失踪した親友を探している女子と失踪した親友の恋人とが、失踪者を探している2人であるのに、映画を長々見ておりますと「なんだこの2人は、親友や恋人を探してる2人のはずなのに、なんかイチャイチャしたがってるんじゃないのか」と思ったことと、奇しくも合致するところがあるように思えたものですから、ちょっと考えてみることにしたわけです。つまりその。映画の得意分野というものをですかね?
映画「晩春」は、誰がどう見ても、閑静な北鎌倉に住む、大学教授とその美貌の娘の暮らしぶりを描いた上品な作品なんです。昭和24年の公開ですから「戦争も終わったし、とにかく良かったね」的な気分の中で、そこそこお金のある中流階級のしかも戦災で家も焼けずに残った北鎌倉辺りの家庭から順に穏やかな日常を取り戻したことを悦ぶ暮らしぶりが画面の中に丹念に描かれてもおりますから、そういう戦後すぐの中流家庭の暮らしぶりを、当時、映画のスクリーンに眺めることは敗戦の焼け跡生活から始めさせられた庶民には、まだ手の届かなかい贅沢な日常だっだけど、そのステキな日常の暮らしぶりを映画の中に見て憧れの目で追体験して我がこととなし、自分の置かれた戦後の現実を束の間忘れて憩いたいという、そういう欲求の対象として当時の映画はその役割を果たしていたとも思われるわけです。
なんですが、それでもこの「晩春」という映画はたしかに見てるとなんか変なんです。結婚前に父(笠智衆)と娘(原節子)で、2人だけの水入らずで最後に京都旅行をしようということになるんですが、この旅行中に娘役の原節子さんの美貌がどんどん妖艶に照り輝いて、もうもう、そうとうエロいわけです。
その旅の中で娘が父親に言うセリフとも思えない、なんだかイチャイチャし過ぎちゃってて「なんだ、どーした」と見ているこっちが恥ずかしくなって違和感を覚えるほどの娘のセリフなんです。
まるで婚期を逃して行き遅れそうな年齢になろうとしている28歳の娘が、本当のことを言えば、正真正銘に実の父親にゾッコンで恋をしていて、その証拠にいまや妖艶なほどの美貌をテラテラと父親の前で惜しげもなく広げて、しかもそこは旅館の床の上というヤバい場所で、そこで浴衣に着替えた娘は、それと知らずに猛烈に父親にアタックしているように口説いているのです。そんな妖艶な原節子さんの揺れる眼差しと、赤い唇がぐいぐい笠智衆さんを恋情の沼に誘い込むように語り出すのです。「この私の熱烈なる恋心を受け止めてほしい」と、あろうことか見ようによっては実の父親に迫るシーンとみてとれて、思わず「どーした!」と、受け止めきれないほどの恋心を原節子さんは惜しげもなく笠智衆さんに晒していることに気づかされるわけです。
つまり、父と娘の、つましい健気な物語のはずが、途中から、どこでどうなったのか父と娘の道ならぬ恋として見えてしまうのです。それだけで「晩春」は、いきなり大恋愛映画の様相を呈してくるわけです。
しかも2人は父娘。となればそこには道ならぬ変態性愛が加味されてくる、ことになるわけです。そんな映像展開なので、古来より「晩春」を、変態性愛映画と認識する映画ファンは多いと聞きます。
ですが事実、そういう道ならぬ目で「晩春」という映画の父と娘のやりとりを見れば本当に全てがしっくりくる。もちろん、全てはたんなる映画の中の絵空事ですが、とはいえ、こうまで間近で原節子さんのあの美貌に迫られては、そしてその熟れて落ちそうな娘盛りの原節子さんにあぁまで熱を帯びた言葉で口説かれ続けられては、「そうじゃないんだ、それは違うんだ、いや、後できっと違うということが分かるんだ」と、父親の笠智衆さんとしては、原節子さんのその溢れる気持ちをいなして、そらして、最後まで節度と常識をもって自分は娘とは距離を保って立っていなければと自分に強い意志を課すことで精一杯だったであろう父親の笠智衆さんの気持ちをおもんばかれば、間違いなくこれはもうもう拷問です。地獄です。そういう目で映画「晩春」を見ると、もう、そうとしか見れないのです。
