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どうで荘

嬉野です。
さてみなさん。嬉野は東京に来ております。そしたら東京は今日もよく晴れて朝から気持ちの良い天気でしたよ。

まったく"火事と喧嘩は江戸の華"とはよく言ったもので、この辺りは冬になると晴れた日が続くから、火事なんか起きたら大変!てな、くらいに空気が乾燥する。だから、毎日天気が良いってのも、まぁ考えものかもしれないけれど、それでも日本海側に故郷を持つぼくのような者にとっては、やっぱり冬も毎日晴れてる町というのは明るくて、それだけでもう気持ちまでハッピーになれる町なですよ。晴れてるだけで幸せなんです。なんだか祝福されてるような気になれるから。

それくらい私の故郷の冬は、来る日も来る日も重苦しく垂れ込めた雲が空を覆うイメージですよ。だから少年時代を思い出しただけでもどんよりする。そこへ行くと東京という町は空が毎日青く澄み渡ってて冬の陽射しが眩しいほど窓辺できらきら跳ねるから、そんな光に溢れた町を眺めるだけで私にはこの上なくハッピーがやって来る。

ということでね。わたしゃ今日もよき日を過ごしましたよ、というお天気テーマでお茶を濁して終わろうという、本日の日誌でございました。

それでは諸氏。本日も各自の持ち場で奮闘願いましょう!いや、もう、奮闘し終えたころかな?

(2021年12月15日 嬉野雅道)

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藤村でごさいます。
札幌を離れて1ヶ月が経ちました。
週末は水曜どうでしょうDVDの販促イベントで福岡博多、大阪心斎橋、東京渋谷と移動し、物産展開催中の埼玉熊谷にも顔を出して、その合間は大阪に行き、2年半ぶりの「藤村源五郎一座」の稽古をしておりました。

初顔合わせは10月25日。天神橋筋にある稽古場で、今回の演出をつとめるダンサーのリカコから「アート」をコンセプトに公演をしたいと言われまして。「ならば」と、稽古場をぐるりと白布で囲い、そこにプロジェクターで映像を映し出し、観客席を真ん中に配置して、その周囲で時代劇を演ずるというスタイルを思い付きました。

それから2週間後の12月10日から稽古をスタート。芝居のラインナップは、これまで源五郎一座でやってきた演目の中から幕末を舞台とした「吉田松陰」「佐久間象山」「新撰組大石鍬二郎」そして「義の為に」という4つの短編としました。前半ふたつは「笑い」、後半ふたつは「緊迫感のある殺陣」を見せるものです。

芝居の稽古と並行して、副座長の藤澤アニキがプロジェクターに映し出す映像を制作し、若手座員の田ノ中亮資が音楽を制作。

業者さんの都合で、稽古場を白布で囲う工事と3面を映し出すプロジェクターの設置作業が完了したのが、本番4日前の11月26日。

ところが、アニキの制作した映像を実際に映し出してみると、明るすぎたり派手すぎたりして、ほぼ作り直しとなり、結局すべての映像が完成したのは、本番前日の11月30日。

こうなると普通は「おいおい大丈夫か」となるわけですが、源五郎一座は慌てない。それはいつも稽古が終わったあと、座長の私が座員のメシを作り、食卓を囲んで芝居の話を夜中まで続けて意思の統一がされていたからだと思います。

それは本番中も続いて、毎夜公演が終わるたびに、制作の国枝くんが撮影してくれた公演の全映像を見ながら、「ここはもっとこうしたら」とお互いに言い合っておりました。

そうして迎えた千秋楽。ひきこもりの次女が堂々と前説を行い、アニキは大事なところでセリフを噛み、私は我慢できずに笑ってしまったりと、まぁありましたけれども、2年半ぶりの源五郎一座を終えて、私は充実感に浸りながらも、すぐに次の公演の構想をアニキに語っておりました。

どうで荘住民の方々におかれましては、その千秋楽の配信映像を半額でご覧いただけますので、投げ銭のつもりでどうぞポチッとしていただければ幸いでございます。

どうで荘住民の方はこちら

今回の舞台は、ぐるり360°で芝居が展開されておりますので、映像も360°回転できる仕組みになっております。それゆえにアップの映像はありませんけれども、一体どんなことをやっていたのかは、よくわかるかと存じます。

『ヒストリーアート』配信チケット 一般受付はこちら

(2021年12月8日 藤村忠寿)

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嬉野です。
つい先日の夜更けのことです。うちのマンションで火事騒ぎがありまして。そのとき間が悪く私は風呂に入っておりましてね。それも不覚にも長湯をしてしまって、まぁ半分眠いのもあったんで、それで湯船でぐずぐずして時間を食って、ようやく風呂から上がって身体を拭きだしたところへ、「なんか、他の階で火災警報が鳴ってる気がする」と女房が緊迫した口調で廊下を過ぎて行くんです。

私は「警報が鳴るのも久しぶりだねぇ」と呑気なことを口にしながら、こんな全裸なタイミングで、そんなマジな非常事態が起きては堪らんと、「空耳、空耳」と、ひたすら心に念じて身体を拭き続けておりましが、たしかに私の耳にも微かにですが聞こえてくるのです。「火災が発生しました!火災が発生しました」というやけに緊迫感を強いるオッカナイ感じの警報の声が。

それを聞いてしまったもんで「あぁ、たしかに鳴ってるよ」と女房に声を掛けると「7階で火災って言ってるみたい」とさらに緊迫した声が返ってくる。

「階下なら、ベランダから乗り出して、煙が出てるか外を見たほうが早いね」と、私は濡れた髪をタオルで拭きながらベランダに出て身を乗り出したところ、髪も凍らす冷たい北国の夜風がマンションの外壁伝いに勢いよく吹き上がって来る。「いやぁ冷たい。早く髪を乾かさんとこんなんで寒空に避難したら絶対に風邪ひく」と思いつつ、真下に落とした視線の先に、いち早く避難した住人の方でしょうか、マンションの玄関を出たばかりのあたりに2人、3人と豆粒のような人影を見つける。でも肝心の火事らしき煙はどこからも出ている風ではない。

「煙はまったく見えないよ」という私の声を背中に聞きながら、女房は、「ちょっと下に行ってみる」と、ダウンを羽織って出て行こうとするので「あ。携帯は持ってってよ!」と、降りる気のなくなった私は連絡をスムーズにするために促しましたら「あ、そうだね」と、引き返してきて女房はすぐまた出て行きました。

「煙も出てないんじゃ、きっと誤報だな」

私は、確信してヘアドライヤーに手を伸ばそうとしましたが、次の瞬間、突如、我が家の火災警報までが、「火事です!火事です!7階で火災が発生しました。すぐに避難してください!火事です!火事です!」と、大音量で鳴り出してしまい、そのボリュームのデカさに私はすっかり度肝を抜かれてしまったのですが、そっからはもうエンドレスで部屋中に恐怖の警報音が轟き渡って止む気配はなく、我が家の愛犬も堪らず発狂したように吠えはじめ、もはや、どんだけなだめても吠えやまない。すでに呑気に髪を乾かしてる雰囲気なんか我が家には微塵もない。

「これはかなわん」と、下に降りて行った女房に電話して「うちの部屋でも警報鳴り出したからオレもこれから降りるよ!」と、電話口で喚きましたが、とにかく鳴り渡る警報のうるささに女房の声すら聞き取れない。

「あ、なら、私も寒いから一回上がる」と、女房が言うのがやっと聞こえましたが、「なんだ? 下に避難したやつがまた上がってくるんだったら間違いなくこの警報は誤報じゃないか」と、そのとき確信しましたが、かといって耳をつんざく拷問のようなこの警報音の中で呑気にして居られるはずもなく、いまや火事避難というか騒音に耐えられずに避難せざるを得ない状況となり、警報音に吠え続ける犬をなだめつつ、なんとか服を着てダウンを羽織り、それでも吠えやまぬ犬をひょいと小脇に抱き上げて、ちょうど上がってきた女房が、ダウンの中にさらに着込むのを待って、それからエレベーターで夫婦2人して1階へ降りて行ったわけです。

そしたら一階のエレベーターホールには、マンション住人の半分ほど(うちの棟は20世帯ほどです)のみなさんが、寝巻きの上にダウンを羽織って、マスクして、きっと寒いからでしょう男女とも腕組みして集まっておられました。で、この騒ぎの中で実にバカげた感慨なのかなぁと思いつつ、でも私は、久しぶりに住人みなさんと顔を合わせる感じが懐かしくて、不意に同窓会的な和やかな雰囲気がしてきたんです。

マンションの総会や理事会で顔を合わせるのとはなんか違う、冬の夜寒に誤報とはいえ火災警報が鳴り渡り、避難を強いられ、一度は「火事か?」と緊迫して、不安になり、でも、それは誤報で今や少しホッとできており、そこに去来した安心感とタイミングを同じくして一堂に会した顔見知りの顔、顔、顔を見たもんだから、きっと私に限らず、住人それぞれの心に、「顔見知りというのは悪いもんじゃないなぁ」という思いを全員が一度に体験し学習したのかもしれんなぁと思ったのです。

