嬉野です。日誌です。さて、無常にも今年もまた残すところわずかとなりつつ気がつけば粛々と年の瀬へと近づく今日この頃。そういえば本日はモルック札幌大会開催の日でございました。
本日の午前中のことです。藤村さんの奥さんからLINEで「会場で嬉野さんと会えると思って楽しみにして来ましたのに、嬉野さんいらっしゃらないんですね」と連絡がきましたので、「奥さん。私は自宅で家内と犬とで寛いでおりますよ」と返信しますと、「藤村氏チームは二敗しております。店長さんチームは1勝1敗です」と、すかさずLINEが返ってまいりました。
「なるほど。この結果は実に興味深い」、そう思いましたので私は奥さんに、「奥さん。〈いずれにしても藤村さんチームは、すこぶる欲の深いチームである〉というところに本日の緒戦の連敗の理由はあると思われますから、あっさり1勝してしまう店長チームとは比較にならぬほどに藤村さんチームは、いずれこの先で大きく伸びるチームだと思われますよ」と、書こうとしておりましたら、書き終える遙か前にまたしても奥さんから連投でLINEが飛んで来る。
「藤村氏が絶不調です。3試合目、早くも負けたようです」と、畳み掛けてくる。
「これは早い。負けるにしてもかなり早い。唖然とするスピード感で負けている」と、私は思いつつ。。。
いや、ちょっと待ってくださいよ。
あ、これは藤村さんの奥さんに言ったんじゃなく日誌を読んでるみなさんにちょっと待ってくださいよと言ったわけです。
なんだろう。おかしいですねぇ。別に私は本日の日誌に藤村さんのモルック札幌大会の模様を書くつもりもなかったのですよ。当初からね。
ところが不意に藤村さんの奥さんから実況的なテキストがLINEにて送られて来ますと、現場にいもしないのに、結果だけがリアルタイムで送られて来て、で、それがテキストであるだけに映像の見えない実況中継みたいでなんだか面白くなっちゃって😊ついついここまで書いちゃいましたけど。
しかし、おもしろいものですね。藤村さんの場合、どーしても現場で放出してしまうエネルギーの総量がデカいですからね。現場で裸眼で見たり動画で見るよりは、こうして結果だけを聴く方が、見えない何かまで想像できてしまうようでおもしろいのです。
だって〈勝利するという結果〉を出さないことには、本人たちが現場でどれだけのエネルギーを放出しているのかは誰の目にも見えてこないのが闘いというものですが。
でも、そのせっかく放出しているそのエネルギーが見えるものに中々ならないことで放出されてしまったエネルギーが行き場を失って現場でぐるぐる🌀メンバーに絡みつきながら屈折していけば行くほどそこに発生したエネルギーは昇華されず、いたずらに質量ばかりを桁はずれに重くしてしまうもののように私には思われるのです。
この、まさにこの、放出したエネルギーがことごとく結果を出せず、屈折しつづけることで質量ばかりをイタズラに重くしてしまうのだが、どーすることもできないという、このどーしようもない状況。ここ。ここにこそ。この状況にこそ、森羅万象がそのままエンタメになってしまう作用機序が隠されてあると、私には思われるのです。
そのことが、藤村さんと、藤村チームの他の3人大井、吉田、中川と、モルックを透して、分かりやすく感じられてくるように思えるのです。
どーも藤村さんに掛かると、単なるすりこぎの寄せ集めでしかないモルックも、実に奥が深いものに思えてくる。
ということでね。本日のモルック札幌大会の上っ面のことではない、質量の重いあたりの深い話を、明日の夜。藤村さんから直に聞いてみたいと思います。
なんとなく楽しみになってまいりました。
では、大会はまだ継続中のようですが本日の日誌はここまで。嬉野でした〜〜。
(2023年11月29日 嬉野雅道)
藤村でございます。
日誌でございます。
現在11月5日日曜日の夜9時を回ったところでございます。
私は今、ひとりで瀬戸内に浮かぶ島で夜を過ごしております。
実は数年前から読売テレビの西田二郎と「未来のテレビを考える会」という法人会社の代表理事をつとめておりまして、系列を越えたテレビマンたちのつながりを作ろうと目論んでおります。
そんな中で昨年、二郎から突然、
「藤やん、未来のテレビを考える会の別荘を買ったで」
と、連絡が入りました。
「は?別荘?」
と、聞けば二郎曰く
「おれら作り手が自由に羽を伸ばせるような、そんな拠点を作りたかったんや」と。
オフィスとかではなく、会議をする場でもなく、ただ自然の中でボーっとできるような場所が、テレビの作り手には必要だと。
確かに、私にとってのそれは赤平のどうでしょうハウスであり、コロナ禍でひとりそこで過ごし、やがてHTBのメンツが集まるようになり、オフィスで暗い顔をしていたみんなが楽しげに働き出し、焚き火を囲んで語り合い、「ここキャン」も立案されていった。
「たまたまな、素晴らしい物件を見つけてしもうたんよ」
「どこにあるの?」
「瀬戸内の島」
「島!」
それは瀬戸内海に浮かぶ島にある、60坪ほどの狭い土地で、そこにアメリカ製のトレーラーハウスが置かれているだけの別荘地。
「いくらしたの?」
「それが300万ぐらいやねん」
「安っ!」
「せやろ?でもな、目の前が小さな入江で、場所は最高やねん」
それから二郎は仲間を集めて島に通い、古いトレーラーハウスの改修を進めていったと。まさに我々の赤平と同じ。
そして先日、
「ようやくいい感じに仕上がってきたんで藤やん、いつでも自由に使ってええで」
「それは楽しみだな」
「あとな、船舶免許を取ってほしいねん」
「なんで?」
「船も買うたんよ」
「は⁉︎」
たまたま安いモーターボートを見つけて、なんとなくマリーナに見に行ったら、まんまと乗せられてしまって
「買うてしもうたんよ」と。
「え?いくら?」
「190万」
「いやもう、高いのか安いのかよくわからん」
でも船の写真を見せてもらったら、これが想像以上に立派で
「これはすごいな!」
「せやろ?おれはもう免許取って何回か練習もしたから、藤やん、おれらの船で島に行こう!」
と、いうことで今回、いよいよ二郎の運転するモーターボートで島にやってきたのでした。
でも、一般的に思い描く「別荘」とはちょっと違って、それは海辺のプライベートなオートキャンプサイトのようで、言ってみれば「海のどうでしょうハウス」みたいなイメージの、こじんまりとしたもので。
でもそこには、なんだか自由があって、なにより、自分たちの操縦する船で、自分たちのプライベートな場所に行く、その行為は未体験で、心が躍るもので。
島に着いたら、
「今日はこれをせなあかんねん」
と、船着場(というか、ただフロートが浮かんでるだけの簡易的なもの)を補修し、そして二郎はモーターボートを駆って、夕暮れの瀬戸内海を颯爽と帰っていきました。
で、私はひとりで島に残り、今こうして波の音を聞きながらゆっくりワインを飲みつつ、夜をすごしているのであります。
この模様は、「どうでそうTV」でそのうち公開いたしますので、是非ご覧ください。
で、こっからは翌朝のことです。
目が覚めたら、海は大荒れ、瀬戸内が自然の猛威を奮っております。
庭に建ててあったタープが吹き飛んでおりますので、この雨の中、私はこれからタープを改修し、建て直してまいります。
いいね、自然は容赦なくて。
で、こっからはついさっきのことです。
午後1時の定期船で帰ろうと思いまして、ものすごいアップダウンの激しい山道をですね、30分かけて港に行ったらですね、
今日は全便欠航でした。
うっそーん!
と、嘆きながらまた山道を引き返して、トレーラーハウスに帰ってきました。
藤村、本日も島にいっぱーく!
