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D陣日誌
- スタッフより
2024.04.18
嬉野です。日誌です。
実は1968年の11月に。
開局当時のHTBで放送された番組に、「水曜いかがでしょう」というケッタイなタイトルの番組があったのです。
信じられます?
1968年といえば私がまだ9歳のころ。世の中は明治100年で盛り上がっていたはずです。そんな56年も前に、HTBに「水曜いかがでしょう」という、あまりに符合しすぎるタイトルの番組があったのです。
私がその事実を知ったのは実はほんの数日前のことで。
日曜日でしたが会社へ足を運ぶと誰もいないフロアの編集室に藤村くんがひとりいたのです。
「どうしたの?こんな日曜に」
「あなたこそどうしたの?」
「いや、なんとなくきただけだけど」
そう言って私は編集室に入り、彼の横の椅子に座ったのですが、藤村くんは私を振り返るでもなく編集機に向かったままなのです。でも、彼の前にある編集機のモニターは何も映さず真っ黒なのです。明らかに彼は編集なんかしていない。なのに私を振り返ろうとしないのです。なんでしょう、私は招かれざる客なのだということでしょうか。しかし、何かが不自然なのです。
私はなおも彼に語りかけました。
「どうなの?忙しいの?」
「忙しいですよ」
どうやら軽口もきかない。会話はしたくないといった重いトーンでボソリと彼は答えるだけです。
「でも、もうDVDの編集も終わったんでしょう?」
「終わっても忙しいんですよ」
そう言って彼はなおも私を振り返ろうとしない。明らかに私に出ていってほしい雰囲気としか思えない。
そのときです。
テープや素材の並んだ棚の中に、ひときわ異彩を放つ物体を私は見つけたのです。
「なんだあれ?」
私は心の中で思いました。
あの神戸のお菓子ゴーフレットの大親分みたいなドデカいサイズのヒラぺったくて丸い円柱のカンカンが、なんとも不自然に素材の並んだ棚にUFOの円盤のように突き刺さっているのです。
私は思わず藤村くんに声をかけました。
「ねぇ。。。」
「なに?」
「あれ、なに?」
「なんでもないよ」
「いや。なんでもないって。あなた今、振り返って見もしないで言ってるけど。絶対なんでもあるでしょ!」
「なんでもないよ」
「いや、なんでもなくないよ!さっきからあなたもおかしいんだけど棚に突き刺さってるあのケッタイなアレはもっとおかしいよ!」
私は思わず立ち上がって棚から不自然過ぎるドデカ缶を抜き去りました。
するとそれは、古色蒼然たる35mmのフイルム缶でした。映画のフィルムのひと巻きを入れて保管する缶です。
「なにこれ。フイルムじゃない。フイルムなんて場違いなものが、なんでこの編集室にあるの?」
私の不審感は募るばかりです。
缶の表には紙になぐり書きしてセロテープで貼っただけのタイトル表が貼ってあり、なんと、「水曜いかがでしょう」1968.11とあったのです。
「いかがでしょう。。。???」
どうでしょうをもっと丁寧な言い回しにしているだけで、あきらかに「水曜どうでしょう」をパクリまくったタイトルじゃないですか。でも、パクッたにしては、放送年次が水曜どうでしょうより古いのはどうしたことでしょう。だって今から55年も前なのですから。
「ねぇ、なんなのよこれ? 『水曜いかがでしょう1968年11月』って、書いてるけど、なんなのこれ?