だって、そう感じてるのは私だけではないように思えたのです。あのとき、あの場にいた住人と住人との間に、不思議と壁というものを感じないという実に和やかな身内的な雰囲気が醸されていて、それに誰もがほだされ、ほっこりしていた気分が見てとれたのです。

だってねぇ、エレベーターを降りるなり「あら、みなさんおそろいですねえ。なんか久しぶりにお顔を見ましたね。同窓会みたいじゃないですか」と、私が言ったら、そこにいた多くの住人が思わず笑顔を見せるという不思議な展開がありましたからね。

いつもはエレベーターで乗り合わせても口数少なく済ませてしまう階下の奥さんも、今は素直に素朴に笑顔になってくれて、一緒に降りてきてた子どもたちも、久々に見たので、みんな予想外に大きくなっていて。その感慨もありました。

あぁ、この女の子が病院で生まれて、この奥さんに大事に大事に、本当に大事そうに腕に抱かれて、病院から旦那さんと一緒にこのマンションに帰って来たとき、ちょうど上から降りてきた私は、入れ違いに、このエレベーターホールから乗り込むご夫婦に、この場所でお祝いの言葉を掛けて、それに奥さんが嬉しそうに笑って応えられておられたときのことを、もう15年ほども前のことだけど、昨日のことのように思い出しちゃって。

あのときの赤ん坊が、もうこんなに大きくなってて、今やしっかり人格も出来た10代となり、これじゃあもうあのときの赤ん坊とは別人だなぁと思う気持ちもありながら、でも、この子が記憶しない時間というものがこの子の人生にはあって、そんな時間の中で、この子は大人たちに大事に支えられてここまで成長してきたんだなとも思え、個人が知らない時間の中でその個人を支えようとしてきた誰かがいて、でも、その子はその子の記憶外にある時間の中で起きたことは当然覚えてはいないから、そこに対する負債はいっさい考えなくてもよいわけで、そんな状況にも、人の幸福と自由はあるのかもしれないなぁとも思えてきて、いやいや、なんで今こんなところで、そんなこと考えてるんだオレはと、これまた不思議な気持ちになり。

なんでこんなときに、こんなところで、みんなはこんな風に和やかになっているのだろうと、あの夜のことは、そのあとまでも私の中で尾を引いたことでした。

やがて管理会社の警備の人がやって来て、誤作動で鳴りっぱなしだった警報を止めてくれて、「お騒がせしました。警報は誤作動でした」という声を合図に、住人それぞれは複数回に分けてエレベーターに乗り込んで無事な我が家へ戻って行きました。

もちろん、この夜を境にマンション住人の結束が固くなり、みたいなことは、結局、なに1つとしてありませんでしたが。

でも後日、エレベーターで乗り合わせた、仕事に向かおうとしていたとある奥さんに「この前の夜は寝不足で大変でしたねぇ」と話しかけると「本当です〜!」と迷惑そうな声で言葉を返されましたが、「でも、意外に同窓会みたいに和やかで、みなさん妙に盛り上がってましたね」と、続けると、「本当ですね」とマスクの顔から見せる目を細めながら笑顔になられ、エレベーターを降りると、「行ってきます」と冬寒の道を小走りにかけて行かれましたから、あの夜に発生した火事騒ぎで、同じマンションに20年住み続ける顔見知りの住人たちに心を許した寛容性も、ほんの少しくらいは、その効き目が、この先も、住人の間に残っていくのかもしれんなあと思ったという、まぁ、それだけのお話でございます。ではみなさん、くれぐれも風邪などひきませんようにお過ごしください。本日は、嬉野でございました。

ーーー

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藤村でございますな。
来週はふたつイベントがございますな。

まずは28日(日)、場所は神戸三宮。
YouTube「いいものバーチャル配信」の第三弾「ひょうご神戸編」の生配信を住人のみなさんを招いてパーティー形式でやろうという試み。
三宮の一等地にあるレストランを貸し切りまして、昼13時から1時間、まずは食べ飲み放題でエンジンをふかしていただいて、14時から生配信を開始。私と嬉野さんを目の前で見ながら、みなさんにも実際に私がセレクトした「いいもの」を試食していただく、という企画でございます。限定30名、チケット発売中!住人は2割引!

神戸いいものセットYouTube 客席観覧チケットのお申込みはこちら
※どうで荘住民の方用のお申し込みページは「入居者限定コンテンツ」よりアクセスできます。

※受付は終了しております。


そして12月1日(水)〜5日(日)は、2年半ぶりに「藤村源五郎一座」の公演を大阪で行います。普段使ってるスタジオをこの公演のためだけに作り変えての贅沢なお芝居。スタジオの三方を白い布で囲い、そこに映像を投影しながら空間全体でお芝居を見せる。客席はスタジオの真ん中にたったの20席。

テレビを生業としている人間としては、逆にこのぐらいの人数の前で何かをやることにとても意義を感じるんです。

藤村源五郎一座チケットのお申込みはこちら

2021年11月24日(水)藤村忠寿

 

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藤村でございます。

2年半ぶりとなる時代劇「藤村源五郎一座」の公演に向けて稽古をしております。

今回の公演は、日頃「源五郎一座」の根城としております天神橋筋7丁目にあるスタジオに手を加え、アートな空間を作り出して行います。

普段であれば50人は入れるんですが、今回は客席を20人に限定。少人数のお客さんを取り囲むようにして、短編の芝居4本にダンスを交えて演じます。
照明は使わず、薄暗い空間で、前後左右に目と耳を凝らし、間近で芝居を体感するような作りになろうかと思います。

少人数の限定で、しかも大阪だけの公演ですので、映像の配信を予定しております。

是非とも源五郎一座、一度ご覧くださいませ。 

 

(2021年11月13日 藤村忠寿)

 

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嬉野です。先日、東京出張の折に、出先のカフェで遅いランチを終えて食後のドリンクでひと息ついたとき、何気なく股間に視線を落としましたら、私のチャックが全開になっているじゃありませんか。

まさかの事態に、思わずギクリと息を呑んでしまい、

「これっていったい、いつから全開だったんだ?」と、ひとり密かに焦ったわけです。しかし後の祭りであることに疑いはない。

そりゃあんた、ホテルを出たときから全開だったに決まってるわけですよ。いやはや本当に、知らないというのは恐ろしい。股間が全開の男がですよ、何も知らずに堂々たる態度でここまで移動して来ちゃってるわけでしょう? その間、私はいったいどんなポーズをとりつつここまでやって来たのか、それを思うと不安です。

地下鉄に乗りこんで、女子高生の前や、ご婦人の前や、坊ちゃんの前で股間全開のオヤジが真面目な顔でスマホとか見てたってことなんでしょう?
ネットニュースの衆院選の特集記事とか苦み走った顔とかして読んでなかったでしょうねぇ? チャック全開のオヤジがいっちょ前に分かった顔しているようではあまりにも落差がキツい。

私としては、悔めども、もはや手遅れではありましたが、それでも全開に気づいたときは、一瞬、冷や汗が出そうな勢いでした。

だって、このお店に入るときも私のチャックは全開だったってことですよ。

「おひとり様ですか?」って、お店のお兄さんに聞かれましたけど、そのとき私、変に澄ました顔で「えぇ」とかなんとか答えてなかったでしょうねぇ。全開の奴なのに。

でもこれ、おかしなものでね、結局、ここまで話しをして来ましたが、私が一番敗北感を感じてしまってやりきれなかったのは、全開に気づいたときではなくて、それに気づいてガッカリした後に、しかたなくひとりで全開のチャックを閉めるときでしたね。

なんかね。股間のチャックのツマミになかなか手が伸びないんですよ。「なんならこのまま知らなかったことにして帰り道も開けて帰るか」と、一瞬、思わなくもなかったくらいです。あれは何だったんでしょうね。しかし、そうもいきませんから、ビュッという音をさせて、きっちり上まで締め上げましたよ。とほほ。

さぁ皆さんも、うっかりせぬようにいたしましょう。

しかしまぁ、人間、こういうときにはね、全開してたって開き直って世間様に悪びれることなく、たとえ近くの人に指摘されて気づいても、「え? あ、開いてますねぇ。やっぱり自信の現れなんですかねぇ」みたいなこと言って、開き直って笑顔でそのままにしとくくらいの方が勢いがあって良いのかもしれませんね。

何にしても我々は、かくのごとく他人様の前で、けして失敗のないように、なんとか少しでも良く見られるようにと、緊張感の中で生きているってことですよね。それが社会だよねってことですよ。人間はそういう緊張の中で生きてるんですよ。その緊張が社会で生きる我々人間の関係性の中に置かれているから、何処かで残念なしくじりをする人が出ると、そこをうっかり見つけた誰かさんが、クスクス笑っちゃうんですよ。ということは、クスクス笑ってる人も同じように緊張して生きていたんだってことなんですよ。誰もが緊張して生きていたからこそ他人のしくじりを見て、あの人も私とおんなじように緊張してカッコつけてたかと思うとホッとしてね、それが笑いに繋がってしまうわけですからね。

そういった意味では、正直に笑ってあげた方が良いですね。誰かが小さな失敗をしたらね。みんなで、素直に笑い話にしてあげることの方が大事だと私なんかは思いますね。

人の暮らしに必要なものは、「ここで笑っては気の毒だ」という妙な気遣いではなくして、反射的に素直に笑ってしまうことのように思いますよ。

もちろんクスクス笑われた人は、笑われてショックかもしれませんが、でもね。笑った人たちは確実にその笑えてる瞬間に、自分たちの緊張を緩められたわけですからリフレッシュできたはずでなんですよ。

つまり。股間のチャックが気づかないうちに全開になってるような残念な失敗は、それを発見しちゃった人の緊張をほぐして笑わせてくれるわけですから、巡り巡って、世の中の人のためになっているわけなんですよ。

ですからチャックごときが全開していようと堂々たるもんだということですから、ご安心くださいませ。と、自分に言ってます。

そのとき、どのように対応するか。それは、まぁ、それぞれの皆さんのキャラに合わせて試行錯誤しながら、素直さに身を委ねて、思うがままにやってみられるのがよろしかろうと思います。

それでは次回、ここでまた朗らかにお会いいたしましょう〜〜!