嬉野です。日誌です。
札幌は秋です🍂人に聞いて札幌のオニヤンマコーヒーという名前のお店に行ってみました。台湾のコーヒー。中国のコーヒー。どれも個性的ながら美味しい。どれも浅煎りです。注文は席を立ってレジへ行って申告する式のお店なので、注文を終え席に着きコーヒーを待ち、呑み終えればまた立ち上がり次のオーダーに行き、立ったり座ったりを繰り返しながら注文を重ねておりました。落ち着かないと思われるかもしれない。でも、いちいちレジまで注文に行けば、その度にお店の人とコーヒーについて話し込むことになる。こうした時間もまた楽しいのです。つまり、私にもお店の方にも、双方に「珈琲愛」があるから、手間と思えてしまう時間すら楽しい時間にしてしまえるのでしょうね。双方に愛があれば、手間取る時間も楽しい時間にしてしまえる。そんなことを思うと「水曜どうでしょう」のイベントで目にする楽しげな人たちが味わっている時間の中身が覗ける気がしてきます。
さて、そんなことを思う嬉野珈琲では久々に個性的な浅煎りコーヒーを失敗なく淹れることのできるツンツンコーヒーを発売したいのですが、なんだか決済ができなくなったとかで、システムの問題だそうなので、とりあえず発売を見合わせまして現在は足踏み状態なんでございます。そういうことなんで、皆様におかれましては気長にお待ちください。とはいえ嬉野珈琲のツンツンコーヒーとは、いったいどんな味がするのか、それは飲んでみてのお楽しみです。とにかく。誰が入れたって美味しい浅煎りコーヒーになってしまうので、ご自分用にされても、大事な人への贈り物にされても間違いのない味が楽しめます。
現在、決済できずに足踏みしておりますこの時間に「あら、いったいどんなお味かしら」「本当に美味しいのかしら」「買ってみようかしら」と盛んに熟慮されてお待ちになられますようにと、本日も爽やかにお勧めいたします〜。
ということで、明日の夜は嬉野珈琲店のインスタライブです。浅煎り珈琲に興味津々の皆さんは粛々とお集まりくださいませ。毒にも薬にもならない平和なお時間を過ごせますよ。以上、日誌でした。
(2023年10月30日 嬉野雅道)
はいはい、日誌です。
先週日曜日は浜松の遠鉄百貨店でトークショーをやりましたな。
入居者のみなさんもお越しいただいたようでね、見知った顔がチラホラと。
あの日は秋晴れの良い天気でね、そのせいもあってか休日の浜松の街には活気がありましたね。
遠鉄百貨店の人たちも実に明るく楽しそうで、なんだか、こちらも気分が良くなるような、そんな日でした。
トークショーの会場は、ちゃんとしたホールでね、舞台もあって、そこに会議机が横一直線にビシッと並んでおりましてね。
まるで記者会見のような、おごそかなしつらえでございまして、「すわHTBさんもこの流れで社名を変えるのか!」というようなね、そんな雰囲気もございましたが、そのような暗澹とした世知辛い世の中とは別次元で、私はワインを一本空ける勢いで楽しくやってきました。
トークショーの様子は「はじまらさったTV」にアップされているのでね、ぜひご覧ください。
その夜は、hodの「藤やんうれしー」の会員のみなさんと寄り合いを開きまして、貸切の地中海料理のお店でね、これまた楽しい時間を過ごしました。
さて、その翌日のことでございますが、宿泊していたホテルコンコルドをチェックアウトいたしまして、浜松駅までバスに乗ったんですけどね、ひとりの女性がなにやら落ち着かない様子で車内を行ったり来たりしている。見れば手に一万円札を持っている。
「あ、たぶん両替をしたいんだろうな」と、しかしながらバスの両替機は万札に対応してないと、それでどうしたものかと困っているんだろうと。
残念ながら私は両替できるほどの千円札は持ち合わせていないし、と思っているうちにバスは浜松駅に到着しまして。
そしたら女性の近くにいたおばあちゃんが「わたしが払いますよ」と声をかけたんですね。
女性は恐縮して「いやいやおばあちゃんいいですよ」と、言ったんですけど「いいからいいから、いくらかね?」と小さな小銭入れの中を探っている。
そこまで言ってくれたので女性は「ほんとにすいません」と頭を下げて100円玉と10円玉を何枚か受け取っていたんです。
それを見て私、「あぁ、そうだよな、両替できないなら、そのぐらい払ってあげればいいんだよな」と、そのおばあちゃんの行動にいたく感銘を受けましてね。「なんかオレ、まだまだだな」と。
「おばあちゃん、ほんとに助かりましたありがとう」と、降車の列に並びながら女性は何度も、おばあちゃんにお礼を言ってましてね。その声が、乗り合わせた乗客を一様に澄み渡る秋晴れのごとく清らかな気持ちにさせておりました。
そして女性が「お騒がせしました」と、頭を下げながら料金箱に運賃を入れますと、そのやりとりをずっと聞いていたんでしょう、運転手さんが実に申し訳なさそうに言いましたね。
「あの・・・すいません、あと10円足りません」
と。
これを聞いた女性はもう、全てが吹っ切れていたんでしょう、浜松の秋晴れのごとく、実に爽快に、おばあちゃんに向かってこう言い放ちましたね。
「おばあちゃん、あと10円ちょうだい!」
そして無事に運賃を払い終えた女性は急ぎ足でバスを降りると近くにあった店に飛び込み、何かを買っておばあちゃんに駆け寄り、借りたお金とその買った何かを手渡して、何度も何度も頭を下げておりました。
浜松、いい町でしたね。
(2023年10月29日 藤村忠寿)
嬉野です。日誌です。
全世界の「水曜どうでしょう」がお好きな皆さんへ向けて。ただ、やたらと長いので忙しい方は読んではなりませんよ。
昨日は札幌ドームで、藤村さんとともにラグビーの試合観戦をし、その直前にはドーム脇の吹きっさらしの特設のトラックステージで元ラグビー日本代表選手の真壁伸弥さんと藤村さんのラグビー談義に私もラグビー素人代表として飛び入りで参加し3人でトークしましたが、ラグビーを愛する藤村さんは終始ハッピーそうでした(^^)
ハッピーといえば、「今年の水曜どうでしょうキャラバンもまた、やけにハッピー感があったなぁ」というのが私の今年の常ならぬ印象です。
そして、私がそのハッピーの正体というか、ハッピーの出どころというか、「なるほどここだったのか」と、気づいたのは、ある朝、真にハッピーな藤村さんを宿の布団の上に発見したときでした。詳細は後に述べますが、そのとき私もまたつられてハッピーな気分を新たにしたのです。まさに、人を幸せにするのは人なのだということの再認識であり、それはつまりは、藤村さんをキャラバンでそんなふうにハッピーにしたのもまた人であるということなのです。
つまり、そこに大きく寄与していた人というのは今年のキャラバンを運営したコンテンツ事業部部員たちの人的変化だったということです。
部長、局長、ヒラ部員の果てまでが、ついにキャラバンをお客と共に楽しむメンツで統一されたということです。
このような人的変化がコン事にもたらされた理由は人事による偶然の結果に過ぎないのですが、その偶然の結果の中には、HTBという組織の、人事を司るさまざまな所属長の好みというか、つまり、その所属長たちの好みから外れた者たちが流れつくべくして流れ着いた果てがコン事であった、という、偶然プラスαの事情が作用してなくもないかなぁと、私などには思われるわけです。かつての例を挙げれば私と藤村さんとが水曜どうでしょうを始めることになった28年前の人事的出発点にも「中継が出来ないディレクター」という、どの部署も欲しがらない使い勝手の悪い2人であったというファクターが「ハズレ」という人事的な偶然プラスαの力学を形成した結果だったわけですから、ここにはHTBに特有の、そして今に続く、なにがしか伝統的な力学があるのだと思われます。そして、そういう、社内的にはウケが良くないかもしれない者たちが意外に社外ではウケが良いという、これもまたHTBにありがちな伝統的な価値の系譜というものであり、これが今回も功を奏し、今年ついにスタッフが、藤村さんが待ち望んでいたメンツとなって水曜どうでしょうキャラバンの現場に揃ったのだと思うのです。
