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どうで荘

藤村でございます。


今期のドラマで面白かったのは、TBSの日曜劇場「TOKYO MER」でしたねぇ。鈴木亮平さん演じる喜多見医師が素晴らしかった。

もうね、毎週とんでもない事件事故が起きるわけですよ。立て篭もり事件だの爆発事故だの崩落だの、しまいには爆破テロまで発生して東京は常に緊急事態ですわ。

そんな緊迫した現場に救命医療の専門チームMERが手術室を装備した特殊車両で駆けつけるわけですよ。

そん時の喜多見医師の振る舞いが素晴らしい。

血まみれで倒れてる人に向かって、若干の笑顔を浮かべてですね、

「どうも医師の喜多見ですぅー」

まずは自己紹介から入るわけですね。

「お名前教えていただけますかぁー、ちょっと触りますよぉー、どこか痛むトコありますかぁー、大丈夫ですよー、すぐに治りますからねぇー」

実に落ち着いた口調でずっと語りかけるんですね。

とはいえ、患者さんの意識は徐々に遠のいて心肺停止になる。もう危篤状態。それでも喜多見医師は口調を変えないんですね。

「○○さぁーん、戻ってきてくださぁーい、奥さんとお子さんが待ってますよぉー、わたしの声聞こえてますかぁー、がんばりましょうねぇー」

手はガンガン動かして心臓マッサージしながらも口調はまったく変えない。

「戻ってきてくださいよぉー」

ガンガンにマッサージして、そしたら蘇生するんですね。

「よくがんばりましたねぇー、もう大丈夫ですよぉー」

そりゃね、現実はそんなに上手いこといかないのは分かってますけど、でもねぇ、もし私が患者だとしたらですよ、遠のく意識の中で、

「おい!早くしろ!何やってんだ!バカヤロー!」

みたいなね、医者の焦りまくった怒号が飛び交うのを聞いたらですよ、

「あぁ、もういいですよ」

と、諦めちゃうような気がするんですよね。そんな緊迫しまくった場所には戻りたくないと、思っちゃうかもしれない。

でも喜多見さんがね、

「藤村さぁーん、大丈夫ですよー、早く戻ってきてくださいねぇー、そろそろ新作もやるんでしょうー、みんな待ってますよぉー」

そんなことを笑顔で言われたら、

「あーそうでしたぁー、わかりましたぁー」

と、やっぱり生還するような気がするんですよ。いや、たとえ生還できなかったとしても、安らかに逝けるような気もするんですよね。

あの口調は、どなたかモデルとなったお医者さんがいるのか知りませんけど、でもきっといますよね、そういうお医者さん。

プロですよね。

「トンネルの崩落事故が発生。MERの出動を要請します」
「MER了解しましたぁー」

「命を守る」という使命に突き動かされて事故現場に急行する喜多見さん。凄惨な現場は二次災害の危険もあって、安全が確認できるまでは待機を命じられる。でも喜多見さんは迷わず突っ込んでいくんですね。当然、止められますよね。

「勝手なことをするな!おまえまで巻き込まれたらさらに被害が拡大するだろ!」

正論ですよね。ヒーローを気取ってんじゃないよと。おまえが巻き込まれたらまたそれを助けに行く人員が必要になるだろうと。周りが迷惑するだろうと。でも喜多見医師は行くんですね。

「ここで待ってたら、救える命も救えませんから」

つまり「命を守る」ために「命をかける」わけですよね。おかしな話ですよ。「見ず知らずの他人の命の方が自分の命よりも大切」ってことでしょう?なんかよくわかんなくなってきますよね。ただカッコつけたいだけなんじゃないかとしか思えない。

でも、そうじゃないんですね。

これが「使命」というやつですね。生きている間に「命を使ってやること」なんですね。命を犠牲にしてるんじゃなくて、使ってるんです。

「自分の命にかえてみんなを守る!」みたいな、そんなヒーロー気取りの精神論じゃなくて、「自分は医者だから命を助けるために生きているんです」というシンプルな考えですね。

とはいえ、自分の使命感だけで動かれたらたまらない。現場では警察や消防と衝突しますけど、やがてその「使命」というシンプルな考えに突き動かされて、それぞれが自分たちの使命の元に動き出すわけですね。最初は反発していた警察も消防も厚労省も命を吹き返したように動き出す。

このドラマで言いたかったのは、命は大事というのは当然のことだけれど、じゃあなんのために生きているのか?ということの方が大事でしょう、ってことだと思うんですよね。緊急事態だからこそ、なおさら響いたドラマでしたね。

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夏の終わりの赤とんぼ(水曜更新D陣日誌:嬉野)

どうで荘の住民の皆さまこんにちは。大家の嬉野です。ただいま、千歳空港へ向かう電車の中でこれを書いていますが、今日も窓から見える北海道の風景は爽やかです。それでも札幌は今年の夏、連続20日間も気温35℃に迫るような、蒸し暑い、道民としては経験のない猛暑に襲われました。


いつもの夏であれば我が家のようなマンションの上層階は窓から風がビュービュー吹き抜けますからクーラーなんか要らないのに、今年は窓を開けてもちっとも風が入ってこない。そして蒸し暑い。耐えがたい暑さ。仕方ないから押し入れから扇風機をひっぱり出して、幾分冷たいフローリングの床に身体を投げ出し背中を冷やそうと仰向けになり、扇風機の温い風を受けながら、「あぁ、そうだ。そういえば」と、まだ私が子供だった頃の九州の夏を思い出したのです。

「あの頃、つまり今からもう50年近く前になるけど、あの頃の九州の夏って、そういえば、暑いと言ってもせいぜいこんな程度の暑さの夏だったよなぁ」と。

つまりクーラーなんかなくても扇風機でなんとか凌げるような夏だったということです。それなのに昭和初期に少年時代を過ごしたうちのおとうさんは『夏の気温が30°Cにもなるなんて聞いたことがない!この頃の日本の夏は、おかしい!』と、戦後の高度経済成長に伴う気候変動に大いに嘆いていたなぁということを、不意に懐かしく思い出したわけです。ということは、あの頃の九州の夏なんて、今年の札幌の夏より遥かに暑くなかったということになるじゃないですか。なんだか振り返れば全てが嘘みたいです。

でもそうかぁ、そうだよなぁ。だってあの頃は、日本中のほとんどの家にはクーラーなんてついてなかったし、それなのに誰も熱中症にもならずに、「暑い、暑い」とボヤきながら、かき氷を食う程度でやっていけてたんだよなぁ。

それを思えば、あれから世の中は順調におかしくなり続けっぱなしで、今じゃ北海道以外の地域じゃあクーラー無しでなんか生きていけないほどの暑い夏になってしまっており。その異常な暑さが今年とうとう北海道にまで上陸してきてしまった、ということになるのかぁ、いやはやオソロシい。

中でも私が今年の猛暑で驚いたのは、札幌の公園の草があちこちで枯れていたことです。

連日暑すぎて、雨も降らなさすぎて、本来なら生命がはびこるほど太陽エネルギーが横溢するはずの夏に、その暑さで草が枯れるなんて!それはそれは驚きの光景でした。だって干し草みたいに枯れてたんですよ雑草が。

でも。そんな暑かった夏もやっと終わったようで。このところ札幌では、涼しい日が続いております。

私は毎朝、我が家のワン公を連れて近くの公園まで散歩に出るのですが、その公園の枯れていた草もこのところの気候の落ち着きで、勢いを盛り返し、近頃また草の緑が茂ってまいりました。

