シャープさんとヤンデル先生の相談室
〜ただまぁ、打つ手はないです〜
第4回
「公式」の先駆・シャープさんと、つぶやく病理医・ヤンデル先生が!
悩みを聞くだけ聞いて解決しない相談室を架空のアパート「どうで荘」で開設。
入居者からの「相談」に、各自の持ち場から答えていただきます。
☆現在、入居者の皆様からのお悩みを大募集中!
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☆今回のお悩み☆
実は、これはもう終わった出来事なんですが、かなりもやもやした思いが残ったので、お二人の考えを聞きたいと思い、相談します。 某有名アイス店でシングルを注文したら「今、料金はそのままでダブルにできます」と言われました。私は、野菜のようなたくさん食べてもいいものなら追加しますが、アイスなので追加したくなくて断りました。 すると、店員さんは引き下がらずダブルを勧めてきました。そこからは、先輩店員も出てきて「後から苦情のような事を言われることもあるので…」とよくわからない言い分でしつこく勧められて、私も意地になり「いらないって言ってるんだからいいじゃないですか!」と言い争いになる始末。 結局こちらが折れてダブルにしましたが、あれは何だったんでしょうか? なんかお得の押し付けのような気もしますが、私がおかしいのでしょうか? どうぞよろしくお願いします。
どうで荘にご入居のみなさん、こんにちは。@SHARP_JP の山本です。あっという間に梅雨が明けてしまいました。北海道には梅雨がない、という説はこの時分に定番の世間話ですが、ひょっとしたらその前提も変わってしまうのかもしれません。さいきん北海道で、エアコンがたくさん売れていますし。
さて、今回のお悩みです。お悩みというか、私には世のビジネス論とか、高度資本主義と呼ばれる世界への警鐘に思えてなりませんでした。寄せられた相談文をはじめて読んだ時、ちょっと考え込んだくらいです。これはただのお悩みではない。なにか、私の本来の仕事に対して非常に重要な示唆に富んでいる。そんな予感がしております。
人間は合理性を好み、合理的に行動する生き物である。私たちはざっくりと、そういう大枠の人間観に同意しつつ、毎日を生きています。なぜかというと、そう信じていないとやってられないから、だと思うのです。世界はあまりに複雑で、そこで生きていくにはなにか真実めいたルールを適用しないと、私たちは狂ってしまうのでしょう。
しかし日常は、容易にその人間観を揺さぶってきます。私たちはふつうに暮らしていたって、理不尽な目に会います。たまたま入ったお店でも、いつもの通勤電車でも、あるいは職場でも、最初から最後まで疑問符しかつかない怒りを撒き散らす人がいるし、時には理不尽な偏見や抑圧の目に自身が晒されることもあるでしょう。そんな理不尽で具体的な経験談があふれたSNSをひらくたびに、はて人間は合理的な生き物だったはずだよなと、私は頭を抱えたくなります。
目を離したすきに明後日の方向へ駆け出す。食卓にひろがる信じがたい食べこぼし。まったく筋の通らないイヤイヤ。小さなお子を育てる親御さんなら、いずれ合理性を獲得するのが人間だ、と呪文をとなえながら成長を見守られていると思います。どうやら人間は生来的に合理的ではない。そう思い知らされる時間です。
一方で私たちは、非合理が人間の胸を打つ経験もします。というか、なんとも説明のつかない表現が、見た人の心になんとも説明のつかない衝動をもたらすことこそ、芸術やコンテンツの力だとも言えます。
人間が繰り広げる、非合理的な行動がなぜこうもわれわれを魅了するのか。水曜どうでしょうを履修したみなさんなら、全員が知っているはずです。無意味や理不尽が時に痛快であること。合理性の追求が人間の創作の動機でないこと。ミラクルがあること。それを、身を以て証明したのが、あの番組の存在だと思うのです。
とにかく私たちは、人間は合理的に行動するといったんは解釈しつつも、どこか釈然とせず生きているのでしょう。むしろ合理性からはみでた存在を、愛おしく思う節すら私たちにはあります。つまり、人間は合理的でありつつも非合理的な生き物である。そのゆらゆらした立ち位置こそが、私たちが複雑で残酷な世界を生き抜く合理性なのかもしれません。
しかし、そのゆらゆらした立ち位置を徹底的に排除する場所があります。私たちがあくせく働くビジネスという場です。費用対効果だとかコストパフォーマンスだとかいう言葉が飛び交う職場は、人間の非合理性をとことん漂白することで生まれてきました。だからそこでは、人間が合理的に行動する以外の行動は、いっさい想定されません。そしてそういう場所(たいていは大きめの文字でマーケティングなるワードがつく部署)だからこそ、「アイスを買えばアイスがもう1個」という企画が生まれたはずです。
ですから相談者さんは、アイス屋の店員さんからすればまったく予想もしなかった登場だったのだと思います。おそらく「アイスを買えばアイスがもう1個」キャンペーンの店舗マニュアルにも、あなたのような存在は書かれていなかったのではないか。あまりに想定外だったからこそ、店員さんは頑なな態度しかとれなかったのでしょう。