こう考えてゆけば、水曜どうでしょうキャラバンというイベントは、つまるところ、藤村さんが、会社の金で、自分とあそんでくれる遊び仲間を多数引き連れて日本中の会場を遊びながら旅して行き、着いた会場にも全国から遊び仲間が大挙して参集し藤村さんを待っている、という。。。なるほど、キャラバンというイベントの成果は、実にそこに尽きるのだなぁと、今年、私は納得するに及んだわけでございます。
事実、旅の道中にはそっせんして藤村さんのモルック練習に毎日付き合う部員がいる。彼らは藤村さんがモルック練習に行けないときも自分たちだけで熱心に、しかも張り切ってやっている。そしてその中にはなんとコン事局長もいる。さらに、藤村さんが釣りがしたいとなれば、どんなに疲れていても夜明けまで11時間だって藤村さんと夜釣りに付き合う釣りバカな部員たちもいる。もちろんアーティストにも1人釣りバカがいる。さらに、その日のキャラバンを終え、気分が盛り上がってどうにもおさまらないときは、夜にお宿で藤村さんと一緒にトランプに付き合ってくれる部員も多数いる、と、こういう塩梅ですから、藤村さんはキャラバン移動中もオフ日も退屈する間もなく大満足となる。
このように、全ての時間が隙間なく充実していること、それが今年のキャラバンの藤村さんのハッピー感に繋がっているはずで。なにしろ上記した中で私が藤村さんに付き合っているのはせいぜい水曜どうでしょうくらいなものですから(^^)それを思えば、今年、キャラバンスタッフが藤村さんの遊び仲間で埋め尽くされて本当に良かったなと私は思うのです。
そして、以上のようなことを私が実感をもって感じましたのが、福井県にあります、あわら温泉会場の朝のことであったわけです。
あのとき私はあわら温泉の旅館で藤村さんと同室でした。いつもなら朝の8時半ころには他のスタッフに混じって私もバスに乗ってお宿から会場へ向かうのですが、あわら温泉は会場が近く、徒歩で5分もかからないくらいの近さだったので、当日の朝、私は準備に向かう他のスタッフやアーチストを送り出し、私としては、徒歩でステージが始まる時間に間に合うように出かければよかろうと、部屋に残ってひとり寛いでおったわけです。もちろん藤村さんは現場に着くなり陣頭指揮に立ってあれこれと差配するのが常ですから、いつもならみんなと出掛けてしまっているはずだったのですが、その日の朝の藤村さんは珍しく甚だしい二日酔いだったらしく、私の脇の布団で大の字になって寝ていたのです。
「しかし」と、私はつくづくと思ったのです。「なるほど、たしかに彼は二日酔いかもしれないが、でも、それはおそらく、前の晩、ものすごく楽しかったからなんだろうなぁ」と。「だからついつい飲み過ぎて」それで「楽しすぎて二日酔いになったんだろうなぁ」と思えば、なるほどそれは実に幸福。実に良かった。そしてその二日酔いの気分を押して億劫だったけど、さっき朝食会場へ出向いたところ食ってみたら思いの外に宿の朝メシが美味過ぎて、思わずおかわりまでしてしまった。だから腹いっぱいで、部屋へ戻るなり倒れ込むように布団の上で大の字になり、「ダメだ。食い過ぎた。もう動けない。オレも先生と一緒の時間に行きますわ」と彼は言ったわけです。しかしこの「ダメだ」の訴えもまたメシが美味すぎて幸せだったがゆえのことであったわけです。
私はそのときちょうどウェザーニュースで雨雲レーダーを見ておりました。すると気になる雨雲がどうやら我らの頭上に差し掛かっている。「おや? 藤村さん。これは我々が宿を出る頃、タイミングを合わせたように雨が降りそうですよ」と、それとなく伝えましたところ、布団の上で大の字になって倒れていた彼は即座に答えましたね。
「雨かぁ。。。行きたくないねぇ。。。」と。
それを聞いて私は思わず笑ってしまいました。いやいや、あんたね。あんたが行かなきゃ始まらんでしょうと。そう思えばこそ、よけい可笑しくて、そして同時に、
「なんて自由なんだろう」と、私は全身で自由というものを感じたのです。
「あぁ、これを自由というんだわ」と。あんたが行かなきゃ始まらんでしょうというまさにそのタイミングで、「行くのやめよっかなぁ」と彼は言う。なぜ、そんなことを言うのか。それは、「今の状態が1番幸せだから」です。だったら行かなくてもいいだろう、そう言ってのけてしまえる自由です。
こうなると、これは無責任な発言でもなんでもない。長年彼と付き合ってきた私の見解としては20年近く前から「イベントは藤村に従え」というのが結論でした。その彼が2014年に「水曜どうでしょうキャラバン」を始めてから「スタッフは客以上に楽しまなきゃダメだ!」と、ずっと言い続けてきたことを思い出すのです。言い続けてきたのは、なかなかスタッフが全体でその境地に辿り着いてくれようとしなかったからです。たしかに仕事を楽しめる楽しめないはその人の体質にもよるのかもしれない。けれどでも、少なくとも我々は人を楽しませる仕事を生業としているわけで。その立場にいるという自覚があるのであれば、「自分に与えられた役割の範囲内で仕事はやれば良いということではすまされないだろう」という憤りが彼の中にあったからと思われます。「お客を楽しませることが仕事」と、まず思わずして我々の仕事は成り立たない。であればまず、お客以上に自分が楽しもうとしなくては始まらない。自分が心底から楽しめていれば「楽しめていない者たちが自然と視界に入ってくる」それがお客なら「自分に何かできないものか」と考えることもできる。けれど、楽しめていないのが自分であり、かつ、楽しそうではない自分がお客の視界に入ってしまった場合、楽しんでいるお客の気持ちをスタッフが削いでしまうことになる。こんな本末転倒なことはない。これこそを無責任というのだと喝破した彼は、そのことを知れよと長年に渡ってスタッフに強く言い続けてきたのです。そして彼はそのことを去年から言わなくなった。言う必要がなくなったのでしょう。
しかるに、今年彼は、あわら温泉会場でまさにキャラバンが始まろうとしていた時刻にもかかわらず、まだ温泉宿の部屋から出ず、敷かれた布団の上で大の字になったまま、「雨が降るなら、行きたくない」と言い出すわけです。これを水曜どうでしょうを知らない人が見たら「なんて無責任な」と思うかもしれない。でも、水曜どうでしょうを知っている人が見れば、このタイミングで放たれるその発言に笑ってしまうはずです。事実、あの発言を聞いて私は笑ってしまい、バカみたいに気持ちが緩んで、かつてないほど気持ちが楽になる瞬間を経験したのです。
そして私は、あのとき、この人のありように感心したのです。この人は、本当に誰にも搾取されない人生を生きているのだと。だからこの人は、自分が搾取されることに一番憤りを感じてしまう。なにより搾取していることに気づこうともせず搾取を続ける者たちのあり様に憤りを感じないではいられないのだと。だからこの人が作る番組は誰からも搾取されない番組であり続けようとするのだろうし、この人が作るイベントは誰からも搾取されない、誰ひとり搾取する者のいないイベントになっていくのだろうと思ったのです。
社会を営み、社会の中で生きていくしかない我々人間は、でも、我々がボヤボヤしてる間に上席を奪って世の中の構造を作ってしまう者たちから、何かにつけて搾取され続けるものです。搾取といってすぐ思いつくのは金銭ですが、ぼくらの楽しいはずの人生の時間もまた、頑張っているのに意味なく辛く苦しいものにされてしまっているのなら、それもまた何者かに人生を搾取されている証に違いなかろうと私は思います。でも、そんな中にもかかわらず、自分が「辛い、苦しい」と感じるのは「全部自分の責任なのだ」と考えてしまう人が増えて行くことは、搾取する者から見れば実に都合のいいことで。だって、働くだけ働かせて搾取しているのに、奪われていると思うことをせず、だから文句も言わず、ただ「このような辛い人生になるのは全て自分の責任なんだ」と勝手に思い込んで自滅してくれるのなら、搾取し続ける者には、そういう自己責任の物語を刷り込まれてがんじがらめになる人ばかりになってくれれば搾取し放題で天下は泰平でしょう。
こんなことではいけないのです。自分の人生の時間は自分で楽しいものにしなければならない。搾取されないように気をつけていないといけない。もし、楽しい人生にしようと頑張っているのに、いつまで経っても楽しくならないのであれば、それは誰かから搾取されているからにほかならないと考えるべきなのです。そう考えれば、この藤村さんという人は搾取されることから最も遠い人。そしてこの人を見ていて分かることは、搾取されない人生を生きている限りぼくらは自由でいられる、ということ。