 

(2021年11月3日:嬉野雅道)

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藤村でございます。

 

ようやく状況が変わってきたのでしょうか、立て続けにお芝居の話が舞い込んできました。

ひとつは「藤村源五郎一座」。

先日「進め電波少年W」で土屋Pにさんざんいじられましたけども、私、時代劇一座の座長もやっておりまして。

その最後の公演が2019年4月のことでした。

どうでしょうの「試験に出る日本史」でも扱いました戦国時代の隠れたヒーロー鳥居強右衛門を題材にしたオリジナルの時代劇を大阪でやりまして。

あれから3年近くが経って、一座の座員から「親分!またやりましょうよ」と声がかかり、座長としては「お、やるか」と相成りまして、12月頭の公演に向けて準備を始めたところでございます。

前回は「面白い顔をした鼻毛と尻毛が丸出しのふんどし一丁の主人公が出てきて、果たして客は泣けるのか?」というテーマで芝居を作りましたが、今回のテーマはずばり「アート」。時代劇にそぐわないアートな空間を自分たちで作り出し、その中で芝居をやってみようと思っております。

たぶん、イケると思うんだけどなぁ。

詳細は近日発表いたします。

そして年明けからふたつの大きなお芝居に役者として参加させていただきます。

こちらもたぶん近日発表されるかと。

まずは「藤村源五郎一座」。
「なにそれ?」という方には、数年前にこんな記事がありましたのでご紹介しておきます。

『水曜どうでしょう』ディレクターの藤村忠寿、自らの劇団「藤村源五郎一座」を語る。

(2021年10月28日:藤村忠寿)

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広島へ行く途中で京都に寄った。「途中下車をして京都観光だなんてオレも大人だなぁ」と子ども時代の自分を思い出しながら感慨深げに新幹線を降りてみた。


京都駅を出て歩きながらつらつら思うに、新型コロナの時代になって1つだけ息のつけたことは、気後れするほどの人混みが観光地からなくなったことであろうか。お陰でひっそりとした風情の中を気紛れにひとり旅できるようになった。

地下鉄に乗って京都市役所前で降り京都の町を歩きだした。いつの頃からか昔ながらの町屋さんが古民家cafeに化けたのが三条辺りではよく目にするようになって、最初の頃こそ京都の町の生活感が薄れていくようで寂しく思えたが、この頃はもう慣れたのか、そんなことも思わない。それどころかcafeの数もこれだけ増えれば、味の良し悪しさえさておけば、予約なしでふらりと訪れても大丈夫な町屋cafeもけっこうあり、こういう場所がこんなに多くあってくれるならば、京都の町歩きに疲れたときにはありがたい。

店構えで見当をつけて町屋cafeの敷居を跨ぐと芳しくカレーの香辛料が匂ってきた。この匂いでカレー好きの気持ちは単純に盛り上がる。古民家cafeの佇まいは風情があるから席についたあと旅人の心を落ち着かせてくれる。この頃は席も離されるから尚のんびりする。ひょっとしたら、今は、ひとり旅にはもってこいの時節かもしれない。私はレンズ豆と挽肉のカレーを食べた。まぁ取り立ててここで書くほどの感動もなかったが不満もまたなかった。あてもない町歩きに疲れた旅人には充分すぎる味であった。ありがとう京都。

町屋cafeを出るときにふと思い立って、東山七条辺りにある三十三間堂まで、午後の陽の傾く頃だったけれど40分ほどの道を歩いてみた。三十三間堂は平安時代の末に建てられた長さが120mもある横に長い大きなお堂で、中に金色の千手観音が千一体もおわしますという。もちろん観音様のご利益を求めて向かったわけでもなかったが、なんだか心誘われて行ってみたくなった。

そういえば子どもの頃に聞いた「わらしべ長者」という昔話も観音の夢のお告げを信じて歩き出したホームレスの男の旅の物語だったように思う。

ある晩、観音が夢で男の枕辺に立ち「明日の朝、おまえが最初に手にしたものを大事に持ち西へ旅立つように」というお告げを残した。未明に、「あぁ、今のは夢であったか」と目が覚めて男は不思議な気持ちになった。だが、明くる日、男が最初に手にしたものは、実につまらないものだった。

それは男が顔を洗いに木賃宿の寝床から土間に出てすぐのことだった。男は不覚にも足がもつれて土間で転んでしまった。お陰で手首の辺りをしたたかに打って擦りむいてしまった。情けない気持ちで立ち上がった男は、無意識のうちに自分の手が何かを握りしめていることに気づいた。見ると、それは、なんということもない、そこらに無数にこぼれ落ちているわらしべの一本であった。男はヒリヒリする擦り傷の痛みを手首に覚えながら昨夜の観音のお告げを思い出しては言いようのない空しさを覚えた。

「明日の朝、最初に手にした物を大事にしながら西へ向かえ」と観音は言ったが、こんなわらしべを大事にしてなんの利益があると言うのだろう。やっぱり自分はほとほと運のない男なのだ。観音はこんなわらしべを拾わせて自分が悦ぶとでも思ったのだろうか。とは言え、男にはそもそも行く当てなどなかったから、観音のお告げの通り、わらしべを玩びながら西へと歩き出すしかなかった。

その日は朝から良く晴れていた。旅の初日が雨降りでなかったことは幸いだった。しかし夏のこととて少し歩けば、それだけで汗が噴き出てくる。だが、そのお陰で時折り吹いてくる風が汗ばんだ身体には冷たく爽やかに感じられもした。

道中、一匹のアブが男の胸に止まったとき、男は無意識にこのアブを捕まえると、遊び心でアブの胴体に例のわらしべをくくりつけてみた。

胴体のくびれにわらしべを括り付けられてアブは逃がれようにも逃がれられない。男には、わらしべの先でぶんぶんと羽音をさせてとどまっているアブの様がずいぶん面白く、男は自分でも知らぬうちにニコニコ微笑みながら、わらしべの先で羽音を鳴らすアブを面白そうに眺めて飽くことがなかった。

夢中で眺めていたところへ、不意に男を呼び止める者があった。驚いて振り向くと立派な牛車を引き連れた若党が、男に「アブを譲ってくれ」と言う。見ると牛車にはさる大家の御曹司と見える童が乗っていた。あまりにも面白そうに男がアブを眺め眺め歩いていたものだから、それを見て子どもは、そのわらしべが欲しくなったに違いない。男は「最初に手にした物を大事にして」という観音のお告げも忘れて、アブを括り付けたわらしべを気前よく若党に渡してしまった。童は若党からわらしべを受け取るなり牛車の上で相好を崩し、わらしべの先で羽音を鳴らすアブに見惚れ笑みをこぼした。男は幼な子の屈託のない笑顔に慰められる思いがして思わす微笑んだ。去り際に若党は男の両手にズッシリとした瑞々しい蜜柑を握らせた。「アブとわらしべの礼だ」と言う。「金持ちというものはずいぶん気前の良いことをするものだ」と、一瞬、男は鼻白んだが、胸のすくような鮮烈な柑橘の香りを吸い込むうちに気持ちが晴れて行き、「そう言えば」と、詰まらないわらしべが立派な蜜柑に変わってしまっていたことに、そのときあらためて気づいた。

こうして、西へ旅する男が手にした蜜柑はそのあと立派な反物と交換され、その反物がまた他のものと交換され、いつしか男には馬が与えられ、終いには大きな家屋敷と綺麗な嫁を得てしまうというような話だったと思ったが、「わらしべ長者」は、「観音の霊権は、かくも有難い威力がある」と、宗教が世の中に広く宣伝し始めた時代に出来た御伽噺なのだろうから、意外にこれから行く三十三間堂が創建された頃に出来た物語なのかもしれない。それは今から950年ほど昔のことである。すでに今は時代も移り令和の御世であるが、観世音菩薩の霊権は今もってあらたかなのかもしれない。

さて、古民家cafeを後にして歩きだした当初こそ気候も爽やかに感じられ散策も楽しげだったが、京都の風は急に冷たさを増し、四条を過ぎたあたりで、やけに肌寒くなってきた。橋を渡ろうとすると、いきなり冷たく鴨川から風が吹いてきて橋の上で寒くて参ったから、私は足早に橋を渡って鴨川沿いを七条くらいまで下がった。