ここにあるんだから、あんたはコレのこと知ってるってんだよねぇ?」
私の執拗な追求にとうとう藤村くんは観念したのか、静かに私を振り返るとこう言ったのです。
「見ますか?」
「え? 見れるのこれ? 」
彼は静かに頷きます。
「見たいよ」
藤村くんは、渋々、プレビューの準備をすると、動画を再生し始めました。
とまぁ、いったようなですねぇ、「水曜どうでしょう」の奇天烈な真実とでもいいましょうか、本当は、大昔にHTBが放送していた番組を1996年に偶然発見した藤村くんが、その過去の番組「水曜いかがでしょう」をパクって作り始めたのが「水曜どうでしょう」の真実であったのだ〜という、小芝居をね、日曜の昼からさせられまして。撮影が行われたんですけどね。
でも、お陰でね。とっても興味深い動画を見ることができたんです。
「水曜いかがでしょう」です。
これは、近々皆さんも見ることになろうかと思うのですが、55年前のテレビ人が「水曜どうでしょう」的な旅企画をフイルムで撮影してテレビ番組にしていたらどんなテイストのどんなビジュアルになったか、そんな、だれも思いもしないようなことを妄想し、どうしてもこの目で見たいと執着したテレビ制作会社勤務の若者が、現実にオノレの技術と想像力と演技力とで見事に再現してみせた、モノクロの画質も登場人物の喋り具合も、何から何まで昔のフリをした正真正銘の現代の動画「水曜いかがでしょう」だったんです。
あのね、クオリティーが高いですよ。
見てるともう、妙な気持ち良さが脳にくるのです。隙がない。
クセになる動画なのです。
水曜どうでしょうを続けてきて、もうじき30年です。オギャアと生まれた赤ん坊でさえ、お父さんやお母さんになってしまって家のローンの返済さえ始めてしまうような長い年月をかけて、ただ真面目におもしろがって番組を作り続けていたら、いつの間にか僕らではない他人様が、どうでしょうを深く愛するがゆえに、彼ら銘々の進んだ道の技量をもってとびきりの娯楽にしてくれるという、そんな事象がこのところ、講談、モノマネと演芸部門を賑わせておりましたところへ、ここへきて、今回ついに映像部門でも花を咲かせ始めたという、
げに、幸せなことです。
嘘のない仕事ぶりには、同じように嘘のない仕事ぶりの人たちが川の流れのように春の風のように集まってくるんですね。
ということで、どうで荘TVでご覧になれる日が参りましたら、またご連絡しますので、どうぞみなさんお楽しみに。
それでは、本日も、みなさんご無事で。ハッピーの方へ舵を切って参りましょう〜
講談師玉田玉山、人生で何度目かの居候である。
齢30を越えた居候となった。幼少のころは「俺は金持ちになるのだ、立派な家を建てる男に違いない。さって弁護士になろうか、社長になろうか、考古学者になろうか」などと鼻息荒く暮らしていた。
10代後半~20代前半には「俺はどうしようもないぼんくらだ。早晩、家を失い屋根を失い、寄る辺もなくホームレス状態になるのだ」と思っていた。
しかし34歳になった今、居候状態になっている。
家があるような無いような、無いようなあるような。不思議な状態である。あまり将来像として描かない立場であろう居候というのは。
己で家を構える力はないが、己に屋根を貸してくれる人が居る。情けをかけてくれる人がいる。これは独りで家を構え、それを墨守するために孤独に金を稼ぐ仕事を続ける、という生き方よりは幸せなことなのかもしれない。生き馬の目を抜くこの社会に於いて、この情けを得るということ、大幸福であろう。幸せ。死んでもいい。
しかしながら細川たかしの『浪速節だよ人生は』(カラオケでよく歌う。すごく大きな声が出るので、人前では歌えない)にもある。
「人の情けにつかまりながら、折れた情けの枝で死ぬ」
である。
屋根を貸してくれている人が愛想をつかし、情けを折って「出ていきなはれ」と言ったら言う通りに出ていかざるを得ないという不安定な状態、それが居候でもある。おそらく借地借家法等の店子を守る法律も、居候は守ってくれまい。
出ていけと言われば、出ていかねばならず、そこから新しい家が見つかるかどうかはわからないが、荷物をまとめて家を出て、放浪などをしなければならないのだ。それは住処と共に住所を失うということで、住所を失うと就職、転職、転居などが難しくなり、社会的な死につながる可能性もある。それが己で家を構えておらぬ、ということなのだ。
情けの枝を折ってはいけない。