まさにこれからキャラバンが始まろうとしているのに「雨が降るなら行きたくない」と布団の上で大の字になって言っている彼を横目にして、私は、「なんて自由な時間の中に自分はいるんだろう」と最上のハッピーを感じてしまったのです。
つまり、私の脇で布団に大の字になっている人だけが自由なのではないのです。その人が大の字になって寝ていることで、そばでその発言を聞いた私もまた果てしない自由を感じたのです。
そして、そのことはスタッフ全員もまた同じだろうと思ったのです。
つまり、このまま布団に寝て、本当に藤村さんが会場に姿を現さなくても、スタッフもお客も動揺することはなく。スタッフがおもむろに、「えぇ、藤村さんは昨日の二日酔いが祟ってまだ部屋で寝ております」と会場でアナウンスしたとしても📣おそらく会場で聞かされたお客はきっとそんな状況を笑って「愉しんで待つ時間」にしてしまうことだろう、と、私にはその絵が見えたのです。だから彼の「行きたくないねぇ」という発言に私は笑うことができたのだと思います。そして、彼もその絵が見えたからこそ、そう発言したはずなのです。
であれば、ここに自由の円環がすでに成立しているではないかと私は悟ったのです。水曜どうでしょうキャラバンというこの輪の中では誰もが自由なのです。つまり、この輪の中には搾取する者は皆無。まったく生息していないのです。そういう者がいなくても社会は成立する。彼の人生は、おそらくそのようなコミュニティを作り続けることの上にあるように私には思えるのです。
であれば、「一生どうでしょうします」とは、つまり、そういうことの実行なのだと、私には思えるのです。
「水曜どうでしょう」を始めてから28年。水曜どうでしょうキャラバンを始めてから9年にして、今年、私たちがキャラバンに感じたこのハッピー感。
水曜どうでしょうキャラバンというイベントをスタッフとして支える者も、客としてこれに参加して支える者も、各々その立場は違いながら、しかし、誰もが自分が楽しむためにキャラバンを回しているはずなのです。それはつまり気づかないところで全員がモーターとなってそれぞれがイベントを回しているはずなのです。そのことを実感するから、今年、藤村さんはハッピーでしかたがなかったと思うのです。
来週になれば、「キャラバン音頭保存会」会長の土山女子が、日本中で
来年のキャラバン候補地は「うちだ!」と手を上げてくれる自治体を経めぐりながら、どこに1番の熱意があるのか、どの場所に幸せがあるのかと、出会いを求めて旅に出ると思われますから、来年のキャラバンはもう始まっていると言っても過言ではない。
一年をかけて流れ流れて旅行く土山女子は、ある意味、キャラバンにおけるフーテンの寅さん状態です。
今年楽しくて、来年のキャラバンが今から待ち遠しい人たちもまた、すでに来年のキャラバンを夢想し始めているはずと思えば、誰もが1年越しでイメージを逞しくしながらこれからの日々を過ごし、来年にたどり着こうと指折り数えるのだと思われます。この多くの人のイメージの日々が、キャラバンを銘々で回す原動力になるのだと思われます。
日本社会が、信じられないほどダメな今日このごろ。もし、あなたが水曜どうでしょうというテレビ番組がお好きなら。来年は、世界にも例のない奇祭である「水曜どうでしょうキャラバン」に、お越しになりませんか。そして、なんでこんなものが楽しいのだろうと、実感されてはいかがでしょうか。「水曜どうでしょう」がお好きなら、おひとりでも楽しめるようですよ。お気に召せば、会場を何ヶ所か追いかけて通ううちに友だちが出来ることもあるようです。出来なくても楽しいらしいです。とにかく、あたりには「水曜どうでしょう」が好きな人しかいないという環境だけでも世間的にはかなり珍しい状況ですから。そして、搾取から逃れて、自由であり続けるよう、楽しい人生という実感を唯一の羅針盤として標榜し生きて参りましょう。
以上、分かりづらかったかもしれませんが、私は実に得ることの多かった今年のキャラバンであったし、我々は実に不思議な未来へ向け全員で進んでいるぞと実感してしまった今年のキャラバンでありましたよ、という、本日の日誌でした。
(2023年10月8日 嬉野雅道)
藤村でございます。
日誌です。
キャラバン2023が終了いたしました。
最後の会場、小豆島に入ったのは28日水曜日午後のことでありました。
翌29日はオフ日だったので、釣りバカ古澤剛とともにその日は夜釣りに行く計画を立てておりました。
素晴らしい歌声を響かせる古澤くんでありますがこの一年、メジャーヒットを飛ばすこと叶わず、生活苦で泣く泣く釣具を売り払って家賃を支払うというドン底にまで落ち込んでいたのでありました。
そんな諸事情を、今回のキャラバンで包み隠さず吐露したところ、みなさんの投げ銭が怒涛のごとく押し寄せて、彼は新しい釣具を手に入れることができたのであります。
「まさかこんな幸せなことがあるとは!」
彼は新品の釣り道具を引っさげて意気揚々とイカ釣りのメッカ、小豆島に上陸を果たしたのでありました。
一方私は釣具を小豆島で調達するために、フェリー下船後はバスを降りて、店長と吉田が操る2トントラックに乗り換えることにしました。
「釣具屋に寄ってくれ」と。
すると店長が
「ケーキ屋にも行きますけどいいですか?」と。
「はぁ?ケーキ?」
実は29日は古澤くんの誕生日だったんです。それでまぁサプライズ的に、夕飯の時にみんなでお祝いをする計画であると。
「あーなるほどね」と。「いいよいいよ」と。
すると私が釣具屋に行くことを聞きつけた釣りバカ古澤剛が「僕も行っていいですか?」なんて言うもんですから、慌てて「ゴメン、もう乗れないから」などと白々しく断りまして、急ぎバスを降りたのでございます。
けげんな表情を浮かべた古澤剛ではありましたが、「では申し訳ないんですが、これこれを買ってきてください」と私に伝え、彼はバスで宿へと向かいました。
うまく古澤剛を巻いた私は、小豆島の気の良さそうな釣具屋の主人に「予算一万円でとにかく釣れるオススメの道具と仕掛けを揃えて欲しい」というオーダーを出して一式を揃えましてね、したらこれが確かに釣れそうな感じでございまして、「いやもう早く釣りたい!」「たぶんこれ一投目で来るぞ」と釣りバカの胸は高まるのでありました。
この日のオールスタッフの夕飯は通常より1時間早い6時に設定いたしましてね、釣りバカ古澤剛と同席した私は「いい道具が揃ったよ」「良かったですね」「もう7時には釣り場に行こう!」などとバイキングメシを食らいながら盛り上がっておりました。
30分もしたらあらかた腹が一杯になりましてね、
「よしよし、これなら7時には行けるね」
「いやー今夜は満月で、潮もサイコーなんですよ、早く行きたいですね」
とバカ2人で早々に食事を終えました。
「じゃあ我々は準備もあるので」
と、ふたりで席を立とうとすると、周りの部員たちが
「もう行くんですか?」
「早くないですか!」
「もうちょっとゆっくりしましょうよ」
と口々に我々を引き止めようとする。
「いやいや、もうオレら行くから」
と、私が半ば強引に席を立とうとすると店長が慌てて、
「いや!もうちょっと待ってくださいよ!」
と、少し声を荒げて強引に我々を引き止めようとするのであります。
釣りバカが釣りに行こうとするところを止めるなんて言語道断の所業。
「なんだよ?まだなんかあんのかよ?」
と、私は若干怒気を含みつつ店長を問い詰めると
「いやまぁ、いろいろ、段取りがね、あるじゃないですか」
と、要領を得ない答え方をする。
「おまえな、そういう曖昧な答弁が一番現場を混乱させるんだぞ!」
と、私がキツく問いただすと、こともあろうに店長は私に向かって反抗的な目で睨み返してくる。
「オイ!おまえわかってんのか!オレたちは早く釣りに行きたいんだよ!」
と、しばし険悪なムードになったところで、古澤くんがいたたまれずに席を立ち、喫煙所に行ってしまったのであります。
それを確認すると店長が
「ちょっと藤村さん!何言ってんすか!ケーキ!」