人間はすべからく得を求める。企業の側はそれを所与にしないと、マーケティングがあまりに複雑すぎて、なんも計算ができないのです。だから、タダなのに享受しない人間は、見ないことにする。複雑なお客さんは透明にされるのです。ひどい話ですよね。
合理性の追求は、ほかの合理性を排除します。そうする方が仕事の効率があがり、合理的だからです。あなたの「野菜のようなたくさん食べていいもの以外はむやみに食べない」という姿勢は、徹底的に人間を単純化すればいいという、企業やビジネスの乱暴さを浮き彫りにしました。しかし悲しいかな、向こうにとっては、あなたは透明な存在なのです。
けれど私は、あなたの主張こそが合理的だと思います。自分で自分の人生を健やかにしようとされているわけですから、圧倒的に正しい。人は金という合理性にのみ生きる。そういう風に人間を単純化する企業にこそ、未来の市場へ打つ手はありません。私はそう思います。自戒を込めて思います。とはいえ私なら、まんまとダブルにしてしまうと思う。ただまぁ、打つ手はありません。
これはモヤりますわ。もやもやするのも、無理ないです。「あれは何だったんでしょうか?」にはすみません、ちょっと笑いました。ほんと何だったんですかね。おかわいそうに。お察しします。大変でしたね。
こういう店員さんみたいな人っていますよねー! こちらの都合とか好みとかを何も聞かずに、いきなり、「これを差し上げます」って一方的にモノを渡してくる人。基本的にそういう人から渡されるものって要りませんよね。だから、相手との関係にもよりますけれども、まあ要らないものは要らないってことで、正直に答えるわけですよ。すると……。
「要らねぇ」
「ああ?」
「要らねぇっつってんだよ」
「なんだと鈴虫」
「こんなもの別に欲しくねぇっつってんだ」
「黙って受け取れバカ野郎」
「(カチッ)」
とまあ、こんな感じでつばぜり合いが勃発してくるわけですよね。
ひたすら善意を押しつけてくる人。
本当に私のためを思っているんだったら、私が「それは要りません」と言ったときに、「ああ、要らないならあげるのはやめよう」と思ってくれるのが普通じゃないのかな、って、私も考えてしまいます。ですから相談者の方に100%同意です。
結局こういうことをする人の中で駆動している原理は、私に対する善意じゃなくて、「これを相手に渡すことで自分が良い気持ちになる」という、他でもない、自分に対する善意(何それ)ですよね。
「後から苦情を言われることもあるので~」とかホントに知ったこっちゃないですよ。こっちの都合なんか1ミリも考えちゃいねぇな。
そういう「自分への善行に忙しい人」と関わっていると、いくら日ごろおだやかな我々としても、だんだんイライラしてくるのは当然ですよね、ついカッとなって、バールのようなもので背中をかきながら、
「とにかくこれ要りませんから。はい。要りませんよ」
とね、毅然として対応するしかない。そしたら、たいてい、こんなこと言われませんか?
「こっちはよかれと思ってやってんだよ」
出た~~~~~~~~~~~~~~よかれ~~~~~~~~~~~~~~~。
「よかれと思ってやってんだよ」が出るシーンって基本的に「やってることが裏目に出てるシーン」だけです。私たち、こんなセリフ恥ずかしくて言えませんよね。本当に相手のことを考えていたら。でもあなたのアイスクリーム屋さんしかり、こういうことをやる人はどこにでも……
あれ?
今のセリフもなんかどっかで見たことありますね? たしか西表島あたりで……。
じつは今回、ご相談にお答えしようとして、文面を読んで考えている最中、なぜか、アイスクリームのダブルの要る要らないみたいなちっちぇえ押し問答をしているのが、とあるスズムシとゲンゴロウのやりとりに変換されてしまって私はたいそう困惑しました。
そして今実際にこうして回答を書きながら、ふと思ったのです。
「余計なお世話」や、「よかれと思って」をエンタメにした某番組は偉かったなあ……と。
「よかれと思って」が太字で画面一杯の字幕になる番組、他にないですよね。人間の本質に近いところにある汚ねぇ部分を抽出して笑いに変えていく構造、エグいなあ。だから歴史に残るんだろうなあ。
最終的に今回の件で折れたあなたは、今モヤモヤしていることも含めて、ポジションとしては大泉さんみたいなもんですよ。誇っていいんじゃないでしょうか。
以上、今回のご相談ですが、えー、すでに終わったことだと相談者さんも書かれておりますので、まあ、打つ手はないです。
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【回答者プロフィール】
山本隆博
@SHARP_JPの運営者。どうでしょうをサラリーマン目線で見直すのが好きです。
病理医ヤンデル/市原真(43)
好きなどうでしょうはユーコンです。
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シャープさんとヤンデル先生の相談室
〜ただまぁ、打つ手はないです〜
第3回
「公式」の先駆・シャープさんと、つぶやく病理医・ヤンデル先生が!