情けの枝を折らぬままに、どうにかこうにか、自らの身を立てて、脱・居候を目指していかなければならない。
当然居候に身をやつすほどのものであるならから、一朝一夕で脱居候ができるわけではなく、少しづつ、居候で浮いたお金と時間を使って実力(体力、財力、能力、人脈)などを時間をかけつつでも蓄え、そして期が来た時に逆転打を放って己の居を構える、ということを目指さなければならない。
その機が来るまでは情けの枝を折らない必要がある。
そのためには居候仁義、のようなものを学んでいかなければなるまい、と思っている。
NHKの連続テレビ小説『虎に翼』でも主人公一家の家に書生という形で居候している男が出てくる。仲野大賀氏の演じるその男は司法浪人で、一家の主の勤める銀行でアルバイト的にだろうか、日中は働きながら夜学で法律を学んでいる。
階段横の狭い3畳くらいの部屋を与えられている。机と、布団と勉強道具程度しかないその部屋。壁にとにかく司法試験に受かりたい旨の習字などが貼ってある。
その彼は、今のところ3回司法試験に落ち続けている(しかも落ちて当然である、というような描かれ方だ)が、今だに追い出される気配はなく、主人公一家と食卓を囲み、弁当を作ってもらい、主人公の良き相談相手になったり、一家の戸主である主人公の父からは「いつまでいてもいいから」と言われ、闊達な居候ライフを送っている。
司法試験どれくらいの期間をあけて行われるのかはわからないが、劇中の経過時間で言うと彼は2年は居候しているはずだ。もしかすると彼に学ぶところは多いのかもしれない。
勿論一人でどうで荘に居候をしているわけだから、他人の家族と暮らしている『虎に翼』の彼とは違う。
もちろん、己なりに居候だから、と遠慮をしていることもある。
例えば全裸で部屋中をウロウロしたりするのはいけないような気がしてしていないし、リスク管理としてトイレもあまり我慢しすぎないうちに行くようにしている。自宅があるときに何度か大事故を起こしたことがあるのだ。あと、サンマが安くても購入しなかった。あれを焼くと大変強い臭いと煙が出てしまう。慎みながら暮らしている。
しかしやはり『虎に翼』の彼に比べて我が暮らしはあまりに傲慢である。
風呂でひたすら鼻歌(鼻歌、と言っても我が声は大きく、放歌。と言った方が状況を正しく伝えられているかもしれない。ちなみに、野口五郎、吉幾三など)を歌ったり、大量の本、森喜朗の自叙伝やら、村山富市の回顧録やら、を旧宅から持参して本棚を二つも設置したり、アホほどてんぷらを揚げて一人でてんぷらパーティをしたりしている。
居候が揚げ物をする、アホほどてんぷらを揚げる、一人でそれを食っている、というのはあまり聞いたことがない。
『虎に翼』の彼はご飯をお替りするのでさえ遠慮がちだというのに。こっちはてんぷらを揚げててんつゆと塩を用意して味変をしながら食べて居るのである。翌日には余ったてんぷらを使って天とじうどんを作る始末である。
どうにも良き居候的な態度ではないような気がする。
では金輪際てんぷらパーティを辞めるのか、と問われると、それは相当に辛い決断となる。一人で好きなだけてんぷらを揚げて食べる喜びは大変なものがある。
てんぷらを食べすぎる、という体験は一人で家で、でしかできないんじゃないか。
鼻歌・放歌の類も辞めたくはない。
そういったことはしていない、と隠蔽すると良いのかもしれないが、これらを隠蔽する力というのが私には欠如をしている。天ぷらパーティをして美味しい思いをしたら、それを報告せざるを得ない。鼻歌・放歌の類は隠蔽には全く向かない行為である。森喜朗の自叙伝も村山富市の回顧録もそこにあって、講談にしているのだ、隠しようがないではないか。
妙な隠ぺいはそれこそ信頼というのものを損ない、情けの枝を折る一助となってしまうであろう。
であるからこちらとしては、どのような暮らしをしているか、どのような居候暮らしをしているか、をここでリアルに書き綴り、真正面から「こんな様子なんですが、いいでしょうか、これでよければ情けをかけてください、その枝を折らないで。あ、もしダメなところがあったら直しますから」とどうで荘入居者をはじめ、そのリアルさを、情けの枝を折らぬ支えにしつつ、関係者の方々に伏して願うしかないのである。
編集部注:作者の個性を反映して、誤字脱字・思い込み・事実誤認もそのまま掲載しております。
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