そのうち人通りもだいぶ減った感じがして、町並みもどことなく古めいていくように思えた。やけに昭和な佇まいの建物ばかりが並ぶ場所があり、「あの辺りはずっと時間が止まっているのだろうか」と妙な気持ちになった。

曇天の空の下、冷たい風が吹くというのに鴨川の河原には、鴨や鷺たちが賑やかに群れて遊んでいる。餌を探して水に潜るやつもいれば、ウォータースライダーよろしく流れに乗って遊ぶやつもいる。鴨川から目を離し左手奥の山あいを見れば赤い朱塗りが鮮やかな塔が見える。清水寺だ。「清水の舞台に上がるのもいいか」と一瞬思わないでもなかったが、三十三間堂におわします観音様を見ばやと、そのまま鴨川沿いを下ってようよう三十三間堂にたどり着いたころには閉館間際の時刻となっていた。

お堂の中に居並ぶ金色の一千一体の千手観音像の存在感は、これはもう圧倒的で、いったいどれだけの年月をかけて、どれだけの数の仏師を集めて、これだけの造形を作り上げたのだろうと思うと、そこから先はもう訳がわからなくなるほどだった。一千一体の観音像というのはそれほどの迫力だったのだ。とにかく広大無辺かと思える気の遠くなるほどの規模だったのだ。

さすがに今では観音像の金箔も所々薄れ剥がれ暗い地の色が出て落ち着いた重厚な味わいの渋い色味になっているが、創建当時は今のこの重厚さとはまるで違った、辺り一面に黄金色に輝く一千一体の観音像として並んでいたわけであり、金色の観音像を安置した堂内の彩色も朱塗りの柱に白壁、天井は極彩色に彩られていたわけだから、当時それを見た人々は、さぞかし度肝を抜かれ、皆悉く感動したことだろうと思う。

それに、最初目の当たりにしたとき、観音像の数に圧倒されて、この数なら、ことによると観音像は同じ型から作られた鋳物かと思ったけど、よくよく見れば観音様は1つとして同じお顔がないのである。つまりこれは全てが木彫りの仏であり、一千一体、それぞれに彫られていたわけだ。

そして、この一千一体の観音様を守る役目を担った、二十八部衆という守り神までがお堂の中には居並ぶのである。二十八部衆のその何とも言えないリアルな表情を湛えたその迫力もまた圧巻で、雷神の前では膝を追って下から大きく仰って見上げると一層の迫力が出ると案内板に書いてあったので、その通りにしてみると、たしかにどえらい迫力で、しばし見惚れてしまった。

平安末期のあの頃も、ひと握りの富裕層がこの国を収め、庶民との経済格差は今以上に激しかったのだろうが、当時の富裕層はこのように千年も後の世まで残る文化財を作りまくっていたわけで、そして、これだけの迫力を形にできる仏師というアーティストを多数養って、千年後の我々庶民の目をも楽しませてしまっているのであるから、それを思えば、今の富裕層は、千年先の世に残すような文化財として、いったい何を作ってくれているのだろうかと知りたくもなる。いずれどこかの富裕層が有難い令和の大仏や大観音を年月を費やして高明な芸術家に作らせれば良いのにね。

むかし汐留の再開発が計画されたとき「汐留に森を作ればいい!」と発言した歴史学者がいたけれど、本当に作ったら良かったのになぁと今しみじみと思う。

原宿にある明治神宮の森は、150年先に森がどうなるかまで見越して植樹されたらしいから森を作る技術というかものをかつての日本人は持っていたわけだ。それを聞いたとき「150年も先のことを当たり前に考えて木を植える、森づくりという技術は、実に大したものだよなぁ」とずいぶん感心した。

今みたいな時代にこそ、スカイなんとかツリーとかじゃなくて、そんなもん作ってどうするのよと思えるような、見上げるほど巨大な金ピカの大仏とか、鬱蒼とした森とかを大都会の真ん中に、信じられないほど巨額な金と才能を投入して作り始めたら、作り上げられてゆく光景を、朝な夕なに日本人は目にすることになる訳だから、意外にその光景だけで日本人の心は真人間になって希望を持つようになるのかも知れないと、そんなことを誰かが少し前に書いていたように思うけど、本当にそうかも知れないと、段々と自分も思わないでもないんだよねぇ。

それに世界だって日本人が突如として巨額の投資をして東京の都心のど真ん中に広大な森を作り始めたとか聞かされたら、当然、最初は散々にバカにするかも知れないけど、徐々に注目せざるを得ないようになるのかも知れないもんねぇ。と、このごろ日増しに思ったりするもんね。

聖武天皇が奈良の大仏を作った動機にも、蔓延する疫病が大きく関わっていたという最近の歴史家の話を聞けば、この新型コロナ禍の今ならば、ぼくらも実地に造立されて行く大仏に心癒され励まされる自分を発見するかも知れないよなぁ的なことを、なんとなく思うようになりますよね。と、いうところで、本日のお話は、おしまい。

(2021年10月20日 嬉野雅道)

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藤村でございますよ

前回に引き続きK-POPアイドルグループの番組を作った時のお話です。

あれは6年ほど前。

「BEE SHUFFLE(ビーシャッフル)という韓国人と日本人の混成グループが新曲を出すタイミングで番組を作ってほしい」というオーダーを彼らのマネージメント会社から受けまして。で、その番組は韓国のテレビ局MBCのミュージックチャンネルで流すのでMBCのスタッフと一緒に作ってほしいと、「ほぉーそれは面白そうだ」ということでソウルのMBCに向かいました。

Tシャツ姿で現れたミュージックチャンネルのトップはまだ40代でね、「スーツなんか着てると若い人が構えちゃうからいつもこんな格好です」なんって頭をかきながらにこやかに話してくれまして、もうその時点で意気投合。

打ち合わせもそこそこに「汚い店ですけど、カンジャンケジャン(ワタリガニの醤油漬け)の美味い店がありますからご案内します」と、そのフランクな姿勢にも好感触。

「うまいうまい!」とカニを食っていると「あなたの番組制作のパートナーとして、いま売れっ子の女性ディレクターと優秀なカメラマン、さらにアシスタントを日本に派遣しましょう」と言ってくれましてね。「ただし彼女はとても忙しいので3日間だけです」と、そんな条件を与えられました。

日本に帰り「さてどんな番組にしようか」と考えます。

番組の主題はアイドルグループ「BEE SHUFFLE」の新曲の売り出し。ならばいっそのこと新曲のPVを番組で勝手に作ってしまおう、そのメイキングをバラエティー風に仕上げていく、そうすればおのずと新曲の露出は増える。

さらに、せっかく韓国から優秀なディレクターとカメラクルーが来るのなら、ウチからもドラマや「原付日本列島縦断」を共に作った信頼のカメラマン・タケシと音声マン・ガッツを出して、韓国と日本、それぞれでPVを競作し、どちらが良いのか最後に視聴者にジャッジしてもらう番組というのはどうだろうか。

まさに日韓戦。これは伝統的に盛り上がる。

いや、ちょっと待てよ。

彼らのグループ名は「ビーシャッフル」。そもそもグループの構成自体が韓国人と日本人の混成。

そうか「シャッフル」ね。よしよし、ならば番組の撮影スタッフもシャッフルしてしまおう。つまり韓国から来る優秀なカメラクルーを私が使い、韓国のディレクターがウチのタケシとガッツを使ってPVを撮影するという変則技。

例えて言うなら、日本人の監督が韓国代表チームを率い、韓国人監督が日本代表を率いてサッカーの日韓戦をするような感じ。

言葉の通じない選手(カメラクルー)をどう使いこなすか?これこそまさにディレクターの力量が問われる戦い。いやー腕が鳴るじゃあないかぁー。

というわけで新曲「マジ★いいじゃん」を売り出す番組「マジ★しゃっふる⁉︎」の制作がスタートしました。

撮影が近づくと、番組内容を一切伝えていなかった韓国チームから「どのような機材を用意すればよいですか?」という問い合わせがありましたが、「あ、バラエティー番組ですから普通のテレビカメラでいいですよ」と答えておきました。

だってねぇ、韓国の巨大テレビ局MBCで音楽番組を専門にやっている彼らに「ミュージックビデオを撮影します」なんて言ったら、きっとものすごくカッコいい映像を撮れるカメラだの機材を用意してきますからね。こっちは日本のたかがローカル局。そんな機材が揃うわけがない。公平を期すためにも、ウチにあるENGと呼ばれる普段ニュース取材で使うようなカメラだけを用意させました。

ロケ地は真冬の北海道「星野リゾートトマム」。そこへ遠路はるばるやってきた韓国チームに番組内容を伝えます。

「日本対韓国でPV撮影の対決をします」
「ワォ!」
「ただし、日本と韓国のスタッフを入れ替えます」
「ん?」
「つまり、あなたが韓国から連れてきた優秀なカメラマンとアシスタントは、この瞬間から僕のものになります」

瞬時に企画を理解した女性ディレクターは笑ってましたけど、韓国のカメラクルー2人の困惑しきった顔は今も忘れませんね。

「え?あのおっさんの下に付くの?」みたいなね。

でもねぇ、撮影が始まるとやはりプロ。私がやりたいことを身振り手振りで説明すると、それを忠実に理解して撮影し、さらに「こんな映像はどうですか?」と積極的に提案をしてくれる。言葉は通じなくても映像で会話ができる。それはとても楽しい体験でした。