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☆今回のお悩み☆
2年前から在宅勤務が始まり、会社に
行かなくなってから、同居している母が、
色々な人からかかってくる電話
(私はこの電話の事を“生存確認”と呼ぶ。
何故なら妹や弟、母が昔から仲の良い
友達からだからだ。)で、「私は娘
(つまり、私)が結婚するまでは死ねない。」
と言っているのが聞こえてくる。
私は別に結婚しないつもりもないし、
嫁に行かないと言った覚えもない。
でも、毎度毎度“生存確認”の度に言われると、
さすがの私も凹みます。
こんな母へどんな対応をしたら
良いのか教えて頂きたいです。(PN:恋するうさぎ)
こんにちは。興味深いクエスチョンです。どうもありがとうございます。
さっそくですが2×2表を作ってみていいですか? 医者がけっこうよくやるやつです。これによってデータを整理して、厳密な解析をしてみようと思います。
はい、ドン。
あなたが結婚しないかどうかと、お母さまが死ねないかどうかについては、この4パターンがあります。さっそく空欄を埋めて参りましょう。
まず、あなたが結婚しなかったときです。お母さまは「結婚するまでは死ねない」とおっしゃっていたので、複雑かつ緻密に専門的な分析を致しますと、つまりはこういうことかと拝察いたします。
「そうありたい」。まあこれですよね。かなり困難な検討でしたが、私は医者ですので、非常に論理的にこの結果を導きました。
さて、次に行きましょう。人体ってほんとうに不思議で、あなたが結婚しなければお母さまは死ねないとおっしゃっているようですが、人間の寿命というのはいつか必ずやってきてしまいます。ですから、左下の欄ですね、たとえあなたが結婚しなくても、じつはお母さまは……。
こうなのです。残酷ですが、これは医学的な事実です。エビデンスもあります。人はいつか死にます。悲しく、寂しいことです。
では次に、あなたが結婚したパターンも見てみましょう。あなたは、「結婚しないつもりはない」とおっしゃっていますので、つまり、厳密に考えますと、結婚される可能性があるわけですから、ここも検討の価値があります。
さてこのあたりから衝撃の事実なのですが、あなたが結婚しないと死ねないと言ったお母さまは、あなたが結婚しても、たぶん死にたくないと思います。データは不十分で追加検討の余地はあるにせよ、これまでの私の臨床経験から推測致しますに、空欄をこのように埋めることが可能かと考えます。
「そうありたい」。あなたが結婚したからそれで安心してはい死ねます、という人間って、えー、そのー、たぶんあんまりいないと思うんですよね。なんだかんだ、子どもの行く末を見てみたいんじゃないかな。たいてい。ここ、エビデンスレベルがやや低いですけれど、観察研究的にはまあ、こうだと思います。
そして……最後に残った枠。くり返しになりますけれども、とても悲しいことですが、人はみな、必ず寿命がやってきます。あなたが結婚したあとで、残念ながら、他の人と同じように、あなたのお母さんもいつか天寿をまっとうされる日が来ます。これはもう、間違いありません。早いか遅いかの違いはあれ。それが遅ければいいなと願いつつ。
……できました。
非常に稠密(ちゅうみつ)な検討の結果、結論が出ました。
あなたが結婚しなくても、結婚しても、お母さんは死ねない(そうありたい)。そして、人は、いつか死ぬ。
2×2表を用いることで、非常に明確で、かつ、少しだけ残酷な、でも、希望を抱きたくもなるような結果が導かれました。
いかがでしたか?
驚かれましたか?
無理もありません。こんなにはっきり結果が出るなんて、びっくりですよね……。
ただし、2×2表は、なんだか高校時代の数学の、統計学とか場合分けのようなものをほうふつとさせますね。人間味がないですよね。パッと見でよくわからないし。うっとうしくもある。
これでは、「説明のへたな医者」のそしりを免れません。
そこで、よりわかりやすさを追究するために、図にしてみましょう。情報を視覚化することは大切です。
そうそう、あなたはお母さまに電話がかかってくることを「生存確認」とおっしゃっているのだそうですね。滑稽さ、哀愁、人生の無常さ、軽いテンションが入り混じった、どことなく落語的なテンションを感じました。誰かから電話がかかってくるたびに「生存確認されたの?」と言われるお母さまのお気持ちはどんな感じかなーというのがちょっと気になったりはしますが……あ、そうか、言われてはいないのか、あなたの頭の中で親しみを込めてそう呼んでいるだけなら問題ないですね。まあ、お母さまの方も、あなたに直接言うでもなく、妹さんや弟さんとの会話の中で、(おそらくはあなたに聞こえるか聞こえないかくらいの距離感で)直接あなたに言うともなしに、「(あなたが)結婚するまでは死ねない」とくり返されているとのことで、これはつまり、お互いに、相手に直接言うではなしに「生存確認」「死ぬに死ねない」とおっしゃっておられるのかな、と理解をしました。というわけで、直接言っているわけじゃないからその言葉使いについては一切問題ないと結論しまして、あなたのおっしゃった「生存」という言葉が、なんだかぎょっとしつつも愛らしいなあと思いましたので、少々拝借いたしまして、グラフを作って見ました。
縦軸が生存確率。
横軸が時間です。
左のグラフが、あなたが結婚しなかった場合の、お母さまの生存確率です。これは本当に、人類という名の生物を生み出した物理法則や化学法則、あるいはそれを超越するような何か、そういったものを恨むしかない……という残酷な結果ではありますが、人間は生きていれば時と共に必ず生存確率が下がります。できればそのカーブよ、緩やかであれかし! と願うばかりでございます。
で、右のグラフが、あなたが結婚した場合の、お母さまの生存確率です。こちらは色を変えてみました。非常に丁寧にプロットしました。その結果二つを見比べてみましょう。暖色系は少し盛り上がって見えますから気を付けてくださいね。
わかりづらいですか? きちんと、厳密に解析しましょうか? では、グリッド線を引き、二つを厳密に比べてみました。
本当に驚きました! い、い、一緒です! ぴったりと!!!
まさかの結果に、藩士一同驚愕です。
つまり……じつは……なんと……。
お母さんの言う、「あなたが結婚するまで死ねない」は、根拠に乏しい、誤った認識、すなわち、誤解だったのです……。
「あなたが結婚するかしないか」と、「お母さんが死ねるか死ねないか」は、「独立の事象」と言えます。両者に相関関係がなく、因果関係もありません。
以上、大変クリアカットに証明できました。私も医師としての責務を果たせたような気がします。
しかし……。
ここで、あなたが、私の検討を参考にして、
「何言ってるの、私が結婚するとかしないとか、お母さんの生き死にとはなんの関係もないでしょ」
などと、一方的に、「正しい顔」でものを言うのは、果たして適切な対処法でしょうか?