昨日は、赤とんぼも飛んでましてね、ワン公と公園にいましたら、1匹だけ飛んできて、ぼくらの目の前のベンチに「よっこらせっと」みたいな感じで、少しだけ不器用そうに、とまったんです。ちょっと赤いシッポの短い、小ぶりの赤とんぼでした。

「あ、この赤とんぼ、2日ほど前にも、この公園にいたやつじゃないか」

あのときも、こいつは1匹でやって来て、公園の入り口の杭のところで、うちのワン公がオシッコしてたら、それが終わるまで待つように、何処にも行かずにずっとフォバリングしてて、オシッコ終わってうちのワン公がどいたら「あ、やっと空いたぞ」みたいな感じでね、「よいしょっと」と、杭の上にちょこんととまってほっとひと息つけた様子を見せ、どことなく満足気だったのです。そのあいつが(まぁ違うやつかもしれませんけどね)今日も公園でひとりで遊んでるんだと思いましたらね、なんとなく微笑ましくて。

でも、辺りを見回しますと、そいつ以外に赤とんぼがいなくて。ひょっとして、北海道の赤とんぼの時期は、早くも終わったのかしらと思いましたら、目の前のこいつのことが少し心配になったんです。

どんな生き物にも生まれてくるタイミングって、あるんですよね。ちょっとだけ遅いタイミングで生まれちゃうとね。「ワーイ!」と、生まれてきたのに、もう仲間が1匹もいなくなったあとでね、自分だけひとりみたいなね、ことってあるんですよ。

昔、バブルが弾けた東京で、私もフリーでしたから仕事もなくなって、仕方ないから伝手を頼って新宿で発掘のバイトをしてたことがありました。まぁ、発掘のバイトと言ってもやることは土方でしたよ。デリケートな発掘は専門家の連中がやりますから、私らは穴を掘って土やら石くれやらを運んで、みたいなことばかりでした。

なんか、大型店舗を建てるときには、必ず、遺跡が埋蔵されていないことを確認してからでないと建てられないと法律で定められているらしく、なんで、そういった発掘のバイトが発生するんですね。私の現場は新宿のJRの南口のそばでした。そこには高島屋が建つのだとのことでした。今からもう30年も前のことです。

とにかく発掘現場は私たちが毎日掘っていますから、至る所が穴だらけです。そこへ秋の長雨が降りますから、あっちこっちに水溜りが出来る。これが都会の昆虫たちには都合が良かったらしく、どこで噂を聞くのか、赤とんぼが大量に飛来して、水溜りの周りで羽を休めておりましたねぇ。

とにかく彼らにとって生きている時間というのは、恋をする相手を見つけて交尾して卵を産んで自分の遺伝子を繋ぐことですから、それはもう毎日盛大に繋がった赤とんぼが現場の空を飛んでおりましたから実に賑やかでした。

でも、そんな赤とんぼ大量発生の賑やかな光景も、それが毎日のこととなると不思議なもので人間は興味を失うのか、目の当たりにしているのに、まったく意識に留めなくなる。

あるとき、仕事の手を休めたときに、水溜りに1匹の赤とんぼがやってきて、ポツンとまるのが目に入る。

「お、赤とんぼだ」

と思う。そういうときって、あんなにいた赤とんぼが、もうすっかりいなくなって久しいときなんですよね。意識に留めないことも、無意識は常に見てるんでしょうね。だから赤とんぼがいなくなって久しいことを無意識は知っている。そこへ、おくれて時期外れに1匹だけ赤とんぼが飛来してくるから無意識は違和感を持つ。すると、その違和感に意識も触発されて、人は赤とんぼに目を向ける。なんか、そんな順番があるんですよ。

だから、そんなとき、ふと辺りに目をやると、あんなにいた赤とんぼがすっかりいなくて、水溜りにやって来たそいつだけになっていることに気づくんです。

そいつは、せっかく生まれて来たのに、恋もできず、自分の遺伝子も次へは繋げない。でも、そんなことも知らずに無邪気に飛んでるんです。なんとも寂しい光景なんですけど。でもね、ぼくはわりと好きなんです。そういう寂しいのはね。

なんか、人間っぽく見えるんです、はぐれ者の赤とんぼがね。おそらくぼくにとって人間って、ひとりぼっちっていうのが、イメージの根底にあるのかもしれませんね。だから1匹だけで飛んでる赤とんぼに人間臭さを重ねてしまう。だって、タイミング悪く出遅れて生まれて来て、ひとりぼっちなんて、良くてね。赤とんぼ自身も事情が分かってないから、ポツンとなわりに呑気にしてるところが可愛いのですよね。

あいつは無為に生きて無為に死ぬんだろうけど、でも、そこにも生きてる甲斐があるように思えるんです。

きっと、多くの生き物が無為に生きて、無為に死んでいるような気もするのです。だから、きっとそんな人生にも生きている甲斐はある。そんなふうに思うから、1匹だけで遊んでる赤とんぼに共感するんでしょうね。

今日はなんか、そんな、とりとめもないお話でした。そろそろ羽田空港に着陸します。

それでは諸氏。本日も各自の持ち場で奮闘されますように。

 

これまでの日誌アーカイブはどうで荘にございます。

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高梁に行ってきました(水曜更新D陣日誌:藤村)

藤村でございます。

日本全国の知られざる美味いもんを私が藤村が実際に現地で取材をし、独断でセレクトしたモノをお届けする企画の第二弾が決定しました。

この企画の目玉は「希望者には事前にその美味いもんの実物をお送りする」ところにあります。

希望者の皆さんに届けたあとに、YouTube「どうでそうTV」で生配信を実施。

私の説明を聞きながら、嬉野さんと一緒に実物を味わうことができるという企画でございます。

今回の産地は「岡山県高梁市」。私、まったく知らない町だったんですけれども、相当に文化度の高い町、ポテンシャルの高い町で驚きました。

ここで見つけた美味いもんをセットにしてご紹介します。

中身は事前に一切、お知らせしません。「それでも構わん!」「むそろその方が楽しみ!」という方のみ発注してください。

あ、ひとつだけ言っておきましょう。今回は日本酒が入っています。

こちら「どうで荘」の入居者の方は、9月6日の一般発売に先駆けて9月1日12時から先行発売いたします。セット数には制限がありますので、売り切れ次第終了となります。

世にも珍しいこの試み、ぜひ体験してみてください。

セットの申し込みは下記からどうぞ!