忘れられないのが、氷でできた家の中での撮影シーン。

「この氷の壁越しに左から右へゆっくりドリー(横移動)して」

そんな指示を与えました。通常であれば三脚の下に車輪を付け、そこにレールを敷いて車輪を滑らせれば見事な横移動のカメラワークが出来るんですが、もちろんそんな機材はない。重いカメラを肩に担いでゆっくり横歩きをしてみるけれど、やはりブレてしまう。すると韓国人カメラマンは手袋を外し、自分の手のひらを氷の壁の上に当て、その手の上に重いカメラを載せて、手をゆっくり横に移動させ始めたのです。

「いやいや!そんな素手で!せめて手袋して」
そう言うと
「いや、手袋をしていては滑りが悪くなりますから」と聞きません。

つまり、自分の手の体温で氷を溶かしながらゆっくり横移動すればカメラはブレないと、そういうことなんですね。しかし、カメラを載せるだけでも相当手の甲は痛いはずで、しかも手のひらは冷たい氷の上。でも彼は「これで一度チャレンジさせてほしい」と。その心意気にうたれて撮影をスタートするも、なかなかうまくいかない。でも韓国人カメラマンは諦めない。「もう一回!」「もう一回!」と、自ら編み出した「氷上素手ドリー」で、なんとか私の指示した映像を撮るためにがんばり続ける。何テイク目だったでしょうか、見事に思い通りの映像が撮れたときには、お互い抱き合って喜びましたよ。

「おまえはスゴイ!」って、彼のことを心からリスペクトしました。

一方の我がHTBが誇るカメラマン・タケシとガッツも、「どうせ藤村さんはお笑い路線でしょ」「ウチの監督はオシャレ路線ですから」ってな具合に私に冷ややかな目線を向けて、韓国の女性ディレクターに心を捧げていましたね。

えーまったくもって私のPVはバラエティー路線で、雪かきスコップをマイク代わりに歌わせたり、屋内プールで波にのまれながら歌わせたりと、好き放題アイドルをいじらせてもらいましたよ。

番組はもう今では見ることが出来ないんですが、2日で撮り終えたPVは今でもYouTubeで見ることができます。

「ビーシャッフル 藤村監督」で検索すれば出てきます。視聴者投票の結果は、はい!私が勝ちました!でもそんなことより、とても有意義な体験でした。今でも韓国のカメラクルーのことを思い出します。

(2021年10月13日 藤村忠寿)

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昨日はよく晴れていましてね。私は飛行機の窓際の席から窓の外を眺めていました。すると不意に雲の塊を抜け清流の河床の白砂が手にとるように見えたときのように、見る見る絹のような半透明の雲が切れていって下界がすぐそこに見えてきた。まったく、この世の風景というものは、空の上の高いところから見下ろすと、どうしてあぁも何もかもが美しく見えてしまうものなのか。それはもう見るたびにいつも思う不思議なのですが。おそらくきっと、見なくていいものを見ずに済んでいることと、いやつまり、普段、地上で我々が普通に近い距離から見ているこの世の細部なんか、もう空の上からは見えないし判別もつかないということです。そして、それとね、地上にいるときには人間たち銘々が主張したり、騒いだり、威張ったり、酷いことをしたりと目に余ることを見せられるものだと辟易していたけど、こんなに高いところまで舞い上がって空の上から見下ろしてみると、この地上全体がいっぺんに見下ろせてしまって、なるほど全体像としてしか眺められない。つまり全体を俯瞰してみれば、この世はものすごく調和が取れているんだと素直に受け取れて、しかしなぜ調和がとれて見えるのかは分からないまま、それでもそんなことより先に、眼前に広がる美しさに圧倒されて、いつまでも見てしまうのだろうと、私はぼんやり考えていました。


「たしかにそうです。思っているほど、この世界は悪くない」

ひょっとして、その思いをすっかり忘れたら、いつかバチが当たるかもしれないなぁ。そんなことを思っていたら、飛行機は早くも千葉県上空に差し掛かった様子で、大きく右旋回を始めました。

その視覚的変化は、まるで、「さぁ、ここからが見せ場だよ」と、そんなメッセージでも込めたような雄々しくも優雅な右旋回がゆっくりゆっくり始まったのです。

たしかに本船は、そろそろ羽田への着陸進路に入る時刻です。ならば、いまはおそらく房総半島の遥か上空。しかし窓から見る房総半島は、いまや半島とは見えず視界いっぱいに広がる広大無限の大地のようで、その先に徐々に左から穏やかな海が見えてきた。おそらくあれは東京湾でしょう。なんともダイナミックな風景です。

この距離で見ていると日本の大地も実に迫力があります。気づけば私も興奮していたのか、知らぬ間にずいぶん身を乗り出して窓にオデコをくっつけんばかり。

と、そのとき。私は視線の先に意外なものを見て、「あっ」と息を呑み、目を疑いました。

東京湾のその奥に黒々とした、ただ一点だけ地上から突き出ている巨大な山体が見えていたのです。

「アレは、富士山か」

山肌には未だ雪もなく、ただ黒々とした山体が荒々しく聳えていて、一瞬私はゾクりとしました。

房総半島の遥か上空から東京湾を挟み、遙か山梨方向にある富士山が、こんなにも大きく間近に見えるものなのか。この風景は葛飾北斎も見ることのできなかった光景です。広重もまた夢想だに出来なかった富士山の構図。眼福眼福。

こんなものが、私なんぞに当たりまえに見れてしまうこの現代、細かいことで文句を言っていてはバチが当たる。宇宙なんかに行かなくたってけっこう。私はこれで充分ですわ。いやぁ現代の浮世絵作家に描いて欲しい実にダイナミックな構図でした。

東京には月のうち幾度もくるんですが、昨日はいつもの新千歳空港からの便ではなく、函館空港からの便だったので、羽田空港への着陸進路が違っていたんでしょうか。このビューポイントは、こんどから注意して眺めていないと、これを見逃すのはあまりにももったいない。そうそう。昨日は私、右側の席に座っておりましたよ。

ということで、それでは諸氏。本日も各自の持ち場で奮闘願います。

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インターネットって、昔のことがそのまま残ってたりするからいいですよね。

 

私、もう10年近く前に韓国のアイドルグループの番組を作ったことがありましてね。

芸能事務所アミューズが韓国にも事務所を開設したころで、「CROSSGENE(クロスジーン)」という韓国人、中国人、日本人の混成グループをデビューさせようとしてまして。

アミューズの親しい取締役の方から、「藤やん、ちょっと彼らとなんかやってみてよ」という実にアバウトな発注を受けて、何度かソウルに通い、彼らと親しくなって、それで番組を作ることになったんですね。

ゴリゴリのバラエティー番組ですよ。

MCはチームナックスリーダー森崎博之。MCではあるけど、しゃべってるのはほとんどがディレクターの私で、そのあたりどうでしょうとまったく同じテイスト。出演者であるCROSSGENEのメンバーが何をするのかまったく知らないのもどうでしょうと一緒。

番組タイトルは「CROSS BATTLE」。6人のメンバーを3人づつのグループに分けて、真剣に対決させるというもの。

最初の舞台は真冬の北海道、ルスツ高原スキー場。ほとんど初心者の彼らが2時間練習しただけでスノーボードのレースをしたり、犬ゾリのタイムレースをしたり。翌日には真冬の海へ連れ出して、これまたまったく経験のないサーフィンで対決させたり。

続いて舞台を韓国に移して、釜山からソウルまで自転車レースをさせましたね。各チームひとりづつ交代で自転車に乗せて、あとのメンバーと我々は後ろの車からレシーバーで指示を送りながら撮影すると。これなんか「原付シリーズ」とまったく同じ手法ですね。みなさまならば違和感なく見ていられる画ヅラです。

ただまぁ異国での撮影となればいろいろと信じられないことが起こる。あれは、自転車レースのスタート直後でしたかね。アイドルが乗る自転車2台が一般道をすごい勢いで走り出し、激しいレースを展開する。後ろの車では私と森崎リーダーが実況しながら撮影している。

すると、ですね。その撮影車が2台の自転車を追うのをやめて、右折するんですね。

「えっ!えっ!どうしたどうした!」

当然、私とリーダーは騒ぎますよ。

「えっ?なに?え?ガソリン?」

車はガソリンスタンドに入ったんですね。

「えっ!今入れんの?今?ちょっと待てよ!」
「なにやってんだよ!先に入れとけよーっ!」

撮影してんのわかってるはずなんですけどね、ドライバーも。すごいですよね。日本のドライバーならあり得ない話です。でもこういうのが面白い。

あとは、山岳路のレースで上り坂がつらすぎて、アイドルが車の窓から吐きましたね。

「あ、サンミンが吐きました」

という仲間のアイドルの悲しい声が後部座席から聞こえましたね。

甘い物早食いもやりましたね。これもアイドルが吐きましたね。

そんなとても面白い番組なんですが、日本ではHTBの深夜で放送されだけで、メインは韓国のケーブルテレビでの放送。だからテロップも韓国語で作りまして。どうでしょう風にね。