横を見ると、ついたての向こう側で女性部員がローソクを燃やしたバースデーケーキを持って立っているのが垣間見える。
「あ...」
言葉を失いました。
「そうだった。ごめん」
「ちょっとぉー!なにしてくれてるんですか!」
私は猛反省し、急ぎ喫煙所に行き、古澤くんに「ま、ゆっくりコーヒーでも飲もうよ」と、手のひら返しのウソをつき、まぁなんとかサプライズ的なケーキ登場とあいなったわけでごさいます。
そうしてその夜、我々は爆釣し、なんと翌朝6時半まで11時間も小豆島の堤防に留まり釣りをしたのであります。
翌29日のオフ日は昼過ぎまで寝て、私は3時からモルックを3時間して、そのまま7時から藤やんうれしーの会員のみなさんと寄り合いをし、こちらのオンライン飲み会も同時にして、翌30日曜日、キャラバン最終日を迎えたのでありました。
大盛り上がりのキャラバン大千穐楽を大輪の花火で終えて、その後は盛大にスタッフで打ち上げの飲み会がありましたが、私は、一滴の酒も飲まずに静かに過ごしていたのであります。
「古澤くん、明日は朝4時半にロビー集合でいいね?」
「いいですよ!」
キャラバンの余韻など微塵も引きずることなく、釣りバカの心はもう翌朝の爆釣に向かっていたのでありました。
翌早朝、午前4時。キャラバンの疲れを見せることなく起き出した私でありましたが、外へ出るとそぼ降る雨。
「いやさすがにどうだろう?」
と思っているところへ古澤剛が登場。
「いやー雨ですね」
と、やはり彼も沈んだ表情を見せたのも束の間、
「雨は魚の活性が上がりますから絶好のコンディションじゃないですか!」
と、満面の笑みを浮かべて意気揚々と車に乗り込んだのでありました。
雨の堤防でイカを狙い続けた古澤剛は残念ながらボウズ。私はカサゴを2匹釣って小豆島での釣りを終えました。
と、言いたいところですが、釣りバカはやはりバカ。岡山県に渡るフェリー乗り場で20分ほど待ち時間があると聞けば、いそいそと竿を出し、港内に向かって熱心にキャスト。岡山県に上陸し、港で昼食を終えれば、バスの出発まで熱心に竿を振る。
その昔、天然パーマの青瓢箪が
「いいか藤村くん、釣りバカは人を狂わすぞ」
と言ったのは、至極名言であったと痛感したキャラバン2023でありました。
(2023年10月1日 藤村忠寿)
嬉野です。今日は9月22日です。日曜にはまだ間がありますが日誌です。
ここは岐阜県可児市。私はたまたま宿泊するホテルの目の前にあるまったく混んでないスターバックスさんに来て、外のテラスの席に腰を下ろしました。日陰は暑くもなく、吹く風も冷たくもなく。駐車場とホテルを眺めつづけるしかないんですが、なんとも身も心もとろけて溶けそうなほど気持ち良く。とはいえ意味もなくここに腰を下ろしていても時間の無駄だろう、洗濯しに出かけないと、と思いつつ。
あまりにも気持ちがいいので椅子に根が生えてしまったようで動けません。きっと誰にも分っちゃもらえないでしょうがキャラバン後半の束の間の連休に、私は今、実に幸福な時間を過ごしております。仕事と休息。人生に幸あれ。
以上、今日の昼下がりのひと時のことでした。このあと10分ほど歩いてラーメンを食い、ホテルに帰り着くころ、入れ違いにモルック一式を下げてホテルを出かける藤村さんの熱心な後ろ姿を見かけました。人生に幸あれ。
(2023年9月22日 嬉野雅道)
藤村です。
日誌です。
仙台からスタートしたキャラバン。
埼玉県新座市、神奈川県南足柄市、湘南茅ヶ崎、山梨県身延町、そして長野県豊丘村と、6会場が終了しました。
暑さにはまいっておりますが、しかし、楽しいですよね。ホント楽しい。
だって世界中を見渡したってこんなイベントは存在しないですもん。
普段は全く違う仕事をしているテレビ局スタッフ総勢20名がテントを積んで北海道を出発し、全国各地を走り回る。
朝8時ごろからテントを立てて売り場を作り、ステージを作り、10時にはイベントがスタート。
午後4時過ぎに撤収が始まり1時間少々で撤収完了、汗だくのまま各自車両に乗り込み次の目的地に向けて夜の高速をひた走る。
集客は一会場あたり数千人規模。
地元の飲食店が出店して、そのレベルの高さはグルメフェスのよう。
そして、アーティストたちが無料のライブを繰り広げる。
これをおよそ20日かけて全国11会場で開催する。
2日に一回の割合ですよ。
こんなこと、たった20人のスタッフで、それもイベント屋のプロではないスタッフでやるなんて無謀なことです。というか、到底不可能なことです。
でも、それができてしまっている。それも、やけに楽しくやってしまっている。
奇跡ですよ。でも、できちゃうんですよ。
それを可能にしてくれているのが、みなさんです。
客のプロ、どうでしょう藩士のみなさんですよ。
私は今回のキャラバン全体会議の冒頭でHTBスタッフにひとつだけこう言いました。
「我々スタッフが一番楽しそうにキャラバンに参加すること。絶対にこれを仕事だと思わないこと」
この精神を、ボランティアのみなさんがまさに実践してくれていて、楽しそうに汗をかいてくれる。スタッフもその姿を見て楽しくなる。
アーティストもそんな雰囲気に押されるようにホントに楽しそうに歌ってくれる。店長やら吉田やらスタッフが飛び入りでステージに参加する。最後は自然発生的に生まれたキャラバン音頭保存会のみなさまが賑々しく踊りで盛り上げる。
ステージと客席、スタッフと客、この境目がほとんどないんです。
これが、このキャラバンという奇跡のイベントの根底にあるものです。
お客さん自身がキャラバンを盛り上げようと積極的で、スタッフはお客さんのように楽しもうとしている。これが、奇跡を起こしている一番の要因です。
各地でバイトを雇って会場の設営をつつがなく指揮し、人気アーティストを招聘してステージを盛り上げてもらい、地元自治体のおえらいさんに挨拶をして帰る。
これが普通のイベント運営です。でも、このイベントに奇跡が起きるわけがないことはわかりますよね。楽しそうじゃないことはわかりますよね。
キャラバンは「出演者とスタッフの境目がない水曜どうでしょう軍団と同じ構造」なんです。だから奇跡が起きるんです。
みなさんはキャラバンで汗をかきながら、とんでもない田舎に足を運びながら、美味いものを食いながら、手をたたいて歌い、笑いながら、まさに水曜どうでしょうを体現しているんです。
だからみんなやめられないんですよね。だって、普通の人には絶対に理解できない楽しさを経験してしまったんだから。
そして、「あ、無謀だと思ったけど案外楽しくできちゃうじゃん」ということを実感してしまったのだから。
さあ、そんなキャラバンも早くも半分が終わりました。
残り、ひとつひとつ、奇跡を実感しながら楽しんでいきましょう。
嬉野です。日誌です。
明日夜8時からYouTubeライブです。いよいよ今年もキャラバン開催間近となりました。例年になく気がかりなのは去年とは比べ物にならないほどのこの夏のクソ暑さと、エルニーニョで日本中が浸水するとまで言われる中、まだまだ日本列島めがけてやってくる10数本の台風たちを、はたして去年のようにかわすことができるのか、はたまたモロ被りして中止のやむなきに至る会場が続出するのか、まったくもって今年の「水曜どうでしょうキャラバン」は、大波乱の見込み大です。
そんな中、明日夜8時から始まるYouTubeライブで、そのキャラバンへ向けての高鳴る胸のうちが吐露されるのか、もしくは、たんなるバッタ屋のグッズ紹介に終始するのか、分かりませんが、いずれにしても乞うご期待。
さて、札幌の気候はもうだいぶ良いですよ。朝夜は冷え冷えです。なので今なら避暑に来てもよしです。
ということで、やっとひと息つけるようになった札幌なのに、やっと巡ってきたそんな晩夏の北海道を後にして、我々はまだまだとうぶん暑いであろう本州に、それも東北は仙台だけで、他は全部すっ飛ばして西へ西へ西下して行く今年のキャラバンですから、当分、我々は暑さからは逃れられないわけです。
とはいえみなさん、今年もどちらかの地でお会いしましょうね。そして、熱中症にだけはなっちゃいけませんよ。
わたくしも今年は例年にも増して動きませんから、どうぞよろしく。
あ、それと、私の八千字の連載が読める集英社の「kotoba」が、いよいよ9月6日に発売予定です。今回は不思議な「桜の木」のお話です。ぜひお読みください。