 

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エアキャラバン目前(D陣日誌:藤村)

「バッタもん」って、まぁいわゆる「正規ではないニセもん的なモノ」なんですけど、私はかねがね「商魂逞しくてそれはそれで良し!」って、思っているんですよね。

だって、そもそも「水曜どうでしょう」自体が、バッタもんの気質で作ったものですから。

ヨドバシで買ってきたデジカメをヒョイと持って、渡航目的は「観光」と書いて、海外に行く。

飛行機内で「すいません、カメラを回されてますけど、テレビですか?」と聞かれて、嬉野さんが堂々と「いいえ」と答えてやり過ごす。

そうやって撮ってきたものが「水曜どうでしょう」という番組なんです。

キー局とは違って「どうせ北海道の番組なんて見てないだろ」という田舎モンの、それを特権として堂々と行使していたからこそ出来た番組なんです。

それがいつしか全国的に知られる番組となり、コンプライアンスなんていう横文字に従うような世の中になると、各方面から「アレは許可取ってんですか?」「そこはちゃんとやっとかないと問題になりますよ?」というご意見、ご忠告を頂戴するようになりました。

でも、私と嬉野さんは「ですよねぇ」と真顔で頷きつつも、受け流して悪びれないところに、この番組の生命線があると、我々は確信しているんです。

今や公式行事となった「キャラバン」も、元は同じ考えで、正規の「祭り」で売れ残ったもんを口八丁手八丁で売りつけてやろう、というやましい商魂から始まったものです。

とはいえ、グッズ販売を取り仕切っている野口店長が「売れ残り商品」と言ってしまってはお客さんに対してハクがつかない。だから「水曜どうでしょう公式グッズ」と銘打って値下げもせずに販売をしている。それはもちろん正しいやり方です。

でも、我々制作陣としては、やはり「バッタもん精神」は、そこに頑なに残しておきたい。

「水曜どうでしょう」が、いつのまにか「公式」を謳うような存在になったのなら、我々制作陣は自分たちでそれを壊していく存在になろう。

そんな思想で開店したのが「バッタ屋」です。

ということでね

「いやいや、よくわからんけど」

という人は棚に上げて、さぁ!今回のエアキャラバンで売るバッタ屋商品、ご紹介しましょう!

まずはTシャツ。

胸に一本のボーダーが入ったTシャツを作りたいと思って、こんなん作りました。

ボーダーは、水平器をモチーフにしております。


そこに大きく「平」の文字。上下左右に「水平」「平岸」「赤平」そして「平和」と。

 

なんとなーくメッセージを込めつつのTシャツを作りました。

タレントの肖像も使ってないし、ロゴも使ってない。だけど番組を想起させるデザイン。バッタ屋の真骨頂です。

お次はマフラータオル。

 

一見、なんの記号かわからないでしょ?

コレ実は、アイルランドに行った時に乗っていたレンタカーのナンバープレートです。それをマフラータオルにしました。

今回作ったのはこのふたつの商品。

モデルは、バッタ屋商魂に賛同してくれている「黒色すみれ」のおふたり。

そして、今まで作った歴代のバッタ屋商品を無造作に詰め込んだ福袋ならぬ「赤字袋」。

もう儲けにはならないんだけど、倉庫に置いといたってしょうがない売れ残り商品を詰め込みました。「それでもいい」と、引き取ってくれる人がいたらぜひ買ってください。

もうひとつ

赤平の森で作業の合間に描いた「ヒゲビエ」のマスク。

これらを今回のエアキャラバンで売ります。「公式グッズの他にもこんなんあるよ」ということで紹介しました。

29日日曜日、エアキャラバン開催です。

公式グッズ共々、よろしくお願いします!

 

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昔から私には、気に入った料理に出くわすと、そのお店に頻繁に通ってしまう癖がありまして。

つまりその、ある日ひょっこり入った店で、ものすごく好みの味の料理に出くわすと、それが食いたいばかりに同じお店に通い詰めてしまうところが若い頃からあり、頻繁にその店を訪れては毎回同じ料理ばかりを注文して帰る客となるわけです。 

そうすると、お店の人にわりと顔を覚えられてしまう。そりゃそうでしょう。でも、そんなに通ってくれる客ですから、お店の方としては憎からず思うんでしょうね。

ある日、いつものように、いつもの料理を頼もうと、いつもの店に入った私のテーブルに、頼みもしないサイドメニュー的な料理が運ばれてくる的なことがある。

「え? なに? なに?」と訝しく思う私に、「お店からサービスです」と、ウェイターさんがニッコリされる。

これが困る。うれしくない。だって私は食いたい目当ての料理があるんですから。そのために通ってるんですから。それ以外の料理は別に食いたくない。

なので、私としては、どんだけ通おうが、いつもの料理を食わせていただくことだけが常に念頭にあるだけなので、それ以上、私が望むことは、ない。

でも、そこへ「サービスです」と、私が求めてもいない料理が運ばれてくる。

私は「え?」と思って、戸惑い、まったくうれしくないんだけど、状況的に「あら、ありがとう」とニッコリ笑って食わなきゃいけない空気をお店の全従業員の皆さんからの視線に感じてしまう。これが負担です。

でも、仕方なく食べたところ、これがビックリするほど美味ければ、「なにこれ! 美味いよ! やっぱり凄いねぇこの店は!」と、私も正直に興奮して、更にその店を尊敬してしまうでしょうね。

いや。それだったら良いんですよ。そういう展開だったら、あえて頼みもしない料理を出してきたのは店側の自信の現れだったかと分かりますから。であれば、私もね、もっぱら自分の不明を恥じ入ればいいだけのことですから。

ところが、出てきた料理が、どういうわけだか「どーでもいいような味」だったりするんですよ。

だから、そうなると私もね、「え? この店の店主はどうしてこんな料理をわざわざ私に食べさせたかったのだろう?」と、謎が謎を呼ぶんですよ。

でも、サービスだと向こうは言っている。

だからサービスは厄介。

だからサービスってなに?と、私は考え始めるわけですよ。

だって、客の私にとってのサービスは料理が美味しいこと、それだけですよ。だって料理屋なんだからね。でもその上でね、まだ客にやってくれようとする気持ちがお店にあるのなら、ただ、客としての私の気持ちに寄り添ってもらいたい。そうであるならば、そのサービスは本当にありがたいと思えるのです。

アメリカ映画に「月の輝く夜に」というのがあってね、ニコラスケイジがまだ若い頃に主演したラブコメ映画なんだけど、この映画にニューヨークの下町にあるイタリア料理屋が出て来てくる。この映画には、そこで繰り広げられる、いろんな馴染み客と従業員たちとが交わすエピソードが紹介されて、それが楽しい。

ある夜のこと、大学教授ふうの五十代の紳士と、女子大生ふうの若い女の子がテーブルを挟んで、一見、楽しげに座ってたんだけど、突然、女の子が席を立つなり、その大学教授ふうの紳士の顔にコップの水をぶちまけて「あんたなんか最低よ!」と捨て台詞を残して去っていくわけです。

さぁ大変。紳士はもう、店中の客の注目の的です。

まぁ、女子大生ふうのお嬢さんにしてみれば、その紳士は、悪いオヤジだったんでしょうね。でもまぁ、そのことは2人の大人の話だから、立ち入ることではありません。

だから話はそっちへは行かない。あくまでもそのお店の中での話となる。

と、そのとき、一人でテーブルに残されて、水でびしょびしょになった紳士が手を挙げて給仕さんを呼びつけるんです。紳士は、甚だ不愉快になってますから、語気鋭く「ウェイター!」と呼びつける。

で、私はね、そのあとの店側の対応が面白くて、未だに思い出してはホッコリする。

店内で今一番注目を浴びていたお客から「ウェイター!」と呼びつけらたわけですから、もちろん給仕さんも委細承知。足早に飛んでいきましたね。そして、もちろんたった今起こった事が事だけに、給仕さんの顔の表情はニヤニヤ笑ったりはしない、あくまでも真面目いっぽう、厳粛な面持ちです。