このような状態を、俯瞰して、医学的に解析すると、こういうことになります。
「朗書体」はかつて正規のルートで私が購入したものですので、安心して使えます。皆さんも安心してください。ともあれ、このように、親子の関係、あるいは成人した人間同士で、「片方が正しくて片方が誤っている!」みたいな尺度で会話をするのは、なんか、対等じゃないです。
偏っているというか。
一方的というか。
とにかく、嫌な感じですよね。
正論を押しつけてくる医者って嫌な感じしませんか?
私はします。2×2の表を作ったりグラフを作ったりして、エビデンスを盾にとうとうと説明されても、
ハァーむかつきますよね。カチッと来そうです。いやいやこれは、まずいでしょう。人間味なさすぎるわ。不寛容ですよね。空気読まなさすぎ。そう思いませんか? 私は思います。
かと言って、ですよ、ここで、平等とか寛容ばかりを考えて、このような対処をするのも、やっぱりよくないと思うんですよね。
もはや何言ってるかわかんないですからね。これじゃ売り言葉に買い言葉ですね。パイ生地で菊練りするのと同列です。言える組み合わせを言いたいように言っただけでじつは倫理とかすっ飛んだセリフになってますよね。
そこで。
こういう、難しい問題を解くにあたっては。正誤を急がないのがいいんじゃないかと思います。
あの、ぜんぶひっくり返しますけどね。
2×2とか、グラフとか、クソですよ。
合ってるも間違ってるもないんですよ。
人のセリフってのは正しい正しくないで判断するものじゃないんですよ。
そこに毎回感情が乗るんですよ。
感情ってのは正誤で説明できない、しちゃいけないものだと思いますよ。
正解とかないんで、受け止めりゃそれでいいです。あるいは、
これでもいいと思います。
だってもう正解なんてないんだから。
正しいこととか誤ったこととかいう判定自体がまちがってるんですから。
何度言われても関係ありません。
「ああ、また感情が川を流れてきたぞ、ドンブラコドンブラコ」ってスルーしていいと思うんですよね。
でもその、あなたは、たぶんそんなこと、とっくにわかっていて、それでもなんかちょっとイラッと来ていて、なんとかならんか、正解はないのか、って、迷いを言葉に組み換えて、こちらに相談を送ってくださったんじゃないかとは思うんですけどね。
私も、一応そこまでわかってたんですけどね。でもまあこの原稿は、とりあえず書き始めなきゃ書き終わんないからなーって気持ちで、がんばって図を作りながら、必死で考えまして、そのー、結果がね、だいたいこうやって書いてきた感じになっちゃったんですけども、えぇー、なんと申しますか、私の努力と感情が伝わっていればいいなーと、今はそういう気分でいるわけですけれども、じゃあそれが具体的に何かの解決になったかと、えーとー、あー、そのー、ただまぁ、打つ手はないです。
どうで荘のみなさん、こんにちは。@SHARP_JP の山本です。ご入居の方におかれましては、各部屋に備え付けエアコンの試運転はお済みでしょうか。とか言いながら、どうで荘がエアコン完備な近代的アパートだとはとうてい思えません。やはりどうで荘には、風鈴や扇風機が似合う。あと浴衣と相撲。狭い部屋に男4人。私はそう思います。
さて、今回は全面的に打つ手がないお悩みでしょう。人間の思い込みほど、対処のしようがないものはない。その思い込みが善意にもとづいたものだとなおさらです。ましてやここは母から娘への思い込み。心配が愛情という行為の大部分を占める親子関係は想像に難くありません。心配が愛情の発露であるかぎり「心配するな」と言っても伝わるはずもなし。それゆえの圧や悲劇が日々どこかで、相談者のようなお悩みを生んでいるのだと思います。
ただしひとつ光明があるとすれば「私は別に結婚しないつもりもないし、嫁に行かないと言った覚えもない」という点ではないでしょうか。あなたは結婚についての態度を、これまでいっさい表明したことがない。ならばいっそのこと、お母さまへ宣言してしまえばいいと思うのです。「未来はわからない。だから未来を決めない」と。
ことほどさように未来はわからない。そればかりはお母さまも、自分の人生を振り返るまでもなく、ここ2年にわたるウイルスの猛威を思うだけでわかるはずです。未来はわからない。わからないからこそ、私は保留する。そう高らかに、お母さまへ宣誓したらどうでしょうか。
「宣誓! 私、娘一名は、そこそこの仲間とそこそこの仕事ができることに感謝し、なんでこうなったと愚痴りたくもなる見通しの立たない社会を呪いつつ、やっぱり私だってそれなりの幸せが欲しいと思うけど、私にとってなにが幸せかから模索せざるをえない時代と人生に、最後の一秒まで諦めることなく、正々堂々と未来を保留することを誓います!」
多少の軋轢は覚悟の上で、私とお母さんの時代は異なるのだと、高校球児のごとく全力で叫べばいいのです。私たちだって、そこそこがんばっているのです。その点は少なくとも私が保証します。
しかしまたここで問題が立ち上がることを、サラリーマンの私は同時に知っています。思い出してほしい。会社で選手宣誓する行為がどういうものだったかを。今期の売上ノルマを立てさせられる時。自らが組み込まれたKPIを設定する時。挑戦する項目をいくつも述べさせられる時。会社はなぜか、自分の都合を社員の目標にすり替えます。その証として、未来の達成を社員の側から宣言させる。その後に待ち受けるのは何か。報連相であり、期末の査定です。