以上、本日の日誌でした。
(2023年9月3日 嬉野雅道)
藤村でございます。
日誌です。
まずは明日30日、北海道でいよいよ水曜どうでしょう超最新作の放送がスタートしますな。
7月2日に行われたライブビューイング、札幌ユナイテッドシネマの会場で収録した前後枠がつきましての放送。
もちろんあの日、映画館で見た人もそうでない人も、新たなどうでしょうをご覧いただきたい。
で、北海道での放送には、今回もよつ葉さんが提供についてくれて、そのCMをですね、私と嬉野さんがやっているんですよ。
よつ葉の商品の映像にふたりでナレーションを付けているんですけど、すべてアドリブで、すべてしゃべってることが違うという、とても変わったCMです。
これは楽しいんじゃないかなと。
で、明日、放送を前にYouTube「はじまらさったTV」で生配信もございます。
新作のこと、そして、いよいよ始まるキャラバンのこと。
お話をしますので、時間が合う方はコメントを寄せていただいて、一緒に楽しみましょうや。
それと、先日は武蔵新城のスタジオの床張りを手伝ってくれたみなさま、そして、差し入れに駆けつけてくれたみなさま、ありがとうございました。
やっぱり、人が集まって、一緒になんかするのは楽しいねぇ。
あんなふうに仕事ができれば、楽しい上に効率もいい。ひとつの理想がありました。
次は、壁塗りと、キッチンの改造などなど、まだ作業はありますから、また集まってやりましょう。
で、自分たちの仕事を眺めながら、ビール飲みましょう。
嬉野です。日誌です。
先週、登別で、ようやく今年の「ここキャン」が終わり「ここキャンロス」の皆さんも多いとの話を聞きますが、そんな中、今度は「水曜どうでしょうキャラバン」の開催が近くなって参りましたので、うちの店長をはじめ我がコンテンツ事業室スタッフ各位は現在それぞれ公私共に準備に追われて多忙となっておるようです。
そのような中、おとといですが、わたくしHTBへ顔を出しまして店長の席の横に座って「今年のキャラバンの日程表をデータでオレのスマホに送ってよ」と話しておりましたら、私の正面が「Y字バランスの吉田くん」の席で、そしたら吉田くんが私に「嬉野さんのツンツンコーヒーを飲みまして」「おや」「大変美味しかったです」と言い出すもんですから会話が始まりましてね。
「あれ?吉田くんって浅煎り好きだったっけ?」「はい」「だったら次はさぁ吉田くん。浅煎りの豆を買ってさぁ、氷をいっぱい使って急冷でアイスコーヒーにして飲むと夏はさらに美味いよ」「なるほど」「でもね。そこは勿論ポテンシャルのあるコーヒー豆じゃないとダメよ。オレが商ってるようなね」「はい」「それに豆のままで買ったらさぁ、焙煎日から2ヶ月はかるく味は保つよ。3ヶ月だっていける。いや、さらに言えばね、むしろ焙煎日から1ヶ月くらい経ってからが美味いのよ」「え?そうなんですか?」「そう。焙煎日から1週間とか10日くらいだとね、オレら素人には味の抽出は上手くコントロールできないから、浅煎りだと、どうしたって酸だけが強く出たり、深煎りなら苦味しか出なかったりなんだよ。だから、それでオレも今年のここキャンでは不本意な味に終わったわけよ。でもね、不思議なことに焙煎日から1ヶ月ほど経つと浅煎りも深煎りも酸や苦味の他に甘味やら旨味やらがすんなり出るようになってオレらが淹れても複雑で美味い味になるのよ」「そうなんですか?」「そう。やっぱり焼かれてすぐだと豆もしばらくはイラつくんじゃない?」「豆がですか?」「いや、分かんないけどね」「はぁ」「でも、ない話じゃないよね」「はい」「でも、これもポテンシャルのあるコーヒー豆なら、ということよ」「あ、はい」「だから、でもそれが1ヶ月くらい過ぎるとね、豆もちょっと気分が落ち着いてくるんじゃない?そしたら豆としてもイラついて意地悪だった自分を恥じるんじゃない?それで心を入れ替えて甘味や旨味を素直に出してくれるようになる」「真実の話、ではないんですよね?」「勿論」「ですよね」「でも、当たらずとも遠からずだとオレは思うよね」「なるほど」「だから焙煎日から1ヶ月ほど経ったコーヒー豆をだね」「はい」「21g取り出して挽いて粉にするわけだ」「はい」「それに対して投入するお湯の量は350cc。これがコーヒー豆とお湯の対比量だよ」「あ、そうなんですか」「おおつかみで考えた場合、豆の16倍くらいがお湯の量と考えれば良いわけだよ」「なるほど」「で、これを今年みたいなクソ暑い夏の日に急冷でアイスコーヒーにする場合は、まず21gのコーヒー豆に対して、投入するお湯が150cc。そして急冷するために用意する氷が150g、これは結構な量だよ。そして冷蔵庫で冷やした冷水が50ccとなるわけ。これで、お湯と氷と冷水を足したらこれも350ccになるという勘定ね」「なるほど」「まず、ドリッパーに紙フィルターをセットして粉に挽いた浅煎りのコーヒー豆を21g入れる。それを350ccほどの容量のあるサーバーの上に置くわけだ。そしてそこへ注いでゆくお湯の量を適宜測りたいからそれらは秤の上に載せた状態でないといけない。載せたらゼロリセットする。そして、タイマーを走らせて、そしたらまずお湯40ccだけを粉へ手早く注ぐ。そそいだらお湯の溜まってるうちに小さなスプーンをそこへ突っ込んで手早く掻き混ぜて派手に撹拌するのよ。撹拌したらスプーンを抜いてタイマーが40秒になるまで蒸らし待つ。タイマーが40秒になったらお湯の第二投目をね、秤が150ccを指すまで注ぐ。注ぎ終えたら150gの氷の入るコップに氷を入れてそこへ50ccの冷水を加える。そのころサーバーにはもう熱々のコーヒーが落ちきってるから、ドリッパーを外して、サーバーの中に150gの氷と冷水50ccを手早く投下する。そこへ大きめのスプーンでも良いしお箸でも良いから突っ込んでとにかくサーバーの中で勢いよくクルクルと掻き回し続ける。そしたら氷もクルクル回ってサーバーを抑えてる手がすぐに冷たくなるほど冷えていくのが分かるから、もう充分に冷えたなと思ったところで、サーバーの中で冷えたコーヒーだけをグラスに注ぐんだよ」「冷えたコーヒーだけを」「そう。これで最高に美味い浅煎りの急冷アイスコーヒーが出来上るわけよ」「今度やってみようかなぁ」「札幌だったら丸美珈琲が地下歩行空間にあって、あそこでポテンシャルのある豆も買えるし美味い急冷のアイスコーヒーも淹れてくれるよ」「そうなんですか?」「今のレシピだって、全部、丸美珈琲のお兄ちゃんに根掘り葉掘り聞いて得た情報だもの」「丸美珈琲ならHTBからも近いですね」「そうなんだよ。あ、吉田くん。今から行こう」「あ、いや、え、今からですか」「善は急げだよ」「あ、はい。なるほど」「ほら、店長。行くぞ」「え?ぼくもですか」「丸美珈琲も浅煎りが美味いんだよ。ほら吉田くん急いで」「あ、行きますか」「店長もほら」「あ、メールを1通、出させてください」「メール?もう書いたの?文面」「いや」「じゃぁオレ書くか?」「いや」「なら、店長早くして」「分かりました」「ちょっと吉田くん、どこへ行くの?」「はい、ちょっとトイレに」「なら、出かける支度してから行って。トイレ前集合」「あ、はい」「店長、メール書けた?」「今、出します」「ようし行くかぁ」
2人は忙しそうでしたけど、私としては浅煎りの美味いアイスコーヒーが飲みたかったんで、付き合ってもらいましたね。それに、浅煎りのアイスコーヒーは美味しいのかしら?と懐疑的な人が多いですから、私としてはなんとか飲ませるところまで持ってゆきたい。でも、やっぱり美味しかったようで2人とも大いに満足しておりました。人生は体験。体験することこそ人生ですよ。そのあと時計台ビルまで足を伸ばして3人で釧路花丸さんで寿司を食いました。やはり回転寿司のクオリティーも札幌は最高ですね。握り10貫に茶碗蒸しに汁物までついてランチで¥1.500-ですよ。腹いっぱい過ぎて3人でHTBに戻りましたね。
ということで、私はようやく羽田空港に到着しました。暑い!しかし今日も無事に着陸できて本当に良かった。30分くらい遅れたようですけど、飛行機なんてのは無事に着陸してくれることこそが何より大事なことですから遅れなんて、なんの文句もなし!