そして、どこまでも低姿勢で、ここはあくまでも下僕として客にかしずくために、かしこまった感じを出して、あえて、しゃっちょこばった感じで速やかにテーブルに参上する。

すると、水浸しになった紳士は、今や頭から湯気が立ち上らんばかりに怒っており、「いいか!たった今、このテーブルからあの女の痕跡を消してくれ!」と、言下に給仕に厳命する。

すると給仕さんは、無言のうちにも「かしこまりました!」と言わんばかりの顔つきとなり、素早くテーブルを拭き終わると、さらに持っていたナプキンに力を込めて、それでバッタンバッタンテーブルを叩きまわって、そのあたりに残っていたであろう、くだんのお嬢さんの香水の残り香やら埃やらを、もうもう、いっさいがっさい吹き飛ばす勢いで、紳士の無念の気持ちに応えようとする。その給仕さんの風情に感じ入ったか、紳士は、一言、「酒!」と叫ぶ。すると給仕さんは風のように去っていき、ほどなく紳士が所望した酒を持ってくる。給仕さんは、「本当にご災難でしたね」と、言葉にはせずに、終始、物腰と振る舞いだけでその気持ちを客に伝えて去っていく。

私はそのシーンを見て「あぁ、これがサービスだよね」と、うれしくなって感嘆の声を上げました。こんな店があって欲しい。あるんだったら私も常連になりたい。

だって、ここまで顧客の味方になってくれるなんて。ここまで客のわがままに付き合ってくれる料理屋なんて、良いなぁ〜〜と心の底から思ったのです。

きっと、こんな店にはマニュアルはないんですよ。あるのは店のオーナーが全従業員に厳命した一言でしょう。

「いいか諸君。全力で顧客に寄り添いたまえ」

これだけが上司の命令。だから寄り添い方は、それこそ現場スタッフ各人が考え続けてたどり着くことになる。

考える、思いやる、この実地の訓練が大事。世界までは救えないけど、とりあえず顧客を救います。

そういう店、きっとあるはず。そんなお店に、いつか出会う日を夢見て、今日も健やかに生きていこうと思う所存であります。

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藤村でございます。

昨日12日に保健所から電話があり、体温と体調の簡単な質問を受けて「すべて問題なし」ということで本日13日、妖精の世界から現世に戻ってきました。

あれはもう今月初めのことでしたね。

YouTubeのスタッフに陽性反応が出たということで、その日の夜にWOWOWの「電波少年W」生出演があったので「一応検査を受けとこう」と、以前一度利用したことがある羽田空港内の検査施設に行ったら予約してないとダメってことで、急ぎネットでいろいろと調べましてね、都内某所の雑居ビルの中にある医院に行ったわけですね。

これが8月2日の午前中のこと。

夜までに検査結果が出ないといけないんでね、最短2時間で結果のわかるクイック検査ってのをやったんですよ。3万ですよ!3万!でもしょうがないですもんね、WOWOWさんに「一応検査しときました。ちゃんと陰性でしたぁー」ってすぐに言ってあげなきゃいけないですからね。

でまぁ検査を終えてですね、回転寿司で昼メシ食ってたんです。そしたら2時間も経ってなかったんじゃないですかね、ふとスマホを見たら病院からメールと見知らぬ電話の着信があったんですね。

「おー、んー?」と、やや予感めいたものもありながらメールを開くと

PCR検査の結果は【陽性】でした。

ビシッと書いてあるわけですね。ゆっくり二度見しましたもんね。

「おぉ?んー?ん!」みたいなね。

回転寿司を切り上げて着信のあった番号にかけると検査を受けた病院の院長さんが出ましてね、その方がどうでしょうの大ファンで私も救われましたね、あんまり深刻にならなかったというか。

とりあえず10日程度の療養になると思います。
詳しくは保健所からこの番号に連絡がいきますけど、ただもう今、保健所も大変で、なかなか連絡も来ないみたいなんで、まぁとりあえずお待ちいただくということで。

とまぁそういうことらしくて、とりあえず連絡待ち。そして「電波少年」のスタッフにメールを入れました。検査の結果は陽性でしたと。向こうは慌てたでしょうね。いやそりゃ慌てますよ。その日の生放送まるまる「どうでしょう特集」でしたからね。なんなら翌週も「どうでしょう特集」の予定で、つまり2週分が吹っ飛ぶわけですから。

でもまぁ今日の生放送はとりあえずzoomとかでなんとかなるんじゃないか?と思ってたんですよ。だってあの番組、そもそもクロマキーで顔だけくり抜かれてトークしてるわけですからね。「んなに変わんないだろ」と思ってたんです。ところが「収録中に症状が急変することも考えられる」と、「無理はさせられない」と、WOWOWさんの判断がありまして、番組内容の全面的な変更になると連絡がきましてね。「いやぁー土屋さん大変だこれは」と、思いましたけど、でも一方で「いや土屋さんだから大丈夫か」と、妙な安心感もありましたね。

ただ問題は「電波少年」の生放送で、番組内容が変更になった理由を言わないといけない、つまり私がコロナになったことを番組内で言わなきゃいけないってことですね。

すぐさま今度は会社から電話がありまして、午後8時の「電波少年」の放送前にHTBから発表をすると。実名報道ということになるけど大丈夫か?と。

いやもう、大丈夫なんですよ。とにかくこっちはまったくの無症状でしたからね。いつも通り、普通なんですよ、私自身はね。

だからどっかで他人事のような感覚があったんですよね。そんなに騒がなくてもと。

ところが、周りの人たちはそうではない。特に家族は心配するわけです。奥さんは特に。こっちは東京で陽性になったので札幌に戻ることができない。奥さんの心労たるや相当なもので、むしろそっちの方が心配になるぐらいで。

私だって最初の2日ぐらいはドキドキしてましたよ。メールを開けばとにかくみんなが「急変するらしい」「急変するんだ」「そしたら大変なことになるんだ」と、口を揃えて言いますからね、こっちも怯える。

でも3日目ぐらいからこの状況に疑問を持ち始めましたね。「なんかちょっと」と。それからのことは日誌に書いてきた通りなんですけど。


そして今、

こうして10日間の妖精生活を終えて思うのは、

「あまりに無為な日々だった」

ということ、でしょうか。


そう思ったのは「無症状だった」ということがやはり大きいんでしょうけど、でもこれはつまり「ほとんどの人と同じ症状」ってことですよ。

私はたまたま必要に迫られて検査をした結果「陽性」という反応が出た、ということで、わかりやすく生活を制限されましたけど、誰もがこの1年以上、真綿で締め付けられるように生活を制限されているのは同じです。

そして常に「コロナになったら、症状が悪化したらどうしよう」という不安を突きつけられて生活しているのも同じです。

その「不安」というものが、本当に「危険を避けるために必要な不安」ならいいんだけど、正直もう「本当にそこまで危険なのか?」って思い始めている。「いろんなことを犠牲にしてまで必要な不安なのか?」って。

奥さんが取り乱してしまうほどの不安を感じたのは、私の症状とは関係なく、コロナになったら死んでしまうと、いろんなところで言っている、からです。

奥さんにとっては、そんな世間から与えられた不安に包囲された10日間だったでしょう。

そして私にとっては、自分が隔離されたことでこの危険なウィルスを社会に広げることなく、みんなの安全を守った、とはほとんど思えなくて、ただもう釈然としない感じですね。体も精神も休まらなかったし、また太ったし、という。

ただ数ヶ月は抗体ができたと、いうだけのことですね。



さぁ、まもなく札幌に着きます。

藤村の妖精日誌、これにて終了です。

まずは、東京より断然美味しい回転寿司に行こう!