つまりは、大人の宣誓には進捗が問われるのです。「未来はわからない。だから未来を決めない」と宣誓したとたん、母親からの「保留の進捗どうですか」がはじまるでしょう。そのしんどさは、在宅勤務でも仕事をがんばる相談者さんなら、よくわかると思います。ただまぁ、打つ手はありません。
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【回答者プロフィール】
山本隆博
@SHARP_JPの運営者。どうでしょうをサラリーマン目線で見直すのが好きです。
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第2回
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☆今回のお悩み☆
賃貸か?マイホームか?悩みまくり。家族4人です。
(PN:きむら)
どうで荘にご入居のみなさん、こんにちは。@SHARP_JP の山本です。なんかアンダーバーでジェイピーなんて書くとかっこいいですが、れっきとしたただの会社員です。
今回は「賃貸か、持ち家か」です。極めて会社員的なお悩みかと思います。とりわけサラリーマンという職種では「買うか借りるか問題」は、昼メシや飲み会における、上司の悪口に次ぐホットなイシューと言えるのではないでしょうか。さいきんは職場の飲み会自体が非常に稀有な存在になってしまいましたが、思い返せば私にも、ちびちび飲むビールの上を上司や同僚の「買うか借りるか論」が飛び交った経験があります。
その激論を観覧席から見てきて、私はずいぶんわかったことがありました。買うか借りるか問題は、たいていポジショントークに過ぎないということです。家を買った人は買うメリットを主張し、家を借りる人は買わないメリットを主張する。お互いが自分の行動の正当性を主張しているだけなのです。
もちろん私だって、ポジショントークするお気持ちは痛いほどわかります。家を買うというひとかたならぬ選択をした人は、その選択が間違っていたなんて間違っても認めたくないでしょう。逆もまた然り。ひとかたならぬ選択をしないという選択も、それなりのメンタルが求められるもの。保留を続けるという行為だって、実はけっこう意思の力が要るものです。
ただいずれにしろ、それぞれの側にそれぞれの結論ありきなのです。実際のところそこに議論の余地はほとんどない。議論を尽くしたところで決着がないのなら、買うか借りるか問題ははじめから買うコミュニティと借りるコミュニティに別れて、その中で「それな」とか「わかる」とメンバー同士で声をかけあった方がよほど建設的なのではないかと、私なんかは思うところであります。
私が会社の飲み会でこの話題をどこか敬遠したくなる理由はほかにもあります。買うか借りるか議論に参加することはすなわち、人生を収支で見る倫理に参加してしまうからにほかなりません。おうおうにして買うか借りるか論争は、買う方も借りる方も自らの人生を収支で換算することで、あなたにその正しさを説いてきます。
正味なところ、私の人生やあなたの人生は、儲かったのか、損したのか。これ、われわれがひいひい言いながら毎年駆け抜ける、会社の決算といっしょですよね。とある時点の収支に基づいて、己が社会に存在する正当性を問われることは、企業にとって当然のルールです。しかし私は、自分の人生までを収支で語るのはちょっと遠慮したい。会社の飲み会であっても、自ら進んで自分の人生を企業活動のルールに載せるのは、さすがに御免被りたい。どうしてもそう思ってしまうのです。
やはり私は青臭くとも心のどこかで、カネで計れないコトはあるしカネで買えないモノがあると思っていたいのでしょう。ましてや収支を見るということは、自分の人生に恣意的な線を引かねばなりません。人生の収支を集計するための線とはいったいどこか。おそらく「死ぬ時」以外にありえないのではないでしょうか。
つまりは「賃貸か?マイホームか?悩みまくり」は、メメント・モリなのです。会社員が飲み会でのポジショントークはかろうじて回避できたとしても、愛する家族を前に「死を忘ることなかれ」でいることほど酷なこともないでしょう。
買うか借りるか問題は、メメント・モリ。
ただまぁ、打つ手はありません。
このご質問、主語がないですね。他にもいろいろない。でも我々は、言葉を補って行間のニュアンスを掴むことができます。人間の脳ってすげぇなーと思う。
にしても、ですよ。この質問は読み解くのがけっこう難しいです。
まず、「賃貸か?マイホームか?」というのは、「今後、どちらに住むべきかと迷っている」ってことでいいんですよね? 質問主さんが巨大怪獣で、今から賃貸とマイホームのどちらかを(家族4人で)踏み潰す、というシチュエーションだったらどうしよう。
A. どちらも踏まないでください。
悩みまくっている方がどういう方なのかについても、もう少し情報が欲しいところです。「家族4人」だそうですが、質問主さんのポジションは? なんとなーく「お父さん」的なものをイメージしてしまうのは、私の脳が古いステレオタイプに引っ張られているからでしょう。引っ越しを悩んでいるのは末のお子さんかもしれない。犬かもしれない。座敷わらしかもしれない。
でも、ま、たぶん、この方の発言にはある程度の決定権があるでしょう。「だから悩みまくれる」んですよね。「自分ごと」として。