それではみなさん、本日もよろしき日をお過ごしくださいませ〜〜。
(2023年8月20日 嬉野雅道)
藤村でございます。
ホントは昨日、日誌を更新するはずでしたが、すっかり忘れてました。
ずっと大阪にいます。
今日は神戸にある企業で嬉野先生と講演をしてきました。
私は親睦会にも参加して今、ほろ酔い気分で帰っているところです。
今日もいい日だったなぁー。
午前中はひとりで公園でモルックの練習をして。
明日はなんばハッチでモルックの真剣勝負。
よし、明日のためにもうすぐ寝るんで、日誌の続きはまた明日!
おやすみ!
☆
8月8日は大阪なんばハッチにて
パインアメのイベントに参加してきました。
メインはモルック大会。
そもそも、このイベントに私を参加させるために、読売テレビの西田二郎が、東京青山の公園に呼び出してモルックを初体験させたんですよね。
それが5日19日。
まんまとハマって、翌週の「ここキャン新十津川」にモルックセット一式を持ち込むと、コンテンツ事業部の面々もどハマりして、一気にモルック熱が沸騰していった、ということですね。
で、そのパインアメのイベントで、さらば青春の光森田くん率いるキングオブモルックチームと再び対戦して(前回の対決はMXテレビ「モルック大作戦」で7月末に放送済み)結果は負けでしたね。
そりゃ私のチームは初心者だらけでしたから、そもそも勝てるわけはない。
でもねぇ、この2ヶ月あまりをほぼモルックに捧げてきた私だけで個人戦ができたら、負ける気はしなかったんですけどねぇ。
ともあれ、明日からは登別で今年最後のここキャン。
モルックやりますぜぇー!
(2023年8月9日 藤村忠寿)
暑い。おはようございます嬉野です。いやもう暑い。
いえ、もちろん私の住んでるところは札幌ですから、40℃に迫る酷暑に毎日襲われて、もうずいぶん長いこと酷い目にあってる内地の皆さんの迷惑な感じとは、そもそも比較にならない規模の暑さなのでしょうが、しかしそれでも暑い。
それはあれなんです。我が家にクーラーがないからなんです。だって札幌ってふつうだったら夏でもクーラーいらないんですよ。だって窓を開けたら日中だって涼しい風が部屋の中を吹き抜けますから。夜なんか風が冷たすぎて寒いから窓を閉めるくらいだったんですよ。いつだったか8月なのにちっとも暑くらななくてね、日中なのにビアガーデンで冷えたビールが飲めないくらい寒くて、って夏が続いてた時期だってあったくらいですよ。
ところが今年はそんな気配が全くない。
窓を開けても風なんかまったく入ってこない。
夜も戸外はムワッと蒸し暑い。
なので、とうとう我が家も30年ほど前に買った扇風機を出しましたね。東京に住んでた頃に買った扇風機なんです。
いや、もちろん今、東京の夏に扇風機だけで対応してたら熱中症になってしまうんでしょうけど、30年前はまだ東京でもギリ扇風機でも行けたんですね。いや、それでもギリでしたね。
ですから。そうね、今の札幌のこの蒸し暑さは、むしろ、私が小学生のころに住んでいた九州の佐賀の夏の蒸し暑さに近いんだろうなという気がします。ま、そう思えば懐かしい気もしますしね。
「いやいや、今日は30℃にもなるというとるぞ!いやぁ、世の中、おかしくなったなぁ」
と私の父が嘆きながらそのまま畳の上にステテコ姿で倒れていた夏休みを思い出しますね。あれはもう50年以上も前の話です。
50年前の日本人は30℃の暑さで、すでにビビったわけですね。その先の未来を知らないというのは可愛いですね。
小学生の私はそういう父を見ながら既に畳に倒れてました。立ってると暑いから。そうして扇風機が送り出す風にひたすらすがりついていたのです。
それでもね。我が家はお寺だったので屋内は一般家庭よりは遥かに広かったはずですから風通しも良かったはずなんですが、それでも蒸し暑い夏には風が入らない。今の札幌と同じでした。
とはいえ、夜になると戸外は冷たい風が吹いていて涼しかったのです。
当時の佐賀は水田が何処までも広がる農業の町でしたから、その水田に張られた水が日中に暑い太陽光線の熱を吸収してくれていたんですね。あと、水田に水を流し入れる水路であるクリークとか小川とかが町中にたくさん流れていましたから、あれらの水流が昼間の熱を吸収して海へ持ち去ってくれていたんでしょうね。だから夜は涼しかった。しかし現代のようにアスファルトが昼間の熱を吸収すると夜にはその熱をそのままそこで放出しますからどうしたってそこの町は冷えないまま翌日また太陽光に熱されてと、ひたすら酷暑に繋がる連鎖を引き起こしてこの非常識な暑さになるんでしょう。
だから、50年前も、日本中、夏は暑かったけど、その暑さはまだ常識の範囲だった。だから、家族で冷えたスイカを食べて涼んだり、見た目に涼しげな浴衣を着たり、耳に清々しさをもたらす風鈴を鳴らしてみたり、夕方になると蚊取り線香を炊いたり、打ち上げ花火を見たりと、夏には夏の風情というものがありました。
でもねぇ、ここまで非常識に夏が熱くなると、風鈴の音にだってイラつきますよ。「うるせえな!チリンチリン!」みたいに思えてね。
だから、風情は終わりましたね。いまやサバイバルになりましたよね。
だから東京の建築現場で働くおじさんたちはもうonちゃんみたいなファンのついた上着を着てますもんね。たしかにアレならそこそこ熱を逃してくれますもんね。よく考えるよなぁ。
ちょっと感心します。たしかに情緒やら風情やらではもうやってられないんだけど、今の日本の夏は、あぁいう工夫ですよね。サバイバルなんだけど、まだ工夫でなんとか楽に乗り越えていこうとしてますもんね。まだ、なんとか楽しんでる風が見える。ということは、アレもまだ風情なのかもしれませんね。
あれのお陰で、太ってない働くおじさんも、見た目は太って見えますもんねonちゃん状態だから。onちゃんだって、他の着てるだけの着ぐるみさんよりは幾分は涼めているのかな。
そう考えるとHTBは時代の先取りをしてたんですかねぇ。
ということでね、「話は落ちたね」ということにしていただいて。引き続き、暑い夏をサバイバルしてまいりましょう。まだまだ札幌は扇風機でやっていけますからご心配なく。嬉野でした。
あ!関西圏の皆さまに朗報!