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藤村忠寿から届く日誌を毎日更新しています。
これまでのアーカイブはどうで荘にございます。

 

 

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8月11日も終わりまして、ようやく明日で10日間の療養、というか経過観察が終了いたします。

こんなに長く感じる10日間はこのところ経験したことがないですねぇ。

遠い昔、小、中学校のころは1週間が長かったですけどね。

嫌いだったからですね、学校が。

あのころ、土曜日の昼が一番好きでした。当時は半ドンってのがあったんですねぇ。学校からの帰り道は楽しくて、家に帰ると吉本新喜劇がやってて、昼ごはん食べてっていう、あの時間。

で、心が沈むのが日曜日の夜8時。よく覚えてるのは中村雅俊の「俺たちの旅」っていうドラマでね。あれが始まると週末の終末がやってきて、就寝時間の9時近くになると、「たぁーだぁーおまえがいいぃー」っていう中村さんが低音で歌い上げるエンディングテーマが流れて、なんか当時は意味のわかんなかった「青春とは」的ないい雰囲気の言葉がテロップで流れるとですね、私の心はアルマゲドン、世界の終わりでしたね。

そんな「日曜夜は世界の終わり」という「週末終末」状態は、中学までずっと続いてました。

あの年代って、なんていうか、論理が通じないというか、真面目な話をしても通じないじゃないですか。特に我々の世代って校内暴力全盛期ですから暴力がモノを言うというか。それが嫌だったんでしょうね。

高校になると終末感は少しなくなり、大学時代はまったくなくなり、でも就職したての新人のころ、東京支社に勤めていた時はまた1週間が長く感じるようになって、10年ぶりの「週末終末」の気運に支配されるようになりましたね。

仕事が嫌だったんですよね。

でね、そんな人生2回の「週末終末期」に、私は共通したあることに没頭しているんですね。

それは魚類の飼育。

週末終末第一期の小中学時代、私は金魚の飼育に熱中しておりました。金魚すくいで取ってきた和金とかじゃなくて「らんちゅう」とか「土佐金」とか、愛好家が飼育するような観賞魚。クラスにテラダくんとサトーくんという愛好家仲間がいて、休み時間に彼らと好きな女子の話ではなく好きな金魚の話をするのが最上の楽しみでしたね。

それから10年後の週末終末第二期、就職したての東京時代、没頭したのが熱帯魚。水槽の中に水草を植えて景観を作り出すアクアリウムってやつですね。横長の90センチ水槽を「カージナルテトラ」が群泳する。そんな風景をニヤついて見てましたもんね。

で、それ以降の私の人生からは「週末終末」は消え去って、今では「週末」という概念すらなくなっているんですけど、実はその後にですね、もう一度だけ魚類飼育熱が復活した時期があるんです。

あれは多分「どうでしょう」のレギュラー放送を終えたころだと思うんですけど、魚類飼育では最も難しい海水魚と珊瑚に凝りだしたんですね。あ、ちょうど「ファインディング・ニモ」のころだと思います。いろいろと失敗を繰り返しながら、ネジリンボウっていうハゼとデッポウエビが共生するような水槽を作って、夜はずっとそれを眺めてました。

水槽での魚類飼育ってのは難しいんですけど、ちゃんと調べて手をかけてやると自然界に近い環境が出来上がるんです。つまり「自分で作り出すことができる」ってことです。

子供のころは、学校で自分の思うようにはいかなくて、20代のころは、会社で自分の思うような仕事が出来なかった。逆に自分がそれぞれの環境に合わさなければならなかった。

そして、どうでしょうを終えてDVDを作り始めたころは、会社やそのほか関連するところとの話が自分の思うようにはいかなかった。なかなか理解が得られなかった時代です。

そんな時に、自分で作り出すことができる世界に没頭していたんでしょうね。

うん、今になってわかりました。

と、いうのもですね、この妖精生活、前半はオリンピックを楽しみに見てたんですけど、もうひとつ、ずっと熱心に見てるものがあるんです。

それはYouTubeの「熱帯魚飼育」の動画でして。自分では別に意識してなかったんですけど、今こうして考えると、「なるほどなぁ」と納得できるんです。

自分ではどうすることもできない状況から、自分でどうにかすることができる世界の方へと、意識を持っていこうとしてたんでしょうね。自浄作用と言いますか。知らず知らずのうちに。

札幌に帰ったら熱帯魚をやりたいなぁと思ってますけど、まぁできないでしょうね。家を留守にすることが多いですから水槽の面倒を見られないし、なにより今はいろんなことが自分の考えでできるような状況になりましたからね。

そして明日でこの「どうにもならない状況」は、とりあえず終わりますしね。

さ、いよいよ明日、何もなければ妖精生活終了です。

深夜0時。
体温36.8度
血中酸素濃度96
もうね、ずーっと正常。

以上でございます。

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8月9日が終わりましたね。

今日の日誌はもうね、たわごとだと思って聞いて下さいね。



あのねぇー、もうねぇー、ほんとにダメだよぉー、こんな無為な日々。

きのうオリンピックの閉会式でさぁー、パリのエッフェル塔の前にものすごいたくさんの人が集まってるのを見てさぁー、そうだよねぇー、そういうことだよねー、みんな生きてんだもんねぇー、って思っちゃったよー。

もうさぁ、日本に住む我々は明らかに引っ込みのつかないところに来ちゃってるんだろうなぁ。

とにかくゼロに近くなるまで意地でも続けるんだろうなぁ。じゃないといろんなとこの知事が立場なくなっちゃうだろうからなぁ。

多くの政治家は「もういいでしょう、そろそろ」って思ってるのに、誰も言い出せなくなってるような気がするなぁ。

だったらせめてもう、人を恐怖で脅して縛り付けるのはやめてほしいなぁ。

やっぱり恐怖政治は民衆を手っ取り早く奴隷化するんだろうなぁ。

ほんともうねぇ、早めに決断しないと、人間としての暮らしが崩壊しちゃいそうな気がするんだよなぁ。

このままだと3年目に突入しちゃうよ?んなことになったら友達の顔をほとんど見ないまま中学や高校、終わっちゃうんだよ?

それでいいわけないでしょう。

このままじゃ、さらに人間の生命力が弱くなるような気がするんだよなぁ。

てことで、まだまだ生命力の強さを持ってるおじさん、本日も体調よろし!

くぅーっ!あと3日かぁーっ!