もう少し細かいところを説明してくださると、こちらとしても「自分ごと」として考えることができるんですけど。これじゃあ、わかんないな。だって、家族4人と言っても、「大人2名、小学生1名、クレヨンで壁画を作成中の幼児1名」と、「高齢者1名、中年1名、そのパートナー1名、大学生1名」と、「タレント2名とディレクター2名」では、だいぶ状況が変わってきます。最後のパターンなら、ツインルームに4名押し込んでおけば十分でしょうし。
ところで、この質問文が極めてシンプルなのは、質問主さんのせいではないかもしれません。説明なしに原稿を依頼してくるどうで荘スタッフが、「これでわかるやろ」とばかりに、個人情報のくだりをまとめて削除した可能性もあります。本当は、質問主さんは詳しいことを書いていたのだけれど、お悩み相談のお題として全部掲載するのはさすがに個人情報的にアレだから、やむなく削除した……とか。
だとしたら幸村(スタッフ)は後で説教です。しっかり怒っておきます。バカ野郎。もう少し書け。これじゃツイッターじゃねぇか。いいねしか押せんわ。なんだてめぇ幸せそうな名字しやがって。
……ということで、あらためて、お答えしましょう。多少ピントが外れていたらごめんなさい。でも、あなたのことがよくわからないので、平均的な方のものの考え方に合わせて、ゆるーく照準をセットして、ぼやーっとお答えするしかないんです。
では、失礼ながら……。
賃貸がいいに決まっています。
賃貸って気にくわなかったら引っ越しできるじゃないですか。隣近所とトラブルがあっても賃貸なら次のお部屋を探しやすいです。その点マイホームは、一回建てたらそう簡単には処分できません。そもそも、ローンだけじゃなくて税金もかかるんですよね。冷暖房とか水回りとかの維持費用だって賃貸より高いですし。「長い目で見ればお得」なんてのは、それ、売る側の理屈で、ローンをせしめていく側の理屈ですからね。騙されてはいけませんよ。そうそう、建てる場所はどうしたって、賃貸の物件にくらべると郊外になります。都心で一戸建てってのは普通に考えて無理でしょう。あと、庭のある暮らしにあこがれる、とか、畑を持ちたい、とか、そういう夢を言い出したらきりがないですからね。どれもこれもお金はかかるんですよ。賃貸かマイホームかで迷う人は、全員賃貸にしたほうがいいです。マイホーム建てたからってそこに「得」は存在しません、とりわけお金に関しては、ただ、マイホームの方に「より自由なあり方」と「夢」があるように思えるだけ。おまけに、本当は賃貸にだって自由も夢もある。だったら余計なことを考えずに、世の多くの「家族4人」が住んでいるであろう賃貸にしておけばいいんです。ほらほら、賃貸、賃貸。こうやってすぐに名詞を2倍にしてはいけません。
一気にガーッと書いてみました。
「そうそう! その通り!」と思ったなら、あなた(どなた?)はそもそも迷っていない、悩んでいない人です。
でも、
「えー? そうは言うけどさ……マイホームだってさ……いいところはあるじゃん」
と思ったのなら、その場合、あなたが本当に必要としている、あなたがすがりたいと思っている、あなたが大事にしようと思っている部分が、私にまるで伝わっていないのだろう、と思います。
そりゃあそうでしょうよ。あなた(どなた?)のご質問には、自分の年齢も、家族の構成も、これまで何をしてきたのかも、今後何をしたいのかも、賃貸の何がよくてマイホームの何がいいのかをどのように比べてきたのかも、自分の悩みが誰のためのものなのかも書かれていない。根本的な話として、お住まいが都会なのか地方なのかによっても賃貸とマイホームの性格は変わってきますし、予算によっても、ご職業によっても、何よりほかのご家族がどういう気持ちでいらっしゃるかによっても、おすすめの仕方はまるで違うんです。
でもそういうのが伝わらないと、私は、ググった結果を適当につなぎ合わせた、それっぽいけどぜんぜんオーダーメードじゃないお答えしかできない。
「えーでもさあ、そういう些細なところじゃなくて、世の中には、もっと絶対的に、賃貸とマイホームならこっちのほうがいい! って、多くの人が納得できるような秘密があるものなんじゃないの?」
ありません。
大事なことはいつだって些細な、個人的な、あなた(どなた?)たちだけの都合と性格と歴史に関わる部分にひそんでいます。そこをもっと深掘りしましょう。そしたら、きっと、あなたが何のせいで悩んでいるのか、もう少し具体的に見えてくるんじゃないですかね? ただまぁ、打つ手はないです。
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☆現在、入居者の皆様からのお悩みを大募集中!
【回答者プロフィール】
山本隆博
@SHARP_JPの運営者。どうでしょうをサラリーマン目線で見直すのが好きです。
病理医ヤンデル/市原真(43)
好きなどうでしょうはユーコンです。
※ヤンデル先生の回答はどうで荘トップページにて公開中です!
ーーー
大型月刊連載、始動ーー。
シャープさんとヤンデル先生の相談室
〜ただまぁ、打つ手はないです〜
第1回
「公式」の先駆・シャープさんと、つぶやく病理医・ヤンデル先生が!
悩みを聞くだけ聞いて解決しない相談室を架空のアパート「どうで荘」で開設。
入居者からの「相談」に、各自の持ち場から答えていただきます。
毎月1度、どちらかお一人の回答を無料公開。
もうお一人の回答や過去のアーカイブは「どうで荘」入居者向けに掲示します。
今月はオープン記念ということで両回答を特別掲載!