みなさまならよくご存知の「出発」なんていうね、黒バックに白のゴシックでドドン!と出すあのテロップ。

それを編集で入れてたんですけど、韓国の放送局から「仮のテロップが入ったままだ」と言われまして。向こうのバラエティー番組のテロップって、とにかく派手ですからね。黒バックに白文字だけの質素なものだと「仮に入れてるだけのテロップ」だと思われたんですね。それで韓国の方が作り変えてくれたりして。

日本人のスタッフと韓国人のスタッフが、一緒に旅をしながら作った番組。

でもテレビで放送されることは二度となく、誰の目にも触れないまま消えてしまったんですけど。

インターネットを探してみると、いろいろと残ってるもんなんですねぇ。「CROSSGENE CROSSBATTLE」で検索してみてください。とても面白い番組だったんですよ。

K-POP好きの次女は、この番組で当時すっかりCROSSGENEのファンになりました。

それからも韓国とはつながりも多くて、韓国の政府から呼ばれてソウルで日本のテレビ事情の講演をしたり、韓国の有名なバラエティー「一泊二日」や「花よりお姉さん」を作った制作者の方と対談したり。先方は韓国語、こちらは日本語で、通訳を介しての対談だったんだけど、いつのまにか通訳なしで会話できるぐらいに「思いは同じ」で、とても嬉しくなりましたね。

で、韓国のアイドルグループの番組は、他にも1本作ってまして。

そちらのお話はまた次回の日誌で。

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どうで荘の住民の皆さんへ。こんにちは。嬉野です。


さて、この前のYouTubeライブでもチラリとお話ししましたが、先日、うちの藤村さんと埼玉のアイスアリーナに行ってきまして、最新のスタッドレスタイヤの威力というものを実地に氷上で体験してまいりました。

いいですよねぇこういう仕事って。だって北海道民としては滑る冬の道での車の事故は甚だ怖いですから、常々スタッドレスタイヤの信頼性は気になってしょうがないわけです。

そこへきて、その最新技術の実力のほどを、この身をもって知れるというわけですから、これは実に興味深い仕事です。

でも、このような北海道民のスタッドレスタイヤに対する関心の強さは、道外の皆さん、いえ、寒冷地以外にお住まいの皆さんにはイマイチ分かってもらえないことなのかしらと思うと、なんだか不思議でならないのですが、でも、それほど同じ日本にいても違う冬を生きてるってことなんでしょうね。ことほどさように寒冷地の冬は命懸けです。

とはいえ、冬にはまだしばらく間があります昨今のことですから、凍った道なんかどこを探してもありませんから、今回、スケートリンクに車を入れて走らせることになったわけでございます。

良いですよねぇ、スケートリンクで車を走らせる、なんて。なんとも非日常。それだけでもう派手にツルリと滑りそうに思えますし、いやいや、さすがに最新の技術力を見せつけられて驚くほどバキッと止まるのかもしれませんとも思える。いや、きっと止まるんでしょう。でも、どっちに転んだって体験する我々は大いに驚くだろうと思えば、気分は盛り上がります。

本当にねぇ、肩書きは相変わらずテレビディレクターですが、この頃は番組を作る仕事ではなく、何やら体験して驚くという、実に私の体質に合った仕事が増えてきて人生すこぶる有意義です。

で、今回、そんな我々に声を掛けてくれたのは、実際にスタッドレスタイヤを作っているタイヤメーカーさんなんで、平たく言うと我々は「タイヤの宣伝のため」に出向いたわけなんですね。

「なんだ宣伝かぁ。宣伝のときって多少は誇大に驚いてみせるんですかぁ?」

とか、皆さんの中には宣伝と聞いて反射的にそんなことを思われた方もおられるかもしれない。

ですが驚きというのは、あれは本心から「スゲェ!」と思うから思わずビックリして声が出てしまうわけで、それは、いわば魂の叫びですから、たんに「驚いたなぁ!」と大きな声を出してるってこととは、事情が違うわけです。

それが証拠に、心にもない驚きはすぐにバレてしまう。バレるような驚きでは見る人の魂に訴求しないから宣伝効果は期待できないわけで、我々としても仕事した意味がなくなるわけです。

そのことは「水曜どうでしょう」をご覧の皆さんならもう先刻ご承知のはず。それに、我々が本番で本心から驚けないようなら、それは我々自身が本番で楽しくなかったということにもなりますから、何事も楽しみたい我々としては、本番で正直に驚けるように何の予備知識も入れず詳しいことは本番までなんも知らん方が良いに決まってると信じて疑わないのです。だから、我々は打ち合わせをしたがらない。

しかし、この、打ち合わせをしたがらないというスタンスが、なかなか世間には伝わりづらいようで、先方に提案するたびに、先方の担当者さんは少し微笑まれて、

「ははは(^^)そうですか。さて、冗談はさておいて」。いや、けして冗談を言ったわけではないんですが、軽く笑顔であしらわれます。

きっと、本番を前に「打ち合わせはしません!」なんて、子どもみたいに抵抗する人は、世間には居ないってことなんでしょうね。

なので先方は、「( 何言ってるんだろうこの人たち)まぁ、とりあえず軽くご説明だけでも」と、ニッコリ切り出されるので、まぁそう言われたらこちらとしても大人ですから、「ならまぁ、とりあえず、軽く聞きますか」と、それ以上はごねずに話を聞いてしまう。

で、聞いていますとね、やっぱりスタッドレスタイヤに関するさまざまな重要情報がその打ち合わせの席でぞくぞく披露されますから、なにぶん初耳なことばかりな我々としては、「え? そうなの? マジで! 凄いねぇそれ!」と、ついついその場で前のめりに感嘆の声を上げてしまう。

で、そのたびに、「いかん。本番前に、既に驚きが漏れ始めている。なんて勿体ない」と、我々は、内心、大いに焦りはじめる。

そうしたときに、タイヤメーカーの開発の人が、「(これからスケートリンクの中で車を運転してもらわうわけですが、と前置きもされずに) 藤村さんはスケートリンクを車で走ったこと、あります?」とか、突然、真面目な顔で上手いボケとも思える発言をかまされるから、藤村さんも、うっかり、「はぁ?!スケートリンクで走ったことなんてあるわけないよ!なに言ってんだよ」と、相手をお客とも思わないような、実に気持ちのいいツッコミを入れてしまい、思わず打ち合わせの席で笑い声が上がって場が大いに沸いてしまう。

「あぁ!先生。あなた、そんな面白いツッコミは、ぜひ本番で言って欲しかった。いやぁ、今のはもったいない」と、私もいよいよ焦る。

「そうだよねぇ。いや、これねぇみなさん。やっぱり打ち合わせはやめましょう!じゃないと我々の新鮮な感動が、このまま、ここで無駄にどんどん出ちゃう」

でも、そんなこと言ったって、先方だってこれから本番でスケートリンクで車の運転をさせなきゃいかんから、事前に車に乗せて走行練習だってさせたいわけで、そこは引けない様子もあり、

「いや、でもスケートリンクで車を運転されるのは初めてなんですから、このあと事前に運転の練習をしていただく時間も充分に設けてありますので……その上で本番に」

「事前に練習?!!いやいや、事前に練習しちゃダメダメ。生まれて初めてスケートリンクで運転するなんて緊張感のあるシーンは、ぜったい未体験のままで撮っておかないと!」

「そうです、そうです。本番より練習のリアクションが面白かったなんて、そんな勿体ないこと絶対なしです」

「そう、そう。いや、練習が必要なら、練習してるところからカメラ回しましょうよ。練習の時間を本番でやっちゃえばいい。大丈夫です。そうすればなんの問題もない。とにかく、万事、撮りながら進めてゆきましょう。その方が我々も緊張するし、視聴者にも分かりやすい流れになります。正直なリアクションも撮れる。なので、事前に練習とか無しです」

ということで、我々はあっという間に打ち合わせをやめてしまい、あとは全部、ぶっつけ本番で、ということにしてしまったわけです。

だって、「水曜どうでしょう」のときだって、カメラのスイッチを切ったら、再度スイッチを入れてカメラが立ち上がるまでに5秒掛かるんですが。5秒ってね、短いようですが、面白いリアクションはみんな、この5秒の中で始まって、この5秒の中で終わってしまうんです。「水曜どうでしょう」で突発的に起きた事件の大事な部分は、ある意味、この5秒の中に全部入っていることが多い。正直に魂から出たリアクションって、そんな儚い時間の中で、おそろしく雄弁に躍動しながら消え去ってゆくんです。だからこそ、カメラのスイッチは切れない。魂のリアクションはいつ漏れ出ちゃうかわからない、それくらい油断禁物なものなのです。

と、ここまで信念を持って頑強に抵抗すると、さすがに先方も納得してくれますし、なにより先方としても、つい今しがた自分たちも打ち合わせの席で爆笑した経緯もあるわけですし、いや、それより何より、仕事先の人々とはいえ、今回の仕事相手は「水曜どうでしょう」好きの皆さんなので、「たしかに面白い部分がここでみんな出てしまうのは損かもしれない」と、うちの番組を思い出すのか「打ち合わせ無しで」という提案は、快く受け入れて貰えたわけです。