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藤村でございます。

妖精生活5日目が終了しました。

2週間前も10日間、青森酸ヶ湯温泉の6畳間にこもって湯治生活をしておりました。

朝5時過ぎには起きて風呂に入り、午前中は八甲田山中を歩き回ってまた風呂に入り、湯上がりには万年床に寝転がり、それを一日中繰り返して、5日目ともなると、肌がヒリヒリして顔が荒れて、でも心は日に日に落ち着いて晴れやかになってくる。

八甲田の山の上に、僕が勝手に天国と名付けた場所がありましてね。晴れ渡った空に向かってウグイスが高らかに歌い、風が混じり気のない空気を運んできて、それを思い切り吸い込んで、目の前にある山々をただ「いいなぁ」と何度も呟きながらしばらく眺めている。たったそれだけで、なんとも幸福な気持ちになってくる。

そうかそうか、これだけで充分じゃないか。

なんだよ、これだけでいいんじゃないか。

そうなふうな、納得をするんですよね。自分でね。

こんな世の中にならなければ、10日間も湯治をするなんて思わなかったし、赤平での野鳥生活もしなかっただろうし、これはある意味「コロナの恩恵だな」と思っていたら、今度はまさにコロナ禍の真っ只中に送り込まれることになって。コロナの渦(うず)の中に巻き込まれて、まさに渦中の人。

こうなるともう、心は乱れ、不安の中に身を置くしかなくなってくる。

ウグイスの声も聞こえない、風も感じない、空は晴れても気持ちは晴れない。

そうやって渦中に入ったからこそ、逆に見えてくるものもある。

一番はね、「ウィルスとは違うところで心がやられてしまう可能性も高い」っていうことですね。

これから渦中の人は、どんどん増えてくる。でも実際には、僕のように無症状だったり軽症だったり、という人の方がその多くを占めている。

そういう、いわゆる妖精さんに対する心のケアというのが、実はとても大事だと。

たいした症状もないのに「療養」という無為な日々を過ごすことは、どっちかと言えばウィルスよりも自分との戦いがメインになってくる。気持ちが弱まれば免疫力も下がる。ウィルスはそこを抜け目なく突いてくる。たとえウィルスは撃退できても心の病にかかってしまう可能性も高い。

だから、決してふさぎ込んではいけない。

妖精なってしまった人には、先輩としてこう言いたい。

「気持ちで負けるな」と。

いいですか、考えてみればこんな戦いは、日々、自分の身に起こっていることです。サラリーマンは一歩外に出れば常に戦場。そこをかいくぐり、これまでなんとかやってきたんだから、その図太さで乗り切っていけばいいんです。

渦中の人になるとまず、

「聞きました。陽性だそうですね。大丈夫ですか?」

こんなメールが次々と送られてきます。

それは、

「聞きましたよ!得意先と揉めたらしいですね。大丈夫ですか?」

と同じようなものだと思って下さい。

「今は良くてもで突然悪化するみたいですから、とにかく気をつけてください!」

これも次々に送られてきます。

それは、

「今は良くても業績は突然悪化しますから気をつけて下さい!」

こう読み取りましょう。

サラリーマンにとってこんなことは日常茶飯事です。

「んなこと言われたって、なっちまったもんはしょうがねぇべや」

と、思っていても、サラリーマンたる者

「まったく困っていますが、弊社としましても全力で業績向上の努力をして参りますので、今後とも是非ご指導下さい」

と、その程度の心ないコピペの文面でやり過ごすぐらいの心持ちで対処しましょう。

「本当に弱っているんです」と、真に受けてしまうと本当に弱ってしまいますからダメですよ。

「落ち着いたらまたゴルフでも」

ぐらいの社交辞令を返すぐらいでいいんです。

私は落ち着いたら、また八甲田に行きたいなと思ってます。10日間の湯治のあとは、3日程度の湯治をまたやれば、その効果はさらに持続するらしいですからね。

そして、あの天国のような場所で、思いっきり空気を吸い込んでやるんだ。

本日の体温36.4度。
血中酸素濃度97。
体調まったく変化なし!

以上!

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藤村忠寿から届く日誌を毎日更新しています。
これまでのアーカイブはどうで荘にございます。

 

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藤村でございます。

もう30年も前の昔話なんですけどね。
大学生のころ、心理学をやっている先輩から心理テストに答えてくれと、まぁ被験者ですね、頼まれていくつかの質問に答えたんです。後日その結果を聞いたら、藤村君はせわしなく動き続ける人で、どっちかというと早死にするタイプ、みたいなことを言われた覚えがあるんですね。

動き続けてないとイヤなのはその通りで、その結果として生物学的に寿命が短くなる、というのであれば、それはそれでしょうがない。逆にそんなこと言われて寿命を長らえるために、自分が好まない行動様式で注意深く一生を過ごす、というのは、どうにも本末転倒というか、あまりに「生きることの方を軽んじてる」としか思えないんですよね。

早かろうが遅かろうが事実として、命は尽きるんですよ、誰だってね。それはもう自分ではどうしようもない。

でもね、生きてる間は自分でどうとでもなる。なにをするのも自分の意思で決められる。生きてる間はずっと「自由」があるわけですよ。

であれば、

「この自由を目一杯享受することが生きることの根本」

だと思うんです。

でもこの「自由」ってのが実は厄介で、誰しもが「じゃあなにをすればいいのよ?」って考えることになる。「生きる意味」とか、そういう思想的なものですよね。で、考えるんだけど、そこに正解なんてないから、だからとりあえず学校を卒業したら就職して結婚して、あとは老後のことを考えて、みたいな、その時代の一般的な生き方に、こう、沿って生きていくわけだ。私だってそうです。

言ってみれば「生きる自由を自分で限定していく」わけだよね。レールを敷くというか。その方がやっぱり生きやすいからさ。その時代の一般的なレールに乗れば「おれの生き方正解」と、乗れなきゃ「努力が足りなかった」と、自分を納得させられるわけだし。でもね、そうやって生きていくと、いつしかこう思うわけです。

「自由になんて生きられないんだ」と。

自分で自由を手放しておいてだよ?そう思うんだよね。

一方でさ、「じゃあなにをすればいいのよ?」っていう、正解のない答えをずっと探してしまう人もいるよね。「自由であるが故に道が見つけられなくて不自由な自由に溺れてしまう」という感じかなぁ。それが深くなってしまうと精神が耐えきれなくなってしまいますよね。

まぁいずれにしたって面倒くさいわけですよ、「生きる自由さ」っていうのはね。

それでね、世間ではとりあえず「生きる意味云々」の面倒くさい話は置いといて、じゃあ人類共通の、誰が聞いたって「そりゃそうだ」と納得するような、わかりやすい指標みたいなものはないのか?と、考えるわけですよ。で、ピッタリなものがあるわけです。

「命は大切」

っていう。

なんかちょっとここまで話してきてこの言葉を出されると

「んなの当たり前だろ!」

って思うでしょう?そりゃあ誰も反論しないですからね、堂々と言ってのけることができる。

でもこれって「思想」でもなんでもないですよね。

「いや、そういうことじゃないんだよ」と言いたくなりますよね。誰もが一度は必死に考えた「自由に生きることとは?」という問いの答えには全くなってないんだから。

だってさ、自殺しようとしてる人に「命は大切」って訴えたってなんの効果もないでしょう。彼は生きる意味を見出せなくて自ら溺れているんですよ。その人に向かって必死に「溺れるな!死んじゃうぞ!」って叫んでるだけのことですからね。そんなのは何の助けにもならない。

そういう人には、生きるための浮き輪のようなものを投げてあげないと。

丸い浮き輪が一番いいんでしょうけど、それがなければ四角でも三角でも、棒切れでもなんでもいいから、少しでもその人がしがみつけるような何かを投げてあげないと。

それがつまり、正解のない中で、それでも「自分なりに考えた生きる思想」みたいなものじゃないですかね。「よくわかんないけど、おれはこう思う」っていうね。

それって結局、自分自身が溺れそうになった時にしがみつくものだから、生きる自由さを手放して生きている多くの人たちだって、実は胸の奥底に持っているはずなんです。はっきり言葉では言えないけど、生きている限り自分の中に存在するはずの「思想」ですよ。