来月からは「どうで荘」にてお楽しみください。
(お悩みの募集はどうで荘内で行なっています。入居者の方はドシドシお寄せください。)
☆今回のお悩み☆
「ぶりっ子」の損得について悩んでいます。現在小売業で働いているのですが、レジや接客のトラブルを回避するため、いわゆる「ぶりっ子」な店員を演じています。年配の方など一部のお客様には好意的に受け取られることが多く、「いいよいいよ、仕方ないよ」とトラブル回避になることもよくあるのでこの点では得なのですが、パート社員の奥様たちや一部のお客様、特に女性のお客様には白い目で見られるような気がします。4月からは転勤で別のお店に移るのですが、ぶりっ子戦法を続けるべきかどうかアドバイスを頂けたら嬉しいです。
(PN:菜央)
お手紙ありがとうございます。拝見しました。いいですね。誰も傷つけない気遣いが伝わってくる一方で、隠し味程度にストレスもまぶしてある名文だと思いました。冒頭から「損得」という単語を用いて読む人の欲望と打算と理性と倫理を揺さぶる構成に、天性の計算高さを感じます。原生林のど真ん中で大型猛禽類の鳴き声を聞き、「お前をいつでもこのかぎ爪でかっさらうことができるのだぞ」的な目線をチクチク感じたときのような、ザワザワとした畏怖に襲われています。さすがどうで荘に寄せられるご相談は市井のソレとは戦闘力が違う、と背筋を伸ばしています。
かくも見事なご相談にお答えするにあたって、いきなり「こうすればいいんじゃない?」とか「それはやめたら?」のような対処法を申し上げるべきではないでしょう。まずは、現状を正しく分析することからはじめようと思います。分析が先、打つ手を考えるのは後。この順番を間違えてはいけません。というか、それ以外のやり方は私には難しいです。それでは分析をはじめましょう。
さっそくですが私は今、「いぶりがっこ」のことを考えています。ご存じですか? 秋田県の郷土料理ですよ。「くんせい+つけもの」みたいな感じでおいしいおつまみになります。この「いぶりがっこ」という文字列の中に、そう、お気づきですよね、「ぶりっこ」が含まれています。単なる言葉遊びなんですけれども、あら不思議、一度そう聞いてしまうと次からは、たとえば居酒屋のメニューの中に「いぶりがっこ」を見つけるたびに、あなたはきっと無意識に「いぶりがっこ」の中に潜んだ「ぶりっこ」を発見してしまうことでしょう。
似たような例で、「マイナンバーカードの中にはバーカが含まれている」というのもあります。ここまで来ると呪いみたいなものですが。
人間の脳は、複雑な模様の中に隠れたなんらかの情報を一度見つけ出すと、次からは容易にその情報を拾い上げられるようになります。たとえば、「ウォーリーを探せ!」では、一度ウォーリーを見つけてしまうと、次にまたその本を開いたときに「確かここにウォーリーがいたよな~」と、目が無意識に答えを掘り出しに行ってしまうようになります。ほかにも、レストランのメニューの横にしばしば置かれている、お子さん用の間違い探しクイズ(2枚の絵を見比べて違うところを探すアレ)で、眉毛が片方だけ細いとか、ストライプの間隔が狭いとか、動物のヒゲの本数が違うと言った、細やかな違いを最初はなかなか見つけられませんけれども、一度見つけてしまうと、違いが浮き上がって見えてくるようになります。いったん目を離してからまた見てもすぐに違いが発見できるので、一度解いたクイズはもうおもしろくなくなります。
脳って、一度何かを見つけると、その部分を周囲から浮き立つように強調してくれるんですよね。ですから「いぶりがっこの中のぶりっこ」も、もうこれからはずっとハイライトされっぱなしだと思います。
で、まあ、「いぶりがっこ」の中に「ぶりっこ」を見出したところで、いぶりがっこの味が落ちるわけではないですし、居酒屋のメニューを見ながらカップルが「あんたそういうぶりっ子タイプ好きだよね~」「は? 気にしすぎだし~、何ソレ、嫉妬?」などと口論を始めることもありませんので、さほど問題はないです。
しかし、「人間の中にぶりっ子という要素を見つけてしまう」場合、話は別です。
人間の脳は、ひとたび誰かの中にぶりっ子成分を見つけると、そこから先は「ぶりっ子」の部分を強調し続けます。あ、こいつぶりっ子だわ、と認識するやいなや、どれほど目を離しても、次にその人を見たときには「あー、あのぶりっ子ね」と、光り輝くひとつの属性によってその人を判断するようになります。
さて、あなたはぶりっ子を「演じている」とお書きになりました。レジや接客のトラブルを回避するため、と誰もが納得するような理由も書き添えられています。最後には「戦法」であると明言され、「続けるかどうか」、すなわちいつでもやめることができるのだ、というニュアンスまでお伝え頂いております。でもこれ、自己分析として間違っているのではないかと思います。いわゆる「誤診」です。私が診察、じゃなかった、拝察いたしますに、あなたはいぶりがっこです。あなたを構成する成分のなかにそもそも「ぶ」「り」「っ」「こ」が含まれているのだと思います。「演じている」のではありません。ぶりっ子という着ぐるみを一時的に着て、脱ごうと思えばいつでも脱げるという類いのものではないと思います。ぶりっ子はあなたの外にある概念ではなく、あなたの中にある、あなたの一部を構成する「要素」です。そしてあなたは、それを意図的に抽出して、「ほらぶりっ子だよ」とみずから強調なさっているわけです。