でもねぇ。この、打ち合わせ「やる、やらない」のせめぎ合いって、不思議ですよね。

つまり、世間の人は「上手くやる」ためにと思って本番の前に、打ち合わせや、練習をやりたがるんだけど、我々は「うまくやる」ために、何事もぶっつけで本番をやりたがるんですよね。

それって要するに、お互い「上手くやろう」とするときに、「何が一番うまいのか」という、見ているところが違ってるってことですよね。

我々は常より、宣伝とは、人と人とのコミュニュケーショを阻害している「心の垣根」を突破した果てにある、正直な驚きの共有であって、それが唯一、人々を共感に結びつけるのだと、信じているわけです。

その正直な驚きが、あらゆる人間の人間関係の垣根を突破して人の心のヒダに弩ストレートに訴求してくる。だからその場で他人の共感を得るには、魂の叫びを正直に発出させて、見る人の心に訴えかけるしかないと、そう我々は信じるわけです。

ならば本日の仕事を上手くやるためには、「我々が本心からビックリする」よう、本番までの状況を保持していかなければならない、となるわけです。なので、我々はこの一点にピークを置いて、「打ち合わせはやめましょう」と言うわけです。

我々「水曜どうでしょう」は、創業よりこのかた25年、各自、オノレに正直一途でやって参りました。

正直がコミュニュケーションの基本です。

そして、タイヤを作った側の心理だって、「良いねえ!」という自信作が出来たから、その実力を広く世間の人々に「共感」してもらいたいから「宣伝」したいと思ったわけです。

我々は驚き、素晴らしさを評価することにおいては"人後に落ちない"自信があります。だからこそ、2度は驚けないと警戒するのです。

つまり、我々は自分の限界を知っているということです。

新鮮な驚きというのは2度はできない。その人間としての限界を知っているから、事前にいろいろ説明され、知らされてしまうことを恐れるのです。

結局、驚きというのは、自分が、体験の中で得た発見なのかもしれません。そこで何かを発見したから驚く。だから言葉になる。発見には、発見の悦びがあって、だからその興奮が見る者にも伝わってしまうのだと思うのです。

かつて深夜バスに毎晩乗るうちに、我々は深夜に走るバスに乗って夜を明かすという不思議な体験を繰り返し、おそらく、そこに何かを発見したんでしょうね。でも、その何かを最初に言葉に出来たのは、大泉洋だったのだと思います。

「もうね。寝れないんだよ。オレたちバスで寝れないんだよ……違うんだよ、本番はねぇ、寝てるときなんだよ。寝れないんだもん」

そう、大泉洋がカメラを持つ私の左手を掴んで揺すりながら発した、あの壇ノ浦SAでの興奮と驚きの伝達力は、彼が、わけもわからず乗せられ続けた深夜バスでの無為の時間の中で、「深夜バスに乗りすぎると、眠いのに寝れないんだなんて、なんてバカバカしいんだろう」という、あまりにも予想外な発見の悦びだったのだろうと、私は思うのです。

驚きとは、きっと発見した悦びを言葉にして、その言葉以上のものにして全身で発出することを言うのです。

嘘のない驚きとは、実に、そうしたものなのだと、私は思うわけです。

そして、あのとき、その嘘のない驚きと悦びの中で大泉洋が言葉にしてくれた、「寝れないんだよ!オレたち」という言葉に、ぼくらは激しく心を奪われたと思うのです。

その共感は、広くテレビを見ていた視聴者の胸さえも震えさせてしまったのです。そして、「あぁ、オレだって、バカバカしい深夜バスに乗ってみたい!」と、図らずも思わせてしまった。

そのとき深夜バスの価値は、「移動するもの」から「体験するもの」へと変えられてしまっていたのです。

正直な魂の叫びとは、このように人の心のひだに激しく訴求して人を狂わせるということなんでしょうね。

話が長くなりましたけど、こうして今回の企画は本番を迎えたわけです。ですが結論から言いますと、最新のスタッドレスタイヤの威力のほどは、やはり驚くべきものでした。

近頃のスタッドレスタイヤは本気で止まります。ツルツル路面なのにブレーキが効くのです。なぜだ!と思うほどに。そして氷の上でもドライバーに安心感を与えてくれる技術の進歩に我々はなんだか驚いた。

ということで、これらの驚きのイチイチは、今後YouTubeで是非ご確認いただき、共感していただこうと思います😊どうぞよろしく。

では、諸氏。
本日も各自の持ち場でよろしく奮闘願います。解散。

(2021年9月22日 嬉野)

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藤村でございます。


今期のドラマで面白かったのは、TBSの日曜劇場「TOKYO MER」でしたねぇ。鈴木亮平さん演じる喜多見医師が素晴らしかった。

もうね、毎週とんでもない事件事故が起きるわけですよ。立て篭もり事件だの爆発事故だの崩落だの、しまいには爆破テロまで発生して東京は常に緊急事態ですわ。

そんな緊迫した現場に救命医療の専門チームMERが手術室を装備した特殊車両で駆けつけるわけですよ。

そん時の喜多見医師の振る舞いが素晴らしい。

血まみれで倒れてる人に向かって、若干の笑顔を浮かべてですね、

「どうも医師の喜多見ですぅー」

まずは自己紹介から入るわけですね。

「お名前教えていただけますかぁー、ちょっと触りますよぉー、どこか痛むトコありますかぁー、大丈夫ですよー、すぐに治りますからねぇー」

実に落ち着いた口調でずっと語りかけるんですね。

とはいえ、患者さんの意識は徐々に遠のいて心肺停止になる。もう危篤状態。それでも喜多見医師は口調を変えないんですね。

「○○さぁーん、戻ってきてくださぁーい、奥さんとお子さんが待ってますよぉー、わたしの声聞こえてますかぁー、がんばりましょうねぇー」

手はガンガン動かして心臓マッサージしながらも口調はまったく変えない。

「戻ってきてくださいよぉー」

ガンガンにマッサージして、そしたら蘇生するんですね。

「よくがんばりましたねぇー、もう大丈夫ですよぉー」

そりゃね、現実はそんなに上手いこといかないのは分かってますけど、でもねぇ、もし私が患者だとしたらですよ、遠のく意識の中で、

「おい!早くしろ!何やってんだ!バカヤロー!」

みたいなね、医者の焦りまくった怒号が飛び交うのを聞いたらですよ、

「あぁ、もういいですよ」

と、諦めちゃうような気がするんですよね。そんな緊迫しまくった場所には戻りたくないと、思っちゃうかもしれない。

でも喜多見さんがね、

「藤村さぁーん、大丈夫ですよー、早く戻ってきてくださいねぇー、そろそろ新作もやるんでしょうー、みんな待ってますよぉー」

そんなことを笑顔で言われたら、

「あーそうでしたぁー、わかりましたぁー」

と、やっぱり生還するような気がするんですよ。いや、たとえ生還できなかったとしても、安らかに逝けるような気もするんですよね。

あの口調は、どなたかモデルとなったお医者さんがいるのか知りませんけど、でもきっといますよね、そういうお医者さん。

プロですよね。

「トンネルの崩落事故が発生。MERの出動を要請します」
「MER了解しましたぁー」

「命を守る」という使命に突き動かされて事故現場に急行する喜多見さん。凄惨な現場は二次災害の危険もあって、安全が確認できるまでは待機を命じられる。でも喜多見さんは迷わず突っ込んでいくんですね。当然、止められますよね。

「勝手なことをするな!おまえまで巻き込まれたらさらに被害が拡大するだろ!」

正論ですよね。ヒーローを気取ってんじゃないよと。おまえが巻き込まれたらまたそれを助けに行く人員が必要になるだろうと。周りが迷惑するだろうと。でも喜多見医師は行くんですね。

「ここで待ってたら、救える命も救えませんから」

つまり「命を守る」ために「命をかける」わけですよね。おかしな話ですよ。「見ず知らずの他人の命の方が自分の命よりも大切」ってことでしょう?なんかよくわかんなくなってきますよね。ただカッコつけたいだけなんじゃないかとしか思えない。

でも、そうじゃないんですね。

これが「使命」というやつですね。生きている間に「命を使ってやること」なんですね。命を犠牲にしてるんじゃなくて、使ってるんです。

「自分の命にかえてみんなを守る!」みたいな、そんなヒーロー気取りの精神論じゃなくて、「自分は医者だから命を助けるために生きているんです」というシンプルな考えですね。

とはいえ、自分の使命感だけで動かれたらたまらない。現場では警察や消防と衝突しますけど、やがてその「使命」というシンプルな考えに突き動かされて、それぞれが自分たちの使命の元に動き出すわけですね。最初は反発していた警察も消防も厚労省も命を吹き返したように動き出す。

このドラマで言いたかったのは、命は大事というのは当然のことだけれど、じゃあなんのために生きているのか?ということの方が大事でしょう、ってことだと思うんですよね。緊急事態だからこそ、なおさら響いたドラマでしたね。

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夏の終わりの赤とんぼ(水曜更新D陣日誌:嬉野)