でもね、普段はみんな頭を空っぽにして、顔だけは真剣にこう言うんです。

「命は大切」って。

これさえ言っておけば当たり障りなく、批判されることもないし、自分の身に何か起こらない限りうまくやっていけますからね。

ところが、です。

今はその「何か」が起きているんですよね。

国家が「緊急事態」と宣言してるんですから、これは大変なことです。

にもかかわらず、です。

相変わらず言ってるのは、

「命は大切」
「命を守る」

という通常勤務の標語です。これを少し切羽詰まった表情で、いくらか声量を上げて叫んでいるだけの状態です。

そしてその通常勤務の目標をそのまま緊急事態にも当てはめて、「命は大切だから」「命を守るため」に、生きている全ての人の行動様式を制限し、変えているわけです。

飲食店を始めとする働く人々に、「今は命を守るため」という誰も反論できない標語を使って、いとも簡単に彼らの生き方の自由を奪っている。

それが短期間なら誰も文句は言わない。むしろ「当然です」と協力するでしょう。でもこれがもう1年以上続いている。

「いい加減にしてくれないか!」と思うのは当然です。

にも関わらずこう言い続けるんです。

いいですか?あなたが勝手なことをすると、ホラ見て下さい、こんなに苦しむ人がいる。あなただってこうなるんですよ。こうなったらご家族とも会えませんからね。おとなしく家でじっとしてて下さい。

大切な命を守るために、今は自由に生きることを犠牲にして下さい。それは当たり前のことですから、と。

そうやってこれからも「命は大切」という標語だけで押し通そうとするのなら、感染者0、死亡者0にならない限り、全員の生き方を制限し続けることになります。

しかし、そこに「生きることとは?」という「思想」があれば、別の判断を下すこともできる。選択肢は一気に広がる。でもその「思想」に正解はないから、間違うこともある。でもね、誰かが思想を語らない限り、我々も思想を語れない。「生きることの方を軽んじている」状況がずっと続いていく。

欧米諸国が感染者を増やしながらも試行錯誤している底には、その国家の生きる思想が見えてくる。

日本はどうだろうか。

妻は、学生時代に「藤村君は早死にするタイプ」と冷静に言ったくせに、取り乱して「もう会えないなんていやだ」とメールを寄こし、「大丈夫だよ」と返せば涙を流す。

自分も体温を測るたびに「もし上がっていたら」と緊張する。目に見えない、体にも感じない、そんなものを相手にただ漠然とした不安の中で時間が過ぎるのを待つだけ。

私から見れば、みなさんも同じ状況です。「あなたも油断するとこうなりますよ」と、いつも脅かされている。

これからも、我々の生きる自由を制限するのであれば、もう「命は大切」という標語ではなく、あなた方の「生きる思想」を聞かせてほしい。

政治家でも医療を統率している人でもいい。

「あなた方が胸の内に秘めている浮き輪を投げてほしい」

そう、切に願うのです。

なんの思想も、思いもないところに、生きる自由を制限されて閉じ込められていることに、なんともやりきれなくなるんです。

とはいえ、本日も体調よし。
体温36.7度。
血中酸素濃度97。

以上!
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藤村忠寿から届く日誌を毎日更新しています。
これまでのアーカイブはどうで荘にございます。

 

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藤村でございますです。

あの、いつも通る帰り道があるんですけどね。

その道は舗装されてなくて、ちょっと雨が降ればすぐにぬかるんでしまうような黒土の道で、都会の中でそこだけ自然に囲まれた、雰囲気的にはちょっと薄暗いアフリカみたいな、そんな道があるんですよ。

そこを歩くといろんな生物が横から飛び出してきましてね、それに当たるとゲームオーバーみたいなルールをですね、自分で勝手に作って歩くんですけどね。

昨日の夕方、ちょっと買い物に出まして、帰りにその道を歩いてたら茂みにトラがいたんですよ。気付かれないようにそーっと歩いて「よしよしクリア」と、安心してたら今度は正面からトラがやってきて目が合ったんです。「ヤバい!」と思って戻ろうとしたら、さっきの茂みに隠れてたヤツが出てきて挟み撃ちになりまして、道を外れて走って逃げたんです。そこにちょうど岩場があったんでフリークライミングみたいに素早く岩をよじ登って、高さ2メートルぐらいですかね、岩の隙間に体を入れて、下から襲ってくる2頭のトラを久保のシュート並みにこう、足で蹴り出して必死に撃退しようとしたところで目が覚めましたね。

あのね、実際に足は動いてました。ベッドの横の空間を蹴ってました。ビンビンに足伸ばして。でもスペイン戦の反動でしょうかね、いくら蹴り込んでもトラに当たらないんですよ。で、思いっきり蹴っている最中に「あ」って短い言葉が出て現実に戻りましたね。

あれでしょう、途中から

「藤やん、なにを言ってんだ」

「あーもう意識が朦朧としてきてるぞ」

「早く誰か助けに行かないと」

と思ったでしょう。

違うんですよ。寝る前に「インセプション」って映画を見てたんです。デカプリオさんと渡辺謙さんが出てる「他人の夢に忍び込む」っていうSFチックな映画ですね。それとジャングルのトラとアフリカとオリンピックが混ざったんですね。

ホント他人の夢なんて「で?な話」ですから、わざわざ書く必要はないんですけど、この10日間は、その日思ったことをなんでも書いていこうと思ってますからお付き合いください。

だってそれぐらいしかやることないんだもん。

でね、まだ妖精になって3日なんですけど、妖精から見るとこのコロナ騒動ってのが、どうにも釈然としない、ということを今日あたり思い始めているんですよね。

このことは、もう少し自分の中で整理されてからちゃんと書こうと思いますけど。

なんていうか、

人間(あなた)にとって大事なことはなにか?

という、最も根元的な部分を、未知のウィルスみたいなものに対しては、改めてみんなが見つめる必要があるんだけど、こんだけ大騒ぎしてるのに、そういう面倒くさい思想の深層には行きつかない、行き着こうともしない、というところに釈然としない、という感じなんです。

はい、本日の体温36.7度

血中酸素濃度96

藤村、体調問題なし。

以上。

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藤村でございますよ。

保健所から連絡がありまして、検査で陽性と判断された日から10日間、発熱などの症状がなければ、その日で療養終了とのことで。

2日に検査しましたから、つまり12日ですね。

それまで何か症状に変化があれば24時間対応のサポートセンターに電話をする。何もなければ12日に再度電話しますから、それにて終了と。

その後は再度検査する必要もありませんと。

割とあっさりしてましてね。そのあっさりぶりに逆に安心させられましたね。

なんだかんだで不安になりますからね。みんな心配してるし。ちょっと混乱もしてるし。

だから自分は自分にできること、体温と血中酸素濃度を定期的に測定して、あとはネットもニュースも見ない。

とにかくオリンピック!