8/5は玉田玉山の水曜どうでしょう講談が、関西圏で初の公演をやりますのでどうぞ納涼がてらお越しくださいませ。お待ち申しております。
あ!あと。「嬉野さんの浅煎りブレンド・急冷で作れるアイスコーヒー豆」が発売されております。暑い夏に浅煎りの爽やかな味わいでアイスコーヒーを作って爽やかな午後を体験してみませんか。コスタリカとエチオピアのブレンドでございますから味は保証つきでございます。以上。
(2023年7月31日 嬉野雅道)
藤村でございます。
日誌です。
玉田玉山先生がどうで荘の談話室に参加されましたね。
キャラバンで玉山グッズの物販を手伝ってくれる方募集!ということで。
玉山先生は、ホントにそういう客捌きとか会計とか、「あのーLサイズありますかぁ?」「あ、もう品切れです」みたいな対応とか、が不得手なんでしょうね。
逆に「すいませんが急ぎで講談をひとつ作ってほしいんですが」なんてリクエストに応えられる人はほとんどいないのに、玉山先生は「あ、わっかりましたぁ」なんつって割と簡単に請け負ってしまえるわけでね。
人は、自分ができそうなことを、自分のやり方でやっていれば気分は悪くないし、自分ができそうもないことを、それでもやらなきゃと思うと、気分が滅入る。
というわけで、玉山先生が不得手なことを「そのぐらいできますよ」と言ってくれる人を集めてやっていこうとしているわけで。
それは、この場所のとても良い使い方ですね。
まぁ2〜3人もいれば十分でしょうし、慣れた方がいればひとりでもできるでしょうし、大勢いれば賑やかでいいでしょうし、まぁゆるやかな気分でやっていただければと思っております。
さてわたくし、札幌にいるときはとにかく料理を作っております。「ここキャン」でもずっと料理しています。
私にとっての料理というのは、プラモデル作りに似ていて、作る工程が楽しく、だから簡単なものよりも少しばかり複雑な工程の方が良く、YouTubeの動画をお手本にして順番通りに組み立てていく、というね。
でも材料を少し変えたり、味付けを少し変えたりして、ガチガチのお手本通りには作らない。
そうやって作ると案の定、「うーん、まずくはないんだけど、どうだろうなぁ」と反省することしきりでね。
「だったら最初から全部お手本通りに作ればいいじゃないか」と思うでしょうが、ガチガチに決められた通りにやるのは、やっぱりそんなに楽しくない。
そうやって失敗して「反省する」という作業がそもそも私、嫌いじゃないんでしょうね。
反省するために、わざと違うことをやってみる。
今回の新作でも、嬉野先生の歌ってのがまさにそうで。「違和感があるだろうな」ということを見越して入れてみて、やっぱり多少は唐突感があったな、と反省してまた作り直してみる。この作業が嫌いじゃないんですね。
つまり「なにをやるにしても、ハナっから完成を目指してない」ってことですわ。ある程度の失敗を見越してやっている。
これはきっと自分なりの防衛策なんでしょうね。精神衛生上の。
失敗してもなるべく落ち込まないための方策なんでしょうね。
料理も結局、反省するために作ってるから、出来上がったらあっという間に食べて、もう明日は何を作ろうかと思いを巡らせている。だから、ずっと楽しく作り続けることができるんでしょう。
ということで、最近私が実際に作った料理の写真を載せておきます。どれもまだまだ未完成。
嬉野です。日誌です。
去年からHTBが夏の北海道で始めた「ここキャン北海道」も今年で2年目。年を経るごとに盛況となり、そこへ今年は藤やんがモルックを持ち込んで、今年の「ここキャン」といえば「モルックやってます」という雰囲気になってきておるのであります。
たしかに静かなキャンプ場で人々が和やかにモルックに興じる様を遠目に眺めながら椅子に座り独り風に吹かれる時間というのもまた幸せな時間なわけです。
そもそもモルックという競技はどうしたわけか初心者が強い。なによりモルックを持ち込んだ藤やん自身が読売テレビの西田二郎に誘われて初心者としてモルックに打ち興じていきなりの好成績を残すというその事実が彼をしてモルックにはまらせしむる要因となったという経緯があったわけで。こうなると今年のお客らもキャンプ場で初めてモルックという競技に参加してビギナーながら好成績を出して仕舞うものだから「モルック楽しい!」という印象となり帰宅された後でマイモルックを買って自宅近所の公園で独り練習に励むという熱心者も出てくるわけです。
私が今年、初めて藤やんからモルックのことを聞いたのは5月の日本全国HMV巡りの最中でした。「おもしろいんだよ」「運動神経とか体力とか特になくてもできるから子どもも年配者も一緒に競技できるんだよ」「それになぜか欲のない初心者がどんどんピンを倒すんだよ」「これはある意味、欲望で浮き足立つ自分との闘いでもあるんだよ」と、いろんなことを申しておりました。
で、その流れのまま、今年は「ここキャン北海道」になだれ込みましたから5月の末に私が参加した初回のキャンプ場「新十津川」にモルックはさっそく持ち込まれ穏やかなムードで行われていたのです。
ところが、それから1ヶ月後に私が参加した女満別の「大空町」会場となりますと、もはや様子は打って変わっておりまして、かつてはあったあの穏やかな雰囲気は今や微塵もなく、藤やんとHTBチームには真剣味ばかりがみなぎっており目つきも言葉も刺々しく彼らがチーム内でチームメイトに掛け合う言葉1つにも刺さるほどの鋭い棘と怒気が剥き出しで自チーム内の選手がミスでもしようものなら容赦なく刺し貫かれる言葉が浴びせられメンタルの弱いものなら側で見るだけでも怖気ずくほどで、藤村とHTBチームは「とにかく勝ちたい!」という意欲にどこまでもまみれてゆくようでした。
わたくしも大空町では、うれしのさんと女子3名チームで藤村さんとHTBチームと対戦しましたが、いきなり藤村さんの怒気の炸裂した言葉による威嚇を受け、そこはさすがに女子、最初は怖気ている風でしたので私がまず先陣を切りましたが、女子というものは始まってしまうとそのうち腹が座るようで、結局我々は藤村さんとHTBチームになんなく勝ち、爆笑の勝ち鬨を上げ溜飲を下げることになったのであります。
このあたり、散々我々を罵倒しておいてあっさり負けてしまうあたりが藤村さんのおもしろいところで。
ところが、この藤村とHTBチームがこのたび対外試合に挑み、世界ランク25位の北海道大学と対戦すると聞き及びますと、わたくしとしてもにわかに興味が惹かれまして、もしもこの試合の模様がHTBコンテンツ事業室が独自に立ち上げましたYouTubeチャンネル「始まらさったTV」で、中継でもするんなら、それはやっぱり気になるから見てしまうだろうなぁと思うのであります。
そこら辺の興味には、やっぱり、「ある意味、自分との闘いなんだよ」と言いながら、その実「どーしても勝ちたい」という欲の虜となり慎みなど忘れ相手チームに罵声を浴びせることも厭わないあの欲にまみれたムードのチームが、対戦相手に勝つにしても負けるにしても、どのようなメンタルをダダ漏れさせていくのだろうかというところに強く興味を惹かれるのではないかと思うのであります。
とーしたものか、とかく怒気あふれる発言で周囲を威嚇し場を荒らす、穏やかさのかけらとてない「藤村とHTBチーム」のこれからの行く末から、なぜか目が離せなくなるような予感が、早くも私にはするのであります。
そんなことなら一度はこの目で見ておくかと思われる方は、今年の「ここキャン北海道」、登別会場はまだ参加できそうなので、ぜひ貴方の裸眼で彼らの荒れっぷりをご覧になって、ついでにどのくらいの荒れっぷりか実際に対戦されてみてはいかがでしょうか。
やがてはYouTubeチャンネル「始まらさったTV」中継を始めるかもしれません。ご期待ください。わたしも今から期待しております。以上。
(2023年7月16日 嬉野雅道)