細かいことを付け足しますと、「レジや接客のトラブルを回避するためにぶりっ子を演じる」というのは一般論として通じないと思います。ここ、思わず読み飛ばしそうになりましたが、レジや接客を担当される方がみんなぶりっ子になっていくわけではないですので、詭弁ですね。人間は、「リンゴは甘いからカレーに入れてみた。」のように、「~から」とか「~ために」といったフレーズを使うことで、なんかちょっと論理的にうまくつながったかのような文章を書いて人を誘導することができます。私も誘導されかけました。漫然とお手紙を読むと、「そうかー、理由があって、ぶりっ子という成分を外から持ってきて、自分に一時的にくっつけているのだな」と納得しがちですが、実際には、理由があって外挿したのではなく、「内からにじみ出てくるものに対し、後から理屈を付け足した」のではないかと思います。そもそも、「パート社員の奥様たちや一部のお客様、特に女性のお客様には白い目で見られる」とお書きになっていますように、これ、別のトラブルの火種になってしまっていますよね。でもまあ、年配の方など一部のお客様には好意的に受け止められているそうですから、これはもう、損得も利害も入り混じっているわけで、あとは個人でその道を選ぶか選ばないか、くらいの話になっています。
以上、私はあなたのお手紙を拝見して、このように感じました。
「ぶりっ子を演じているのではなく、自分の中からぶりっ子成分がにじみ出てくるのを、損得ともに織り込み済みで、自分なりに利用されているのでは?」
4月から移られる次のお店でも、ぶりっ子を演じるかどうか、みたいなレイヤーの問題ではなく、自分の中から温泉のお湯のように続々と湧き上がってくる「ぶりっ子成分」をどう有効活用するか、という問題として考えた方がより建設的なのではないでしょうか。いぶりがっこの中からぶりっこを除去したら「いが」しか残りません。これではもはや、いぶりがっこの痕跡も感じられません。だったら、無理に除去するのではなく、「ぶりっ子」はそこにあるものとして計算していったほうがいいかもしれません。以上が私の分析です。
ただまぁ、打つ手はないです。
どうで荘にご入居のみなさん、こんにちは。@SHARP_JP の山本と申します。家電メーカーのしがないサラリーマンがなんの因果か、北の病理医ヤンデルさんといっしょに他人さまの悩み相談に乗ることになりました。
相談に乗るのはせいぜい家電の買い替えくらいのボンクラ会社員が、なんらかの解を提示しようとするわけですから、悩む方も油断がなりません。なにより回答する本人が「だいじょうぶだろうか」と疑心にとらわれているわけで、ままならないとはこのことでしょう。
さて「ぶりっ子の損得」です。まるで「ニッポンの論点」とか「武士の一分」といったスケールの大きさを感じさせる語感ですが、ご本人にとっては接客を仕事とされているだけに、お悩みは切実かと思います。
結論から先に申し上げますと、ぶりっ子の損得は総合的に勘定すればちょい得ではなかろうか、私はそう考えております。
ここを読むみなさんが、私のふだんの仕事をご存知だとうれしいのですが、私は主にツイッターを舞台に、勤め先の製品を身の回りのよしなしごととともに発信しています。もう10年あまり、広義の広告宣伝という企業活動に身をやつしております。
化粧品や嗜好品ならいざ知らず、家電のお客さんは潜在的に老若男女の全員です。つまり私の仕事はほぼ全ての人を対象にメッセージを発信し、その結果あわよくば多くの人から好感を獲得する、そうでなくとも最低限、だれからも嫌われないというラインが課せられるのです。当たり前ですが、広告はイメージや売り上げに関わりますから、反感を買うことは許されません。
では、だれからも嫌われない広告に必要なことはなにか。沈黙か、ぶりっ子以外にありません。沈黙では私の仕事が成立しないので、つまり私は職能的ぶりっ子を10年続けてきたことになります。ぶりっ子のプロフェッショナルと言ってもいい。
すると私はどうなったか。驚くべきことに、私はいい人になったのです。10年前の私と現在の私を比較検証できる人間は限られますが、その張本人である私は自信をもって断言できます。私は今、いい人です。10年前より、いい人になったのです。
おそらく人間は打算的なふるまいであっても、それを続けることで自身が影響を受けるのでしょう。たとえ仕事上の言動でも、長期的に見ればぶりっ子は本人の人格に深い影響を与える、私はそう考えています。いい人になることに不利益を唱える人はいないはずです。だからぶりっ子でお悩みの菜央さんも心配いりません。あなたはいずれ、いい人になります。
もちろん「だれからも嫌われない私」が非常に困難なゴールであることは私も知っています。ぶりっ子は「ほんとうの自分」を覆い隠す手段であるのもまた事実。多くの人と触れあう職能的ぶりっ子なら、なおさら「あなたの本心がどこか」を探る白い目に晒され続けるでしょう。お互いが裏をかきあう、メタ化したコミュニケーションは疲れるものです。
しかし本来ぶりっ子が目指していた「いい人」を、あなたが名実ともに実現したらどうでしょうか。ぶりっ子というふるまいが実際のあなたに影響を与え、あなた自身が「だれからも嫌われない私」そのものになれば、ぶりっ子は戦法でなくなります。そこにいるのは、ただのいい人。すなわちぶりっ子とは、やめずに続けることにこそ、その成否がかかっているのです。
が、問題はここで終わりません。ぶりっ子を続けることを阻む、最大の敵がいることをゆめゆめ忘れてはいけません。ぶりっ子の継続を邪魔するのは、ぶりっ子に白い目を向けてくる他人ではない。過去のあなたです。過去のあなたが「お前、そんなにいい人だったっけ」と、ぶりっ子を続ける現在のあなたを執拗にあざ笑ってくる。それに耐えるのは至難の技でしょう。白い目は世間でなく、身内にある。つまりあなたは、あなたの中に敵をインキーしているのです。そしてぶりっ子はかくも困難な道かと思うたび、あなたの脳裏にはあの声が蘇るはずでしょう。
「ただまぁ、打つ手はないです」
【回答者プロフィール】
病理医ヤンデル/市原真(43)
好きなどうでしょうはユーコンです。
山本隆博
@SHARP_JPの運営者。どうでしょうをサラリーマン目線で見直すのが好きです。
来月のお悩みへの回答はお一人は全文公開。もうお一人は「どうで荘」内のみでの掲載です。「どうで荘」は特に意味なく初月無料中!