おそらく笠智衆さんの演じた父親は、本音を言えば、あの状況ですから娘である原節子さんの熱愛をもう受け入れてしまいたいと幾度思ったことか。しかし、そこは意志の力で、気持ちを抑えることに必死だったに違いないと思われて。見ているこちらとしては息苦しくなるわけです。
しかし、こうした角度から「晩春」を見はじめると「晩春」は立派に変態性愛映画になるわけで。そんなバカな。そう思う賢明なる諸兄氏も多々おありになるでしょうから、これ以上は言いませんが。後年、小津安二郎監督も亡くなられ、笠智衆さんも晩年になられた1980年頃。笠智衆さんはインタビューの中で次のような重大な証言をされていました。
「『晩春』という、あの映画のラストシーンを撮影するとき、原節子さんを嫁がせて結婚披露宴を終えて、誰も待っていない北鎌倉の家に帰ってきて。暗がりの中で部屋の灯りをつけて、独り、私は椅子に腰を下ろして、手近にあったリンゴの皮を剥き始めるんですが。そのとき小津先生は言われたんです。『笠さん。悪いけど、そこで号泣できないかな』って。私は先生の言葉にひどい違和感を覚えて『そんな、先生。娘を嫁に出したくらいで男が号泣するなんて、そんなことは、私には出来ません』と、反射的にそう言って断ってしまったんです。しかし、後にも先にも小津先生のおっしゃることに従わず断ってしまったのは、あのときだけです。先生は『そうか。わかった』と、あっさり引き下がられました。でも、今あらためて思うと、あのとき僕が小津先生のおっしゃられた通り、あのラストでもし号泣していたら、あの映画は、まったくな違う味わいのものになったように思えるんです」と、なんか、そんな重大な証言を笠智衆さんはされていたんです。
そうなんですよ。あの「晩春」という映画を父娘の話としてだけ見るなら、それは笠智衆さんの違和感が正解なんです。でも、変態性愛映画として見るならば小津安二郎監督の要求が正解なんです。そして、一度「晩春」を見て貰えばわかるのですが、もしラストシーンで笠智衆さんがりんごの皮を剥きながら、不意に号泣しだして慟哭の声を上げて終わったならば、あの「晩春」という映画は、とんでもない傑作になったことだろうと惜しまれてならないのです。
そして今そのことを思えば、映画「晩春」は、監督・小津安二郎さんの中では、変態性愛映画としての一面でも演出されていたのだろうなと、思われてくるのです。
いや、私がここで、あえて「変態性愛」と書いたのは、それがこの、人の社会ではけして許されないとされる間柄だというだけのことからです。
ミケランジェロアントニオーニ監督の映画「情事」がそうであるように。親友が失踪したのに。恋人が失踪したのに。その失踪した娘を探す2人であるはずなのに。その2人が捜索旅行の中で男と女として惹かれ合うなんて。そんなことは許されない。2人が惹かれ合うことは社会的に許されない間柄とされるのです。それなのにそんな2人が関係を持って仕舞えばケダモノと言われてしまうでしょう。でも、映画監督はえてしてそういう男女の揺れる心を描きたいのです。なぜなら映画という表現は、葛藤して揺れ動く心に翻弄されるような恋人たちの葛藤を見せることに適している表現手段だからです。
だからこそ、そういう「変態性愛映画」的目線で探せば、実にたくさんのタイトルが思い浮かぶのです。そして、そのほとんどがなぜか傑作、名作なのです。
みなさんもこの機会に「晩春」を「変態性愛映画」として一度ご覧になってはいかがでしょうか。そして、ラストシーンで笠智衆さんが突如として号泣して慟哭の声を上げたなら、あぁ、どれだけの名作になっていただろうと、そこも想像して見ていただきたいわけでございます。お粗末さまでした。
(2022年8月21日 嬉野雅道)