どうで荘の住民の皆さまこんにちは。大家の嬉野です。ただいま、千歳空港へ向かう電車の中でこれを書いていますが、今日も窓から見える北海道の風景は爽やかです。それでも札幌は今年の夏、連続20日間も気温35℃に迫るような、蒸し暑い、道民としては経験のない猛暑に襲われました。


いつもの夏であれば我が家のようなマンションの上層階は窓から風がビュービュー吹き抜けますからクーラーなんか要らないのに、今年は窓を開けてもちっとも風が入ってこない。そして蒸し暑い。耐えがたい暑さ。仕方ないから押し入れから扇風機をひっぱり出して、幾分冷たいフローリングの床に身体を投げ出し背中を冷やそうと仰向けになり、扇風機の温い風を受けながら、「あぁ、そうだ。そういえば」と、まだ私が子供だった頃の九州の夏を思い出したのです。

「あの頃、つまり今からもう50年近く前になるけど、あの頃の九州の夏って、そういえば、暑いと言ってもせいぜいこんな程度の暑さの夏だったよなぁ」と。

つまりクーラーなんかなくても扇風機でなんとか凌げるような夏だったということです。それなのに昭和初期に少年時代を過ごしたうちのおとうさんは『夏の気温が30°Cにもなるなんて聞いたことがない!この頃の日本の夏は、おかしい!』と、戦後の高度経済成長に伴う気候変動に大いに嘆いていたなぁということを、不意に懐かしく思い出したわけです。ということは、あの頃の九州の夏なんて、今年の札幌の夏より遥かに暑くなかったということになるじゃないですか。なんだか振り返れば全てが嘘みたいです。

でもそうかぁ、そうだよなぁ。だってあの頃は、日本中のほとんどの家にはクーラーなんてついてなかったし、それなのに誰も熱中症にもならずに、「暑い、暑い」とボヤきながら、かき氷を食う程度でやっていけてたんだよなぁ。

それを思えば、あれから世の中は順調におかしくなり続けっぱなしで、今じゃ北海道以外の地域じゃあクーラー無しでなんか生きていけないほどの暑い夏になってしまっており。その異常な暑さが今年とうとう北海道にまで上陸してきてしまった、ということになるのかぁ、いやはやオソロシい。

中でも私が今年の猛暑で驚いたのは、札幌の公園の草があちこちで枯れていたことです。

連日暑すぎて、雨も降らなさすぎて、本来なら生命がはびこるほど太陽エネルギーが横溢するはずの夏に、その暑さで草が枯れるなんて!それはそれは驚きの光景でした。だって干し草みたいに枯れてたんですよ雑草が。

でも。そんな暑かった夏もやっと終わったようで。このところ札幌では、涼しい日が続いております。

私は毎朝、我が家のワン公を連れて近くの公園まで散歩に出るのですが、その公園の枯れていた草もこのところの気候の落ち着きで、勢いを盛り返し、近頃また草の緑が茂ってまいりました。

昨日は、赤とんぼも飛んでましてね、ワン公と公園にいましたら、1匹だけ飛んできて、ぼくらの目の前のベンチに「よっこらせっと」みたいな感じで、少しだけ不器用そうに、とまったんです。ちょっと赤いシッポの短い、小ぶりの赤とんぼでした。

「あ、この赤とんぼ、2日ほど前にも、この公園にいたやつじゃないか」

あのときも、こいつは1匹でやって来て、公園の入り口の杭のところで、うちのワン公がオシッコしてたら、それが終わるまで待つように、何処にも行かずにずっとフォバリングしてて、オシッコ終わってうちのワン公がどいたら「あ、やっと空いたぞ」みたいな感じでね、「よいしょっと」と、杭の上にちょこんととまってほっとひと息つけた様子を見せ、どことなく満足気だったのです。そのあいつが(まぁ違うやつかもしれませんけどね)今日も公園でひとりで遊んでるんだと思いましたらね、なんとなく微笑ましくて。

でも、辺りを見回しますと、そいつ以外に赤とんぼがいなくて。ひょっとして、北海道の赤とんぼの時期は、早くも終わったのかしらと思いましたら、目の前のこいつのことが少し心配になったんです。

どんな生き物にも生まれてくるタイミングって、あるんですよね。ちょっとだけ遅いタイミングで生まれちゃうとね。「ワーイ!」と、生まれてきたのに、もう仲間が1匹もいなくなったあとでね、自分だけひとりみたいなね、ことってあるんですよ。

昔、バブルが弾けた東京で、私もフリーでしたから仕事もなくなって、仕方ないから伝手を頼って新宿で発掘のバイトをしてたことがありました。まぁ、発掘のバイトと言ってもやることは土方でしたよ。デリケートな発掘は専門家の連中がやりますから、私らは穴を掘って土やら石くれやらを運んで、みたいなことばかりでした。

なんか、大型店舗を建てるときには、必ず、遺跡が埋蔵されていないことを確認してからでないと建てられないと法律で定められているらしく、なんで、そういった発掘のバイトが発生するんですね。私の現場は新宿のJRの南口のそばでした。そこには高島屋が建つのだとのことでした。今からもう30年も前のことです。

とにかく発掘現場は私たちが毎日掘っていますから、至る所が穴だらけです。そこへ秋の長雨が降りますから、あっちこっちに水溜りが出来る。これが都会の昆虫たちには都合が良かったらしく、どこで噂を聞くのか、赤とんぼが大量に飛来して、水溜りの周りで羽を休めておりましたねぇ。

とにかく彼らにとって生きている時間というのは、恋をする相手を見つけて交尾して卵を産んで自分の遺伝子を繋ぐことですから、それはもう毎日盛大に繋がった赤とんぼが現場の空を飛んでおりましたから実に賑やかでした。

でも、そんな赤とんぼ大量発生の賑やかな光景も、それが毎日のこととなると不思議なもので人間は興味を失うのか、目の当たりにしているのに、まったく意識に留めなくなる。

あるとき、仕事の手を休めたときに、水溜りに1匹の赤とんぼがやってきて、ポツンとまるのが目に入る。

「お、赤とんぼだ」

と思う。そういうときって、あんなにいた赤とんぼが、もうすっかりいなくなって久しいときなんですよね。意識に留めないことも、無意識は常に見てるんでしょうね。だから赤とんぼがいなくなって久しいことを無意識は知っている。そこへ、おくれて時期外れに1匹だけ赤とんぼが飛来してくるから無意識は違和感を持つ。すると、その違和感に意識も触発されて、人は赤とんぼに目を向ける。なんか、そんな順番があるんですよ。

だから、そんなとき、ふと辺りに目をやると、あんなにいた赤とんぼがすっかりいなくて、水溜りにやって来たそいつだけになっていることに気づくんです。

そいつは、せっかく生まれて来たのに、恋もできず、自分の遺伝子も次へは繋げない。でも、そんなことも知らずに無邪気に飛んでるんです。なんとも寂しい光景なんですけど。でもね、ぼくはわりと好きなんです。そういう寂しいのはね。

なんか、人間っぽく見えるんです、はぐれ者の赤とんぼがね。おそらくぼくにとって人間って、ひとりぼっちっていうのが、イメージの根底にあるのかもしれませんね。だから1匹だけで飛んでる赤とんぼに人間臭さを重ねてしまう。だって、タイミング悪く出遅れて生まれて来て、ひとりぼっちなんて、良くてね。赤とんぼ自身も事情が分かってないから、ポツンとなわりに呑気にしてるところが可愛いのですよね。

あいつは無為に生きて無為に死ぬんだろうけど、でも、そこにも生きてる甲斐があるように思えるんです。

きっと、多くの生き物が無為に生きて、無為に死んでいるような気もするのです。だから、きっとそんな人生にも生きている甲斐はある。そんなふうに思うから、1匹だけで遊んでる赤とんぼに共感するんでしょうね。

今日はなんか、そんな、とりとめもないお話でした。そろそろ羽田空港に着陸します。

それでは諸氏。本日も各自の持ち場で奮闘されますように。

 

これまでの日誌アーカイブはどうで荘にございます。

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高梁に行ってきました(水曜更新D陣日誌:藤村)

藤村でございます。

日本全国の知られざる美味いもんを私が藤村が実際に現地で取材をし、独断でセレクトしたモノをお届けする企画の第二弾が決定しました。

この企画の目玉は「希望者には事前にその美味いもんの実物をお送りする」ところにあります。

希望者の皆さんに届けたあとに、YouTube「どうでそうTV」で生配信を実施。

私の説明を聞きながら、嬉野さんと一緒に実物を味わうことができるという企画でございます。

今回の産地は「岡山県高梁市」。私、まったく知らない町だったんですけれども、相当に文化度の高い町、ポテンシャルの高い町で驚きました。

ここで見つけた美味いもんをセットにしてご紹介します。

中身は事前に一切、お知らせしません。「それでも構わん!」「むそろその方が楽しみ!」という方のみ発注してください。

あ、ひとつだけ言っておきましょう。今回は日本酒が入っています。

こちら「どうで荘」の入居者の方は、9月6日の一般発売に先駆けて9月1日12時から先行発売いたします。セット数には制限がありますので、売り切れ次第終了となります。

世にも珍しいこの試み、ぜひ体験してみてください。

セットの申し込みは下記からどうぞ!

 

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