そんなふうに自分をコントロールしてますね。

いやね、みんなもちろん良かれと思ってね、心配してね、

「今は無症状でも突然症状が悪化するらしいですから気をつけてください」

みたいなことを書いてくるんですよ。

あのねぇ、これが一番チクッと心を痛めるんですね。

そりゃ気をつけてますよ!
でもね、体温と血中酸素濃度を測る以外、やることないんだもん!
ほんとに悪化したらサポートセンターに連絡するだけのことでさ、それ以外はなるべく心穏やかに、自分をダマシながら一日を過ごすしかないんですよ。

むしろこれは修行に近いですね。世間からの雑念を振り払い、いかにして「無」になれるか?っていうね。

あのね、八甲田山中での10日間に及ぶ湯治生活を終えたばかりのわたくしが、ですよ

すぐさま今度は同じく10日間の療養監禁生活に突入するという

これはもう逆に密度の濃い時間を連続して過ごしてますね。
自分と向き合う修行のような時間をね。

本日の体温36.3度
血中酸素濃度97
藤村、本日も体調よろし。

以上!

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(今日2021/08/04も藤村さんはD陣日誌を更新しています!ぜひご確認を)

藤村でございます。

昨日、PCR検査結果を知らせるメールが届き、そこに
 

結果は【陽性】でした。


と書かれてあって、やはりドキッとしましたね。

あらまぁ、え?ホントかよ、とね。

で、もう一度メールを見ても、やはり


【陽性】でした。


と書かれてある。

そうか、マジか、と。

続いて今度は声に出して読んでみると

これが


PCR検査の結果は【妖精】でした。


と、聞こえましてね。

あ、それなら悪くないな、と思いまして。

いや実際ね、電波少年が放送されて以来、多くの人から優しい言葉をかけられましてね。とにかく私を気遣って。私のことを愛しんでね。


あ、おれホントに【妖精】かも


と思いましたもん。

本日の体温36.5度。
体調良し。





以上。

なお、嬉野雅道には発熱などの症状はなく検査においても陽性と認められませんでした。

ーーーーーーー

藤村忠寿の昨日(2021/08/02)のコメント:

今朝、PCR検査を受けたらその病院の院長先生から直接電話がありまして「陽性です」と。

続けて「もしかして水曜どうでしょうの藤村さんですか?」と聞かれましたので「はいそうです」と答えたら、嬉しそうに「いやー大ファンです!いやー良かったぁー!」と大変喜んでおられたので「いや、ちっとも嬉しくはないんですけど」とたしなめておきました。
とまぁ、これほどまでに大ファンがいる「水曜どうでしょう」の話を電波少年Wではたっぷりとしたかったんですけど、行けなくなりました。すいません。まったく無症状なんですけど。

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藤村でございます。

3年ぶりのどうでしょうキャラバンの開催が決定しました。

時は9月5日(日)〜21日(火)。6県6会場にて開催(詳細は11日以降に発表予定)となります。本当は10会場以上を巡る予定でしたが、半数の会場が泣く泣く辞退し、「それでもなんとかやりたい」と残ったのが6会場ということです。

但し、会場によっては他県からの人は入れないとか、いろいろと条件があります。さらに、北海道に再び緊急事態宣言が発令されれば、キャラバン隊が内地へ渡ることもままならなくなり、キャラバン中止ということも充分にあり得ると、そんな綱渡りの状況ですが、今のところは「キャラバンを開催するつもりである」ということです。

昨年も同じように開催のつもりでしたが、そのためには他県からの入場不可、すべての来場者の連絡先記入などなど、とにかく条件が多く、それでは楽しい雰囲気が作れない、やっぱり世の中スッキリしてから安心してキャラバンをやろうと最終的に中止を決めました。

ところがあれから1年。世の中はいまだスッキリすることなく、さらに混沌としたうやむやな状況がずっと続いてます。

誰も何も決められない。「文句ばかり言う人」と「ただ世間に同調するだけの人」。

今、日本の大人たちがやってることと言えば、「この状況下ですからね、やむを得ませんね」と体裁のいい言葉で、あたかも他人のことを心配してるような風で、結局のところ「何もしないこと」を決めているだけ。

何かすれば誰かに非難されそうだからやめとこう。そんな空気。

もうね、これはそう簡単には変わりませんよ。

誰かが思い切ってやらないと、ずっとモヤモヤしたままですよ。

だったら、我々がやりましょうよ。

とりあえずやれるとこからやりましょうよ。

面倒くさい条件も「わかった!」と、「呑めばいいんだろ!呑めば」と、威勢よくすべて丸呑みして、その条件さえ呑めばみんなと集まれるなら、キッチリやってやりましょうよ。

「よしわかった。やってやろうじゃないの」と思った方々は、是非とも会場に足を運んで下さい。そしてお互いマスク越しではあっても、ひさしぶりに顔を合わせましょうよ。

とにかく誰かが行動に移し、「こういうやり方ならできるんじゃないすか」という実証を示さないと、このまんまのうやむやな状態が日本中でまだまだ続きます。

であれば、僭越ながら我が「どうでしょう藩」が、諸藩の先陣を切って、日本各地に遠征し、集会を開いて、「あ、こんな感じならできますな」という範を示そうではありませんか。

我が藩は、その昔は「え?なにそれ」的な辺境の弱小藩でありましたが、今や国を動かす力は十分に持っていると思うのであります。

もちろん「やっぱりそれはリスクが高い」と思う人もたくさんいるでしょう。その方々は是非「エアキャラバン」に参加してください。それでも充分な行動になりますからね。

ということで、とにかく我々キャラバン隊は、着々と準備を進めています。

あとはもう、緊急事態にならんことを願うのみです。

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みなさん、ごきげんいかがですか。嬉野です。

そういえば、藤村さんの酸ヶ湯での湯治も、たしか昨日、20日で終わりでしたね。

なにしろ今回の湯治期間は21世紀の日本人としては前人未踏の連泊10日!でありました。

たまたま居合わせたお仲間の猛者湯治客でさえ、藤村さんから連泊10日と聞いて「なんぼなんでも!」と、目をむき、腰が砕け、舌を巻いたと言いますから偉業でございます。

わたくし、明後日ラジオで、ご本人から怒涛の湯治トークの第一声が生々しく聴けるかと思いますと、今から会うのが楽しみでなりません。

私は元来、湯治宿が好きでございます。これは間違いなく女房の影響ですね。あの人と結婚しなければ、湯治場のひなびた湯治宿なんか、暗いし、古いし、設備不十分だし、足を向けるわけがなかった。

それを覆したのは女房とのバイク旅でした。まさに習うより慣れろ。名湯には浸かってみなければわからないのでございます。

まさに百聞は一見にしかず。各地の名湯に浸かっているうちに「こんな、のどかに気分の晴れる場所が他にあるだろうか」と思うようになるまでには、たいして時間は掛かりませんでしたよ。

今ではすっかり湯治好き。

夏場は、川沿いの露天風呂で汗を流し、アブに背中をやられながら、川のせせらぎ、川風に気持ちよく吹かれながら眺める草の青葉が目に沁みまして、「生きてる感じ」が、じんわり湧き上がってまいります。

生きてる今を極楽にするというのは、自分の足でたどって歩く道のそばにしかありませんから、まずは、体験しつつ「お気に入り」を見つけて行く以外、他に方法はございません。

明日を憂うることはせず、ただ今を「気持ちよし」と受け入れるために生きてこそ、人生はハッピーに向かうはずと、私ばかりは信じて疑わないのでございます。

それでは皆さま。動画でお贈りする「藤村忠寿の酸ヶ湯講座」(タイトルは適当に言ってるだけです)楽しみに待ちましょうね。

今日も札幌は暑い!

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